けやきのつぶやき

                   

草土庵主のブログ

   草と土を友として    
   蘭 人 一 如   



2013.12.29記


年末に



 今年も1年間欅窯のホームページをご覧いただき、ありがとうございました。
一昨年立ち上げてから2年半、アクセス数も2万の近くなりました。
この間多くの方々に欅鉢をお買い上げいただき、本当にありがとうございました。

 私の鉢を喜んで使って下さる方々がおられるということが、私の仕事を支えてくださいます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 この1年間を振り返ると、変な言い方であるが、退歩60.5%、進歩30.5%という気がする。
退歩と進歩は別な所で起こっているので、相殺するという訳には行かない。


相変わらず物忘れや勘違い、些細な間違いを多発しているが、この傾向は今年1年の間に更に進行の度を増しているということを認めざるを得ない。
加速度的にとか、坂道を転げ落ちるようにとかいう感じである。
しかしこれは同年代のひとの誰もが大差ないということを知っているので、別に異常なことではない。
まあ普通のこととして、自覚があれば大丈夫と、逆らわずに受け入れるより仕方ない。
「物忘れを防ぐ方法」などという文字が目に入るが、そういうことを試みる気はまったくない。
面倒なことには手を出したくない(仕事は別である)。ただ、仕事上のミスが増えるのが困る。
手間暇かけて焼き上がったら、文様の線が1ヶ所抜けていたというような。
完成するまでに少なくとも5回はチェックしているのにである。

 関心事も年々狭まり、いろいろなこだわりも薄らいでゆくように思える。
若い時のようにあっちも、こっちもということができなくなっている。
よく長年やってきた趣味への関心が薄れてきたら危ないということを聞く。本当にそうであろうか。
趣味を生活の中心に据えているひとの場合は、そうかもしれない。

 要するに年がいくと関心事を収める脳の容量が段々小さくなるのだろう。
私の場合、いま一番の関心事は仕事である。私の鉢を待ってくれている方々に、今までにない新しい鉢を提供したい。
体が動く間に、やり残したことをやり遂げて、自分の生きた証を少しでも多く残したいという願望が強い。
関心事を収める容量が年々小さくなるから、相対的に仕事以外のことが占められるスペースは圧迫されて小さくなり、はみ出すことになる。
そういう感じである。

  過ぎたことに関する記憶能力は落ちる一方である。
ニワトリは3歩歩くと忘れるとかで、頭の悪い生き物の代表のようにいわれるが、こちらは2歩半で放念が普通で、この点に関してはいまやニワトリ以下である。
幸い前向きのことに関してはあまり衰えていないように思えるのが救いである。
突然何の脈絡もなく、新しい透かしの図柄が浮かんだりして、創作意欲を刺激される。
しかし、それが過去のことになるとスルリと抜け落ちて、「あれ?何だったっけ」ということになるので、思いついたらすぐに書き留めることにしている。
そのために、スケッチブックと筆ペンは、常に目の前に置いておく。


 今年は週休2日制を堅持し、最近は終業時間も1時間短縮して、4時までとして、頑張らないことを旨とするよう心がけている。
長年日曜祭日も関係なく、明るい間は仕事場に座っているという生活をして来た私には、画期的な進歩?である。
しかし、2日の休日は、何だかんだと埋まってしまうことが多い(主としてラン関係のことで)。

 そこで来年からは、そういう時には振替休日を採ろうかと考えている。
実質週休2日をとると、週に3日仕事を休むことが多くなるだろう。はたしてそううまく行くだろうか。

 現在受注残が50点ほどになっている。註文をいただくと、断るということができないので、いつできるという見通しもないままにお引き受けしているうちに、こういうことになった。
前にもここに書いたように思うが、私の仕事は月産5~6点である。その計算でいくと、これを消化するだけで1年近くかかってしまう。
再来年は個展を計画しているので、来年はそちらの準備にかなり時間を割かなくてはならない。
ネットショップも、あまり間を空けずに更新しなくてはいけない。
どうしたらよいものだろう。考えても仕方ない。
嬉しい悲鳴をあげている間が華ということで、なるようになる、ならないことはならないと思い定め、焦らずに行こう。

