けやきのつぶやき

                   

草土庵主のブログ

   草と土を友として    
   蘭 人 一 如   



2014.10.31記


アキザキナギラン


 これもラン・ユリ部会で入手したものである。
前にある会員が卓上出品したアキザキナギランの大株が、花茎も多数上がり大変見事だったので、強く印象づけられていた。
その時の説明によると、新子が良く出て、花付も非常に良いということである。こういう優れた性質のものを、部会では「優良個体」と呼んでいる。

 昨年この優良個体の分け株が出たので、手を上げた。確か無競争だった記憶がある。
ライバルがいると、ジャンケンに弱い私はたいてい取りそこなう。

 この株が、今年は奴(新芽が2本出る)の新子も元気に生育し、花茎も3本上がった。小振りの緑花が、葉の陰で咲く姿が好ましい。

 以前にも書いたと思うが、ナギラン類は新子を休むことが多く、出た新子もしばしば病気で倒れる(これは東京での話で、栽培適地ではこういうことはないらしいが)。
だから10年15年作っても、なかなか大株にはならず、株分けすることも稀である。

 昨年中透けのアキザキナギランが、瀕死の状態で、半ば諦めているということを書いた記憶がある。
これに今年は新子が出て、その上ダメモトで挿しておいた古矢(茎)からも芽が出ている。
こちらは、まだ発根していないので、安心はできない。
温室で養生している。

 今年は全部で15出たナギラン類の新子の内、倒れたのは1本だけであった。
もうこの季節になれば、倒れることもないだろう。いまだかつてなかった好成績である。
その理由は、毎月3回の消毒が功を奏したのだと思っている。

 遠方会員の専門家によると、ナギランの新子を腐らせる病原菌はフザリウム(カビ)だという。
薬剤は、害虫や病原体に耐性がつかないよう、マイシン剤2種、殺カビ剤3種、殺虫剤3種を、組合せを変えながら散布している。
ナギランにはこれで効果が認められているが、シュスラン類など、まだ腐りが入るのを防げないランもある。

 使用している殺カビ剤は、いずれも発売されてから年数が経っている、いわば古典的な薬剤なので、抵抗菌の少ない新しい薬剤を入れようと思っている。

 無農薬野菜を生産するのは至難であると聞くが、野生ランでも無農薬で長年維持できる種はごく少ない。
そのなかで鑑賞価値が高く、個体変異が多いランが、伝統園芸として作り伝えられてきたのであろう。
そういう目でみると、江戸期から伝わっている伝統園芸のうち、ランは富貴蘭(フウラン)と長生蘭(セッコク)の2種だけというのも納得がいく。



        



          復活したアキザキナギラン中透け             同矢伏せ苗
       










2014.10.30記


スピランテス ケルヌア

 久しぶりに野生ランの話である。

 カタカナ名前には親しみを感じないという方も多いかもしれないが、和名風に言えば「アメリカ シロバナ ネジバナ」である。
栽培品で高さ40~50㎝になる、大型のネジバナである。

 北米には白花のネジバナが多く(ほとんどが白花)10種を越える。
アメリカはネジバナ大国と言える。
であるから、前記の名はあくまで風にということで、正式な和名ではない。

日本では、ネジバナ属は、ネジバナ・ナンゴクネジバナの2種である。
我々野生ラン愛好家は小型のヤクシマモジズリをネジバナとは別に扱っており、これを入れても3種である。

日本のネジバナは、都会でも雑草化しており、団地の庭や道路の分離帯の芝のなかに広がって、たくましく生活しているが、鉢に上げると意外にデリケートで、栽培は易しくない。
芝地で増殖しているのは、もっぱら実生により、個体の寿命はランとしては短く、頻繁に世代交代を繰り返している。
エビネやシュンランのように、栄養増殖で大株になるということば、自生地ではない。

尾瀬の湿原に生えるネジバナは、ポツンポツンと1本づつで、これがネジバナの本来の姿である。

ラン・ユリ部会では、この手のアメリカの白花のネジバナをS.ケルヌアということにしているが、もしかするとアメリカ産の別種の白いネジバナが紛れ込んでいるかもしれない。

写真の株は、昨年部会に寄贈品で出たものを、安く入手した。
特に強健でよく増えで、部会では人気がある個体だ。
作り方によっては、コンパクトサイズで咲くが、私は肥料をやる方なので、大きくなっている。

開花してから1カ月たっているが、まだ生き生きとしており、ランの花の少ない季節に、長く楽しめる。
前作者が室内の窓際に置いていたというので、私も冬は東側の朝日が当たる窓際に置いている。
この場合、窓際と言っても、粗末に扱っているわけではなく、本人が窓際を気に入っているのだ。

アメリカの自生地は湿地で、もともとは水草として輸入されたということである。
明るい所に置き、水をたっぷり与えれば、栽培は容易である。
水を張った水槽の中でも育つという話なので、株分けしたらひとつを水草扱いにしてみたいと思っている。




           スピランテス ケルヌア                           尾瀬のネジバナ
            










2014.10.19記


長生草 10 金光龍・縮緬丸


「金光龍」

これも白中透けの品種であるが、矢に特徴を認められている。

「葉さき少したれ 中斑 島に○○○ 茎よくさえて 紅筋あり」解説文はこう読める。
絶種して伝わっていない。

 鉢は流水文の、おとなしい鉢である。


 

「縮緬丸」

 解説では「縐紗團」にチリメンマロの振り仮名。
「○して縮緬丸という ちぢみあり」

 読めない部分があるが、文意は通じる。
葉巾広く、先細りで、図ではわからないが縮緬皺が入るというのが銘の由来である。
於多賀丸、瑞晃のタイプであろう。
これも絶種している。


    










2014.10.5記


長生草 11 青丸・大江丸

「青丸」

 解説文は「青團 青茎にして葉先に少し細みあり 黄中斑○島もあり 一名斑入りを青玉という」と読める。

名前の通り、もともとは無地葉の品種に、芽替わりで中斑や縞が出たのであろうか。

前回の縮緬丸、次の大江丸と同タイプに属するものであろう。
葉先が尖るのが特徴であったようだ。

 絶種して現存しない。


「大江丸」

 「大江團 大葉にして丸葉○ 但しふくりん 島もあり」との解説が添えられている。
○は「も」とも読めるがはっきりしない。

 「大江丸」「大江丸覆輪」共に現存するが、現在の中斑縞「千里丸」が、ここでいう「島もあり」とされているものが作り伝えられたのか、
その後「大江丸」から変わったのかは分からない。

 現在我が家の棚にある「大江丸」は15年経つが一度も花を見ていない。
このタイプのものは、何故か花つきが悪いものらしい。

                                            大江丸

      










2014.10.5記


終活

 前から断捨離を心がけているが、そろそろ終活の段階に入る心構えが必要と考えるようになった。
9月で74になったのだから、早すぎるということはないだろう。
長年溜まりにたまった様々なものを、折に触れて整理するには、1年や2年では済まない。

主にラン関係の資料、写真、雑誌である。
普段は全く見ることのないものが多いが、何か書くときに必要が生じるという思いがあり、なかなか処分できずにいるうちに、何10年分もが溜まって場所をふさいでいる。
全部デジタル化してしまえば、すっきりしてよいが、その作業を考えると、捨てる方に走ってしまう。

手始めに、創刊号の頃からの雑誌を処分している。
棚が空いてゆく分だけ、「いつか何か」という、漠とした、書き残しておきたいという意欲も、遠のいてゆくような気もする。
人のこころが、物によって支えられているということもあるらしい。
たとえ10年間一度も開いたことのない本の山でも。

そのせいか、あるいは逆にそれだから終活なのか、このところ少々気力萎えて、文章を綴るのも億劫で、すべてが遅れ勝ちである。

「長生草」だけは、この場で約束したことであるから、なるべく早く終わらせねばと、気持ちだけは急いている。


長生草7 木田・紅木田

「木田」

図版では「木田」が使われているが、解説の見出しは、「綺叚」で、「キダ」とルビが付されている。

「貴朶または木田という 茎に青また二品あり 斑いたって白し」と読める。

「綺」は綺麗の綺で、美しいという意味があるが、「叚」の音はカで、意味はかりるである。「
貴朶」もそうであるが、特に文字に意味はなく、音が同じ文字を使ったのはわかるが、「叚」を「だ」と読ませたのは段とのまちがいであろうか。

図版は矢が黄色に描かれているが、青軸と2系統あったということであろう。絶種して、現存しない。

長生草によく出る袋式の鉢であるが、口の締め方は少々誇張があるように思われる。


「紅木田」

これも解説見出しは「紅綺叚」となっており、ベニキダのカナがふってある。

「縁に薄?紅を帯びたり 芽出し深紅なり」と読める。

「木田」に似た柄であるが、こちらの方が紅の発色が勝っているので、銘に「紅」の一文字を冠したものと思われる。

図版で見られるように、「木田」はたくましい感じで、「紅木田」は矢も葉も細めで、優しい感じの品種である。
これは同個体が現存している。
増えもよく、裾ものであるが、歴史を背負った品種ゆえ、大切に扱いたい。

                                                  紅木田
    



長生草 8 梅ヶ枝・松ヶ枝

「梅ヶ枝」

説明文は「梅可え 葉青く中斑また嶋あり 茎は青また二品あり」

嶋はいうまでもなく縞。

 図版は黄色い矢描かれているが、これも青軸の系統があったということである。
当時から、時に紛らわしい中斑と縞をはっきり区別していたことが分かる。

 現存する「梅ヶ枝」が「長生草」の図と同一個体とも言われている。

 銘に合わせたのか、口が梅弁、鳳凰の染付という目出度さいっぱいの鉢である。


「松ヶ枝」

「松可え 茎青く中斑にかすりあり 葉のへりに薄(?)紅を帯びるなり」と解説されている。

図版でみると、小ぶりで丸葉、スプーン状になっているようにも見える。
梅・松と並べたいところであるが、残念ながら本種は絶種している。
現在の「松ヶ枝」は長い細葉で、全く葉姿が異なり、別個体である。

赤絵の牡丹、七宝文という目出度い図柄の鉢に収まっている。


   



長生草 9 朝霞・ 錦丸

「朝霞」

矢の色などにわずかな違いが見えるが、「松ヶ枝」と似た品種に思える。

解説文は「葉青く葉に(?)強く光あり 中斑また島また無地にもなる」と読める。
なにせ達筆を木版に移しているので、読み取れず、意味の分からない部分が多い。
島は縞で、照り葉で、芸が暴れるということであろう。絶種。


