紀元1304年頃の世界

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解説

この年はイルハーン国でガザンが死去しますが、世界は全体としては平和で、 「パクス=タタリカ(タタールによる平和)」を実現させています。
ビザンツ帝国(ByzanzEmpire) は「奸雄」ミカエルの息子アンドロニコスの代ですが、小アジアのトルコ族や ヴェネチアを始めとするイタリアの都市国家に押されて徐々に衰退しています。
神聖ローマ帝国(HolyRomanEmpire) はハプスブルグ家のアルプレヒトの代、外征に熱心ですが、成果は芳しくありません。
フランス王国(FranceKingdom) は「端麗王」フィリップ4世の代、この前年にアナーニ事件を起こし、 権力を増強させています。この後さらにテンプル騎士団も壊滅させ、 なかなかの奸雄ぶりを発揮しています。
イングランド王国(EnglandKingdom) はエドワード1世の晩年、ちなみにウィリアム=ウォレスの処刑は翌年です。
イスラム圏では、北アフリカでは マリーン朝(MarinDynasty)・ ハフス朝(HafsDynasty)・ ジャーン朝(ZayyanDynasty) が相変わらず分立しています。 またサハラ砂漠の南のイスラム教国家 マリ(Mali) はサハラ貿易で発展しています。 エジプトのマムルーク朝(MamlukDynasty) は、カラーウーンの子孫がバフリー=マムルーク朝にしては珍しく世襲で治めています。
北インドのハルジー朝(KhaljiDynasty) はアラー=ウッディーンの治世下、 南インド(India) に対して遠征をし、勢力を拡大しています。
モンゴルはハイドゥの戦死により内乱がほぼ終結、「パクス=タタリカ」を実現させました。 大元(TaiYuanUlus) はフビライの孫成宗ティムールの治世、フビライの行った遠征を全て中止し、 後年のような内乱も無く、最も平和な時代です。 ハイドゥウルスはチャガタイ家のボラクが勢力を掌握し、 チャガタイウルス(CagataiUlus) となっています。これがいわゆる「チャガタイ汗国」です。 西の方では、 バトゥウルス(BatuUlus) ではトクタが権力を掌握し、内乱も収束して オルダウルス(OrdaUlus) と共に比較的安定しています。 イルハーン国(IlKhan) ではイスラム教を国教とし全盛期を築いたガザンが死去しました。 しかし繁栄はしばらく続きます。
高麗(Koryu) はモンゴルに服属していますが、遠征の中止によりようやく一息ついています。
日本(Japan) では執権北条貞時の代、得宗専制体制を確立させました。 しかし元寇の影響は残り、鎌倉幕府は衰退に向かっています。
東南アジアでは、大越国(Daiviet) はモンゴル撃退に成功し、「パクス=タタリカ」の恩恵に与っています。 パガン朝は征服されましたが、 スコタイ王国(SukhothaiDynasty)や カンボジア王国(Cambodia) は生き残りました。しかし、これらの国も衰退に向かっています。
アメリカ大陸では、 マヤ帝国(Maya)・ アステカ帝国(Azteca) があります。

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