けやきのつぶやき

                   

草土庵主のブログ

   草と土を友として    
   蘭 人 一 如   



2016.4.10記


春の花

 いつもブログに手を付けるのが遅れて、時期を過ぎてしまう。
もう桜も散ってきたが、我が家の早春から春の花を見ていだだく。

 前に載せたものが多いが、それらは詳しい説明を省く。


カタクリ白花

滋賀県の産で、我が家の棚に移住してきてから20年を超えた。
ながいこと純白花だと思っていたが、ある年花弁にうっすらとピンクがさし、酔白花と知った。
ブドウ糖と肥料をまめに与えると、ゆっくりだが増えて、毎年花が見られる。


 
ムカゴサイシン 台湾産

 これはさらに古顔で、平成の初めからの付き合いであるが、飽きることなく大切にされている。
主と同様高齢のためか、この頃は少し疲れが見えて、増えも悪くなり、年により不出来なことがあるので、必ず複数の鉢を置くことにしている。
実生ができないので、若返らせることも叶わない。

 日本のムカゴサイシンにも強い憧れを抱いているが、こちらは栽培も入手も困難である。


シラネアオイ 実生初花

 ラン友からもらった、シラネアオイ帝系を作っている。
これは色はよいが花が完全に開かない。
そこで、花が開く濃色花と帝系を交配して、濃色で平開するシラネアオイを作ろうと思った。

 今年初めて咲いたのが、写真の花で、名を付けるにも値しない、完全に普通のもの。
出来の悪い子であるが、開花まで3年半楽しみをくれたので、よしとしよう。


    カタクリ白花                     ムカゴサイシン台湾産
     


    シラネアオイ 「帝系」×濃色花            春の花置場 柿の木の下で、4月中頃から半日蔭になる。
                               手前はカタクリと一緒に移住してきた。
     



    付け足しの写真。雨上がり、苔の胞子のうに着いた雨粒が輝いて美しかったので、カメラを向けた。

    










2016.3.26記


植え替え


 3月に入ってから、植え替えを始めた。
午前中は手馴らしにぼちぼち鉢作りをして、午後から植え替えをするが、1日に4、5鉢のペースであった。

 現在栽培鉢数は、およそ470鉢(ヘゴづけ、石づけ等を含む)。
ラン栽培を趣味とする者としては、鉢数は多い方ではないが、若い頃のように夜間まで植え替えるということもできないので、中々進まない。
植え替えの必要のないヘゴづけ等を除くと約400鉢。
湿地のランなど、毎年植え替えるものが150鉢程。
1年おきの植え替えるものが250鉢。
単純に計算すると、毎年250鉢以上を植え替えることになる。
日に4,5鉢の処理能力では2か月かかることになる。
これではとても間に合わないので、途中から1日植え替えに当てることになった。

 今の能力から言うと、鉢数を少なくとも50鉢減らさなければいけないと感じている。
先ずは、毎朝生長する様を見まわるのが楽しみという対象からもれたもの、惰性で作っている鉢を放出することになる。
増やすのは簡単だが、棚に馴染んだものを減らすのはなかなか難しい。
ひとつ買ったら、二つ放出するくらいの気構えが必要だが、どうなることか。

 植え替えていて楽しいのは、よくできて、増えているときである。
今年は湿地のランが全体の好成績であった。
昨年ラン友にもらった、ミズチドリが2芽から5芽に、オオミズトンボが2球から4球になった。
ベテランのラン友にいわせると、これくらい普通らしいが、ミズトンボは前科一犯(一度枯らした)、オオミズトンボは初体験なので、普通に行けばうれしい。

サギソウがよくできなくなったというのはよく聞く話だが、我が家でもこのところできがよくなかった。
それが今年は球が太り、よく増えている。
丈夫で作りやすいと感じていた「武蔵野」(東京世田谷産)が不調だったという予想外のこともあったが。

湿地のランで、昨年従来の栽培法を変えたことが2点ある。
ひとつは、水道水を、酢酸でpH5に調整して灌水したこと。
これは、昔に比べて水道水のpH値が上がっている(三鷹ではpH7)いるのが、サギソウがよくできなくなった原因のひとつという考え方に納得したからである。

