紀元1189年頃の世界

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解説

この年、サラディンがエルサレムを奪回したのを受けて第3回十字軍、 所謂「帝王十字軍」が起こされました。 十字軍の他にも、イベリアのレコンキスタ、中央アジアの覇権を賭けた対立、 インドのムスリム征服、日本の源平の争乱など世界的に至る所で対立が起こっています。
十字軍の原因にもなったビザンツ帝国 (ByzanzEmpire) ですが、この頃はアンゲロス朝イサキオス帝の治世下で、 ヴェネチアを中心とするイタリア商人の隆盛が原因の国内対立に頭を悩ませています。
西ヨーロッパでは、神聖ローマ帝国 (HolyRomanEmpire) ホーエンシュタウフェン朝の「赤髭帝(バルバロッサ)」フリードリヒ1世、 フランス王国 (FranceKingdom) カペー朝の「尊厳王」フィリップ2世、 イングランド王国 (EnglandKingdom) プランタジネット朝の「獅子心王」リチャード1世という錚々たる顔ぶれが 「帝王十字軍」を起こしました。 しかし、バルバロッサは水死、フィリップは早々に引き上げ、 大部分はリチャードが戦うことになります。 が、英雄サラディンを相手に果々しい戦果を挙げることが出来ず、引き返すことになります。 元フランスの諸侯であったプランタジネット朝は大陸に大きな領土を持っていますが、 リチャードがフィリップとの戦いで戦死、 次の「欠地王」ジョンの代に領土の大部分を失うことになります。 神聖ローマ帝国の方は、バルバロッサの死後息子のハインリヒの代にシチリアを征服します。 彼とシチリア王女との間に生まれたのが「最初のルネサンス人」フリードリヒ2世です。
ルーシ (Rusi) では、キエフ公国を中心にビザンツに倣った文化が栄えていました。 諸国は分裂状態にあり、遊牧民ポーロヴェツに悩まされていました。 そんな中ポーロヴェツと戦って敗れたのが「イーゴリ遠征物語」のイーゴリ公です。
アフリカでは、ムラービト朝に替わって、 ムワッヒド朝 (MuwahhidDynasty) がアル=マンスールの下最盛期を迎えていました。
そしてクルド人の英雄サラディンがファティマ朝に代わって アイユーブ朝 (AyyubDynasty) を興し、エジプトをスンニ派の手に戻しました。 また十字軍と戦い、 「獅子心王」リチャードの猛攻にも耐え切って聖地の支配権を獲得することになります。
イスラムの覇者であったセルジューク朝は滅亡し、 ルームセルジューク朝 (RumSeljuqDynasty) が小アジアでトルコ人の命脈を保っていますが、既に覇者では無くなっています。
その影響で、アッバース朝 (AbbasDynasty) は策謀家アル=ナーセルの代に少しだけ息を吹き返します。
中央アジアではセルジューク朝の後に ホラズム朝 (KhorazmDynasty) が興り、勢力を拡大しようとしています(短い天下ですが)。
また、現在のアフガニスタンではギヤースとシバーフのムハンマド兄弟が ゴール朝 (GhorDynasty) を興し、ガズナ朝のインド侵略を引き継いでいます。 特に、弟のシバーフ=ウッディーン=ムハンマド、通称ゴーリーは インド (India) の北部を征服し、次のデリー=スルタン朝、ムガール帝国、 さらには現在のパキスタン・バングラディシュの礎を築きました。 (余談ですが、パキスタンの核ミサイル「ガウリ」はこのゴーリーのことです。 また、ゴーリーと戦ったインドの猛将プリトビラージャはインドのミサイル 「プリトビ」になっています。)
東アジアでは、女真族が 金 (Jin) を興し、 遼を攻め滅ぼし、宋を一旦滅亡させました。 滅ぼされた遼の契丹族の一部は金に仕え、一部は西に逃れてカラ=ハン国を滅ぼし、 カラ=キタイ朝 (KaraKhitai) を興しました。 ただ、金もカラ=キタイも全盛期は過ぎています。
金は、モンゴル高原 (Mongol) の諸部族を対立させ、結束を阻んでいますが、 この頃キヤト氏族のテムジンがチンギス=ハーンとして即位し、 モンゴルは徐々に統一へと向かっています。
西夏 (WesternXia) は金に服属していますが、 北の脅威にはまだ気をつけていないようです。
宋は一旦滅びましたが、皇帝の弟が高宗として即位し、 南宋 (SouthernSong) を興しました。この頃は名君孝宗の治世末期で、経済的には大いに繁栄していますが、 内部の政治対立の時代を迎えつつあります。
朝鮮半島の高麗 (Koryu) では、武人同士の対立が激化し、やがて崔忠献が実権を握る武人政権が誕生します。 このタイミングが日本とほぼ同時期であることは興味深いことです。
その日本 (Japan) では、源平の対立で源氏が勝利を収め、源頼朝が鎌倉で政権作りに向けて活動しています。 この年源義経が殺害され、翌年頼朝が奥州を平定し、 さらに鎌倉幕府を開くことになります。
東南アジアでは カンボジア王国 (Cambodia) が名君ジャヤヴァルマン7世の治世下にあります。 丁度有名なアンコール=ワットが建てられた頃です。
アメリカ大陸ではマヤ帝国 (Maya) がユーラシア・アフリカとはほとんど無関係に繁栄しています。

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