「錦丸」

この図では、どうしてもまず鉢に目がひかれてしまう。
蛸足のような何とも奇妙な形だが、よくみれば、内鉢と、それを支える外枠が別物になっていることがわかる。
派手な染付の3本足の台に、蛸唐草文の鉢をはめ込んである。

勿論最初からセットとして作られたものである。
わくは六角形であるから、3本足であるはずだ。
絵としての効果をあげるため、敢えて後ろの足の位置を、前にずらして描いているので、異様な印象を与える。

当時としては稀有の貴品であった、錦丸を手にした蒐集家が、気張って特注したもののように思える。

解説は「錦團 茎良くさえて、ふとく 葉先に厚み(?)あり 厚く極白の斑あり」と読める。
葉形、透けた俵屋、雪白の中透け、強い紺地、そして希少、どこをとっても第一級品と評価されたに違いない。
現在の「於多賀中斑」より数等上に見られたに違いない。

ランと鉢に大金を投じて、一度この形で展示され、そのまま姿を消したのではとの想像が湧いてしまう。
それでも、錦葉(斑入り)狂いの世界で名を上げ、こうして刷り物に姿を留めたのだから、当時の好き物としては本望だったのかもしれない。

話は再び鉢に戻るが、最近また長生草写しの鉢に手をつけ始めたが、この鉢ばかりは、その気にならない。


    












2014.9.2記


近況

 ブログもネットショップもしばらく更新していないが、夏休みもとらずに、週休2日、週1日休肝日の通常ペースで何とかやってきた。

 一番暑いさなか、仕事場の基礎の工事で、何人もの職人さんが入った。
2階のベランダから水が入り、湿ったところを蟻が食い、基が空洞になった柱を、外から2本の柱で補強した。

気候と同じに、体調不安定でつらい夏だった。


職業病

先日の台風で、窯場を囲ってある波板の下部から雨水が流れ込んできた。
狭い所で無理な姿勢をとりながら、応急処置として粘土で隙間を埋めた。

 一段落したら、背中に強い痛みを感じ、寝返りもできなくなった。
翌日整形外科というところへ、初めて行った。
念のためレントゲンを撮るという。
昨年末あたりから、腕を上げると痛いので、ついでに肩の写真も撮ってもらった。

 肋骨に異常はなく、背中の痛みは自然に治るという診断であった。
肩も骨には問題なく、筋肉をもっと詳しく調べれば原因がわかるという。
腕を横に上げると、肩の高さより上がらない。

「こういうのは40肩とは言わないんでしょうね」と聞くと、「年齢的にねー」と医師。
職業はと聞かれたので、焼き物をやっていて、毎日両手を肩の高さに上げて、細かい作業をしていると説明すると、
「職業病だ」の一言でチョン。
それを言われたら、どうしよもない。
長年1日中座ったまま、無理な姿勢で作業をしているので、この程度の故障は当然、仕方ないかと納得である。
背中は医師の言ったとおり、自然になおった。

 腰痛の上に肩と、二つの職業病を抱えてしまった。
もう少し仕事を続けたいし、憧れの隠居仕事も経験したい。
二つの職業病を完治しようなどと思わずに、馴れ合いながら、あと何年かは程ほどに続けて、少しでも多く生まれて生きた証を残したい。


失敗と再生

 年のせいで、作業能率は徐々に下降線をたどる一方で(急降下でないのが゙救い)、その上若い頃はなかったようなミスが多くなった。
昨年から、作ったものと日付を記録しているが、今年は8月までに40点しか完成していない。
平均月に5点である。

 このところ、来年の個展の準備と、溜まった注文をこなすことを平行して行っているが、遅々として進まない。
個展の作品も、注文品も11点簡単にはいかない、手の込んだものが多いので仕方がない。
2年前に受注し、昨年10月に手をつけて、つい最近焼き上がったものもある。
というわけで、ネットショップに出す新作ができずにいる。
待ってくださる方がいらしたら、申し訳ないことである。
もう少しお待ち願いたい。

 つい最近のこと、初歩的な誤りで、ずいぶん日数を掛けた作を失敗してしまった。
45号(13.5cm)の大振りの富貴蘭用透かし鉢である。
すかしの部分が広く、接続面が少ないもので、焼きあがればそれなりに強度があるが、生のときは極めてもろい。
うっかり持ち方を誤ったら、腰のところで、二つに分かれてしまった。
いままでにやったことのないミスである。

 このときに前にテレビで見たシーンが脳裏に蘇った。
高名な老彫刻家のアトリエを取材しているとき、製作中の等身大女性像が突然崩れたのだ。
呆然として、こんなことは初めてだとつぶやく彫刻家。

 透かし鉢は工程が多く、どこをひとつ誤っても、それまでの作業が無になる。
失敗がつきものの仕事であるから、諦めは早い。
いましめのために、写真を撮ってつぶそうとしたが、女房がもったいながって、ドベ(溶かした粘土)でつないだらという。
自信はなかったが、ここまで手を掛けたのだから、傷物になったら女房にあげればいいかと思い直し、細心の注意を払って修復し、更に何日か掛けて仕上げた。

 焼き上がったら、修復の痕もわからないものになった。得意げな女房に、ガッツポーズの腕を指差した私である。



           風車透かし鉢 失敗                         瑠璃釉黄磁風車透かし鉢
      










2014.8.11記


幻のヤチランを見た

 ついに長年の念願が叶い、ヤチランを見ることができた。
数年前にも、このランだけを目当てに尾瀬の湿原をへとへとになるまで歩いたが、空振りに終わったことがある。

 毎年行っているある会の見学会が、今年は尾瀬であった。
尾瀬には、サワラン・トキソウをはじめ、コバノトンボソウ・オオヤマサギソウ・ネジバナ(どこでも見られるが、本当の天然自然の自生の姿はなかなか見られない)など、
湿地生のランがいろいろ見られるが、一つだけほかでは見難いランがある。ヤチランである。
それで今回はヤチランの花期に合わせてもらった。
超地味で、小さな目立たないランであるから、花がなければ見つけることはできない。

 最近目が利かなくなってきたが、今回は大勢の目があるので、誰か見つけてくれるだろうと、人頼みである。
ひたすら下だけを見ながら木道をあるき、ついに一人の会員が「あった」と声を上げた。

 本には高さ5~10センチと書かれていたので、そのつもりで探していたが、意外に大きく15㎝を越える高さであった。
ばっちり、ピッタリの最高の状態で、一同初めて目にするヤチランに興奮して、順番を待つのももどかしく、木道から身を乗り出しての撮影である。

 見つかったのは1本だけであったが、これで気が済んで、意気揚々と引き揚げた。
後になってみると、何が良くてあんなに盛り上がったのか、自分でもよくわからない。
緑色の細かい花が多数穂状につくが、特徴である唇弁上位(花が上下さかさまに咲く)も、肉眼ではわからない。
美しくもなく、面白くもない。

 ヤチラン属は日本に7種自生しており、ヤチランが属を代表する名になっている。
趣味家の感覚からすると、この仲間には外にもっとよいランがあるのに、何故よりによってヤチランなのかという気がする。
学術と愛好は別ということは十分承知しているのだが。
クモキリソウ属もスズムシソウ属にしてほしかったな~というようなものだ。

 それはともかく、自分の胸中を覗き込んで思うに、属の代表とされているランを見たことがないというのが、耐え難かった、または許せなかったというのが本心だったような気がする。
それ故自生地での姿を見たとたんに、ヤチランへのこだわりがたちどころにと雲散霧消した。
こういうのを、憑きものが落ちたとようというのだろうか。


 

     ヤチラン
    


  アリドオシラン これもベストな状態で、美しく輝いていた。
  一同アリドオシランを見直し、ここでも撮影の順番待ちが。
  2種のランを見て、すっかり満足

   










2014.7.30記


7月の野生ラン

 更新を準備していたのだが、またまた時期を失してしまった。
何しろ忙しい。仕事以外に、もろもろのことで時間を取られ、頭の中で文はできているのだが、なかなか手をつけられない。

 仕事以外のことで年間にどれくらいの日数が費やされるのか、ざっと計算してみたら、おおよそ60日、平均月に5日である。
一部仕事がらみもあるが大半はラン関係で、削ることが難しい。
この年で、いつも多忙で諸事に追われているということは、良いことなのか、そうでないのか、自分でもよく分からない。

 ということで、月遅れではあるが、我が棚で7月に咲いた野生ランたちの一部を見ていただきたい。


ナギラン素心

 今年はナギランの当たり年である。ほとんどの鉢で、花付も、新子の出も例年になく良好である。

 今年で20年目の素心もにぎやかに花をつけ、この株の2代目(自家受粉種子の無菌培養株)も3つの新子が伸びつつある。

 高知の友人は、ナギランの栽培は何も問題がないというが、東京ではベテラン栽培者もみな苦戦を強いられている。

これから新子の葉が展開するが、そこから魔のときが始まる。新子が腐るのだ。
10割とまでは望まないが、今年はせめて8割位の新子が生長して欲しい。


カシノキラン

 本州暖地以南が分布の中心の着生ランであるが、これは北限の千葉県産なので、大切に育てている。
大分前に、着生している木から落下したのを拾ってきた。
着生ランは地に落下すれば枯れる運命であるから、拾って育てるのがラン助けである。
叩き落としたりしてはいけないが。

 この木には、外にヨウラクラン、カヤランも着いており、それらも拾って、一緒にオスマンダに付けたが、カヤランは活着しなかった。

 ゆっくり落下物を探したかったが、ヒルが団体で寄って来るので、早々に引き上げた。


ベニシュスラン

 この程度の作をブログに載せたら、笑われるであろうということは承知の上である。
環境の良いところ(関東以西の大都市以外)にお住いの方々には考えられないかも知れないが、東京ではベニシュスランは難物である。
花が終わった後、思うように新子が生長してくれず、また出た新子が地際から倒れたりする。

 この鉢は入手してから3年、大いに気を使って、何とか衰退しないで原状維持している。
4.5号鉢一杯に咲かせたいというのが、いまの念願である。


富貴蘭「玉金剛×ムニンボウラン」

 世にも不思議な交配である。作出したのは、国立某病院の外科部長をされていた、故H先生。先生は鈴木吉五郎氏門下生であった。

 これを頂いたのは、29年前のこと、以来全く花をつけることがなく、今年初花を見た。我ながら気の長い話である。

花被片が長い、明瞭な距があるなど、フウランの気配も見られるが、ムニンボウランの姿を色濃く現している。
小笠原産のムニンボウランは、ラン・ユリ部会のメンバーも栽培経験は勿論、見たこともない。
これが交配種でなく、純系のムニンボウランであったらと惜しまれる。

