けやきのつぶやき

                   

草土庵主のブログ

   草と土を友として    
   蘭 人 一 如   




2022.9.10

82才になりました


 早いもので、前回のブログから1年近くたってしましました。
ブログが更新されていないという声がチラチラ耳に届いたりして、ずっと気になっていたのですが、
パソコンに向かっても、ネットショップをチェックするのが精一杯で、ブログにまで手が回りませんせした。

若い頃の私は文章を書くことが好きで、いつもいくつかの書くべきことが頭の中にありましたが、いまは空っぽです。

前回のブログは、いま読み返してみると、81才になり、心身の衰えを嘆く文に終始しているようです。
今日82歳になった今は、それに輪をかけて全ての面で衰えを感じますが、もうなるようにしかならないと、
開き直って受け入れているつもりでも、つい「年をとるとつまらないねー」と愚痴が出ます。
同年の女房も「そうだねー」と言うばかりです。

このページの始めに「蘭人一如」という語が書いてあります。
ブルグを立ち上げた頃は、蘭と栽培者が一体という実感がありこの造語をいれました。
今は蘭も人もボロボロという意味ではこの語が生きているといえます。
あれ程熱中して生きがいであった野生ラン収集も栽培も、80を越えた頃から、興味が薄くなり、
それとともにランも精彩を欠いて、鉢数も減ってきました。
それは、鉢作りとラン栽培が、体力・気力的に両立しないという実感が強くなったせいです。
鉢づくりか、野生ランかの二者択一を迫られたとき、ごく自然に鉢作りを選んでいました。
残された時間は、趣味より天職と信じている仕事に集中することを選択したわけです。

82才になったいまは、その集中も思うに任せない状態です。
土・日は雑用と休養、月曜はリハビリ、週4日、15時間仕事と決めていますが、細かい作業に目が疲れ、
手が震えて、途中でベットへ退避して読書という毎日です。
結果月に3,4点の透かし鉢を仕上げるのがやっとです。
在庫品も底をつき、これからは、ホームページ上での販売も更新が間遠くなると思いますが、
多くの愛好家の期待を背負っている実感がある今、細々とでも鉢作り続ける気持ちでいます。
あと何年と目標は立てられませんが。
月に1点を割ったら辞め時かと思っています。

現在男性の平均寿命は81才です。私はこれを越えましたので、あとはおまけと思えば、気楽に行けそうです。
また、82才男性の平均余命は8年です。ということは90歳までということになります。
あくまで、平均ですが90まではちょっと重い感じです。

今回も嘆き節になりましたが、近くのスーパーとコンビニ以外はほとんど外出せず、教室の生徒以外は人にも会いませんので、
明るい話題はなくて当然と思ってください。
取り敢えず更新したというだけのブログになりました。










2021.11.7


近況その後


 
前回近況を載せてから、早くも3カ月以上経過してしまいました。
いつも気にしてはいるのですが、鉢作りと雑事に追われて、なかなかブログに手がつけられない現状です。

 コロナもやっと落ち着き見せてきて、我が家は二人とも変わりなく過ごしていますが、まだまだ終結に至るまで時間が掛かりそうです。
それでもようやく外出できそうな雰囲気になってきましたが、2年間家にこもっている間に、足腰の弱りだけは着実に進行しています。
気を取り直して近くを散歩しても疲れを感じ、帰ってから一時横になるこの頃です。

相変わらず嘆き節ばかりで、明るい話題はありませんが、ブログを更新できたことでよしとしましょう。

 81歳になって、1カ月が過ぎました。
この1年間いろいろな退歩が、予想通りというか、予想以上というか、とにかく進んだことを自覚させられています。
自転車での買い物や、図書館通いもしんどくなり、電動アシスト付き自転車を買い、だいぶ楽にはなりました。

 週に一度ヘルスケアーに通い、歩行能力の現状維持を目指すという簡単な運動を続けていますが、衰えには追い付かない感じです。
座職なので、足の衰えは仕事には直接差支えありませんが、手の神経にもゆるみが来て、
箱書きや絵付けで筆を持つと手が震えるようになったのが困りものです。
富貴蘭鉢に透かしを入れるときも、刀が思わぬところを刺してしまい、左手で右手を支えながらしていますが、補修に余分な手間暇が掛かり、
なかなか思う様に作業が進まないのが困りものです。
作業効率が、元気なときの半分に低下し、ネットショップの新作の更新も4点位が続きそうです。

それでもまだ鉢作りへの意欲はあるので、もうしばらくはゆるりゆるりと続けて行こうと肝に銘じています。

 若い頃会津本郷焼の窯元に、窯主の晩酌に付き合うという、大変結構な条件で泊まり込み、壺作りなどさせてもらいましたが、
そのとき窯主が箱書きをするときに手が震えるが、酒を1杯飲むと収まると言っていたのを思い出しました。
試してみると、なるほど効き目を感じましたが、箱書きは朝一番にする習慣なので、その度に朝酒というのもどうかと迷います。
そのうち定着するかもしれません。