 10月3日ブログの写真のキノコは「オニシロタケ」という毒キノコだということを、読者が教えてくれました。
見るからに妖しい感じでしたがやっぱり。

 今年も途切れがちなブログを読んでくださり、ありがとうございました。
来年もこんな調子になると思いますが、よろしくお付き合い願います。

 みなさま良いお年をお迎えください。


    最近思い浮かんだ文様。

  
   

           富貴蘭透かし鉢 


   
           女房のアイデアを採用









2013.12.6記


ヤマイモ


 11月24日のブログ「ささやかな秋」のその後である。

 ヤマイモの葉が落ち、茎も枯れたので、時機到来と掘りにかかったが、ハナミズキの根の間から生えていて、移植ごてが入らない。
太い根を2、3本元から切れば掘れないこともなさそうだが、そうすると、強風のときにヤマボウシが倒れるかもしれない。
ランの棚にでも倒れ掛かったらやっかいである。ヤマイモの収穫は断念した。

 そのかわりに、落ち葉を掃除したらまた多量のムカゴが拾えた。今年は3回ムカゴご飯ができて、女房はご満悦である。

 ヤマイモといえば、所帯を持ったころの、貧しくも面白かったことを思い出す。
最初に住んだのは戦前に建った、トイレ(もちろんポットン式)と台所が共用のおんぼろ屋の、6畳一間。
そういう所で新婚生活をスタートするというのは、今では考えられないだろうが(多分当時でも)、そこで2年間過ごし、長女が生まれた。

 向かいの2部屋の若い独身男女は、台所を使わなかったが、2間に5人で住んでいた、大工のかみさんは油断がならないひとで、度々うちの調味料をくすねていた。
おっとりものの女房がそれに気づいたのは、だいぶ日がたってからであった

 あるとき女房が、お米はあるが菜にするものが何もないという。
東側の畑との境のサワラの垣根に、ヤマイモのつるがからんでいることに気づいていたので、それではと掘ってみた。
ヤマイモのうまい季節ではなかったが、そんなことは言っていられない。

邪魔なサワラの根は切断して、地に這いつくばり、肩まで穴に突っ込んで結構な長さのヤマイモを掘り出した。女房に見せると、大変な喜びようである。
早速すりおろして、ご飯にかけた。時季外れに掘った、ズルズルに水っぽいトロロであったが、女房は、「おいしいねと言って食べた。

それからは、垣根のヤマイモが我が家の緊急食となったことはいうまでもない。
あらかた掘り取ってしまってから、垣根が枯れてきたが、知らん顔で通した。
かぐや姫の「神田川」のドーナツ盤レコードを、ふたりで繰り返し聞いたのも、その頃である。

 結婚したころの私は、現金も貯金もなし。その部屋に持ち込んだのは、本とレコードとコロンビアの安物のステレオプレイヤーだけであった。
女房が持参したお金は瞬く間に使い果たし、新婚旅行も」「そのうちね」で終わった。
女房の持ち物で、時計、アクセサリーなどの金目のものは、かならず出してあげるからと言って、質屋へ片道行となった。

私のバイトの給料は週給5000円、日曜払いで、次の日曜には現金ゼロ、女房は腹を空かせて私の帰りを待ち、ラーメン屋に直行ということもあった。

定職もない。先の見通しもない。夢を思い描くこともできず、ただ漠然と自分らしい生き方を模索していた24歳であった。

ないない尽くしの0からのスタートあったが、女房は「今日食べる米がない」という生活に強く憧れていたという、妙に楽天的な変な女性であったから、
私は女房に理想的な生活を経験させた、理想的な亭主であったというわけだ。


結婚と同時に、会社辞めてきたと言って、私をあわてさせたのも、憧れの生活を実現するためであったのかもしれないと、今にして思う。

その後も、どんなに困窮しても、女房は働くとは言わなかったし、私も求めたことはない。
生活の安定より、親子身を寄せ合って暮らすことを選んだわけで、今の我が家の家族関係を考えれば、それが正しい選択であったと思う。
そして、子供がそういう家庭環境で育ったことが、今の孫たちとの心通い合う、良好な関係にもつながっているのであろう。


      拾い集めたムカゴ。大きいのは3㎝以上。ランの肥料がムカゴにも効いている?