 この株を頂いた時のことは今もよく覚えている。
H先生宅をラン友と一緒に訪れ、何時間もラン談義に花を咲かせていたところ、先生の奥様が一言つぶやいた。

「ランをやる人って皆おんなじなのね。」

 官舎の庭にラン小屋を建てて、所狭しとランを詰め込んで熱中している先生を、奥様は特別の変人と思っていたのだ。
そこへ親子ほど年の離れた2人が訪ねて、わけの分からないことを夢中で喋っているのを見て、半ば呆れ、半ば安堵したのであろう。
その後先生が少しやりやすくなったであろうと、今も思っている。


ムカデラン

柿の木のムカデランである。前にも紹介したので、改めて書くことはない。今年も旺盛に広がっている。


 

      ナギラン素心                  千葉産のカシノキラン よく増える。
   


       ベニシュスラン
 


      玉金剛×ムニンボウラン                ムカデラン
      













2014.7.28記


長生草6 圓中・南京丸


 本文に入る前に、訂正と追記を。2月13日記の「豆金剛」は現存し、「豆金剛中斑」がそれに当たるという説がある。
そうだとすると、長生草の図はかなりの誇張があることになる。

また、3月8日記の「多賀金剛」は現存する「於多賀金剛」と同一とも言われ、6月7日記の「金華山」は「貴松丸」の名で現存するともいわれる。

他にも長生草に掲載されている品種のうち、いくつかが現在まで作り伝えられて、現存するとされているものがあるが、180年も前のことなので、DNA鑑定もならず、いずれも推測である。
しかし、いま栽培されているものが、多くの人の手から手に受け継がれて来たと考えたほうが、夢があってよい。

「圓中」の解説文は、「俗に丸なかという。
茎よくさえて芽〇○藤紅綾に橋(端の意?)白し」と読めるが、間違えているかもしれない。
新芽の美しさを特徴としているようである。

植えられている、染付破れ七宝文袋式鉢は大分前にいくつか写しを作ったことがある。
それ以来長生草写しには気が向かなかったが、最近になってまたやってみたい気分になりつつある。
気分は移ろうものとは知りながら、自分でも予想しなかったことである。

「南京丸」は同一個体が同名で現存するというのが定説で、現存が確実視されている数少ないうちのひとつである。
現在の南京丸と比べてみても、極端な誇張はないように見える。

品種説明は「葉幅ありて厚く縁白分明にしてそめ色のこし」と読める。
我が家の南京丸は一度植え替えをさぼって作落ちしたためか、主に似て痩せている。


  


      草土庵栽培の南京丸

  











2014.7.16記


近況


 またまた更新の間が空いてしまい、草土庵は体調不良かと、気にかけてくださる方がおられると申し訳ないので、形ばかりの更新をしておこう。

春の繁忙期が過ぎ、やっと仕事に集中し出したら、この高温多湿である。
病と言うほどのことはないのだが、体中に倦怠感があり、鼻水が止まらない。
じっとしていても暑いのに、扇風機の風が寒く感じる。
急な気温変化に体が順応できず、体温調節ができない感じである。
これからがランたちも体調をくずす怖い季節である。

今日は今年3度目の窯を焼いたが、そのあと予定していた透かし鉢の仕上げに手を付けることができない。
こういうときは、何も考えずに、無為に過ごすのがよいのだと思うが、ふとブログの空白が気がかりになって、パソコンに向かった次第である。

今日は月曜日、休肝日である。こんな日にはビールに限るが、さてどうしようと、ちょっと悩んでいる。
春に初めて人間ドックで検査を受けた。CT、頭部のMRIは問題なしだったが、血液検査でγgtpの値だけが高い。
これはいつものこと、酒飲みは仕方ないと思っていたが、若い女医に週1回の休肝日を決めるよう懇々と諭さされ、以来実行している。
肝臓は復元力の強い臓器で、1日でも休ませれば、機能を回復するという。休肝日を守っているのは、女医が美人だったからではない。
1日我慢すれば、6日は免罪符を与えられると思えば、悪い話ではないと、逆転の発想をしたまで。
ときに都合により、振替休肝日ということもあるが。
明日も暑そうだ。振替にすべきか否か、今日の迷いはそこである。

 

 少々時季外れであるが、ブログに使うつもりでいながら、時を失してしまった写真を載せることにする。

セッコク「夢風鈴」

 一昨年ある山草店でたまたま小苗が出ていたのを、セッコク花ものが好きな女房の土産に購入した。この品種は人気があって、なかなか売り物が出ないらしい。

まだ出来上がった木ではないが、今年は特徴ある花を咲かせて、女房を喜ばせた。

詳しい来歴は知らないが、鹿児島産とか。何とも愛らしく風情のある品種である。
淡い緑にかすかな紅色を交える花はうつむいて咲き、花弁がくるりとカールする。
やや大きめな唇弁斑紋は、濁りのない濃い緑である。どこの誰が名付けたか知らないが、詩趣豊かなこの花の持ち味を巧みにとらえた命名が、一層魅力を増しているように思える。
チドリを類はじめ、花ものが強い印象を与える、濃色や花形変わりに走りがちななか、こういうほのぼのと心癒されるような品種の登場は嬉しい。

ミズチドリ

 このランには縁が薄く、一度も咲かせたことがなかった。前に一度手がけたが、花を見ることなく、数年で枯らした。
今年ラン・ユリ部会の野生ラン展で、会員の増殖品を入手したのが目出度く花をつけた。
手にしてから1カ月での開花であるから、前作者のよき管理の結果で、自分で咲かせたわけではないが、初めて我が棚で咲くのを見れば嬉しい。

 出品者は「サギソウと同じで簡単。年に2~3倍に増える」というが、どうもそんな気はしない。
そもそも近頃サギソウが作りにくくなって、手を焼いている。
栽培増殖品であるから、人に管理されることに馴染んでいることに期待しているが、どうだろうか。
自家受粉で結実したようなので、せめてよいタネがとれることを願っている。

 ミズチドリは、ツレサギソウ属で、サギソウとの近縁性は薄く、フウランとはもっとかけ離れているが、
花が白い、細く長い距(管状の器官で底に甘い蜜を溜める)を持つ、夕方に香りが強くなるなどの共通点がみられる。
蛾を誘引して、蜜を提供し、授粉をしてもらうという目的を果たすために、近縁性の薄い3種のランの花が共通した形態をとるという所が興味深い。
こういう現象を収束進化というらしい。


 しかし、これらのランの誘惑にのって、仕事をさせられるのは、それぞれ異なった種の蛾であろう。
距が最も細いミズチドリを訪れるのは小型の蛾で、特に長い距を持つフウランの花粉を運ぶのは、もっと大きな蛾であろう。
スズメガの仲間と聞くが、フウランの花で吸蜜するところを見たことがない。
フウランが香り、蛾が活動する時間帯はたいてい晩酌の最中だから。いま風蘭の花盛りである。休肝日の今日はチャンスか。


     セッコク「夢風鈴」

    


      ミズチドリ 寒冷地の湿地に自生する。

  
   











2014.6.28記





 はじめに友人からから電話をもらったが、何のことか分からなかった。
テレビのニュースで、三鷹市に異常な量の雹が降ったことを知ってびっくりした。
恐ろしい天災である。

 三鷹市調布市の限られた一部地域に、集中的に降ったので、私の住む地域には、短時間豪雨、落雷、強風があっただけで、雹の被害はなかった。
まともにくらったら、我が家のランの大半は壊滅したであろう。

 見たこともないような異様なシーンが何度も流れたので、三鷹市全域が被害に合ったと思われて方も少なくなかったと思う。
多くの方々から電話やメールをいただいた。

我が家は無事です。
ご心配いただき、ありがとうございました。










2014.6.26記


セッコク


 昨年は植え替え時を失してしまい、セッコク類が今一つ調子の出ない年であった。
乾くと水苔の表面が固くなって、水が通りにくいので、オーストラリアの園芸用透水剤「サチュライド」を使って凌いだつもりだったが、
ランはそんな姑息な手に乗ってはくれなかったようだ。

 今年は深く深く反省して(ランには恭順の意を示すことが肝要である)、新芽が動く前、3月中にすべての鉢を植え替えた。
と言っても、60鉢程であるが。正直なもので、新芽が出そろった長生蘭たちの顔色もとてもよく、機嫌を直してくれたらしい。

一度ヘソを曲げると、そのあといくら慰撫に努めても、なかなか笑顔を見せてくれないランも多いが、その点セッコクは実に素直で性格のよいランである。
だからと言って、決してくみしやすいなどと思ってはいけないのだ。
そんなことを、心の片隅でチラッとでも思ったら、たちまち読みと取られて、今度こそ本気で気を悪くされて、セッコクとの信頼関係を取り戻すまでに何年も掛ってしまう。

 柿の木につけたセッコクも、にぎやかにたくさんの花をつけた。
自然の状態に近いせいか、鉢植えより花付がよいように思える。
柿の木には、セッコクやムギランの自然実生も出始めた。
慶事である。

柿の木につけたランは、以前は一度活着すればあとは手をかけず、雨水頼りであったが、鉢数が減って多少気分と時間の余裕ができたので、
たまには水を掛けて差し上げたり、そのときの気分で肥料や活力剤などもサービスしている。
最初のもくろみとは違って、少し過保護かもしれないが、そのせいか木についている10種程の着生ランが生気に満ちているように見える。
さすがにナゴランはこの冬の寒さで枯れたが、カシノキランは増えている。
今年は新たにオサランとクモランをつけたが、どうなることか。

増えすぎた芳香石豆蘭(中国産のムギランの仲間)もヤマボウシにくくりつけた。
このランはえらく丈夫で、繁殖力が強いので、そのうちヤマボウシを覆い尽くすかもしれない。
それも楽しみである。



         柿の木につけたセコッコク            ヤマボウシに付けたセッコク

  
  

 石づけの矮性セッコク 記憶では松島産。近頃石斛などの着生ランを、石や杉松などの樹皮につけて遊んでいる。
吸水性のない石には、つくまでに手厚い養生が必要。
空いているスペースがもったいないので、今年ムカデランをつけた。
ヘゴはつけ易く、よくできるので、ランだけ見ていればこれでもよいが、風情の点では見劣りがする。
ランと鉢を合わせて楽しむ和の心を、着生ランのも栽培にも持ち込みたい。




キバナノセッコク石づけ 屋久島産の矮性個体。よく増えるタイプ。    キバナノセッコク散り斑縞 台湾産として、作り伝えられている。花は白い。


       