この頃は、昔箱なしで買ったものの桐箱注文が増えています。
作者が生きているうちに箱書きをと思われる方が多いのは当然でしょうが、嬉しいような、困ったようなという状態です。
透かしをするために酒を飲んでいたら、一日中飲んでいなければならず、酒が好きとはいえ具合が悪いことになります。

そうかといって、晩酌後に仕事をするという訳にもいきません。
昼食のとき、蕎麦ならば酒、パスタならワイン、カレーの時もワイン(要するに何でもよい)というのが定着しているので、
三度三度ということになりそうですが、楽しみの少ない老人故にまあいいかと、自分を甘やかしたいところです。

 81歳を機にそれまで週休二日制だったのを、3日休み、4日働くことにしました。
やりかけの仕事があると、つい手を付けたくなる自分の性癖を承知しているので、休みの3日間は、仕事に手をつけないと肝に銘じましたが、
ついつい気持ちがそっちに向かってしまうので、休日はなるべく仕事場に入らないようにしています。


 注文は相変わらず減ることがなく、常に10数個溜まっています。
注文品を作るのが苦手で、新しい文様の透かしに気が向きがちですが、年齢を考えると注文を残したまま引退ということになりかねません。

それでは何年も(中には5年も)催促もせずに待ってくださるお得意様に申し訳なく、
このままでは極楽浄土で安らかに往生させてもらえないかもしれないと、危惧しています。

何歳まで現役ということを決めずに、1年ごとにまだできそうならばもう1年という感じで、細く長くを心掛けていこうと思っていますので、
お見捨てなきようお願い申し上げますということで、今回の近況報告を閉じます。






 




2021.9.5


表紙写真の説明

富貴蘭海皇丸

 女房の栽培品。奄美産の大型豆葉品種。
葉巾があり、作り込むと多数の葉が密に重なり、迫力ある姿になるが、栽培者が体調を崩して以来、作落ちしたのを、
私が植え替えた。
鉢は61-6青白磁波縁鎬鉢。

仙人草

 いつのことか忘れるほど前の話だが、夏休みに家族と女房の里へ行ったときに、雑木林の縁の草むらを覆うように咲いていたのを見た。
ありふれた草のようだが、仙人草を自生地で見たのは、一度だけなので、このときに小株を持ち帰ったのだろう。

 以来毎年雪白の清楚な十字型の小花を、びっしりとつけて、楽しませてくれる。

花持ちが良く、暑い中1カ月近く咲き続ける。
クレマチスの仲間。













2021.6.30


近況

ガス窯の廃棄

気にかけつつも、ながらくブログの更新ができずにおりました。
この頃では、以前のように、やりかけたことを早く切を付けたいという気持ちも起こらず、休み休みスローペースで何とか続けています。
仕事も同様です。


320日と翌日に、9個の富貴蘭鉢を水挽きし、削り、下描き、透かしを終え素焼きしたのが5月11日。
いつもですとすぐに絵付け、釉掛けに掛かるのですが、今回はここで数日休養し、終わったのは68日でした。
ここでまた一息いれて、本焼きが済み、窯出ししたのが615日になり、ショップ61の更新が大部遅れてしまいました。

この間に使わなくなった古いガス窯を廃棄しました。
最近の仕事は富貴蘭鉢がほとんどで、0.5立米の窯を一杯にすることができなくなったためです。
鉢屋の仕事は、ランの流行に支配されています。
かつてのエビネ・寒蘭全盛のときには、これらの鉢の隙間にウチョウラン鉢を詰めて焼いていました。
窯出しすると、すぐに売り切れてしまい、窯も身体も休む間もなく焼き続けていました。
そんな状態が長年続き、窯も作者の身体も老朽化が進み、窯は緊急時に必要なものの置き場になっていました。

縦横1.5メートル程の窯が運びだされると、急にガランとして、40年見慣れた窯場が一変してしましました。
当然のことですが、これは私どもにしては意外な光景で、ショックを受けました。
窯と共に、今に至るまでの、私どもの長年の労苦の証が消え去った思いにとらわれたのです。
この景色に慣れるまで、しばらく時間が掛かりそうです。


関心の狭まり

 以前にも書きましたが、最近の急速な関心の狭まりには、我ながら戸惑うほどです。
特に若い頃から生きがいの一つであった野生ランに対する気持ちの冷え方は何としたものでしょう。
9台あった栽培棚が、いまでは6台になり、それでも空きスペースが目立ちます。
今年中にあと1台整理の予定です。
棚はイレクターパイプで作ったものが多く、これを電動カッターで解体し、片づけるのは、結構大変な作業です。

老化に伴い脳の記憶のスペースが減り、古い記憶は底の方に沈んで残り、新しい記憶はどんどん記憶スペースからあふれ出て消えていくそうです。
同じように関心のスペースも年々狭まってゆく実感があります。
その分残っている関心事が、許容量の中で占める割合は大きくなるとも言えそうです。
そうであれば、私の鉢作りへの意欲もまだもうしばらくは大丈夫そうです。
いつも頭の隅っこのどこかで、新しい透かし文様を考えている間は。