         










2013.11.24記


ささやかな秋


 どちらかというと桜より紅葉が好きであるが、なかなかよい時期によい場所に行かれない。
行こうと思えば障害は何もないのだが、その気になればいつでも行けると思って、そのままになってしまう。
というわけで、猫の額ほどの我が家の庭の木で、ささやかな秋の気分に浸っているこの頃である。

 紅葉しているのは、月並みだがここに移ってきたころに植えたハナミズキで、これにもフウラン、セッコクがついている。
黄色い葉はヤマイモである。
ヤマイモは勝手に生えてきたものであるが、女房がムカゴができるのを喜ぶので、抜かずにおいたら、我が物顔にはびこってしまった。
ムカゴは買えばよいと思うのだが、自分の家で採れるというのは、また別の楽しみらしい。
毎年秋にムカゴご飯を炊くのが恒例となっているが、そこいらじゅうから(ランの鉢にも)やたらにヤマイモが生えるのには閉口である。

 茎の太さが小指ほどになり、さぞ大きな芋ができているだろうというと、ムカゴより芋の魅力に負けたのか、掘ってもよいという許しが出た。
そろそろ好機であるが、どんな芋が採れるだろうか。



     



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2013.11.9記


蔵の街 栃木



 古い家や町並みが好きなので、蔵の街を売りにしている栃木に行ってみたいと思っていた。
やっと念願がかない、ウィークデーに1泊で出かけた。


 栃木市は日本で唯一県名と同じ名でありながら、県庁所在地ではないという、不思議なところである。
テレビで得た知識では、その昔東北本線ができるとき、地元が鉄道の敷設と駅の設置に反対したため、時代に取り残されて、次第にさびれ、宇都宮に県庁所在地の名誉を奪われたという。
行ってみて、地元の人に聞いても同じことを言っていたから、これは本当のことだろう。
ところが、なぜ反対したのか、それは伝わっていないらしい。

 しかし、そのために古い蔵造りの家が多数残り、今では観光資源となっているのだから、何が幸いするか分からない。
と言っても、町中が昔のままと思った訳ではない。
ごく限られた保存地区だけに古い家並みが残っているという、観光地にありがちな風景ということはないだろうという期待は、裏切られなかった。

 川越も倉敷も、あまりしっくりこなかったのは、そこが観光客だけのための場所であったからだ。
たとえそこで暮らしている人がいても、一般市民とは切り離された特殊な一画で、生活感は感じられない。

 栃木は、観光地と言っても、穴場的な存在で、旅行案内書にも簡単に1ページが割かれているに過ぎない。

 メインストリートの蔵の街通りは、ごく普通の地方都市のそこここに、古い蔵造りの家が散りばめられているという感じで、特定の地域だけに古民家が集中しているわけではない。
ビルとビルの間に1軒はさまっていたり、2、3軒連なっていたり、新旧のパッチワークのようである。
それが、この町の成り立ちと、歴史を想像させて楽しい。

 何より好ましく、そして不思議に思ったことは、観光施設の中を除いては、お土産屋というものが目につかない。
ほとんどが当地産でない民芸品などを並べた、同じような店がぞろぞろあるのは興ざめである。
土産物店がないのは、意図的なのか、それとも土産物店が成り立つだけの観光客が来ないのか。
判断しにくいが、ウィークデイとはいえ、私たちが行った時の閑散とした様子では、後者が理由かもしれない。

 八百屋であったり、洋裁店であったり、呉服屋、紙屋、書店、また新聞社の支局など、すべて市民の生活に密着している古民家である。
裏通りに入っても同じである。

 街が観光地客を受け入れるために、手を加えたという感じは薄く、普通の生活をしている蔵の街を、見たければどうぞという感覚である。
これは市または市民の方針なのだろうか。そうだとすれば大変な見識というべきであろうと部外者は考える。

 宿は中心地から離れた、柏倉温泉太子館を予約した。山裾の一軒宿で、周辺は畑だけの静かな地である。
広い敷地を持ち、部屋はすべて離れである。代々尊崇しているという、聖徳太子を祀ったお堂がある。
お堂は、急こう配の石段の遥か上にあり、お参りは下の小堂ですませた。
源泉は宿の持ち山から湧き出ており、大正時代に温泉宿として、一般に開放したとか。