キバナノセッコク素心 最近は無菌培養ものが出回り、入手し易くなってきた。
これも無菌ものだが、入手した14年前は貴重品だった。
これは性質が弱く、増えたと思うと減り、いつまでたっても原状のままである。

                                   
キバナノセッコク「神衣」 最近注目されている高知産の斑入り。出芽が特に美しい。

       


「神衣」 昨年の葉。最後は覆輪に落ち着くようだ。この斑芸の変化が珍しい。
 キバナノセッコクは、前年、前々年の矢に花が着く。













2014.6.7記


長生草5「金華山」「厚丸」


 またまただいぶ間が空いてしまいました。待っていて下さった方がいらしたら申し訳ありません。

「金華山」の銘は、産地からつけられたのか、あるいは単に字面のイメージからなのか。
金華山という山は、宮城県と岐阜県にあるが、岐阜県の金華山は旧名稲葉山で、天保の頃に金華山の名があったのかどうか分からない。

 宮城県は、セッコクの北限であり、松島瑞巌寺の松の木には、サッカーボールのような大きな株が着いている。
だいぶ前に見たので、もう落ちてしまったかもしれないが。
「金華山」は仙台藩領内でみつかったものかもしれない。


図からは透け矢ではないように見えるが、品種解説には「茎黄にして、斑白し」と書かれている。
鉢の文様は、雲のようにも見えるが、銘から察するに波であろう。

「厚丸」は見るからに俵矢で、葉肉も厚そうな魅力的な品種である。
解説では、「醇圑」の字が当てられて、「アツマロ」とカナがふってある。
「葉至って厚く、茎至って太く、中斑なり。黄青同姓ニして二品あり。」と説明されている。
同じ銘で、青軸と飴矢に進化したものの、2タイプがあったということであろう。

 鉢は瑠璃釉に白抜きで「無事是宝の」と読める。
文意は想像できるが、この後どういう文字が続くのであろうか。
いずれも絶種して、現存していない。


                       










2014.6.7記


オニノヤガラ


 武蔵野市の井の頭公園御殿山に、毎年5~6月にオニノヤガラが出現する。
10年以上前から気にして見ているが、年によって増減が激しい。

いつも出る場所は決まっていて、ここで野生植物の保護活動をしている私たちが、勝手にA地区と名付けている一角から外に出ることはない。
今年は当たり年らしく、40本ほどのかたまりが目を奪う。名前のとおり、鬼の矢柄のように硬くまっすぐな花茎が林立している。

漢方薬天麻の材料としてもよく知られ、鎮痛、鎮静、強壮の効果があるという。
葉を持たず、光合成の能力がない腐生ランで、栄養分はもっぱらナラタケの菌糸から奪い取って生活している。
ナラタケはキノコであるから、樹木に取りついて、これを分解して栄養としている。
普通キノコは枯れ木、倒木を分解するので、森の掃除屋さんといわれるが、ナラタケは困ったことに、生きた木にも寄生する。
井の頭公園では、主としてイヌシデに菌糸を伸ばして、これを内側から侵し枯らす。

オニノヤガラが旺盛だということは、ナラタケが元気に菌糸を張り巡らせているということで、喜んでばかりはいられない。
ここには、オニノヤガラ以外にも、イヌシデの共生菌から栄養の供給を受けている(菌からすれば一方的にかすめ取られている訳だが)野生植物が住んでおり、
私たちは10年以上前からその保護に努めているのだから。

オニノヤガラは腐生ラン(菌従属栄養植物というようになったが)なので、栽培できないとされていたが、
いまではナラタケ菌と、そのエサになるほだ木とセットで栽培すれば作れるようになった。
中国では漢方薬として需要があり、商売として成り立つようで、大量に生産されている。
ただし、このランの寿命は短く、井の頭公園に生えているオニノヤガラを掘り取って移植しても、100%枯れるということを念のため明記しておく。
ラン好き、物好きの私も栽培したことはないし、栽培したいと思ったこともない。


   右の木はイヌシデ。左のイヌシデは、ナラタケが枯らした?               オニノヤガラの花

                  










2014.5.27記


初夏のラン2種


 ラン・ユリ部会の野生ラン展も無事終了した。
会員増殖苗の即売も好評で、100点以上のほとんどが愛好家の手に渡った。
西武園芸売り場のお客さんは、ランに詳しいひとが多く、無菌培養のフラスコも含めて、珍しいものはすぐに出てゆく。

 これで春の行事は一段落して、通常の生活ペースに戻れる・・・はずであったが、なかなかそうは行かない。
仕事は遅々として進まず、受注残も一向に減らない。
毎年同じことをしているのだが、今年は疲れを感じることが多く、1年の違いを痛感する。
いつまでたっても、体力と意識のずれはうまらないものらしい。
いつもこんなことを書いているような気もするが。

 そんななかで、ランの棚を見廻り、生気に満ちて、元気に生育するランたちを見ると癒され、励まされる。
ランを培っているつもりで、実はランに養われているのだ。


百合蘭 Balbophylluam pectinatum

 久しぶりに上野グリーンクラブの日草展に行った。
気になりながら3年見送っていたのは、管理能力に応じた、栽培鉢数の減量化に努めていたからである。
見れば必ず買いたくなる。

 先日電卓片手に、鉢数を数えてみた。350鉢程であった。
ヘゴづけや、石づけは植え替えの手間が掛らないので、数に入っていない。
かつての半分以下になっていた。
これで気がゆるんで、上野に足が向いた。
ダイエットに成功して気がゆるみ、元の木阿弥というのはよく聞く話であるから、油断は禁物である。

 そこで珍しい花を目にして、迷わず手を出したのが百合蘭である。
昔一度手を染めて、失敗している。
その後それ以来10年以上も見ていなかった。
前科一犯であるが、もう時効であろう。

 図鑑によっては台湾固有種としているものもあるが、インド・ミャンマー・ベトナム・中国にも分布する。

 百合蘭は台湾名で、中國では長足石豆蘭というらしい。
英名はLily Bulbophyllumとされているが、これは台湾名をそのまま英訳したのであろう。
日本の感覚からすると、どうして百合なのかという気がするが。マメヅタラン属、日本のムギランなどの仲間である。

 何よりも目につく特徴は、植物体に比して大きな花である。
ピーナツほどのバルブの頂点に8×2㎝弱の葉を1枚つけ、花は4×4㎝程もある。
日本産のマメヅタラン属を見慣れている私たちの目には、アンバランスとも感じられる花の大きさであるが、
これがまたこのランの大きな魅力になっており、強く惹かれる所以でもある。

 以前作った百合蘭は、花弁の脈にそって淡褐色の線状斑点があり、唇弁先端部が黄色かったが、今回入手した個体は全体が翠緑色の素心花で、一層好ましい。
花弁も肉厚なので、花持ちがよいのも長所である。

問題は栽培難易度である。
台湾の蘭図鑑で、自生地の環境を調べてみると、台湾全土の標高700~2200m、原生林の樹幹や苔むした岩上に着生するということである。

台湾には行ったことがないので、この標高の気温のイメージがわかない。
そこで栽培経験のある台湾のランで、これに近い標高に自生するランをピックアップしてみた。


・タイワンショウキラン300~1500m

・ネバリサギソウ 500~1200m

・ムカゴサイシン 700m

・ピアナンシュンラン 800~1500m

・タイリントキソウ 1500~2500m

・タイワンクマガイソウ 2500~3000m

これでおおよそのイメージが掴める。いずれも東京で作れないランではない。
夏は少々暑がると思えるが、冬は最低5~6℃の加温をすれば行けそうである。

 ひとつ気になるのは、花にばかり目が行って、下部の状態をよく調べなかったが、あとで見ると前年のバルブが傷ついており、今年の生長点がない。
古いバルブから芽を吹くのを待つしかなく、来年の花は無理であろう。
縁あって遭遇した百合さんであるから、出来る限りの手当てをして再生を図ろう。

 百合蘭の外にもいくつかのランを衝動買いして、気分よく家路についた。

(参考図書 台湾蘭図鑑 周 鎮・台湾蘭科植物 林讃標・中国野生蘭科植物彩色図鑑 陳心启他)


        





ユウコクラン

いつもなら丁度花期に当たるので、西武の野生ラン展に出す予定でいたユウコクランが、今頃満開である。
一時の暑さで急に咲いてしまって、花が終わってしまったもの、一転してその後の冷え込みでつぼみのまま止まってしまったものなどが多く、今回の野生ラン展は皆苦労したようだ。


このユウコクランは、親鉢にこぼれたタネから出た自然実生を集めたものである。若い株なので、心なしか勢いが良いように思える。

伊豆諸島に分布する、近縁の(というよりどう見ても同じで違いが分からない)シマササバランも咲きだした。


            ユーコクラン                          ユーコクランのアップ            シマササバランのアップ
             





ナンゴクネジバナ?

 伊豆の島に正体不明のネジバナが自生している。
自生といっても、芝生の中にしか見ないので、もともとその島に生えていたというよりは、芝にくっついて、他所から持ち込まれたものではないかとにらんでいる。
人為的な分布拡大である。

 花期はネジバナより早く、5月に咲く。
花はネジバナより小さく、平開しない。
そしてほとんどが白花で、稀に酔白花(淡いピンク)が混じる。
花茎と子房(花茎と花をつなぐ部分で受粉すると果実になる)が無毛である。
この点は鹿児島以南の島嶼から南アジア、豪州まで広く分布するナンゴクネジバナと共通する。
自生地では2月に咲く沖縄のナンゴクネジバナも東京で作ると5月に咲く(冬季の加温によって異なるが)。

 無毛と、花期の点からはナンゴクネジバナが、芝とともに伊豆の島に引っ越してきたという可能性も否定できないが、花が違いすぎる。
そしてすべてが同じタイプというのも納得がいかない。

 島の観光案内には自生植物のなかに、ナイゴクネジバナがあげられているので、そういう解釈なのであろう。
ランに関しては、謎に出会うのは面白いことだ。

 ネジバナというのは面白いランで、どこにでも出てきて、都会でも雑草化している唯一の野生ランであるが、
これを掘り取ってくると、意外に難しく、なかなか居ついてくれない。
いろいろなラン(時にはラン以外にも)の鉢にタネが飛び込んで、気が付くと芽生えていることはしばしば目撃する。
こうして生えたネジバナは良く育つが、それを抜いて相応しい小鉢に移したりすると、途端に機嫌をそこねる。

 人間でいうなら、間借りが好きで、一戸建てを与えられると嫌がるようなものだ。
あるいはどこの会社に入っても、周りによくなじみ、生き生きしているのに、個室を与えられると、途端に精彩を欠くという感じか。

 写真の伊豆のネジバナも、ナリヤランの家に押しかけ居候している。タネを散らしたもとの親株は消えてしまった。



           正体不明のネジバナ               正体不明のネジバナのアップ      ナンゴクネジバナ
        










2014.5.6記


アロマオイルその後


 3月30日のブログに書いたように、朝夕アロマオイルの香を嗅ぐようになって、早2か月が経過した。
相変わらず忘れることはあるが、何とか持続している。その効果や如何に?