群馬県の尾瀬ヶ原と、玉原湿原で測定したところでは、pH4から5という酸性の値を示した。
サギソウの自生地も似たような値であろう。

毎日の灌水をpH調整するというのは、かなり面倒である。
調整した水をポリバケツに保存すると、理由はわからないが、1日でpH値が上がってしまう。
ペットボトルだとpH値を変えずにできるが、これも手がかかる。


もうひとつは、保湿のための受け皿を使用しないこと。
その理由は、私が繰り返し行った実験では、pH調整した水を使っても、一晩たつと受け皿の水はアルカリ性になるからである。
ポリバケツに保存するのと、同じことであろうか。
また、陶磁器の鉢もpH値を上げるという結果が出ている。
プラ鉢はpH値を変えない。

湿地のランに受け皿を使わないと、1日1回の灌水では厳しくなる。
そこで用土に吸水ポリマーを混入して乾燥を防いでいる。
これで、一度灌水すれば、2日は湿りを保てる。紙おむつの吸水材もメーカーの意識していない、意外なところで貢献している。

これら実験結果をもとに、一年間pH調整を続けたことが報われたと感じているが、ラン友はpH調整の効果が見えないから水道水に戻したとのこと。
栽培地がかわり、人がかわれば、結果が変わるのも当然。
栽培とはそういうものである、と割り切って今年も同じ方法を続けるつもりでいる。

 サギソウ「武蔵野」東京世田谷三軒茶屋の産といわれる。
   



  オオミズトンボ 無菌培養株 長いこと入手困難であったが、人工増殖苗が流通していることは喜ばしい。
   いまは自生地も極限されているので、復元の道が開けた。
   ただし無菌培養苗を自生地に植え戻すことに、反対の声も大きいが、ゼロよりはよいのでは。
   とりあえず、産地明確な個体の遺伝子を、フラスコ内に保存するに越したことはない。
   



     カキラン 烏場・黄花寄せ植え。

    何故か不調だった2個体を、スペース節約のため、同居させた。
     今年は2鉢に分けても入りきれなくなった。
     もともと強健なランなので、どうということはないが。

      













2016.3.24記


室内栽培ネジバナその後

 1月のブログで、冬季の室内栽培の写真をご紹介し、2月にその中のナンゴクネジバナの開花写真を載せた。
これが次々に開き、1カ月たった今も咲き続けている。

 その後台湾産のナンゴクネジバナも咲き始め、更に秋咲きのスピランテス ケルヌアも時ならぬ花茎を1本立ち上げて咲いた。
図らずも日・台・米のネジバナの競演となり、目を楽しませてくれた。


 手前が台湾のナンゴクネジバナ。やや日照不足で徒長している。
  中央が沖縄のナンゴクネジバナ、奥の白花がアメリカのケルヌア。
  


ケイトウフウラン・コゴメキノエラン

 温室でケイトウフウランが花盛りである。
といっても、一つ一つの花は径1㎝にも満たず華やかさはないが、近寄って見れば、梅弁の愛らしい花である。
それ以上に、国内の自生地の個体数は極めて少なく、我が家で預かっている、貴重な種の個体が旺盛に花を咲かせる元気を保っていることに、
喜びと満足感を覚える。
自己満足といわれれば、それまでであるが。

 というのも、このランは、芽が増えるということがないようで、いつまでたっても1芽のままで行くつもりであるらしい。
そうであるならば、タネを採って実生増殖するしかないが、どういうわけか、この手の花の小さいランは人工授粉してもなかなか結実しない。
自家不和合(自家受粉ではタネができない)の可能性もあるかもしれないが、人の手に掛ってタネをむすびことを拒否しているようにも感じる。
微小な花のランは、意外に誇り高いのである。
その点花の大きなランは概ねおおらかで、楊枝で花粉塊を採り、柱頭(めしべ)につけてやればこだわりなく結実するものが多い。