 この宿のことに触れるのは、今まで経験したことのない、もてなしの心を感じたからで、特別のつながりがあるわけではない。
部屋に運ばれた夕食は、どちらかというとさっぱり系で、高齢者向きか。献立書きが宿泊者の名前入りというのも芸がこまかい。
鍋の里芋とネギは逸品で、初めて里芋を心底うまいと感じた。
仕上げの蕎麦もほのかな甘味を感じる極上の手打ちで、昼に蕎麦を食べた腹にもすんなりおさまった。
いずれも宿の畑で作ったものという。


 連泊でもないのにバスタオルの替えが出たのも初めてのこと、最後に女将のメッセージつきの夜食で締めくくられた。
全部で10室だからできる、行き届いたサービスであろう。女房もすっかり気に入り、来年は蛍の季節に来たいと言う。

 翌日は、北エリアの代官屋敷、岡田記念館を訪れた。
明治時代に当主の別荘としてたてられた翁島(有形登録文化財)は、選りすぐりの材と、優れた匠の技で贅を尽くした建物である。
といっても華美な訳ではない。ヒノキは木曽産、3尺幅長さ6間半の廊下は、厚さ1寸(3センチ)の欅の一枚板に漆塗。
屋久杉の天井板、紅葉の一枚板の床の間、1間のもの入れの引き違い戸は、柾目の1枚板(何の木かは忘れたが、直径2メートルほどの木でないと取れない)など、
今では金を掛けても建てられない作りである。
他の見学者もなく、説明付でゆっくりと時間を掛けて見られ、大満足であった。
予定していた大平山は割愛し、のんびりと駅まで歩いて帰途についた。



     幸来川                    ビルの間の古民家                     八百屋も不動産屋も蔵造り
               




        野菜とタネの店                             代官屋敷翁島                 翁島 電気の笠の飾り
               











2013.10.30記


トルコアイス


 二人の孫が通っている美校の学園祭に行った際、トルコアイスの出張販売車が出ていた。
若い女性ばかりの列に加わるのは、いささか気おくれしたが、この年になると恥ずかしさにも鈍感になる。

 別にアイスが食べたかったわけではない。
体を冷やさないよう心がけるようになり、冷たいものは敬遠することが多くなっている。
真夏でもビールは乾杯だけにしている。

 それでも敢えて列の後尾についたのは、トルコアイスには前々から関心があり、一度経験してみたかったからだ。
ひとつには、トルコアイスは強い粘りがあり、引っ張ると両手を広げるほどにも伸びて、縄跳びをすることもできるという話の真偽を確かめたかったこと。
もうひとつは、トルコアイスには、オルキスという野生ランの球根が入っているという点に強い関心を持っていたからだ。

 トルコでは、若い女性のみならず、年配のおじさんたちもよくこれを食べるという。
そのわけは、古来オルキスには、強精効果があると信じられているからだ。
念のために言っておくが、私はそちらに期待した訳ではない。
効果のほどは疑わしいが、いずれにしても1回食べただけではどうということもないであろう。

 なぜそのようなことが信じられているのか。オルキスは、オーキッドの名のもとになったラテン語であり、もともとは男性の睾丸を意味する言葉である。
オルキスの地下部には二つの球根があることからの連想で、この仲間のランに、オルキスの名が与えられた訳である。そこから、強精信仰が生まれたらしい。

 日本のウチョウランやハクサンチドリもこの仲間に入れることができる(分類法によるが)
ただし日本では、これらのランの球根に強精効果があるという言い伝えはないということを、念のためつけ加えておく。
エビネやシンビジウムから作った育毛剤があるから、そのうちオルキスのエキス入りの強精剤が出ないとはかぎらないが。

 上記のトルコアイスに関することは、「ラン熱中症 愛しすぎる人たち」(エリック ハンセン NHK出版)という本から得た知識である。
ランに狂うと、人はどういう行動をとるかという話は、読み物としてもとてもおもしろい。
ランまたはオタクといわれる人種に興味がある方には、ぜひ一読をお薦めしたい。

 問題のトルコアイスであるが、食感はヤマイモのようであり、多少の粘りはあったが、ネズミでも縄跳びはできそうにない。
国内で作られたものであるから、多分オルキスは入っていないのであろう。
本場トルコに行かないと、縄跳び云々の真偽は確かめられないようだ。


         












2013.10.26記


桜(ハベナリア交配種)