 ごく最近になって、気づいたことがある。いままで覚えられなかった人名9、地名1の名がしっかりと海馬に定着した模様である!
その内5人は10年以上の付き合いが続いているのにどうしても覚えられなくて、そのつど女房に聞いていた。
それがいつでもすんなりと出るようになった。
さらにごく最近知り合った2人の名前も脳内ハードディスクにインプットされたようだ。

 ただし最近改めて意識して憶えるよう、頭に刻み込んだ名に限る。
そうでない名前は相変わらずいくら呻吟しても出てこない。
つまり、過去に海馬の隅っこ沈殿して、なかば溶解しかけた名は、人名、地名、植物名まで、呼び出すことが困難であるが、新たにリセットした名は覚えられるということがわかった。

女房も、何10年もどうしても覚えられなかった、プッチーニのオペラの題名「ラ ボエーム」が、記憶されたという。

ただし、これは名前に関してのみで、二つのことをしようと思っても、一つ片付けた時には他の用を忘れる。
用があって行った先で、何をするのか忘れる、というようなことは相変わらず日常茶飯事である。

 名前が覚えられるようになったのは、はたしてアロマオイルの効果であろうか。
そう言い切る自信はない。
もしかすると、単にふたりとも、暗示にかかりやすいということなのかもしれない。
理由はわからないが、いずれにしても覚えられなかった名が苦も無く出てくるということは、老化が一部分だけでも止まったようで、非常に嬉しいことである。











2014.5.3記


多忙な春


 植物栽培を趣味とする者にとって、春は1年で最も忙しい時期である。
3月末からの植え替えが、5月にまでかかり、仕事場は植え替え作業場に変わる。
ラン、山草関係の様々な行事が詰まっており、ここ1カ月はほとんど仕事にならない。
外に出ることも多く、生活のペースが乱れて疲れる。
若いときはこれが楽しみであったが、決まったペースで仕事をしている方が楽と感じるようになったのは、年のせいか。

 といっても、生き生きと、たくましく、日に日に生長するランたちを見ると気分が高揚する。
ランが休眠する季節は、一緒に気分も静まり、ランの目覚め、生長とともに、熱くなってくる。
栽培者の気分がランの生活リズムに同調しているようだ。

 今年はもう芽が出ないであろうと諦めていたアツモリソウも、1鉢を除いて葉を展開している。
先の見込みの薄いものもいくつかあるが、北米産のケンタッキーエンセの2鉢は花がつき、改めてそのたくましさに感動する。
遅咲きのこの種は、ちょうど野生ラン展に花期が合いそうである。

 T出版社の栽培書の企画で植えこんだホテイアツモリソウ×レブンアツモリソウもちょっと心配な位増殖し、花がひとつ咲いている。
この鉢は、植えこんだ翌年には花が来なくて、結局本には開花写真が載せられなかったが、2年経って俄然目覚めたらしい。
ランは異常に元気になった後が危ないということはたびたび経験している。
正に好事魔多しである。ちょっと時期を失したが、植え替えをするべきか迷う。

 昨年の作行きから、まったく期待していなかった、難物ツレサギソウも予期せぬ立派な芽を上げている。
この仲間は、鉢栽培になじまない種が多い。
昨年の夏も、ランたちとっては、過ごしやすい気候ではなかったように思うのだが、こういう意外は歓迎である。


        ホテイアツモリソウ×レブンアツモリソウ
  上がく片がいたんでいるのは、芽出しの頃につぼみが入っていることを確かめようと、
  女房がつまんだためとにらんでいるが、本人は否定している。
  左右の鉢はケンタッキーエンセ。


    










2014.4.27記


牡丹


 我が家の前の道を散歩コースにしているひとや、近所の人たちが毎年褒めてくれる花がある。
それは牡丹である。
もちろん(と力説するほどのことではないが)自分で好き好んで買ったものではない。

そもそもなぜ我が家に牡丹があるかというと、むかし某社の山野草の通信講座のテキストの執筆をしたことがある。
面白いことにこの会社は、社員の実家の仕事にかかわるものを、お歳暮に使うということを習慣にしており、ある年の暮れ深紅の牡丹の苗をいただいた。
ちょっと戸惑ったが、縁あって我が家に到来したものだから、フェンスの際に植えておいた。
翌年は白い牡丹の苗が届いた。以来毎年春に紅白の牡丹が咲き競うことになった。
これが花好きの人たちの目を引き付け、「今年も見事ですね」という賛辞をいただくことになったわけである。

くどいようだが、意図して紅白の牡丹を揃えたわけではない。
また、牡丹に手間暇かけて面倒を見ているわけでもない。
周りの棚のランに、肥料や活力剤を与えており、牡丹がそのお流れを勝手に吸収し、結果として大輪の花を咲かせるのである。

もちろん褒めてくれるひとたちは、日頃の丹精を思い、好意で声を掛けてくれるのだが、こちらとしては褒められても一向に嬉しくはない。
妙な気分である。

もっとも私が愛情を込めて世話しているランは、普通の花好きのひとから見たら、花のうちにも入らないような、おもしろくも可愛くも、美しくもないちんちくりんなものが大半である。
咲いていても目に留まらないであろうし、ましてやそれがランであるとは夢にも思わないであろう。ランは美麗な植物というのが常識となっているのだからしかたない。

就活に忙しい上の孫が久しぶりに泊りに来た。
女房がちょうど見ごろの牡丹を指し示すと、一言「ジイジの家に似合わない」

梅の盆栽を見咎めた下の孫といい、あの子たちは無関心のようでいて、結構見るところは見ているようだ。
牡丹で嬉しい思いをしたのは初めてである。

 

 

 

    今年は白はお休み。機嫌をそこねたか
   



  
ランキチが愛をこめて「ツマラン」と呼ぶものがいま2種開花中。これでも立派なラン。そのひとつがニラバラン。

      


     もうひとつがムカゴソウ

       











2014.4.13記


困ったもんだ


 二人の孫娘の間では、ジイジバアバはこの頃少しおかしいということになっているようだ。
特に下の孫(高3)には、ミスを連発した能登旅行以来かなり信用を失墜しているらしい。
娘に「もう3人で旅行に行くのはやだ」といったとか。

 宝くじを買おうといえば、即座に「当たりっこないでしょ。むだなお金は使わない方がよいよ」といわれる。
先日も例のアロマオイルの件で、女房が
「そんなことにお金を使って。これだって安くないでしょ」と言われたとか。
これで物忘れが治れば7000円はちっとも高くないが、どうもその気配は露ほども見えない。

 ひとつ面白いことに気付いた。
朝夕のアロマオイルセットを女房がまだ習慣になっていなかったときは、私が思い出すことが多く、女房が忘れなくなったら、私はすっかり気が回らなくなった。
二人で一人前といいたいところであるが、実態は二人で半人前の補完夫婦である。

 今日女房と、散歩をかねて、吉祥寺に買い物に行き、道端で干し柿を売っているのが目についた。
干し柿が好物のわたしは吸い寄せられ、試食の小片に手を出した。
2パック500円というので、買う気になったところへ、売り子のお兄さんが、タイミングよく

「3パックで1000円にしておくよ」。

 女房が1000円札を出し、私がレジ袋を受け取って、数歩歩いたところで、「なんだか変じゃない?」

 いくら二人して数字計算に弱いとはいえ、あまりに単純な策に、手もなく乗せられたことがおかしくて、大笑い。
「しておくよ」の一言が錯覚を引き起こす味噌だった。
あまりにバカバカしくて、腹も立たない。

 単純な同じ手口で、次々に大金をだまし取られる高齢者を、とやかく言う資格を失った瞬間であった。
それでも干し柿はうまかった。











2014.4.12記


散歩道 仙川


 仙川は小金井市から始まって、三鷹市を経て世田谷区で野川に合流する。
我が家の近くも通っているが、両側は深いコンクリートの垂直面、底も平らで、川というには余りに人工的で素っ気ない。
雨の後にわずかに水が溜まるだけで、普段は水流もない。

ところが、東八道路を越えたところから、この川の様相が一変する。
清流がながれ、鴨の群れが泳ぎ、鷺や五位鷺が餌を求め、ときにはカワセミも現れる。
地下から汲み上げた水を流しているのである。
川沿いには、畑や雑木林、公園もあり、両側が遊歩道になっていて、格好の散歩コースである。

殊に春がよい。両岸は菜の花に埋め尽くされ、川の上に張り出した桜の花びらが川面に浮かび、なかなかの眺めである。
長年三鷹に住みながら、すぐ近くにこのような癒しの場があることを知ったのは、2年前のことである。

桜の時期には、子連れママや、家族の小グループが花見をしているが、酒を飲んで騒ぐということはない。
遊歩道を散策する人もまばらで、多分三鷹市民でもここを知る人は少ないのではないかと思う。

花の名所として名高い井の頭公園は、大変な人出で、週末は花より団子の人たちで騒がしいので近づかない。
仙川は知る人ぞ知るの穴場である。



     


     


   










2014.4.10記


ランの季節


 桜の満開とともに、サギソウやチドリ類、その他のランの新芽が動き始め、温室の中ではムカゴサイシン(台湾産)やユウコクランが咲いている。
室内では、ムカゴソウやニラバラン、台湾のネジバナも花芽をつけている。厳しかった休眠期も終わり、いよいよランの季節到来である。

 3月末に註文の鉢を納めて、一段落したあと、植え替えに掛りきりである。
手間暇のかかる作業であるが、その後の生育に大きく影響する植え替えは、重要な作業で手を抜けない。

 鉢数が多かったときは、手がまわらず、ほとんどは3年に1回の植え替えであったが、いまはなるべく1年おきにしている。
7号鉢に植わって、2年たつカキランの植え替えをしたが、根鉢状態でからまりあった根をほぐすのに、1時間悪戦苦闘した。
カキランのように、根が張るランは、毎年植え替えにした方が楽かもしれない。


 年々植え替えがしんどくなり、鉢を増やしたくないがために、ここ2年ドームのラン展にも行っていない。
増やさないだけではなく、管理能力に合わせて、もう少し鉢数を減らさないといけないと思いながら、毎日棚を見廻っているが、
それぞれに付き合いの歴史があり、リストラの宣告をするのはつらい。
身の回りの物を整理するにも、思い切りが必要でなかなか進みにくいが、ランも増やすのは易く、減らすのは難しである。