 「冬のラン1」で紹介した、コゴメキノエランに、多数の肥大したさく果がついている。
このランも人工授粉では結実しにくいが、(成功率10分の1くらい)今は温室内に働き者のコバエが飛んでおり、これが授粉の手助けをしている。

虫のいないビニールハウス内で、果実を実らせるために、西洋蜜蜂を放して問題になったことがあるが、
コバエは純国産の昆虫で環境上何の問題もなく、油粕系の有機肥料を使えば、勝手に湧いてきて、せっせと働いてくれる。

 以前はコバエの発生を嫌って、これが湧く肥料を避けていたが、いまは授粉に期待して、効率よくコバエを生産してくれる有機肥料を選んで使っている。
コバエがよく湧きますと宣伝している肥料はないが、我々は経験上どの商品がよいか、とうに知っている。
ただ、コバエが授粉している現場を押さえることはできない。


 そういう訳で、ケイトウフウランの結実にも期待をかけている。
ラン部会が無菌培養で増殖し、これを熱心な栽培家や、植物園に危険分散できれば、自己満足の域を越えて、生息域外保全の勤めを果たすことができる。

 ついでにと言ってはいけないが、室内では結実しないので、沖縄と台湾のナンゴクネジバナも温室内に移し、コバエ君の働きに頼ろうとしている。


  多数の花をつけたケイトウフウラン
  


  結実したと思われるコゴメキノエラン(左の二つ)

  受粉すると、子房が上を向いてくる。
  ただし、見かけ上さく果がふくらんでいても、タネが入っていないこともある。
  これを我々はランの想像妊娠と言っている。
  











2016.3.2記


修善寺

 ランも鉢に関してもネタ切れなので、2月に行った修善寺温泉のことを書いてつなぎにしたい。

 伊豆は東京からも交通の便がよく、温泉も多いが、修善寺は初めて訪ねた。
山間の静かな温泉で、シーズンオフのこともあり、人出も少なく、ゆっくりとくつろげた。
温泉街も狭く、桂川に沿って散策路があり、のんびり歩いてもすぐに一回りしてしまう。

 メインの観光スポットは、源頼家が幽閉された修善寺のほか、日枝神社、弘法大師が独鈷を突き立てたら温泉が湧いたという言い伝えのある独鈷の湯、
その他があるが、見どころとしては地味である。

 若い頃は時間を無駄にするのが惜しくて、動けるだけ動いたが、老夫婦となったいまは、ぼんやり過ごせればよいので、華やかさのないのが気に入った。

 修善寺(寺)には行ったが、頼家の墓地には近づかなかった。
怨念のこもっているような所にいくと、その後で気分が不安定になる体質である。
長い年月人々の信仰の対象になっている場所に身を置くと、気を感じて気持ちが高揚する。
パワースポットが話題になるが、そういう所はあるのだろう。

 宿は湯回廊菊屋、明治時代から続き、漱石が養生したという部屋も残っている。
木造2階建てで、館内は広く、8つの風呂が回廊でつながっている。
古い建物であるから、一枚板の天井は黒光りして、我が家の天井より30センチも高い。
柱は傾いて、襖の下部は柱との間に5センチもすき間がある。
宿では、承知の上で手直ししないのだろう。
そんなところも面白がっていたが、中には部屋替えを迫る客もいるのではと、いらぬ心配をしてしまう。

 川を中心にした、山あいの地なので、湿度が高いらしく、道端や林下、樹上など、いたるところを苔が青々と厚くおおっている。
最近行っているラン栽培に苔をよく使うので、つい目を引かれてしまう。
ハイゴケをよく使うのだが、これがけっこう高い。
苔をみるとつい物欲しげな視線になるのを意識し、われながらけち臭い根性だと思う。

 桂川沿いを散策しながら、川岸に生えた木を1本づつ丹念に見る。
流れの縁では着生ランを探す。林床では地生ランを見つけようとする。
ミヤマウズラの数本にでも出会えばウム、よしよしという気分。
芝生があれば、ネジバナはないかと目をこらす。
これは野生ラン好きに深く染みついた習性である。