 後はどこまで体力、気力が持つかの勝負です。
父親が晩年によく「80を越すのは大変だぞ」と言っていましたが、それを実感するこの頃です。



コロナ感染症

 人類を脅かす最後の敵はウィルスであると言われてきましたが、それが実証されたようなことになりました。
かつて世界に恐怖をもたらせた病原菌は、薬で抑え込み、核戦争も人間の英知で防ぐことが可能です。
ウィルスの恐ろしさは、生物でない(薬で殺すことができない)ことと、次々に変異を起こすことです。

 ランの愛好家は、ウィルスの恐ろしさを身をもって体験してきました。
かつて日本中に大ブームを起こしたエビネも、ウィルスの蔓延で冷水を掛けられました。
私も数100鉢作っていたエビネをすべて廃棄し撤退しました。
梅の産地で、ウィルスが広がり、多数の株が焼却処分されるというニュースが流れたのも記憶に新しい出来事です。
ウィルスに感染した株を健全に戻す方法がないためです。

 欅窯陶芸教室も、もう1年以上休眠です。
ワクチンが行き渡る道が見えてきましたが、再開できるようになったときに、
こちらの身体が以前のように動くかどうか、不安なところもあります。
長年経験を積んだ生徒さんばかりですので、口だけの指導で作陶を楽しんでもらうということになるかもしれません。















2021.2.28

夕焼け

 最近このホームページを見てくださる方が何人か増え、ブログが面白いとおほめの言葉をいただいた。
そこで、余りに長く更新していないことに気づき、ネタを探していたが、長らく閉じこもり生活を続けているのと、
もろもろに対する好奇心の衰えで、これといったネタも見つからない。
更新のための更新で忸怩たるものがあるが、ワードを開いた次第。


我が家の周辺は、狭い道路を挟んで小さな住宅が密集しており、階下からは見晴らしが全くきかない。
昔は2階のベランダから多摩川の花火がよく見えたが、いまは3階に上がっても、マンション越しにわずか、
開いた大輪の上部が覗く程度である。

 ただ東側だけは、我が家の庭の上を通っている高圧電線が西に向かって伸びているので、高いビルはなく、先まで見通せる。
といっても家々の屋根と高圧線の鉄塔が見えるだけで、何の風情もない。
ところが、夕焼けの美しいときだけは、赤く焼けた空を背にした、鉄塔の黒いシルエットの列が、妙に美しく見えるのである。

 雨戸を閉めるときに西の空を見ることが習慣になり、茜色に染まっていると女房を呼び、二人でいっとき夕焼けの空を眺める。
都会に暮らしていると、こんなことでしか自然の美を感じられないのが、淋しいことであるが、
高齢になったのとコロナで楽しみごとが極端に少なくなったいまは、それでも小さな慰みを感じる。

 何年も夕焼けの写真を撮っていたのだが、パソコンの故障で美しい写真を失ってしまった。
そんな経験をしながらも、なかなかバックアップをとるのが億劫で、1日延ばしにしている80歳である。

    


     













2020.11.28

5年ぶりの個展 (2020-11-25記)


 75才の2月に、銀座松崎画廊で「侍が愛した蘭のため器展」というタイトルで個展を開いた。
まだ体力、気力も十分だったので、集大成というつもりで、持てるものをすべてつぎ込んだ。
その際は遠方からも大勢の愛好家が来てくださり、それまでで最高の個展とのご好評をただいた。

 個展が終わると、いわゆる燃え尽き症候群という感じで、頭も心も空っぽになり、3年間遊んだ。
もう個展はできないと思った。

 それから5年、ペースは落ちたが仕事だけが楽しみという感じで、ゆるゆると鉢作りを続けて、80才を迎えた。
若い頃はあれもこれもと、手を広げてきたが、脳がそれを支え切りなくなり、中心に座っていた鉢づくりだけが残ったという感じである。

 ふと、80才という節目に(この年齢は確かに心身の節目だと実感する)記念の個展をやってみたいという思いにとらわれた。
銀座での個展は体力的にとても無理と、小さな会場を考えたが、適当と思われる画廊が見つからない。
その時頭に浮かんだのが、長いこと懇意にしていただいている、四国山草園さんの店内のコーナーである。
スペースも頃合いで、富貴蘭の愛好家集まる場所でもあり、富貴蘭鉢展にはぴったりの場所である。
早速電話でお願いしたところ、二つ返事で引き受けていただけた。

