紀元1095年頃の世界

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解説

この年、クレルモン公会議が開かれ、200年にわたる十字軍の歴史が始まりました。 インドではイスラム教のガズナ朝が勢力を伸ばし、中国では北方民族が力をつけ、 後の対立の時代の前兆が見て取れます。
ビザンツ帝国 (ByzanzEmpire) は、小アジアでセルジューク朝トルコに圧迫され、西ヨーロッパに援助を求めてしまいました。 その結果十字軍が組織されたわけですが、結局はその西欧に苦しめられることになります。
西ヨーロッパでは、神聖ローマ帝国 (HolyRomanEmpire) は「カノッサの屈辱」のハインリヒが皇帝となっており、 ローマ教皇と西欧の覇権を争っています。
フランス王国 (FranceKingdom) のカペー朝はまだ十分な力を持っていません。 王国が王国らしくなるのはおよそ100年後、フィリップ2世の時です。
ブリテン島では、ヴァイキングで知られるノルマン人が侵攻し イングランド王国 (EnglandKingdom) を建国しました。 今のイギリス王室の先祖、いわゆる「ノルマン征服王朝」です。
ノルマン人は地中海やルーシにも進出し、 特にルーシ (今のロシア西部) ではノブゴロド公国、次いで キエフ公国 (Kiev) を建国し、ビザンツ帝国の影響下繁栄していました。
アフリカでは、イスラム化が進み、 ムラービト朝 (MurabitDynasty) が建国され、ガーナ王国を衰退させてしまいました。 北アフリカを制圧したいたシーア派の ファティマ朝 (FatimaDynasty) は、ムラービト朝やセルジューク朝に押されています。
かつてのイスラム帝国であった アッバース朝 (AbbasDynasty) は、最早セルジューク朝のお飾りとなっています。
中央アジアのトルコ系民族が建国し、この頃イスラム世界の覇者となっている セルジューク朝トルコ (SeljuqDynasty) ですが、早くも衰退の兆しが現れています。 3年前に宰相ニザームが所謂暗殺教団イスマイル派に暗殺され、 この年十字軍も結成され、この両者と内部の対立により短い天下を終えようとしています。
中央アジアでは ガズナ朝 (GhaznaDynasty) がインド方面へ勢力を広げており、後のムスリム王朝の布石となっています。 また、カラ=ハン朝 (KaraKhan) も勢力を保っています。
インド (India) では諸勢力が分裂しており、ガズナ朝に押され気味ですが、 インドの山や密林が多く、侵攻に不向きな土地柄のおかげで勢力を保っています。
中原の北では 遼 (Liao) が勢力を保っていますが、間もなく勢力下の女真族が勢力をつけ始めます。
西方でタングート族が建国した 西夏 (WesternXia) ですが、宋の名将狄青の活躍などにより一地方政権に留まっています。
中原を支配している 北宋 (NorthernSong) ですが、領土は小さいものの、現実的な外交政策により国内の安定と繁栄を保っています。 ただ、むやみに数ばかり増えた質の悪い軍隊が悩みの種です。 王安石が改革しようとしましたが、失敗して党争ばかりが残りました。
朝鮮半島では、高麗 (Koryu) が遼に服属して安定した統治を行っています。
日本 (Japan) では摂関政治から院政の時代に入りました。 しかし、時代の主役は貴族から徐々に武士へと移り変わろうとしています。
東南アジアでは カンボジア王国 (Cambodia) (クメール朝或いはアンコール朝) がアンコールトム遺跡で知られる高度な文明を開花させていました。 ただし、有名なアンコールワットはまだ造られていません。
アメリカ大陸ではマヤ帝国 (Maya) 等が独自の文明を開花させています。

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