カヤランかヨウラクランくらいはありそうに思えたが、程よく苔の乗った木々にもランは全く見当たらない。
何となくはぐらかされたような気がする。

ここで見たランは、修善寺境内の芝生に生えていたネジバナと、通りかかりの民家の庭にぶら下がっていた、ヘゴ付けのボウランと、ムカデラン、
それに同所で作られていたセッコク、フウランであった。
ムカデランを付けたヘゴ板は、紐で下げて風で回転するように工夫され、ヘゴ板の両面にビッシリひろがっていた。
自生のランは見られなかったが、それが目的ではないので仕方ない。

2日目の昼食は、禅風亭なゝ番というそば屋で、ここの看板メニューの「禅寺そば」を食べた。
名前の由来は分からない。
ざるそばと、とろろそばがセットになっていて、生わさびが2本ついおり、サメ皮のおろしで擦って食べるようになっていた。
最初に店員が残ったわさびは持ち帰ってよいが、サメ皮は持って行かないようにと念を押した。
土産物屋でみたら、小さいサメ皮のわさびおろしでも結構するから、持ち帰ってしまう人がいるのだろう。

日本そばは好物であるが、特に観光地では当たり外れが極端な食べもので、水車に「手打ち」の幟を掲げた店で、だまされた気分になった経験が一度ならずある。
後でがっかりするのがいやで、余り期待しない習性が身についているが、ここのそばは良かった。
宿の懐石料理と地酒もよかったが、スルスルっと喉を通ってしまうそばと昼酒もまた、それに引けを取らない満足感をもたらしてくれた。


 修善寺境内のハイゴケ。東京とは苔の生育が違う。
  



 芝生で見つけたネジバナ。変わったものはなかったので、悩まずにすんだ。
  


 ボウランとムカデランのヘゴづけ。主に会えたら、ちょっとラン談義をしたかった。
  


 宿で出たぐり茶の湯呑み。初めて見る形である。
  


 懐石料理の間に、洋食が出る(選べる)。皿の黒釉銀彩に目をひかれる。縁はチタン結晶釉か。
  


 青海波文など、透かし鉢に用いる伝統文様にも目が止まる。食器や、目を楽しませる演出にも、板さんのセンスが現れて、旅の楽しさのひとつである。

      











2016.2.24記


冬のラン 3

 東京では梅も盛りを過ぎ、早春のユリ科も咲き始めて、寒い中にも春の気配が濃厚である。
冬のランの最後になる。

オキナワチドリ口紅咲き

 ちょっと前の写真で、いまは花は終わっているが、どうしても紹介したい花である。

 これも、たびたび登場している、ラン・ユリ部会のSさんの作出花である。
園芸誌「趣味の山野草」に面白い連載をしているYさんの元で増殖されたものを、東京山草会に講師として見えた時に入手した。

 オキナワチドリには様々な花の変異があるが(そのほとんどは沖縄本島から出ている)、口紅咲きという芸は、この系統以外には見たことがない。
新しいタイプの花で、貴重な系統である。

 実生であるから、兄弟個体でも性質は少しずつ異なる。
やや安定性が弱く、年により口紅咲きの本芸を現さなかったり、作にもよるのかもしれないが、発色弱い個体もあるようだ。

写真の個体は濃紅色の口紅で、切れもよく、毎年安定しているという。
この系統では最も優れたものであろう。
無菌培養により、数々のオキナワチドリの名品を生み出しているSさんの作出花の中でも、間違いなく最高傑作である。

まだ無名であるのが惜しまれる。銘が与えられ、この個体が末永く愛好家の間に保存されることを願ってやまない。

  

 オキナワチドリ「早乙女系白紫点花」

 同じくSさんの実生。純白の地の白紫点花である。
側がく片にうっすらと緑を帯び、清涼な感じが好ましい。
花も大きめであるが、葉もゆったりと豊かである。

  

ナンゴクネジバナ(ナンゴクモジズリ)

 1月24日記の「室内栽培」で、つぼみの写真を載せたナンゴクネジバナが咲いている。
名前の通り鹿児島県、沖縄県の南の島々では、ネジバナ同様ありふれたランである。

ネジバナが夏咲きであるのに対し、こちらは2月が花期である。
見た目はネジバナと変わりないが、アップの写真のように、花茎子房が無毛である点で区別される。
ネジバナにはうぶ毛がある。

