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この年はビザンティン帝国の滅亡・英仏百年戦争の終結の年であり、
まさに時代の節目となった年です。
フランス王国(FranceKingdom)は
この年に港町カレーを残して
イングランド王国 (EnglandKingdom)
の勢力を大陸から一掃し、百年戦争を終結させました。
肥沃な大地をほぼ完全に手に入れたフランスは、
この後イタリアにちょっかいを出すことになります。
神聖ローマ帝国(HolyRomanEmpire)
はハプスブルグ家のフリードリヒ3世の治世で、
ハプスブルグ家世襲の状況が固まりつつあります。
一方、北アフリカではマリーン朝が滅亡し、
ハフス朝(HafsDynasty)
も崩壊寸前です。
一方、オスマン帝国 (OttomanEmpire)
は「征服王」メフメト2世がついにコンスタンティノープルを陥落させ、
イスラムの覇者としての第1歩を踏み出し始めました。
ちなみに、彼の前に立ち塞がったのが、
ハンガリー王マーチャーシュ・アルバニアのスカンデルベグ(イスカンダール=ベイ)・
ワラキア公ヴラド=ツェペシュ(串刺し公・ドラキュラのモデル)
といった英雄達です。
エジプトのマムルーク朝(MamlukDynasty)
は相変わらず政局が不安定な状況です。
最早エジプトにイスラムの第1人者としての力は無いと言えるでしょう。
サハラ以南の
マリ(Mali)や
コンゴ(Congo)
は繁栄を維持していたようですが、マリの方はやや衰え始めています。
ティムール帝国(TimurDynasty)
はスルタンのウルグ=ベクが暗殺され、やや衰退に向かっています。
北インドでは、ティムール帝国の影響力が衰えた後、
アフガン人(パシュトゥン人)のロディー朝(LodiDynasty)
がデリー周辺に勢力を伸ばしています。
南インド(India)
のヒンズー教王朝は相変わらず混沌としています。
キプチャク汗国(KipchakKhanate)
はモスクワ大公や配下の部族が力をつけて、
分裂状態に陥りつつあります。
一方、東方では
明(Ming)
では正統帝が土木の変で
オイラート(Oirat)
のエセン=ハンに捕らえられ、大打撃を受けました。
一方のオイラートは翌年エセン=ハンが暗殺される直前の絶頂期です。
大越国(Daiviet)
は明の永楽帝の死後黎朝が独立を回復しました。
朝鮮(Korea)
は、隣の明や日本に比べれば比較的安定しています。
日本(Japan)
では室町幕府の威光が衰え始めています。
まだ応仁の乱の前ですが、既に幕府には綻びが現れ始めています。
東南アジアでは
アユタヤ朝(AyuthayaDynasty)が
カンボジア王国(Cambodia)
やマラッカを従属させて、覇権を維持しています。
また、マジャパヒト王国(MajapahitDynasty)
は国力が衰えてきていますが、この頃イスラム教が広まってきています。
アメリカ大陸では
マヤ帝国(Maya)・
アステカ帝国(Azteca)
がユーラシアとはほとんど無関係に繁栄しています。また、
インカ帝国(Inca)
が帝国としての体裁を整え始めたのはこの頃です。