 急な話なので、新作だけでは足りず、今まで温存してあった、気に入りの旧作を交えて、何とか予定数がそろった。
今回新しい技法を取り入れた鉢が3タイプある。
一つは 人気の文様竹林文を掻き落とし手でやってみた鉢である。
六角鉢の方には、雀を1羽竹の間に隠すという遊びをした。
もう一つは分銅文繋ぎである。これはいつかやってみたいと、3、4年温めていた文様である。
気に入った自信作で、人気の市松文と同じく瑠璃と白のコントラストを強調した鉢であるが、何故かほとんど注目されなかったようだ。
作者の意図が愛好家に伝わらないということはたまにあり、仕方がないことである。

 3つ目は貼花文で、切り抜いた文様を貼り付ける技法である。
銀杏文透かしを作ると、抜いた銀杏形の小片がたくさん出る。
これを貼花に使えば、楽に1点できると甘い考えをもったのが間違いであった。
抜いたままでは、厚みがありすぎる。
また貼り付ける圧で形が変わるし、糊代わりに使うドベ(粘土を糊状に溶いたたもの)が周りにはみ出す。
これらを一つ一つきれいに処理するのに透かし以上の手間仕事になった。

初日から、私が気に入っていたものに(分銅文以外)約定が付き、お客様の目の確かさを感じた。
四国山草園さん恒例の、「蘭の自慢会」と合わせた日程になったため、来店のお客様は、皆長い時間を掛けて熱い視線で、両方を見てくださった。
自慢会の展示品も欅鉢が多く使われており、これもまた嬉しい。
欅鉢が愛好家の方々の支持を得ていることを実感でき、感謝の気持ちとともに、この仕事を選んだことの幸せをかみしめた日であった。


今回は展示場の提供のみならず、搬入・搬出から、飾りつけ・販売まですべて四国山草園さんにお任せで、おんぶに抱っこの個展であった。

最後の個展(多分)を開かせて下さった四国山草園さんに深く感謝している。
どこからも「来年も」という声が出なかったのは、久しぶりに会った、私の老化振りに対するいたわりの心遣いと受け止めている。
前回と違って、楽をさせていただいたので、燃え尽きになることもなさそうだ。

今年一杯は雑用半分、休養半分で過ごし、来年早々から鉢作りを開始するつもりでいる。
1年かけて溜まった注文を一掃したい(?)と思っているので、ネットショップは今までの半分くらいのペースになると思うが、
空っぽになってきた頭を絞り新しい透かし文様を生み出したい。

欅鉢を愛好してくださる皆様方、今年はありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。



  

    瑠璃釉分銅文鉢



  

     瑠璃釉銀杏文透鉢












2020.10.8

最新落款一覧表 (令和2930日記)


 この9月で、欅の夫婦は80歳を迎えました。
つい最近まで、80歳は遠い遠い先のことと思っていましたが、年をとるごとに地球の回転が速くなり、
時間が早く流れるということを思い知らされました。
それとともに体力、気力、集中力も加速度的に減退してきました。
物事に対する関心もどんどん狭まり、世界が小さくなってゆきます。

 2年前に「丸に欅」から「ひさごにけや木」の落款に替え、そのときに「これが最後の落款になる」と書いたことを記憶しています。
透かし鉢作りは、80歳が限界と思い定めていたからです。

 ところが以外にも様々な事象に対する関心が薄れてゆくなかで、鉢作りだけは意欲が衰えないのです。
関心が鉢作りだけに集中し、それでエネルギーを使い切っているのかも知れません。

 そういう訳で、あと1年は行けると思いたく、傘寿を記念して、「傘欅」の新落款を作りました。
今は殆ど富貴蘭鉢のみですので、それ用の小さい落款だけです。
今度こそこれが最後の落款になるでしょう(といいつつ内心ではもう一度という気持ちがチラチラ)。

 新落款を加えて、最新落款一覧表を作りました。

  

    「傘欅」の新落款



  

     最新落款一覧表










2020.6.28

今年のセッコク

今回もブログの更新が延び延びになってしまいました。

 古い注文をこなしながら、間に新作をはさみ、毎日45時間仕事場で過ごしていますが、
体力と神経を消耗する割に作業が進展せず、疲労がたまります。
休日は(日曜日)は半分雑用でつぶれ、半分はベッドで休養、
なかなか思うだけでブログに着手できません(最近言い訳が多いですね)。

ことしのセッコクも花期が終わり、風蘭が咲き始めています。
昨年、一昨年と病気が多発し、長年作っていたセッコクも半分位は市の焼却炉の煙になりました。
そこを何とか生き残った株を愛おしく思って、花を楽しみました。
たいしたものはありませんが、今年の花の一部を見ていただきたいと思います。

①「楽翁峡」
  矮性タイプのセッコク産地として知られる、福島県楽翁峡の産。
  我が家の棚に収まってから30年程居着いている。
  これも病気にかかり、瀕死の状態になったが、何とか立ち直ったが、まだまだ往年の勢いはない。
  球状に咲くようになるまで頑張りたいが・・・

  


②「竜靑緑」 咲き始めは緑が濃いが、徐々に薄くなるのは、緑化の宿命か?みどりを濃く出すほう法を知りたい。

  