 写真の株は2009年にドームのラン展で購入したもので、順調に育って、今年は10本余りの花茎を上げて賑やかである。
と言っても今後も順調に行くとは限らない。
ある年突然全滅するということが予想されるランである。
気を抜かず、十分気合を入れて作っていても、そういうことが起き、なかなか付き合うのが難しいランなのだ。
順調に行っているのは、こちらの腕ではなく、あちらの気分である。

 全滅を防ぐには、2鉢、3鉢に分けて危険分散する手があるが、加温が必要なものは、鉢数を増やしたくないという気持ちがある。
悩ましいところである。

       










2016.2.19記


焼締め鉢再開

化粧鉢と焼締め鉢を同時進行で作ることが困難になって、焼締め鉢を諦めたのはいつのことだったか、もうはっきり記憶がない。
欅窯=磁器の透かし鉢というイメージが固まってきて、それに引きずられるようにして、化粧鉢一本に絞ったのだ。

化粧鉢と焼締め鉢では、材料も焼き方も異なるが、それ以上に作るときの気分がまったく違うので、
その切り替えがうまくできなくなったということは、強く記憶に刻まれている。
焼締め鉢は、作るのも、使う立場からも好きだったし、親しい草友からも止めないように言われたが、
化粧鉢をこなすのが精いっぱいになり、能力を超える焼締め鉢は長いこと封印してきた。

後期高齢者となり、10カ月仕事を離れて遊ぶと、余りにも多忙だったころの反動か、あとはおまけという気分になってきた。
多少気持ちに余裕ができたせいか、むくむくと焼締め鉢で遊びたいという思いが蘇ってきた。

若い頃は注文に追われて、1日にウチョウラン鉢を100個位水引きしていた。
焼締め鉢の土は荒いので、指先を痛め、指紋が無くなったりしたが、今は腰をかばって、日に2個位ののんびりペースである。

透かし鉢の受注残がまだかなりあるので、あまり焼締め鉢にのめりこんではいられないが、これからやりたいのは、着生ラン用の浸み壺である。
昔は少し胴がふくらんだ筒型の浸み壺をずいぶん作り、類似品が出回ったりしたこともある。
これからは、ああいう実用一本やりの決まった形ではなく、趣味的な遊び心の浸み壺を考えている。
あれこれ思いつくままに図を描き、その上に着生ランが広がった様を想像して、野生ラン愛好家であり、鉢作家であることの幸せを噛みしめるこの頃である。











2016.1.24記


室内栽培


栽培棚を、風よけのブルーシートで囲ってしまう冬は、居間に居て目に入る緑が乏しく寂しい。
そこで、秋から冬に生育し、日照を好むネジバナの仲間を、東側の窓辺、朝鮮の古民具の薬箪笥の上に置いている。
いつもは電話を置いている場所であるが、この時期はランに座を譲ってもらう。

 たった4鉢であるが、いつも目に触れるところに鮮やかなランの緑があり、日々生長する様を眺められるのに心癒される。

 写真の左右両端は、アメリカ産のネジバナ、スピランテス ケルヌアである。
アメリカ白ネジバナの名で売られている。
ラン部会会員のHさんの愛培品を分けていただいたものである。
左は私が2012年から作っており、右は女房が昨年無心して、「同じものを夫婦で別々に作るのか」笑われた。


 北米東南部の湿地に生えるこの種は、ドップリ腰水も可で、水さえ切らなければ栽培容易。
日本のネジバナ同様芽で増えるのと同時に、根の先端にも増え芽がつく。
もともと強健で、増えのよいものであるが、Hさんの個体は特に旺盛に増殖するようだ。
それで、会員の間に、この系統がずいぶん広がっている。
秋咲きであるが、1本時季外れの花茎を上げている。

 右から2番目は台湾のナンゴクネジバナ。
花は小さくさびしいが、葉がネジバナらしくなく細い所が面白く、気に入っている。
ネジバナは、北上するほどに冬葉を短く丸くして、耐寒性を増し、分布を広げてきたということを証明しているのも興味深い。