 今年は壊滅かと思っていたアツモリソウのいく鉢かに芽が出てきた。国産アツモリソウはかろうじて生きているという状態であるが、
アメリカ産のケンタッキーエンセは咲きそうな気配である。嬉しいような淋しいようなであるが、この暑さ厳しい東京で花を咲かせるケンタッキーの生命力を愛でたい。



   台湾産ムカゴサイシン。花が終わると、ランらしからぬ葉が出る(後日掲載)
  


(ユウコクラン×タイリンコクラン)×ユウコクラン タイリンコクランは台湾の大型濃色のコクランの仲間。
 ユウコクランを掛け戻したことにより、耐寒性が増し、小さくなった。自分が作出したものなので、こだわりがあるが、受けはいまいち。

          


       居間の東側窓際、韓国の薬箪笥の上を、冬季に生育する陽地性のランの置場にした。ランたちもここが気に入ったようだ。
    













2014.4.3記


カタクリ白花実生の開花


 3月23日のブログ「早春の花」の中で触れた、カタクリ白花の実生がやっと咲いた。
1鉢は8年、もう1鉢は9年かかった。
実生をしたのは、この純白花と酔白花だけであり(こちらはまだ咲かない)、カタクリの実生開花は初めての経験である。
播種から開花まで、8~10年と聞いていたので、それだけの年月をかける気がしない普通花は播いたことがない。

 純白花自家受粉のタネだから、白花が咲くかと思っていたが、そうはいかなかった。
咲いた3花はいずれうっすらとピンクを帯びた酔白花であった。
これはこれで美しい。咲いたことで目的は達成されたので、満足である。

 植物体全体から色素が抜ける白花は、普通個体に比べて性質が弱く、生育がわるいという例がよくある。
しかし、この白花個体は、ゆっくりではあるが、増殖し続けており、毎年開花していて、特に弱いという印象はない。
普通個体の栽培経験が乏しいので、比較できないが、むしろ強健個体と言ってよいのではないかと思っている。
ただしこれはカタクリに聞かれるとまずい。
もしかすると本人は美人薄命と思っていて、気を悪くされると困る。

普通カタクリの白花は、数百数千株の大群落のなかに、稀に見られるというのが普通であるが、
何故かこの個体の自生地は、群落の大半が白花・酔白花で、並の花の方が少ないという、不思議な場所であった。
私が案内されて訪れたときは、開発予定地ということであったが、その後保護されることになったという。
19年も前のことであるが、いまも白花が群れ咲いているであろうか。

そういう所の生まれであるから、強い遺伝子を持って生まれているのかもしれない。

 平成17年に17粒播いた鉢は、現在10株が育っており、生存率は約57.8%、
18年に播いた方は、22粒まいて、残っているのは11株、生存率は50パーセント。平均53.8%である。
山草会には、コバイモの実生をする人は少なくないが、カタクリを播種した人の話を聞いたことがないので、成績としてよいのか、悪いのかわからない。

 すぐに結果が出るガーデニングと違って、野生ランでは無菌培養苗や、その他の増殖法の場合でも、開花まで数年というのは当たり前である。
だから、ランをやっていると、気が長くなるが、生きている間に花が見られるという確信が持てないので、もうカタクリを播く気はしない。
これで満足して卒業である。

 

               2006年播種 一見白花であるが、かすかにピンクを帯びている。

    


      2005年播種 こちらの方がいく分ピンクが強い                           親株


       










2014.3.30記


アロマオイル


 同年輩の人たちが集まると、皆一様に物忘れを嘆く話をする。
人間70年以上も生きていれば、どこか部品に不具合が出てくるのは避けがたい。

 近頃故吉村明の小説や随筆集を読んでいる。
三鷹在住の作家であったので、井の頭公園や吉祥寺の話などがよく出てきて、親しみが持てる。
晩年の随筆は、年齢が近いこともあって、同感と親近感を覚えることが少なくない。

 氏の随筆に、ある医者の話として、高齢者の記憶というのは、器の中に水を注ぎ続けるようなもので、
下の方の古い水は残るが、新しい水はみな外に溢れ出てしまうというようなことが書いてあった。
言い得て妙である。

何処の局か忘れたが、テレビで医者が物忘れを防ぐ法というのを開陳していた。
朝晩2種類ずつのアロマオイルの匂いを嗅ぐことを推奨していた。
香りを認識する器官は、記憶をつかさどる海馬の近くにあり、香りが海馬をも刺激して、記憶力が向上するという。

 私も女房も、これ以上もの忘れが進んだらどうしようというのが、切実な問題なので聞き流すことができない。
数日後、吉祥寺の2軒のアロマオイル専門店をまわったが、いずれも肝心のオイルは売り切れ。
テレビを見た高齢者が殺到したらしい。さもありなん、思いは同じらしい。

 予約をしたがいつ入るか分からないという。
店員もテレビの影響はすごいと感心しきりである。

 品物が入ったという連絡があって、4種の天然もののオイルを購入した。
期待をこめて、朝は食卓上に、夜は枕元に置くことにしたのだが、予想せぬというか、当然というか、問題が生じた。
物忘れを防ぐためにすべきことを、忘れてしまうのである。
はてさて、どうしたものであろう。











2014.3.27記


ニッチ企業


経済産業省が、ニッチ企業100社を選定し、支援するという。
大企業が参入しない分野で業績を上げ、世界で高いシェアーを占めている企業が対象らしい。
大企業が目を向けない分野だから、当然中小企業が中心なのだろう。
テレビでは、焼き鳥や団子に串を刺す、自動串刺し機メーカーを紹介していた。

 ちょっと前はすき間産業と言っていたのが、一層拍車がかかっている感のあるカタカナ化で、ニッチ企業という表現になったようだ。
すき間産業というと、何とか命をつないでいるといった、少し侘しいような響きがあるが、ニッチ企業というと、なんだか前向きな姿勢に思えるのは、カタカナ語の不思議である。

 話は私ごとにかわるが、今から思えば私が鉢作りに転向したのも、すき間を探り当てたことになる。
陶業各地に伝統と格式を誇る名門作家が活動している茶陶の世界で、趣味上がりの無名の若造が伸びられる訳がない。
前を行く人がいなくて、自分の適性を生かせる道を模索した結果が、鉢作りであった。

 当時鉢作家としては、東京と九州に蘭鉢を作る人がいたのと(専業ではなかったようだ)、丹波に焼締め山草鉢専門の市野伝一氏が知られる位であった。
流行のさなか、展示会も盛んであった、エビネやウチョウランの作鉢・展示鉢を専門に作る者はなかった。
潜在需要があって供給がない、正にすき間であった。

私は鉢屋になる前からエビネ、野生ランの愛好家であり、その世界に友人知人も多かったので、そのすき間が良く見えた。
ランと焼き物を知る自分には、最も適性を生かせる仕事であると考えた。
それが正しい選択であったことを、後に自ら納得した。
いうなれば、超零細ニッチ個人事業である。

 私の学校の後輩に当たる、ある女性童話作家が言っていた。
そこそこの才能と、やる気があり、人とうまくつきあえて、運に恵まれれば、何とかなるものだと。
これはこの女性の自らの経験に基づく言葉であろう。
私もまったく同感である。
人脈は大切で、一人こもってよいものを生み出していれば売れるというものではない。
私の場合の運は、ランの流行の最盛期であったことである。

木工職人の血が流れており、小学校では工作部に所属して(指導教員は大工)、大工道具一式の使い方から、カンナ、ノミの砥ぎ方まで教わっていた私は、
生来もの作りの適性があるとは思うが、才能があると思ったことはない。
その気になれば、個人事業は、いつでもどこでも始められる。

 生きるのが難しい時代である。
自らの適性を見定め、ニッチ(すき間)を見つけて、そこに潜り込み、ほかに生きる道はないと思い定め、高望みしなければ、道が開けるということもあるのではないだろうか。
今の時代好きなことで飯を食うということ自体が高望みなのかもしれないが。

失敗しても悔いないという心構えも必要だから、慎重な性格の人には難しいかもしれない。
私の場合は(女房も)もし失敗したらということは考えなかったのが、結果的には幸いした。

ただし、老婆心ながら言っておくと、私が始めた頃と違って、より狭く、小さくなった市場に、プロ・セミプロが参入している今、鉢の世界にすき間を見出すことはかなり困難である。
勤めを卒業したひと、他にたつきを持つひとが実益を望まず、趣味でやる分には本当に楽しい分野であるが。











2014.3.23記


早春の花


 ランで早春を飾るといえば、オキナワチドリであるが、私の温室は採光を林床のランに合わせてあるので、オキナワチドリには少々暗すぎる。
このランの栽培は女房の担当で、2階ベランダのミニ温室に、100ワットの温風機をセットして作っている。
真冬の最低気温は9℃で、午前の日も当たり、頃合いの環境である。

 そういう訳で、私が作っているランで、早春に咲くのは、ツシマニオイシュンランくらいだ。
毎年咲いているが、増えるでも減るでもなく、いつまでたっても元の鉢に納まっている。

ランを上手につくるには、そのランを愛するだけでは不十分で、ランにも愛されなければならない。
相思相愛の関係が成立するのが好ましい。
ツシマニオイシュンランには、好かれてはいないが、格別嫌われてもいないという、微妙な関係が長年続いている。

 今年も東側に地植えしてある、ユキワリイチゲとキクザキイチゲが、つつましく、美しく咲いている。
両方とも春に1、2回化成肥料などを播くだけで、年々テリトリーを広げているのが嬉しい。
ユキワリイチゲは周辺に広がって行く増え方で、キクザキイチゲはどういう方法でタネが移動するのか、離れたところにも顔を出す。

 ラン以外に鉢栽培しているものは少ないが、大分前に実生したカイコバイモがことしも元気に花をつけている。
こちらは、かなり気合を入れて肥培している。

 早春の花で、今年嬉しいのは、カタクリの純白花の実生に初花がきたことである。
カタクリは鉢では作りにくく、実生して開花するまでに、8~10年かかると聞いている。
何となくこのカタクリとは気が合い、本当にそんなにかかるものか、自分で検証してみようと思ってタネを播いた。

 開花までに、1鉢は8年、もう一鉢は9年かかった。
8~10年というのはやはり間違いなかった。

 自分が好きなものはひとも好きだと思いがちで、白花カタクリのタネや苗を山草会に持って行ったことがあるが、あまり受けなかった。
年配者が多いので、タネは「生きている内に花が見られない」と言って敬遠される。
苗も手間も時間もかかるということで、歓迎されないようだ。