 昨年の12月、ラン・ユリ部会の分譲で、H.ロードケイラ×H.メディウサを、2球入手した。
会員のSさんが、無菌培養し、寄贈されたものである。
同じ交配種が「桜」という名で流通している。

 両親は東南アジアのランである。
Sさんのアドバイスに従い、冬の間は温室内で乾き気味に保ち、暖かくなって外に出してから、通常に灌水。
なかなか葉が出なくて気を揉んだが、夏に生長し、秋に多数のつぼみをつけた花茎が上がってきた。
10月に入ってから美しいピンクの、サギソウに似た花を開いた。
ロードケイラからは花色を、メディウサ~は唇弁の切れ込みを、両親の美点を受け継いだ、出来の良い子供である。

 開花期間は長く、現在もまだ花茎上部はつぼみで、野生ランの花の乏しい時季に楽しめる。
外国産のランにはなるべく手を出さない方針であるが、これは我が家に定着しそうである。

 若いころ、花色華やかなサギソウの仲間ということで、ロードケイラが流行ったことがあり、オレンジ、ピンク、黄色の3タイプを何度か購入したが、いずれも失敗した。
後で、原産地は冬は乾季で、冬季に水を切らなかったために腐ったことが原因と分かったが、再度挑戦する気は失せていた。

 サギソウと交配して、赤いサギソウを作ったこともあるが、1回花を見て枯らしてしまい、これはいまだに惜しかったという思いがある。

 「桜」という名は、花色からの連想と思われるが、ちょっと安直に過ぎるような気がして、今一つなじめないが、既成事実となってしまったので仕方ない。



      
 
                                                                          


       
            ハベナリア メデュウサ










2013.10.13記


鉢の所有権


 自然と野生ラン誌11月号が、9月に世田谷すずき園芸で開かれた「欅窯優品展」をカラー2ページで取り上げてくれた。

 女房に所有権のある、富貴蘭鉢2点も載り、ご本人はご満悦である。
我が家ではランのもそうであるが、鉢もそれぞれ所有権が厳密に分かれている。
といっても、鉢に関しては、大半は少々難ありで、商品にならないものとか、焼き上がりがイメージと違って、作者の気に入らないものとかである。
中にはえらく気に入った様子なので、所有権移転した完品もないわけではないが。

窯から出たときに気に入らなくても、時間がたつにつれて、悪くないなと思えてくることもある。
当初のイメージが薄れてきたころに、飾られているのを見たときにそんな気分になることがある。

 そういう私の気配を察知すると、いち早く女房は「返さないからね」と宣言する。
というのも、もうずいぶん昔のことであるが、女房にあげた豆透かし鉢を、「また作ってあげるから」と言って、売ってしまったことがあるからだ。

 つい最近、やっと約束を果たしたが、それまでの15年位ずっと責められていた。
そんなことがあったので、鉢の所有権帰属については非常にきびしくなった。
誰にねだられても、気に入っている鉢は絶対に手放さない。
お客も、
「女房のもの」というと、諦めるのも面白い。


             黒釉黄磁浮彫麻の葉文鉢                         染付銀彩麻の葉文鉢

                 











2013.10.12記


意外にしっかりもの?


 上の孫と、12チャンネルの「何でも鑑定団」を見ていたときのこと。

私「うちにはこういうお宝はないなー」

孫「そうなの」

私「○子がもっと大人になる頃は(成人式も過ぎているのだが爺から見ればまだ子供)ジイジの鉢も、値打ちが出るかもしれないよ」

孫「ふーん。そしたら売っていいの?」

私「・・・・・(-_-;)










2013.10.10記


ニオイラン


 ニオイランについては一昨年のブログで書いたことがあるが、台湾産の着生ランで、今年も元気に花をつけている。

 午後になると、柑橘系のような香りがほのかに立つ。
日本には芳香が特徴的な(しかも花も美しい)ランが、いろいろあるので、この程度で名前にするほどのことはないと感じる。
台湾にも香りのよいランが多数あると思うが、ニオイランが芳香のランの代表とされるからには、かの国ではもっと強い香りをはなつのであろう。

  昨年11月に、ラン・ユリ部会の無菌培養担当者に乞われて授粉し、2個のさくが膨らんでいるが間もなく1年になる今も、完熟には至っていない。
長いこと大きな子供を抱えているが、親は負担に感じている風はまったくない。
タフで、作りやすい着生ランである。