 その左は沖縄のナンゴクネジバナ。これからが花期である。
内地のネジバナ同様、沖縄では雑草化して、車道脇にもよく見られる。

 一見ネジバナと同じようであるが、花茎、子房が無毛で、花期が2~3月、ロゼット状の冬葉を作らない点が異なる。


       
      朝日を浴びるネジバナたち。
       東側に2階のアパートが建ったため、やや日照が不足気味である。











2016.1.19記


冬のラン 2

ヘツカラン

 台湾・熱帯アジアが分布の中心で、国内では鹿児島県大隅半島の辺塚と、種子島に隔離分布している。
種子島については目撃情報を聞かないので、自生はなくなったのかもしれない。
シュンランの仲間で、国産では唯一の着生種である。

 11月から1月まで咲き、冬に咲くランとしては華やかで、鑑賞価値が高く、大株にすると見栄えがする。
洋蘭展には飾られるが、花期が野生ラン展や山草展の時期とずれるので、人目にさらす機会があまりないのが残念である。
大型で場所をとるのが難と言えば難であるが、それは人間の勝手ないいぐさである。

 我が家で古くから作っている株は、大きくなり過ぎて割ったため、まだ勢いがなく、花数が少ない。
写真は大分前のものだが、どんな虫が媒介するのかわからないが、よく結実して、タネが他の鉢に飛び込んで実生が出る。
たいていは地生ランの鉢に出る。
地生ランと着生ランのヘツカランでは、水分の好みが異なるので、ほどほどのところで植え替えてやらないと、どちらかが具合悪くなる。
家主を生かすか、居候を大事にするかという話である。
ほどほどのところで植え替えて、ヘツカランに独立家屋を与えれば、両方機嫌よく育つ。

     

テツオサギソウ

冬に咲くのはみな南方系のランであるが、テツオサギソウは日本の最南部島嶼に自生する。
別名ナガバサギソウというが、葉は楕円形で、長いというイメージはない。

サギソウの仲間であるが、見るからに南の植物という感じで、姿かたちはサギソウには全く似ていない。

今が盛りの時期で、花にはうまく表現できないが、ちょっときつい匂いがある。
悪臭というほどではないが、心地よい香りともいえない。
緑一色で、林内では目立たないため、匂いで送粉昆虫を誘引しているのかもしれない。

冬季最低12,3℃を保てば、栽培は難しくなく、程ほどに増える。

このランのどこが良いのかといわれると考えてしまうが、緑の濃い艶ある葉や、凛とした花茎の感じが好きである。

     


プテロスティリス ナナ

オーストラリア南部の地生ラン。
我が家では、台湾、中国のごく一部のラン、アメリカのネジバナ1種を除いて、外国産のランは作らない。
自分に縛りをかけて制限しないと、鉢数がやたらと増え、その分十分に目と手が行き渡らなくなるので、最も関心の強い日本産のランに集中するためである。
年をとると注意力が衰えるから、なおのこと鉢数を限定することが必要である。

それでもランを買うのは嬉しく楽しいから、ラン展、山草展に行けば、何鉢か新参者を迎えることになる。
時々少しでも関心が薄れたものを無理やり選び出して放出し、総数を調整する。
苦渋の選択という感じである。

30年くらい前のこと、プテロスティリスその他、オーストラリアのランが多数入ってきた。
珍しがって、ラン部会の何人かが競って買ったが、作り方がよくわからなかったのと、
南半球産であるから季節が逆で、日本の季節に馴らすのがむずかしく、枯らすことが多かった。

プテロスティリスの仲間は、ヌーダ、クルタなどの外多くの種があるが、中でも小型のナナにはその愛らしさで引かれたが、一度失敗して、その後は手を出さずにいた。
この株は、昨年の個展の折に、古くからのフアンの方が、三島の欅鉢で開花中のものを、棚の飾りにと持参され、そのまま置いて行ってくれたものである。
女房がすっかり気に入って管理している。
昔を懐かしみ、順調に増えたら少し分けてもらいたいと思っている。

