紀元1619年頃の世界

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解説

この年は新興国家の後金 (後の清) が老大国明をサルフの戦いで破り、 中国に激変が生じる前触れとなりました。 また、ドイツ30年戦争が勃発、ドイツは戦乱に覆われます。 さらに、ジャワ島にオランダによりバタヴィア市 (後のジャカルタ) が建設されたことも見逃せません。
一連のイタリア戦争により、 教皇領(PapalStates) の教皇は既に世俗の影響力をほとんど失っています。
神聖ローマ帝国 (HolyRomanEmpire) では30年戦争が勃発し、宗教の名を借りた諸国・諸侯の思惑により 全土が戦乱に覆われます。
フランス王国 (FranceKingdom) はブルボン朝の初期で、 国内のカトリックとユグノーの対立がまだ残っています。
イングランド王国 (EnglandKingdom) は北のスコットランドから迎えた王のステュアート朝の時代で、 国内の王と議会の対立が深まっています。
スペイン (Spain)や ポルトガル (Portugal) は海外に多くの植民地を維持しているものの、 新興のイングランドやオランダに押され、既に没落が始まっています。 オランダ (Netherlands)は 既にスペインから事実上独立し、 インドネシアを中心に植民地支配にも乗り出しています。 バタヴィア市が建設されたのもこの頃です。
モスクワ大公国は発展してロマノフ朝 ロシア帝国 (RussianEmpire) となり、主に東方に領土を拡大させています。
アフリカではソンガイ王国は北のモロッコにより滅ぼされ、 コンゴ (Congo) は西欧との交易で独立を維持しています。
オスマン帝国 (OttomanEmpire) は主に東の サファヴィー朝 (SafaviDynasty) とメソポタミアの領有を巡って係争中ですが、 サファヴィー朝はアッバース大帝の最盛期で、 この時期はサファヴィー朝が優勢です。 またアッバース大帝は西欧の新興勢力である イングランド・フランス・オランダなどと結んで、 ポルトガル植民地すら攻め取っています。
ムガール帝国 (MughalDynasty) はアクバル大帝の息子ジャハンギールの時代となり、 安定期に入っています。
ムガール以外のインド (India) はイスラム・ヒンズー諸国が乱立しています。
中央アジアではシャイバニー朝が滅亡し、 ウズベク3ハン国 (UzbekKhan) と呼ばれるヒヴァ・ボハラ・カシュガルの各ハン国を始めとする 諸勢力が乱立しています。
モンゴル高原では タタール (Tatar) 系部族と オイラート (Oirat) 系部族が乱立しています。
中国の明 (Ming) は大国と言えど、既に内部腐敗が進み、 この年遂に新興国家の 後金 (LaterJin) にサルフの戦いで敗れてしまいます。 以後後金を始めとする異民族や国内の反乱によって 蚕食され続けることとなります。 その後金は英主ヌルハチにより大きく勢力を広げている所です。
朝鮮 (Korea) は豊臣秀吉の死による日本軍の撤退で、辛うじて命脈を保ちました。 目下徳川家の江戸幕府へと変わった 日本 (Japan) との関係修復を進めている所です。
東南アジアでは西欧の植民地化が始まっているものの、 大越国 (Daiviet)・ アユタヤ朝 (AyuthayaDynasty)・ カンボジア王国 (Cambodia) 等は比較的平穏な状態です。

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