                  










2013.10.3記


どうということはないけれど


 9月末に埼玉県某所に、ランの保全活動に行ったときに出会った1シーンである。
真っ白なキノコの天辺に鎮座しているドングリの様が、妙おかしくて一同レンズを向けた。もちろんヤラセではない。
なんという名のキノコかは知らない。
どうということはないけれど、道端で拾った秋の寸景である。



           









2013.10.2記


長生蘭「七変化」


 有名品種でもないし、珍しいというものでもなく、長生蘭の中でもあまり注目されないものであろう。
その由来もはっきりせず、産地も明確でないようだ。

 芸は白散り斑縞ということになっているが、年によって、覆輪の芽が出たり、中透けに変わったりで、一つの株に3つのタイプの斑が混在するという変わった性質をもつ。
正に変幻自在という感じで、これが品種名の由来であろう。

 白覆輪や黄覆輪に固まることもあり、白中透け飴矢に固定すれば、「壺天錦」に出世する。

我が家に居ついていてから10年余りを経ても、未だに斑柄が定まらず、相変わらずあれこれ気ままに変化を続けている。

 どういう気まぐれか、今年の新子に今までに見ない斑が現れた。
3色斑の中透けである。
1枚の葉に3色が同時に出るのを3色斑というが、この場合、紺地()と白に加えて、黄に近い明るい萌黄を交えており、非常に美しく、鑑賞価値も高いと思っている。


 資料を調べてみても、「七変化」の3色斑に触れたものは見当たらない。
長生蘭に限らず、野生ラン全体を見渡してみても、3色斑という芸は相当出現率が低く、かなり稀なものである。

 長生蘭を作っていると、しばしば芽変わりによる斑の変化を経験するが、これほど劇的な?変身は我が棚では初めてである。
この斑が固定して、新品種誕生となることを念じつつ、今後を見守りたいが、一抹の不安もある。
何しろ、名前が名前であるから、どう転ぶやら。



          
  











2013.9.23記


誰が悪い? アゲハ幼虫の悲劇


 数日前のこと。窯場入口わきに植えてある山椒が、丸坊主になっていた。
2日前までは葉が茂っていたことを覚えている。てっぺんの葉がちょっとだけ無くなっていたのは気づいていた。
アゲハが産卵したのかと思ったが、その後変化がないので、幼虫が育たなかったのかと思っていた。

 それが、ちょっと目を離している隙に、1枚残さず葉が食い尽くされており、幼虫の姿も見えない。
山椒の葉を食った幼虫を憎いと思っているわけではない。幼虫の急激な食欲の増強に驚いただけである。

女房は私が異変に気付く前日に見ており、そのときは、小指大の幼虫が1匹いたという。
まだ小さな木なので、食べ盛りになって、モリモリ食いまくっているうちに、身を隠す術がなくなったのであろう。
葉にまぎれるために、体を緑色にしている擬態も、こうなっては功を奏さない。
捕食者から丸見えの丸裸になって、鳥の胃袋に納まったのであろう。
対面したことはないが、袖すり合うも他生の縁、短い間とはいえ、我が家の一隅に寄食していた客人であるから、
短命に終わったこの幼虫に「ゲハちゃん」という追号をあたえたいと思う。

 さてこの場合、アゲハ幼虫ゲハちゃんの死の責任は何処にあるのだろうか。ゲハちゃんは育つためには食わなければならない。
本能に従って食い続けたのであって、その結果については予測不能である。
従って、身から出た錆と決めつけるのは酷である。

 ゲハちゃんが蛹になるまでの食糧が保障されているか否かを、見極めずに産卵した母親チョウの責任を問うべきか?
親蝶には産卵するに適した食草を選ぶ能力は生まれながらに身についているが、産卵場所がゲハちゃんが育つに十分な量の葉があるか否かを推し量る能力は持っていない。
人の社会でも、事前に結果を推測することが不能の出来事については、当事者はその責任を免れるから、この場合親蝶の責任を問うこともできない。