 どのように手が掛るかというと、12月から、葉が落ちるまで、ただの水はほとんど掛けず、毎回灌水にはブドウ糖(1ℓに大匙軽く1杯)を加え、3回に1回は合わせて肥料も与える。
手が掛ると言っても、短い期間である。夏から秋はたまに灌水するだけでよい。

早春の花は実働時間が短いので、起きている間は目いっぱい稼がせて、蓄えさせてあげないといけない。
特にカタクリは、短期決戦の積み重ねの植物である。

 いくら気が合って、相思相愛の仲でも、喜んでもらってくれるひともないし、花を見る自信もないので、今からまた播種つもりはない。

 

   ユキワリイチゲ 上の黄色い花はトサミズキ。昔は子供の入学式の頃に咲いていたが、今は3月中旬に開花するようになった。

                                              キキザキイチゲ タネが飛んで、3年前にここで1輪咲いた。
                                                       

   カイコバイモ ブドウ糖さえ与えていれば、栽培容易だが、あまり増えない。

      











2014.3.22記


オキナワチドリ白花用の鉢


 昨年のこと、ある鉢愛好家から、オキナワチドリの白花用という指定で注文をいただいた。
特殊な指定のつく注文は、なかなか手を付けにくいことがあるが、すべて任せるということなので、迷うことなく引き受けた。

このひとは、キンセイラン用や、ヒトツボクロ用の化粧鉢など、ときどき妙な注文を口にするが、鉢を見る目は確かで、栽培もうまい。

オキナワチドリ白花用鉢のイメージはすぐに湧き、2、3カ月でできた。

 今月のはじめに、そのときの約束通り、美しく咲いた鉢を見せてもらった。
淡い釉裏紅が、白花と葉の緑によく調和して、ランと鉢とが、互いに引き立て合っている。
イメージ通りであったことを確認して、気のままに作って喜んでもらえる鉢屋というのは、良い仕事だと改めて感じた。



                              








2014.3.22記


窯出し


 今年2度目の窯出しをした。
細かい絵付けのものもあり、準備に手間取り、久し振りの窯焼きになった。
いつもより点数も多く、富貴蘭鉢が20点。発色はよかったが、土に砂粒が混じっていたりして、目立たないが小さな欠点がいくつか出た。
焼き物に失敗はつきものではあるが、残念。

 今回は、初めての試みの下絵赤の作品が6点、何度かテストをした後の本番が、いずれも狙い通りに焼き上がった。
以前は赤の絵の具は、本焼きした上に絵付けして、低温で焼きつける、上絵具しかなかった。
分かりやすく言えば、ラーメンどんぶりの赤である。
低温釉(絵の具というが釉である)であるから、使用している内に、絵の具が磨滅して剥げる欠点がある。

今は下絵の赤の良い絵の具が開発されている。
絵付けした上に施釉するので、絵の具は、高温焼成釉におおわれ、上絵に比べて耐久性の点で格段に優れており、鉢に適している。
赤を使用したことにより、今までの欅鉢にない華やかさが生まれた。

若い時は民芸陶器が好きで、地味好みだった
。赤を使うことなど、全く考えたこともなかったが、これも年のせいかもしれない。
これからも植物を殺さないよう、華美に過ぎないよう、鉢としての分を守って、抑え気味に様々な使い方を試みてみたい。
次回更新のショップに2点を載せようと思う。


    
             










2014.3.19記


長生草4 玉金剛・雪丸


 今回は、前3回の画像と色調が異なっていることにお気づきのことと思う。
1~3までは、写真の画像であったが、今回からは原本から直接スキャンした画像にした。
その方がいく分なりとも、原画に近い鮮明な画像を提供できると思うので。
これにともない、前3回の画像も、スキャンした画像に替えて、統一を図りたいと思う。

 「玉金剛」「雪丸」ともに現存しない品種である。
富貴蘭の玉金剛はここから名前を採ったものであろうか。

 雪丸のような中透け品種は、今は多数あり、柄としては珍しいものではないが、自然界では白中透けという斑は稀なものであり、当時は長生草コレクターの目を奪ったことであろう。

 「玉金剛」の染付袋式の鉢は、香炉の形を模したのであろうが、長生草2で紹介した「豆金剛」の鉢が香炉その物の形であるのに対して、多少は鉢らしくなっている。

とはいえ、ここまで肩がくびれていると、鉢としては決して使いやすいものではない。展示効果を考えて、形に変化をつけたのであろう。
加えて、焼き物としての鑑賞性も当然意識していたはずである。
鉢としての機能と、焼き物としても美しい器を意識していた江戸和鉢の伝統を、鉢作家たるもの、伝承しなければいけない。
「仙屈」の文字は、使用者が自らの号を記すように指定した、注文品であろうか。

 「雪丸」の鉢は、口が梅花の形に変形されており、普通この口作りであったら、胴も同じ形にするのが自然である(写真参照)。
胴が丸いように描かれているのは作図上の省略であるように思われる。

 2点とも、胴は正面から見た形に描かれているが、口は斜め上からの視点で描かれている。この傾向は他の図にも共通して言えることであるが、このようにつばに文様がある鉢の場合は、それを見せるために敢えて大きくずれた二つの視点で描いているように見える。「雪丸」の鉢では、それが不自然さを感じさせる程に強調されている。

 もうひとつ妙に感じることは、2点とも足を正面にしていないことである。両方とも足が3つであることは間違いないであろう。
1~3に描かれた6点はみな猫足で、足を正面にしている。
長生草に載っている猫足の鉢は、1点を除いて、他はすべて足を正面に描かれている。
このことから、香炉の場合と同様に、鉢も足を正面にするというのが約束事になっていたことは間違いない。
ところが袋式の鉢では、みな足の間が正面になっている。
これは画家がそのように据えたという訳ではなく、鉢の作者が足を正面から外すように意図していていたことは、図柄を見れば明らかである。
当時(天保年間)、何故か袋式(香炉型)の鉢は、足を正面にしないということが約束になっていたらしいことが窺がえる。



      


    ①染付龍文木瓜(もっこ)式鉢                     ②染付牡丹文木瓜式鉢
            


 共に口と胴が木瓜形になっている。











2014.3.6記


2月は魔の月


 腰痛には冷えとストレス、それに長時間座っているのがよくないという。
土間の仕事場を板張りにしてから、冷えはだいぶ緩和されたが、それでも冬は冷える。

 このところ順調であったが(といってもいつも腰はパンパンに張っているが)先月末腰に来て4日休んでしまった。
女房は日記を繰って、去年も2月にギックリをやっているという。
いつも2月は危ない月と言われていたのだが、やっぱりやってしまった。

 いつもは植え替えをして重い鉢を持ったとか、手を伸ばして物を持ったとか、それと分かるきっかけがあるのだが、今回は特に思い当たることがない。
浮世に暮していれば、ストレスが無いということはないが、腰痛を引き起こすほどのものではないと思う。

久しぶりに透かしでなく、絵付けの鉢を焼こうと思い、細かい染付や、赤の下絵付け(初めての試み)を何日も続けたのが悪かったようだ。
時間がきたからといって、絵付けを途中で止めるのは気分が悪い。
日が変わると、呉須の濃さも変わるということもあるので、切のよいところまでやる。
間で手を止めて、体をほぐすとよいということは分かっているのだが、ついつい1日中同じ姿勢で過ごしてしまう。

 腰痛になると、椅子に座るという姿勢が腰に負担になるということが良くわかる。
人間が直立したことが、腰痛の元というのが納得いく。
自然治癒するまで寝ているよりない。

 腰はまだ完全ではないが、絵付けも終わり来週中には施釉、窯詰め、本焼きまで行きたいと思っている。

 女房の甥が電話で、このごろブログの更新もあまりないし、鉢の話題もない。
ショップも約定が少ないし、仕事しているのかと心配しているという。
そこまで見て、気にかけてくれるというのは、ありがたいことだ。
次の窯が上がったら、ブログに新作を載せて、頑張っているところを見てもらおう。











2014.3.8記


「長生草」その3 「玉獅子」「多賀金剛」


「玉獅子」は、図からはややしかみ気味で、特に葉幅の広い丸葉で俵矢、多少の誇張はあるかもしれないが、非常に魅力的な品種のように見受けられる。
これも現存しないと言われている。

 「多賀金剛」は、現在「於多賀丸」といわれる古い品種と、同一であるか否か、または何かしらの関連を持つ品種であるかについては、判断材料を持たないし、
そういうことを追及するのがこのシリーズの目的ではないので、ここでは触れない。
その道に詳しい方が、図をもとに検証していただければ嬉しい。

 鉢は赤絵と染付。玉獅子の鉢の地が薄赤く染まっているのは土の鉄分によるものか。
そうだとすると伊万里の磁器ではなく、他の産地の陶器質の鉢ということになる。

 多賀金剛の白抜き梅文の鉢はなかなか魅力的で、富貴蘭鉢としても好適である。
いつかは写しを作ってみたいと思ってきたが、いまだに手を出せないでいる。
この先やりたいことがたくさんあり、手が追い付かないというのは、多分いいことなのだろう。

 染付白抜きは、「墨はじき」という技法が用いられる。
白く抜きたい部分を、墨でぬりつぶしておき、全体に呉須を塗ると墨で伏せた部分には呉須がのらず、白く抜けるという具合である。
うまいことを考えたものと感心する。

 長生草図版の紹介も遅々として進まないが、原本を見る機会はなかなかないと思うので、追々全33点を掲載するつもりでいる。
伝統園芸関係の本や雑誌に一部が載ることはあるが、全ての図が載っているのは見ない。
プリントして最後に和綴じにして楽しんでいただければ幸いである。
そのために、最後は表紙と裏表紙を載せよう。といっても、その時になったら私の海馬からすっかり抜け落ちているかもしれない。
その場合はどなたか催促してください。
但しこれを出版物等に使う場合には、事前にご連絡いただきたい。


           












2014.2.16記


もうひとつの幻の落款


(ご関心がありましたら当ホームページ落款一覧をご参照ください)

 1月26日のブログで二文字落款のことを書いたが、実はもうひとつ落款一覧から漏れている落款が存在していたことが、ふとしたことから分かった。

客人との鉢談義のなかで、どういう流れであったか、誠文堂新光社の「中国ラン」(昭和55年3月刊)に載った蘭鉢の話になった。
この本には8点の欅窯蘭鉢の写真が載っているが、これらの鉢は是非にと乞われてだんだん減り、今は2点だけ記念にとってある。
初期の鉢であるから、見るからに拙いが、思いで深い作である。
担当の編集者に、「長野に所有地があるが、何も使う予定もないから、よかったらそこで焼き物をやりませんか」と言われたことなども思い出す。