③「紅扇」 鮮明な紅覆輪花。葉は照り葉で、紅覆輪。

  


④「桃花」 無銘だが花形・色合いともに愛くるしく、特徴ある良い花と思う。

  


⑤「夢風鈴」我が家で最も愛されているセッコク。花に相応しい銘もよい。

  


⑥「広島産中斑赤花」無銘。これも古くから居ついている。石付けにしてから長いので、そろそろ衰えが出るかも。

  


⑦「松島セッコク」松島の小島の岩肌に着いていたと聞いている。
  これも我が家の棚に収まってから、20数年、あちこちに散っているが、出た先で中斑が出て注目された。
  我が家では出る気配がなく、望みは限りなく薄。

  


⑧「信濃セッコク」最小の信濃ということで入ってきたが、今では普通の矮性個体になっている。

  


⑨「鉄皮セッコク」中国産の矮性種。キバナノセッコクを小型にした感じで、よい感じ。


  






 (1~5までが女房の持ち物もの。
  6~9は私に所有権がある)












2020.5.17

バーベキュー

 20年も前の話であるが、水冷鉢をコンロ代わりに使って、室内でバーベキューができるということを聞いた。
うちでもやってみようということになったが、女房の部屋が臭くなるという一言で止めた。
2階のベランダでやろうと思ったが、二人でやっても盛り上がらないとそのまま時が過ぎ、ベランダバーベキューは憧れのまま終わった。

 コロナウィルスが猛威をふるい、緊急事態宣言が出されると、私がスーパー行かないようにと、
娘が4,5日おきに買い物を届けてくれて、食うには不自由しないで済んでいる。
しかし以前のように一緒に外食に出られず、家にこもったままで、レパートリーの少ない家庭料理と、
冷凍食品では、気分転換ができないと嘆いていた。

 多分そんな親の嘆きを聞いたからであろう。
ベランダバーベキューをしてくれることになった。
娘は自宅待機であるが、婿と下の孫は間もなく出社することになるので、その前にということで急に決まった。

上の孫は、週に何日か出社しているので、かわいそうだが今回は声を掛けられなかった。
我が家にウィルスを持ち込まないという娘の気遣いである。

前に焼き締め鉢を焼くのに使った良質の備長炭が1箱残っている。

「じいじは備長炭を用意してくれれば、あとは何もしないでよいから」といわれ、
気楽に構えて、長年の憧れであったベランダバーベキューが実現した。
レンジと山ほどの肉・野菜を持ち込み、娘と孫が切り刻み、婿が焼き役、手慣れたものである。

 2時から飲み食いが始まり、6時までたっぷり満喫した。
堂々と昼酒を好きなだけ飲めた至福のときであった。
次回は秋と決まり、先に楽しみができた。

   












2020.4.23

余生

 3日前、朝起きたら少し息苦しい感じがした。軽い風邪をひいたようだ。
肺気腫の持病があるので、すぐに呼吸に現れる。体力の衰えを感じる。

好きな作家故宇江佐真理の60歳のときのエッセイを読んでいたら、「余生」という言葉が出てきた。
10年前の文だが、60歳で残りの人生を思うのは早すぎると感じた。
私は間もなく80歳であるが、まだ現役と思っているので、今が余生という意識はなかった。
改めて考えてみると、どこから見ても間違いなく余生真っ只中である。
平均寿命から見ても、余りは長くない。

鉢づくりも、このところ新作を心掛けてきたが、このままで行くと、4,5年(それ以上ののものも)
お待ちいただいている注文鉢を残したまま体力の減退で、廃業ということにもなりかねない。
それでは、寝覚めが悪いし、催促もせずに待っていて下さる鉢愛好家の方々にも申し訳ない。
ということで、注文鉢に手を付け始めた。

今まで引きずってきたものは、当然手を出しにくい、難しい作業の透かし鉢である。
意を決して始めたところで、久しぶりに腰痛を発した。
特に無理な姿勢をとった訳でもないのに、疲れて仕事を早じまいしたところで腰に来た。
腰痛歴50年の今までの経験に照らしても、そう酷いとも思わず、3,4日おとなしくしていれば治まると思っていたが、
10日たってもまだ仕事に復帰できない。

年を考えずに頑張り過ぎた結果かと、大いに反省の日々である。
余生は大事にしなければと肝に銘じている次第である。
当分新作は控えめにと、方針転換である。

 

  「浮き彫り鳳凰文青海波文透かし鉢下絵 
    これを透かしていて腰痛になった」。












2020.3.31


春色

 我が家で、初春から、春に移り変わったことを実感するのは、柿の新芽が広がり、ハナミズキが咲くときである。
柿の葉の目に優しい萌黄色と、艶やかなハナミズキの赤の対比、調和が、2階の居間から毎日目に入るのが心地よい。