 ゲハちゃんは、身の不運と思ってあきらめるよりしかたないということになるのか。
せめて鳥の生命を支える一端になったということを以て、瞑すべきである。

 ゲハちゃんが天寿を全うするチャンスはなかったのか。
私がもう1日早く気づいていれば、この時点でのゲハちゃんの死を防げたかもしれない。
と言っても、私はゲハちゃんの存在そのものを知らなかったのだから、彼の落命に関して責任は負えない。

子供の頃にやったように、ゲハちゃんが蛹になるまで、他家の山椒の葉を失敬してきて、飼育するということも可能ではあった。
そうなっていたら、目出度し目出度しということになるかとうと、ことはそう単純ではない。

 他家の山椒の葉を勝手に取ってくるということは、法的には軽微とは言え器物破損または窃盗罪になるのではないか。
その家の敷地の境界から、枝が道路にはみだしていたとしても、所有権はその家の主に属しているから、勝手に取る事は許されない。
事前に断わりを言えばよいのだが、見ず知らずの家を訪ねて、いきさつを説明するのも億劫である。

ゲハちゃんをつまんで行って、他家の山椒の木に、何食わぬ顔で置いてくるという手も考えられる。
この場合私の行為は、器物破損幇助(そんな罪があるだろうか?)ということになるだろうか。
主犯はゲハちゃんであるが、虫に責任は問えないから、やはり私が責を負うことになるのだろうか。

ゲハちゃんの死に関して、誰が悪かったのか、考え出すとなかなか厄介な問題である。
やはり、ゲハちゃんは運が悪かったということでケリにしたい。

 
         











2013.9.19記


房総のハチジョウシュスラン


 以前にラン・ユリ部会の友人からもらった、ハチジョウシュスランが咲いた。
名前の通り、八丈島をはじめ、伊豆諸島に広く分布しているシュスランの仲間のランである。
個体数は多く、分布域内では林内のいたるところで目につき、珍しいものではない。

 にもかかわらず、ここで取り上げたのは、伊豆の島嶼ではなく、千葉県房総で見つかった個体であるという点に注目しているからである。

 もともとこの種は、本州には分布していない。
伊豆大島にもごく普通のランであるから、ホコリのような微細なタネが風に乗って、それこそ無数に飛来してきていることは間違いない。
それでも本州にまで分布域を広げることができなかったのは、冬の寒さが障害となり、根付くことができなかったからである。

 最近になって、神奈川県や、千葉県で、ハチジョウシュスラン発見の報が聞かれるようになった。
温暖化が、ハチジョウシュスランの本州での生育の壁を取り払ったからとみて間違いないであろう。
今後千葉、神奈川、静岡から発見例が続くことであろう。
まだ知られていないが、伊豆半島には、すでにかなりの数のハチジョウシュスランが、ひそかに隠れ住んでいるかもしれない。
あるいは、地元では見慣れないシュスランがあると、一部の植物好きの人たちの間で、話題になっているかも知れない。
そして、何十年か後に出版される、植物図鑑では、ハチジョウシュスランの分布は、「伊豆諸島及び関東・中部地方南部」となっているかもしれない。

 いうまでもなく、この分布域拡大が温暖化の影響ということならば、人為の影響ということになる。
目的は何であれ、(動機が善意であっても)他地域の植物を山野に植え込むことは、厳に戒められている。
人為による分布の乱れや、同一種であっても、地域ごとに異なる遺伝子の乱れを引き起こすからだ。

 ところが温暖化という、間接的な人為による分布の乱れは、打つ手がないままに進行、拡大してゆく。
ランのタネは、数100キロメートルは、軽く移動するものであるから。
そして、多分既成事実を追認してゆくことになるのであろう。

 一方、温暖化が人の経済活動に起因するものだということが、科学的に証明されていない、あるいは、地球の長期的な自然な気温変化であるという意見もある。

 結論が出ないままに、ランたちは、人間をうまく利用して分布、個体数を拡大し、人による自生地破壊の埋め合わせをしているのかもしれない。
ランの種が減少する流れを阻止する手立ては今のところないが、せめて数字の上での帳尻合わせをたくらんでいるのであろう。
何せ、ランは知能的な植物であるから。



       