高さは10センチくらい、上がく片と側花弁が合着してカブトを作り、側がく片がそれに沿うように上を向き、筒状になる。
側がく片の先端が、糸状に細く尖り、ウサギの耳のように立ち上がる。
日本のランにはない特異な形の花である。

昔は苦戦して、難しいものと思っていたが、作り込んでこちらの環境に馴染ませれば、栽培は特に難しくないようだ。

          










2016.1.14記



冬のラン1


 冬は日本産野生ランの花の乏しい時期である。現在我が家で開花中のランを紹介する。

オキナワチドリ「綾雲」

 イワチドリの仲間の小型のラン。名前の通り、九州南部から沖縄に分布する南方系の種である。
海岸の岩場や、海岸沿いの道路わきなどによく見られる(よく見られたと過去形で書くべきか)。

 我が家では、オキナワチドリは女房の担当である。
私の温室はやや暗く、日照を好むランには向かないので、2階ベランダの東側にミニ温室を置き、そこで栽培している。
午前中は日が当たり、午後は明るい日陰になる。
光量としてはこれくらいで十分のようだ。

 600Wの小型温風機を下段に入れ、最低13℃を保っている。
冬季の那覇の平均最低気温が13~15℃位であるから、これで十分である。

 オキナワチドリは、年によりよくなったり、悪くなったり、栽培に波が出がちなランであるが、今年はいままでで一番成績がよく、
葉巾も出て、徒長することもなく、好ましい姿に育っている。
今までの失敗の経験がやっと生きてきたようだ。

 参考までに、我が家の栽培の要点を記す。

    夏の休眠中は、球を鉢から抜き、ビニールの小袋に入れ(口は閉じない)、日の当たらない室内に置く。

    用土は砂に少量のマグアンプKを入れる。段ボール、ベラボン他有機物は入れない。鉢底から吸水テープを1本通し、小さい受け皿を使用。

    灌水は受け皿にし、用土には掛けない。表土まで水が浸透したら、受け皿に余った水を捨てる。

    週に1度くらい活力剤リキダスに、粉末ハイポネックス500倍を混ぜてあたえる。

 以上が家の方法であるが、そっくりこのままの方法でやっても、場所が変わり、人が変われば、結果は異なるというのが野生ランの面白さ、怖さであることを付け加えておく。

コリン・カルシウムなどを含むリキダスは、オキナワチドリ以外にも顕著な効果が見られる。
もちろんすべてに同じ効果が現れる訳ではなく、使用前と全く変わらないこともあるのは当然のことである。
この違いが、種によって反応が異なるのか、株の状態によるのか、あるいはその両方か、その辺は全くわからない。
多分これからも、わからないままに使い続けることになるのだろう。趣味家は結果がよければOKである。

     

          オキナワチドリ「綾雲」
 

オキナワチドリでは今年最初の開花。地味な萌黄覆輪だが、鮮やかな黄覆輪になることもある。いまで作が安定しなかったが、やっと作上がりしてきた。

 

コゴメキノエラン

 スズムシソウの仲間の着生種で、奄美大島に分布するが、自生地の乾燥化のために個体数は減少し続けている。

種の保存法で「国内希少種」の指定を受けており、譲渡禁止になっていることは、この世界ではよく知られている。
従って趣味家が合法的に苗を入手する方法はないと言える。
違反に対する罰則は厳しい。

自生個体を採取することは違法であるが、周辺の環境に影響を与える経済活動は違法ではない。
この辺がランの自生地保全の難しいところである。

 写真の株はもちろん法の指定前から保有しており、その点は何の問題もないが、大切に保全しなくてはいけないという義務も課せられている。

 今年はどういう訳か、コゴメキノエランの花付が非常によい。
気象の関係か、活力剤+肥料が功を奏したのか、よくわからない。
これに限らず、ランはうまく行っても行かなくてもその理由、因果関係がよくわからない。
それは単年度の管理法ですぐに結果が出るというものではないからである。
趣味栽培家は思い付きでいろいろなことをやるので、何が良かったのかわからないということがしばしばである。

