紀元1370年頃の世界

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解説

この年ティムールが支配権を確立し、事実上ティムール帝国が誕生しました。 との前年にモンゴルを中華から追い出した明とともに新しい時代を築きつつあります。
ビザンツ帝国(ByzanzEmpire) は新興のオスマン帝国によって領土の大半を奪われました。 地図上でも僅かな染みにしかなりません。 一方パレオロゴス家とカンタクゼノスとの内乱もあり、 踏んだり蹴ったりな状況です。
そのオスマン帝国(OttomanEmpire) はバヤズィットの父ムラトの治世で、建国以来順調に発展し、 アナトリアの他のトルコ系勢力やビザンツ帝国に打ち勝ち、 バルカン半島にまで勢力を広げています。
神聖ローマ帝国(HolyRomanEmpire) はルクセンブルク家のカール4世の治世で、 この内政重視の皇帝の下比較的安定しています。
それに対しフランス王国(FranceKingdom)と イングランド王国(EnglandKingdom) は百年戦争の最中で、エドワード3世やエドワード黒太子の晩年に当たります。 それまではこの両者の軍事手腕とイングランドの優れた弓兵により イングランド側が圧倒していましたが、 両者の死とフランス側で「賢明王」シャルル5世が即位したことで、 戦況に変化が現れます。 シャルルは英雄ベルトラン=デュ=ゲクランらを配下とし、 フランス側の勢力を盛り返します。
一方、北アフリカでは マリーン朝(MarinDynasty)・ ハフス朝(HafsDynasty)・ ジャーン朝(ZayyanDynasty) が相変わらず勢力争いを繰り広げています。 後に歴史家として有名になるイブン=ハルドゥーンも この頃は各地で政治家として活動しています。
マリ(Mali)は交易で繁栄しています。 また、この頃にはコンゴ(Congo) が成立していたと言われています。
エジプトのマムルーク朝(MamlukDynasty) はバフリー=マムルーク朝の末期で、 百年近く続いたカラーウーン家の統治も終わりに近づいています。 トルコ人の多くがイスラム教徒になったことにより、 奴隷であるマムルークの多くがトルコ人からアルメニア人に変わりました。
北インドのトゥグルク朝(TughluqDynasty) はフィールーズの治世で発展しています。また、他のイスラム王朝も勢力を広げています。 南インド(India) のヒンズー教王朝はかなり押されています。
バトゥウルス(BatuUlus) では家臣のママイが実権を握っています。このママイは後に オルダウルス(OrdaUlus) のトクタミシュに破れ、 このトクタミシュがティムールの支援を受けながら彼と対立すると、 今度はティムールの侵略を受けます。こうしてジュチの子孫も徐々に衰退します。
この年最大の事件はティムールがマー=ワラー=アンナフル (アラル海の南、アムダリア川とシルダリア川の間の地域) の統治者として認められ、 ティムール帝国(TimurDynasty) が成立したことでしょう。 いわゆるチャガタイ=トルコ人の貧乏貴族の子として生まれたティムールは 分裂した片割れである 東チャガタイウルス(EasternCagataiUlus) の侵攻を利用して勢力を拡大、 ライバルのフサインを倒してハーンのキュレゲン(女婿)の地位を獲得しました。 以後、ティムールの優れた軍事手腕と拡大政策で帝国は拡大し、 マー=ワラー=アンナフルの中心都市サマルカンドは大いに発展することになります。
一方、東方では 元(TaiYuanUlus)が 明(Ming) によってモンゴル高原へ追い返され、中華の統治権を喪失しました。 明は開祖洪武帝朱元璋の下第一歩を踏み出したわけですが、この皇帝の恐怖の粛清により、 有能な配下が次々と消えていきます。 この明が本格的に発展するのは朱元璋の死後、永楽帝朱[木隶]の代になってからです。
高麗(Koryu) はこの頃から活動が活発になり始めた倭寇と、 親モンゴル派と親明派の対立によって衰えています。
日本(Japan) では室町幕府の足利義満が父の死により将軍職を継ぎました。 義満が南北朝の対立を終わらせ、室町文化を開花させることになります。
東南アジアでは、 大越国(Daiviet) がモンゴルを撃退して発展しましたが、やがて明の侵攻を受けることになります。
一方、スコタイ朝から独立した アユタヤ朝(AyuthayaDynasty) でボロムラージャが即位し、さらに発展することになります。 この時点ですでに カンボジア王国(Cambodia) やマラッカを従属させています。
また、モンゴルを利用して勢力を獲得した マジャパヒト王国(MajapahitDynasty) はハヤム=ウルクの治世で最盛期を迎えています。
アメリカ大陸では マヤ帝国(Maya)・ アステカ帝国(Azteca) がユーラシアとはほとんど無関係に繁栄しています。

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