落款を見て、製作年を調べてみると、何と落款一覧に載っているのとは、微妙に異なっており、一致する落款がない。
一覧の3番目、昭和57年から使用したものに似ているが、木辺の書き方が違う。
その前の落款は昭和52年からで、5年間が空いている。
この頃は3年位で落款を替えていたから、2番目と3番目の間に不明の落款が入ると、ちょうどうまく収まる。

使用済の落款はちゃんと管理しているつもりだが、生来あまり几帳面な性格ではないので、長い間に行方不明が出るのも仕方ない。

落款一覧を作り直さねばならないのだが、億劫がってまだ手付かずである。
ちなみに一覧の最初の三つは自分で粘土に文字を彫った素焼きである。この頃は荒泥焼締め鉢(おもにエビネ・ウチョウラン鉢)が主だった。
2番目の落款は漢字の欅に□の枠があったが、荒い土に押し続けて枠がすり減ってしまい、一覧では枠なしのように見える。

昭和60年から印章店で彫ってもらうようになったのは、多忙で落款を彫る間も惜しんだのだと思う。
途中で気が変わって、終始一貫しないのも生来の癖である。

平成元年から同じ字体で、大小2種または3種の落款を用いるようになったのは、この頃から富貴蘭透かし鉢が中心になり、小さい落款が必要になったためである。
印章店に依頼するときは、字体の見本帳から選んでいたが、女房が先生についてかな文字を習い始めたので、平成18年、23年からの落款は、女房の書いた文字を下書きに彫ってもらっている。

そろそろまた落款を替える時期である。
一目で今までとの違いが分かる落款にしたいと思い考えている。
ほかのことは駄目になっても、頭と手と目が大丈夫の間は鉢作りを続けたい。
あと2回位は落款を替えられるとよいと思うのだが、どういうことになるか。

 

                    一覧から漏れていた落款。昭和55年頃~57年に使用した


                












2014.2.12記


雪の井の頭公園


 2月10日、道路の雪もほぼ融けたので、女房と井の頭公園に散歩に行ってみた。
かいぼりで、多数の外来魚と、250台の自転車が出たという、あまり良くない話題でテレビや新聞で取り上げられ、このところ注目を集めているスポットである。
水を抜いた池に雪が積もるという、めったに見られない光景なので、撮影に来る人も多い。


 池の中央の橋から見ると、池底からまだ撤去されていない、泥まみれの自転車のハンドルやタイヤがあちこちにのぞいている。
こちらにもカメラを向ける人が多い。
もう作業はだいぶ進んでいるはずだが、公園管理者が迷惑行為を知らしめるために、目立つ所に敢えて残したようにも感じられる。そういう意図があるかどうかはわからないが、私たちのまわりにも、心ない行為を非難する声があがっていたから、無言の抗議の効果を生んでいることは確かである。

 遠目に見る池畔の柳は、うっすらと緑の霞がかかったように見える。
まだ芽吹いてはいないが、芽が膨らみはじめていた。

 マンサクの花が、控えめにすがすがしい香りをただよわせていた。
この花は落葉した枝に咲くものと思っていたが、ここのマンサクは枯れた葉をつけたまま咲いていた。
マンサクに2タイプあるのだろうか。


         


      











2014.2.13記


「長生草」よりその2 「豆金剛」「紫金剛」

 シリーズにするつもりで1回載せたままになってしまい、長いこと更新できなかったことをお詫びいたします。
友人からも「最近更新がないねぇ」といわ
れてやっと重い腰が上がりました。
これからは程ほどに続けたいと思っていますが・・・。

「豆金剛」は、「京丸牡丹」を無地にした感じか。
交配種の「青海丸」に似た姿のようにみえる。

「紫金剛」は「於多賀丸」のタイプと思われる。
ともに絶種しており、残念ながら現在は存在しない。

 鉢はそれぞれ黒楽の一部を白抜きにして、染付で雲文、干し網に千鳥を配してある。
京焼にこの手の古鉢があり、京都で注文製作したものか。現在は黒楽の飾り鉢というと、多色を用いた錦鉢が主流で、この技法はほとんど行われていない。

「豆金剛」の鉢は香炉そのものの形であるが、壊れやすい黒楽で(しかもこの足である)香炉を作ったということは考えられないので、あと穴ではないと思われる。
好き物があえてこの形を指定して作らせたものと考えるのが自然であろう。
そんなことを考えながらみると、いろいろ想像が湧いて面白い。



   















2014.1.26記


旧作焼締めエビネ古名鉢


 毎年暮れには、埼玉県のY山草店に納品に行く。
昨年の暮れも例年のごとく、1年間に作りためた雪割草鉢を納めに行った。

 店に入ってすぐに、棚の鉢に目が止まった。
一目でわかる、自作の焼締め象嵌エビネ古名鉢である。
それもかなり古い、40代の頃の作である。気になったが、先ずは納品が先である。
気ままに作った鉢を、全て取っていただいた。
珍しく指定のあった、6号メダカ文鉢も気に入っていただき、安心した。

 それから気になっていたエビネ古名鉢を手に取ってみた。
私が茶陶から鉢に転向した頃は、エビネの最盛期で、江戸期の伝統園芸華やかなりし頃を彷彿とさせるような、異常な熱気であった。
エビネの季節には、取りつかれたような人の群れが、あちこちとの展示会場をはしごして回ったものである。
私もそのひとりで、そのころからエビネ古名鉢は人気があり、ずいぶん作った。
しかし、焼締めはいくつも作らなかったはずである。
もしかすると、注文品であったかもしれない。

 作者の私がこんなことをいうのは、おかしいと思うが、この古名鉢には、一目見たときに、何か強く惹かれるものがあった。
ときめいたという感じがあった。
鉢屋に転向したときの、不安と鉢作りに賭ける熱い思いが、無意識のうちに、胸の内に蘇っていたのかもしれない。

 高台内を見ると、「欅窯」の落款である。この落款は、昭和60から使用したが、間もなく紛失してしまったので、これを押した作品はごく少ない。
私の所にも残っていない。
鉢専門になって以来、3、4年で落款を替えているので、今までいろいろな落款を使用したが、この「欅窯」以外はすべて「欅」の一文字か、一時期焼締め鉢に使った「け」の一文字である。
それ故「欅窯」の落款は「幻の二文字落款」などと、気恥ずかしいような名でよばれ、コレクターには喜ばれる。

 二文字落款を失くして何年かたって、片づけをしていたら、ヒョンな所からこの落款が出てきたことがあった。
ところがまたしばらくするうちに見えなくなってしまった。
落款を入れる紙箱も、置く場所も決まっているのに、なぜか「欅窯」の落款だけが二度も行方不明になったのは、実に妙なことである。
落款にも意志があって、世に出ることを嫌っているかのようである。

 というわけで、この鉢を買ってしまった。
我ながら、納品に行って自分の旧作を買うというのも、変な話だと思う。
やはり自分は半分趣味の鉢作りなんだと改めて思う。
女房も、この鉢に若さを見たようで、喜んでいる。



      










2014.1.5記


形見の予約

 

 正月早々縁起でもないと思われるかもしれないが、「冥途の旅の一里塚」という狂歌もある、ということでご勘弁願いたい。
終活というのが流行りだそうだが、70を過ぎると頭の隅でいつも自分なりの始末のつけ方を考えるのが習慣になる。

 発端は、一昨年のことである。下の孫が泊りに来たときに、どういう流れだったか忘れたが、いくつかの虫籠を見せた。
そのときに孫が、青磁で蓋のつまみが兎の一点が一番好きといったので、それじゃぁそれをジイジの形見にしようということになった。
喜んだ孫は、家に帰って「ジイジが死んだらもらうのを決めてきちゃた」といったとか、娘の電話で聞いた。

10年程前の一時期、自ら虫籠作家というくらい、虫籠作りに夢中になった。その中で鈴虫を飼ったこともある。
10数点作ったところで、つき物が落ちたように急に気持ちが冷めて、以来手を染めていない。
多分これからも手掛けないと思う(隠居できたら再びその気になるかもしれないが)。

 話は戻るが、ひとりだけにあげるというのもまずいので、上の孫と娘、息子にも、好きな虫籠を選ばせて形見の予約を受けることにした。
蘭鉢には関心が薄いので、虫籠の方が喜ばれ、大切にしてくれると思ったからだ。

 今年の正月2日、家族が集まったときに、手元に残っている虫籠を並べ、どのように配分するかを、子供孫に任せた。
心配したように揉めることもなく、銘々の希望が重ならずに、すんなりと決まった。

 娘と息子は瑠璃釉の蜻蛉のつまみを選んだ。
上の孫は気に入ったリスのつまみの虫籠に決まって喜んでいた。
私が、「売っちゃ駄目だよ」とからかうと、「わかってるよ」。
ところが意外な方向から、「よっぽど困ったら、売るかもしれません」という声が。
息子の嫁である。飾りっ気のない嫁である。敵は本能寺・・・



        


        









2014.1.3記


元日


 暮れは正月の準備にあわただしく、その上1年の締めくくりを迫られるような気分になって、何かと心落ち着かない。
そういう気分が面白くなく、「暦の上だけのこと、いつもと変わらない」と、ささやかな抵抗を試みる。

 ところが一夜明け、女房と新年の挨拶を交わし、朝から少しばかりの酒を口にして、雑煮で年明けを祝うと、すっかり気分は暦に支配されている。
長い間に民族の心に染みついた、季節の習慣にかかわる心情に抵抗することはないと知る。

 暖かくおだやかな日和に誘われて、井の頭公園を散歩した。
足の衰えを防ぐためということもないので、のんびり、ブラブラと。
井の頭弁財天は、参拝する順を待つ人に長い列であるが、正月のこととてみなイラつくこともなく、穏やかな表情に見えた。
行列ができるのは、武蔵野吉祥七福神というのが定められてからのことのようだ。
神様の繁盛も販促しだいということか。

 池畔のメタセコイヤに、傾きかけた日が映えて美しかった。

 帰りに通った裏道で、実の落ちた柿の木で、ヘタを齧っているインコ1羽に目がとまった。
吉祥寺の街路樹にセキセイインコの小さな群れを見たことがあるが、これはもっと大きい。
ヒヨドリ位の大きさか。見慣れない鳥をみるのは、何か良い兆しのような明るい気持ちになるが、外来の鳥の野生化は素直に喜べなくて困る。
このインコの無事を願うのは、よくないんだろうなぁ。


           湖畔のメタセコイヤ                               インコ