 葉を2,3枚つけた柿の新芽を摘み、柿の木の下に生えるユキノシタとともに天麩羅にして食べるのも春の恒例であった。
春を食べるのである(春食という言葉はないが)。
これをあてに酒を飲むのは、この時期だけの楽しみである。
が、ここ数年はこの楽しみをしていない。
今年も明日やろう、明日ねと言っているうちに時期を失してしまった。


    









2020.3.31


イチリンソウ(一輪草)

以前にも載せた覚えがあるが、毎年春の到来を告げて、気分を和ませてくれる花である。
前回のブログでも描いたように、野性ランからは、一歩二歩身を引きつつある身が、ありふれてはいるが心に優しい、
こういう野の花を愛でる気持ちは変わらない。

 イチリンソウは丈夫でよく増えるが、鉢で作ると中々咲かないと言われる。
この株は平成7年から作っているが、ほとんど毎年楽しませてくれている。
花をつけるコツは、鉢いっぱいに増やすことと、多肥栽培にあるようだ。
芽が出る前から、休眠に入るまで、毎日ブドウ糖・活力剤・肥料入りの美味しい水を与え、ただの水道水はあげない。
これはカタクリも同様である。
手が掛かるが、ともに1年の大半を寝て暮らす植物であるから、それほど負担ではない。

野性ランは、特に気に入っているものは、危険分散で、控えの鉢を作るが、スぺ-スや手間の関係で、1個体1鉢であるが、
イチリンソウは場所をとる鉢が二つある。
どちらかが咲くようにという期待からであるが、昨年は何故か花付きが悪くどちらの鉢も淋しかった。
どちらも同じ遺伝子を持つクローンであるから、咲くも咲かないも一緒なのは当然かもしれない。

今年植え替えると、7~8号鉢が3鉢になるだろう。
さすがに3鉢はいらない。
夏までにイチリンソウ用の尺鉢を作って、より華やかさを楽しみたい気もするが、腰痛の弱点をもつので、重い鉢はタブーである。
イチリンソウのために仕事を1カ月休みましたと言っても、誰も同情してくれないであろう。


  

  今年の芽だし。赤いときと青いときがあるのは、覆いから棚に出すタイミングによるらしい。


 
   

   晴れた日はよく開く。            夕方になると閉じてくるのもしおらし












2020.3.10


もうランオタクではない・・・


長い間生きがいになっていた、野生ラン狂いから覚めたような気がするこの頃である。
狂いから覚めて、普通の人に戻った?


 始まりはエビネで、それこそ狂ったように東奔西走し、エビネを集めた。
花期が終わると一時虚脱感にとらわれたものだ。
そのエビネたちがことごとくウィルスに感染し、放棄しなければならなくなったときは、よって立つところを失い、
足下の地面が消失したかの感にとらわれたものである。
その空白を埋めようと、野性ランに走ったのだろう。
何かに熱中していないといられない性格である。

 若い頃、自分が高齢になって、野生ランと鉢作りが両立しなくなったら、迷うことなく野生ランを選ぶと思っていた。
老後を趣味に生きるのは、悠々自適を絵に描いたようで、心安らかな生活だと思った、が。

70代も末に近くなってみると、感心事が年々狭まるのは予想外であった。
外にも出たくなくなり、人との交わりも互いに疎遠になる。欲しいものも極端に少なくなる。
野生ランをやっていて一番の楽しみは、蘭展や山草展に行き、買うことである。
欲しいものがなくなったら、お宅も卒業である。今では何によらず、集めるより断捨離の方に向く。

 ランに燃えているときは、美しいものより、珍しいものに走る。
花が美しくても、ありふれたものには関心が向かない。
咲いても何日もの気づかないようなチンケな花でも、希少なものには馬鹿馬鹿しいような代価を何とも思わずに飛びつく。
それがオタクというものである。

 いまでは、そういうランには関心が向かず、ありふれた野の花の方に魅力を感じる普通の人に戻った。

 というわけで、意外にも最後は鉢作りに絞られてきそうである。
傘寿を目前にして、鉢作りへの意欲は益々旺盛になっている。
と言っても技術的にはもう峠を越えて、下り坂にかかっていることは自覚しているので、かつてのように高度精密なものには手が出せない。
せめて今までに作ったことのない文様の透かし鉢を生み出せたらと、日夜そのことを考えている。
ベッドの上、バスの中、ときには歩いているときに突然閃いたりする。
そういうものをこれから、形にして行きたい。
とにかく鉢作りが楽しくて面白くて、フルタイムで仕事場に詰めていられるなは幸せである。

 80歳まで現役を目標にしてきたが、ここであと2年先延ばしにした。
欲をかかず、2年刻みで行きたい、というのも結構欲であるが。
焼き物で求められるのは、先ず体力(朝ドラでご覧のように)、土が練れなくなったらお終いであるから、筋トレにも励んでいる老体である。














2020.2.10




 何となく蜘蛛が好きである。
家の中で蜘蛛を見ると、「お前こんなところで何を食って生きているんだ?」声は出さないが話しかけている。
窓を開けて外に出してやることもある。

