紀元1500年頃の世界

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解説

この年に分裂したティムール帝国の本体とも言うべきサマルカンド政権が滅亡しました。 ヨーロッパでは、チェーザレ=ボルジアの活動が目立ちます。
分裂状態のイタリアでは、 教皇領(PapalStates) が、教皇アレクサンデルの息子チェーザレ=ボルジアの下、 世俗領主として領土を広げています。 昔日の権威を失った教皇領は、 ボルジア家の失脚後も世俗領主としての道を進むことになります。 また、フランス王国 (FranceKingdom) とスペイン (Spain) がナポリを分割統治、フランスは他にミラノも領有し、 チェーザレとフランスが主格で同盟を結んでいます。 有り余るエネルギーをイタリア征服に注ぎ込むフランスですが、 やがてイタリアからは撤退する運命にあります。
神聖ローマ帝国 (HolyRomanEmpire) はハプスブルグ家のマクシミリアンの統治下です。 政治上の業績よりも鎧が有名な皇帝です。
イングランド王国 (EnglandKingdom) はバラ戦争が終結し、ようやく国家としての歩みを始めています。
イベリア半島に新たに誕生したスペインは、レコンキスタを完成し、 ポルトガル (Portugal) に続いて植民地獲得へ進み始めました。 コロンブスは植民地の総督としては失敗しましたが、 次代以降の総督によって、アメリカ大陸の植民地化は徐々に進むことになります。 また、先発のポルトガルも既に喜望峰を突破してアフリカ東海岸、 さらにインドのカリカットにまで勢力を広げています。
東欧では、モスクワ大公国 (Moskva) がモンゴルの影響を脱し、ロシア帝国への道を進んでいます。
アフリカでは、 ハフス朝 (HafsDynasty) が末期症状ですが、 マリに取って代わったソンガイ王国 (Songhai) や、 コンゴ (Congo) が繁栄しています。 エジプトのマムルーク朝 (MamlukDynasty) は既に往時の勢いを失い、代わって オスマン帝国 (OttomanEmpire) がイスラム圏の覇者としての地位を獲得しつつあります。
インドでは、北は ロディー朝 (LodiDynasty) を始めとするイスラム政権、 南インド (India) はヒンズー教徒政権ですが、 ここにヨーロッパ人が進出しつつあります。
ティムール帝国 (TimurDynasty) はサマルカンド政権がウズベク人の シャイバニー朝 (ShaybaniDynasty) によって滅ぼされ、残るヘラート政権もやがて同じ運命を辿ることになります。 元々ウズベク人はかつてティムールにボコボコにされたキプチャク汗国の末裔の一つです。 まさに「因果は巡る」を地で行っているような出来事です。 しかし、ここで滅ぼされたサマルカンド政権の残党がインドで大帝国を築くわけですから、 運命とはわからないものです。
東アジアでは、モンゴルの直系子孫である タタール (Tatar) が、オイラート (Oirat) や 明 (Ming) を圧迫しています。
朝鮮 (Korea) は「一応」平和です。外敵には晒されていませんし、内乱も起こっていませんが、 伝統的に官僚の腐敗や政争に悩まされています。
日本 (Japan) は本願寺や後の後北条家の開祖となる伊勢新九郎 (北条早雲) が登場し、 本格的に戦国時代に突入しています。
東南アジアでは、 大越国 (Daiviet)・ アユタヤ朝 (AyuthayaDynasty)・ カンボジア王国 (Cambodia) は平穏ですが、ヒンズー政権である マジャパヒト王国 (MajapahitDynasty) は滅亡寸前です。島々では既にイスラム教が支配的になっています。
アメリカ大陸では、地元王国の最後の輝きとして、 マヤ帝国 (Maya)・ アステカ帝国 (Azteca)・ インカ帝国 (Inca) が繁栄し、領土を拡大しています。 尤も、アステカの繁栄は周辺部族にとっては災厄ですが。

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