紀元1453年頃の世界

※このページではJava対応ブラウザが必要です

Java対応ブラウザを使用して下さい

解説

この年はビザンティン帝国の滅亡・英仏百年戦争の終結の年であり、 まさに時代の節目となった年です。
フランス王国(FranceKingdom)は この年に港町カレーを残して イングランド王国 (EnglandKingdom) の勢力を大陸から一掃し、百年戦争を終結させました。 肥沃な大地をほぼ完全に手に入れたフランスは、 この後イタリアにちょっかいを出すことになります。
神聖ローマ帝国(HolyRomanEmpire) はハプスブルグ家のフリードリヒ3世の治世で、 ハプスブルグ家世襲の状況が固まりつつあります。
一方、北アフリカではマリーン朝が滅亡し、 ハフス朝(HafsDynasty) も崩壊寸前です。
一方、オスマン帝国 (OttomanEmpire) は「征服王」メフメト2世がついにコンスタンティノープルを陥落させ、 イスラムの覇者としての第1歩を踏み出し始めました。 ちなみに、彼の前に立ち塞がったのが、 ハンガリー王マーチャーシュ・アルバニアのスカンデルベグ(イスカンダール=ベイ)・ ワラキア公ヴラド=ツェペシュ(串刺し公・ドラキュラのモデル) といった英雄達です。
エジプトのマムルーク朝(MamlukDynasty) は相変わらず政局が不安定な状況です。 最早エジプトにイスラムの第1人者としての力は無いと言えるでしょう。
サハラ以南の マリ(Mali)や コンゴ(Congo) は繁栄を維持していたようですが、マリの方はやや衰え始めています。
ティムール帝国(TimurDynasty) はスルタンのウルグ=ベクが暗殺され、やや衰退に向かっています。
北インドでは、ティムール帝国の影響力が衰えた後、 アフガン人(パシュトゥン人)のロディー朝(LodiDynasty) がデリー周辺に勢力を伸ばしています。 南インド(India) のヒンズー教王朝は相変わらず混沌としています。
キプチャク汗国(KipchakKhanate) はモスクワ大公や配下の部族が力をつけて、 分裂状態に陥りつつあります。
一方、東方では 明(Ming) では正統帝が土木の変で オイラート(Oirat) のエセン=ハンに捕らえられ、大打撃を受けました。 一方のオイラートは翌年エセン=ハンが暗殺される直前の絶頂期です。 大越国(Daiviet) は明の永楽帝の死後黎朝が独立を回復しました。
朝鮮(Korea) は、隣の明や日本に比べれば比較的安定しています。
日本(Japan) では室町幕府の威光が衰え始めています。 まだ応仁の乱の前ですが、既に幕府には綻びが現れ始めています。
東南アジアでは アユタヤ朝(AyuthayaDynasty)が カンボジア王国(Cambodia) やマラッカを従属させて、覇権を維持しています。 また、マジャパヒト王国(MajapahitDynasty) は国力が衰えてきていますが、この頃イスラム教が広まってきています。
アメリカ大陸では マヤ帝国(Maya)・ アステカ帝国(Azteca) がユーラシアとはほとんど無関係に繁栄しています。また、 インカ帝国(Inca) が帝国としての体裁を整え始めたのはこの頃です。

歴史世界地図トップページに戻る