子供の頃から虫好きであったのとはちょっと別な感じである。
父親が蜘蛛を見ると、「よくも来たと言って、いじめてはいけない」というのを度々聞いたせいかもしれない。
我が家は群馬県沼田の出なので、その地域の言い伝えであろうか。
福を運ぶ縁起の良い虫をいう気がする。
縁起のよい文様の鉢は人気があるが、かといって蜘蛛の文様の鉢を作る気はしない。

私が若い頃には、庭に大小の蜘蛛の巣をよく見た。
大きいのはオニグモやジョロウグモの巣である。
虫が掛かると素早くとびかかり、尻から出す糸の束でぐるぐる巻きにしてから、おもむろに体液を吸う。
何本かの足で獲物を高速で回転させる技は見ものであった。

いつの間にか蜘蛛の巣をみなくなった。
私がランに殺虫剤を散布するためかと思い、気になった。
しかし、見事な蜘蛛の巣を見かけなくなったのは、我が家の庭だけではないように思える。
同じころから、ヤモリの姿も見なくなった。


我が家の子供たちは、ヤモリの大きな眼と、丸い吸盤のある手足がかわいいと言って、手の平に載せて遊んでいたものだが。

 2年前の初冬、久しぶりに2階のベランダに立派な巣が掛かった。
蛾が掛かり蜘蛛の腹を満たしていたが、翌朝には巣がなくなり、蜘蛛の姿も消えていた。
作ったばかりに巣であるから、自らの意思で撤退したとは思われない。
鳥におそわれたのであろうか。
蜘蛛にとっても生きにくい世になったのであろうか。


      


   

      ジヨロウグモ















2019.12.6


近況報告

秋を通り越して、急に冬模様になってきましたが、皆さまご健勝のことと思います。
ネットショップの方は、毎月更新の方針を守るべく、老身に鞭打って頑張っていますが、ブログの方までは、
気にはなりつつも手が回りませんでした。
毎日5時半に起きて、チョコチョコ動いているのですが、鉢作りのほかにもいろいろ家事雑用が多く、
なかなか予定がこなせない毎日です。

 それでもやることがあるということ、特に気になる病気もなく、まあまあ健康で過ごせることをありがたいと
思わなくてはいけないと自らにいいきかせています。
というのも、70代末になると、関心事、興味がどんどん狭くなり、自分の世界が日増しに縮小してゆくことが実感され、
これも老化現象の一つかと感じることが多いからです。

 若い頃、年取って鉢作りとランが両立できなくなったら、どちらを選ぶかと考えたことがあります。
仕事より趣味に生きる方が楽しいから、当然ランだろうと思っていました。
いまその時になってみると、どうも若い頃の予想は外れそうな気配です。

 先日小学校のときからの友人3人と会食したときに、いつも私のホームページを見てくれているニックネームが「ジイサン」
(小学校ときからのニックネームだが、今は全員本当のジイサン)から、このところホームページが商売ばかりで、
表紙も古いままだと指摘され、忸怩たる思いにかられ、やっと手を付けた次第です。
言い訳ばかりの文になりましたが、鉢作りへの意欲は衰えておらず、やるほどにテンションが上がってくる気もして
いますが、
年相応にと抑えつつという状況です。




表紙写真と説明


土佐寒蘭「豊雪」

 私が若い頃は伝統園芸の中でも、寒蘭全盛の時代で季節になるとデパート各店で寒蘭展が開かれていた。
土佐からもたらされた豊雪が、日本橋三越展示され、話題をさらった。
東京の愛好家が正に雪のように白い寒蘭の花を初めて見たときである。
2本立ち2000万円という価格にもため息をついたものだ。

 それから幾星霜、いまや豊雪の花付きが1万円を切っており、我が家の棚でも、特別の扱いも受けずに収まっている。
ちなみに写真の株は会のバザーで3500円で入手したものである。

 豊雪を白く咲かせるのは、なかなか難しく、我が家では緑の花しか見ていない。ややこしいことをする気もない。
寒蘭は格調高く日本の野性ランの中では最も美しい姿である。豊雪をその素心として見ても立派なものだ。
花持ちが悪くなるのを承知のうえで、花・姿・香を楽しみたく居間に置いている。
入手した値が値だから、緊張感もないが、いまのところ機嫌も損ねずにいてくれる。


スピラテス ケルヌア(アメリカ白ネジバナ)

 アメリカ産の湿地のランで、芝地によく出るネジバナの仲間である。
強健で耐寒性もあり、良く増える。増えが良いのは、根の先端からも芽が生じるからである。
水を切らずに(腰水可)、明るい痛風の良いところに置けば栽培容易である。

花の少ない時に咲き、花持ちもよいのも好ましい。大鉢で賑やかに咲かせて楽しみたいランである。
鉢はケルヌア用に作ったものだが、次の植え替えまでに、もう一回り大きな鉢を用意しなければならない。












2019.3.