 コゴメキノエランについては、粗末に扱うことはないが、個人的には、積極的に増殖に努めるということもない。
というのは、増やしても、法の規制で、その株の持って行き場がないから。
たくさん増やして、最後に遺言で次の栽培者を指定することもできない
。死ぬときは一緒にあの世に連れてゆくことになる。

他の希少種については、生息域外保全(自生地以外で人為的管理のもとに保全する)ということを強く意識しているが、
現在の制度の元では、趣味家が国内希少種について、栽培増殖の経験を積んでも、それを伝え、生かされる道は限りなく限定されている。
大切に栽培することを義務付けるが、その後のことは知らないというのはどうだろうか。
環境省に一考していただきたいところである。

         

             多数の花がついたコゴメキノエラン                 南方系着生ランの栽培場 夏は温室の外に出す













2016.1.10記


新年を迎えて


                     

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 半年近くもホームページに手を触れることもなく、過ぎてしまった。
昨年2月の個展後に、休養の年と決めてから、すっかり気がゆるみ、怠け癖もついてしまい、
ランと遊んでいるうちに瞬く間に平成27年は過ぎ去ってしまった。

「欅窯は廃業したらしい」という噂も流れたようで、気が楽になったような、淋しいような妙な気分であった。

 楽をするとすぐそれに慣れてしまう。まだ完全に廃業と腹をくくったわけではないので、
成り行きの隠居生活もどきは、思ったほど気楽ではなく、仕事を復活できるものか、一抹の不安が常に胸裏の一郭を占めていたというのが本音である。

 三鷹市に住んでいた作家、故吉村昭が、「縁起のいい客」という短編集のなかで、次のようなことを書いている。

「(私も)一種の職人なのだから、老い衰えるまで書きたいという執念がある。
しかし私も一個の人間であり、高齢者の特権である、悠々自適の境地を得たい。
締め切り日のある小説を書くのを控え、悠々と思うままに小説を書き、書き上がったら編集者に渡す。
良かったら発表してもらい、悪かったら没にしてもらう」


 これは老作家の理想の老後生活を述べたものである。
自営業自由業の場合、仕事に追いまくられるというのは幸せなことではある。
しかしある年齢を越え、自分の気力体力がそれまでと大きく異なることを自覚した後も、同じペースで仕事を続けるのはつらい。

吉村昭がこの文を書いたのは、私と同じ年齢のころだったと思う。
小説という語を鉢に置き換えると、そっくりそのまま私の心境である。
このなかで「高齢者の特権」という言葉が特に気に入っているが、この特権を行使できるものかどうか、自信がない。
後期高齢者という分類に入ったのだから、押し通せばよいのであるが、それができる性格であったら、もう少し成功していたかもしれない。

 「悠々自適」なんと平らかな、心地良い響きであろう。
なんのわだかまりも持たずに、自由気ままに、そして退屈もせず、後戻りもせずに、心静かに暮らせたらどんなにか気分がよいだろう。
しかしそんな境地に浸るのも、そう簡単ではない。
浮世の義理を振り捨てて顧みず、「売れてちょっと有名になったら偉くなった」などの非難にも馬耳東風を決め込み、いささかも動じないなど、
それなりの精神力を持つ者に自営業者にのみ許される心境であろう。

世の中から忘れられないように(こういう色気があるうちは悠々自適は無理)、この辺でブログを再開し、鉢作りや、野生ラン、日常のことなどポチポチと綴りたいと思う。
ネットショップも更新したいが、ほとんど新作を作っていないので、どうしたものか。

1月2月は寒い。3月4月はランの植え替えが忙しい。
5月はランの季節で忙しい。夏に入れば暑くて体を動かすのには適さない。
そんなことを言っている内に暮れになって、平成28年が終わってしまう。

 今年は1年かけて、鉢作りに復帰するという気分を横溢させるだけでよしとしよう。
憧れの隠居仕事としては、今までの3分の1位の仕事量が適当であろう。
長らく離れている、焼締め鉢も、半分で遊びでやってみたい。
遊びで作ったものを世に出すのも、高齢者の特権と心得て。
まずは土に触って感触を確かめるところからのスタートである。