ショップ37掲載の古鉢について


37-1 伊万里染付福運文鉢

 蝙蝠は日本・欧米ではよいイメージを伴わないが、同音異文字を関連づける習慣のある中国では蝠は福に通じるとして、
喜ばれる吉祥文様である。雲は運である。
伊万里でもこれを真似て、染付の文様に使われたが、例品は多くないようだ。

 この鉢は長寿の象徴の亀甲文まで加わり、開運大吉の一品であるが、好き嫌いの分かれるところであろう。
古鉢は使い勝手のよい3.5号から5号位のものが珍重され、場所を取り、用途の限られる大きい鉢は、敬遠されがちであるらしい。
これは5号サイズで、頃合いの大きさである。

 この鉢は、形、釉調、呉須の発色も申し分ない。
この鉢の元の所有者も、気に入っていたようで、かなり長く使われていたことが時代の乗り方から見て取れる。

江戸園芸文化最盛期の作と想像する。
江戸期には、今でいう盆栽鉢はなく、草も樹も伊万里焼が多く使われていたことが、植木屋の棚を描いた錦絵
(たいていは品選びをする美女も描かれている)ら分かる。
いつ頃どこのひとが、何を植えていたのか想いを巡らせるのも、古鉢の楽しさである。


37-2 伊万里染付みじん唐草文六角鉢

この鉢もかなり使い込まれたものである。
形から見ると長生蘭鉢(当時は長生草)と思いたいが、前述のようにラン用鉢という感覚がない時代なので、
意外なものが植えられていたかもしれない。

乱れなく緻密に絵付けされたみじん唐草文様に惹きつけられ、愛用した持ち主が愛でる様が浮かぶ。

写真で見るように、底穴が小さいのは、中国鉢を手本にしたためではないか。
今のようによい用土がなかった時代、何を植えたにしても栽培は難しかったろうと思われる。

底穴からひびが入っているが、これは成型後急激に乾かした場合、底穴周辺の土が強く収縮して起きる。
また生乾きの内に鉢を裏返した時も同様で、私もときどき経験する。


37-3 染付六角松葉蘭鉢

 菱形の透かしのある型に粘土を詰め、それを6枚組み合わせて作っているが、透かし部分にバリがあるのをそのままに、
簡単な染付を施して焼いた、雑な作りである。
明治以降に量産された安価な鉢と推測する。

 鉢と同じ手で作られた、箸立て(または筆立て?)も私が若い頃古道具屋などでよく目にしたが、今は共に見ることが稀になった。

 伝統園芸界では、この手を昔から松葉蘭鉢と称しているが、この点には疑問を感じる。
この鉢に松葉蘭を植えた図を見たことがない。
江戸期園芸書には伊万里染付に植えられた松葉蘭の図が残るが、当時このタイプの鉢は存在しなかったであろう。

 型作りであるから、量産されたと思われるが、現存するのが少ないのは、安価で粗末に扱われたためであろうか。
5,6年前であろうか、フランスから未使用と思われる松葉蘭鉢が逆輸入された。
未使用に見えたのは鉢として使用されることがなく、飾り物とされていたのではないかと想像された。
もしかするとかなりの数が輸出されていたのかもしれない。
それほど古い話ではないのに、不明な点の多い鉢である。


37-4 偕楽園焼紫交趾三つ葉葵文鉢

 リストの説明に記したとおり、同型の香炉は多数作られたようだが、鉢として作られたものは多くないように思われる。
私は香炉などに穴をあけた後穴鉢は、作者を貶めるもので、どのようなものでも価値を認められない。
この品は、底穴の角がやわらかく(後穴は鋭角)、穴の内にも釉が掛かっているので、最初から鉢として作られたことがわかる。

交趾焼は、低温で溶ける釉を掛けて焼いた軟質陶器なので、香炉は残っても、鉢として使用されたものは破損することが多く、
残ったものが少ないということも考えられる。

 ショップ37に載せた鉢も、雨ざらしで使用されたらしく、釉の剥脱が見られる。
軟陶は吸水性があるので、凍れば釉が剥離する。
凍結が強ければ、割れることもある。また円形の器は、内側からの圧に弱いので、樹木の根が鉢いっぱいに張れば割れる。
軟陶は鉢には向かない焼き物である。
そう思えば、現存する偕楽園焼紫の鉢は貴重であると思える。

 正面三か所に堆線の技法で、将軍家と御三家以外は使えない、三つ葉葵文が入っている。
堆線は文様を際立たせるだけでなく、焼成中に流れやすい軟陶釉が、二色の境界で混じるのを防ぐ意味もある。

三つ葉葵文入りの器物等を持つことは、武家の誉れであったから、高炉や鉢は、藩主や側近の趣味に用いられたほか、
贈答品や功労のあった家臣への報償にも使われたことであろうと推測する。
この鉢も何人かの手を経ていま私の手元にあると思うと、状態の良くないものではあるが、次の持ち主に手渡す責を負っていると覚える。