2013.9.16記


台風


 16日は休日でもあり、このところ体を休める日がなかったので、世間並みに休養日と決めていた。

 寝坊して起きると、予報通りに風雨が激しい。前日夕方に危ないと思われる鉢は全て移動しておいたが、気になって見回り。
いくつかの鉢が転がったくらいで、被害はない。

 幸いここ三鷹は平地であるから土砂崩れの恐れはないし、水害の心配もない。
各地の被害の状況を
TVで見るにつけ、台風で心配なのは、ランだけというのは、申し訳ないような気になるが、こればかりはどうにもならない。

 子供のころ、台風が接近すると、おとなたちが雨戸を釘づけにしたり、雨漏りに備えたり、あわただしい空気になる。
そんな非日常的な気配に、妙に興奮し、何かすごいことが起きることに期待したりしたことを思い出す。
何事もなく過ぎると、ちょっと落胆したものだ。

 もうひとつ記憶に鮮やかなのは、台風が過ぎた後の抜けるような青空である。
「台風一過」という言葉を絵にすれば、あのどこまでも澄み切った紺碧の空であろう。

 どうも最近は台風一過もすっきりしないように思える。メリハリがないというか、切れが悪いというか。
今日も台風が過ぎ去って、穏やかさが戻っても、西の空に厚い灰色の雲がわだかまっていた。
夕方になると、その雲が茜色に染まり、しばし目の保養をさせてくれた。



              











2013.9.15記


サギソウ飛翔


 あるランの会の総会で、白骨温泉に行った。
温泉は私の好みの白く濁ったぬるい湯で、大いに気に入った。

 翌日乗鞍岳で自生地見学をする予定であったが、土砂降りの雨で断念、松本に下った。
途中別の温泉に立ち寄り、昼湯につかって、昼食をとった。

 松本に入ると山草店の看板、この看板を見ては素通りできない一同は車を降りる。
サギソウ「飛翔」の鉢が目についた。
ちょうど花盛りで、なかなかよくできている。
しかも10本入って1500円は安い。1本当たり150円だ。
同じものが道の駅でも売られていた。
どちらでも、「サギソウ八重咲き」と表示されていたのは少々気になったが(正しくは獅子咲き)
このように多数増殖されて、健全株が安価に流通していることは、「飛翔」の名付け親としては喜ばしい。

1985年、「野生ラン変異事典」(栃の葉書房)の表紙に載せるにあたって、無銘で出すには惜しい逸材と思い命名した。
その後「サギソウの花変わりのなかで、もっとも美しい変異個体」として注目され、一気にひろまった。

 ところが恥ずかしながら、どういう訳か我が家では「飛翔」が中々うまくできない。
何度となく手掛けているが、消えてしまう。仲間たちは上手に作っているから、特に弱いということはないであろう。
相性が悪いのか?それとも「飛翔」は電磁波が嫌い?(我が家の作場の真上に高圧送電線が通っている)
可愛い「飛翔」をたくさん増やしして、にぎやかに咲かせたいものだが、この願望はいまだ叶えられない。

というわけで、ここで出会ったのがランの神様の引き合わせと、また手を出してしまった。
今度失敗したら諦めるつもりであるが、どうなることか。

 



      
 
       入手した「飛翔」                  側花片が唇弁化して、がく片が白くなるのが特徴




      
  この時に唯一観察できた開花中のラン、ミヤマモジズリ











2013.9.14記


ヨーク大聖堂の格子文様


 10年前のことである。前年の王立園芸協会での展示が、年間最優秀賞に選ばれ、女房とともに授賞式に出席した。

 その翌日に、中世の城壁や聖堂が保存されている、古都ヨークを訪れた。
ロンドンからバスで行ったのだが、この時にはじめて、イギリスでは長距離乗り合い自動車を、バスと言わずにコーチ(coach)ということを知った。
現代版駅馬車である。

 このときの行き帰りに、若い恋人たちのちょっとしたドラマを目撃したが、本題とは関係ないので、割愛する。

 ヨークの大聖堂を見学した。壮大な石作りの建築物である。
街中どこからでも見えるので、これを目印にすれば観光客が方向を失うことがない。
建築時1階であったところが、その後建物の重みで徐々に沈み、現在は地下1階になっているというのも驚きである。
直下から見上げれば、首が痛くなるほど仰向かねばならない建築物が、少しの傾きもなく、均等に沈下したというのも、最初から想定済みの設計なのだろう。

 聖堂の回廊で、おもしろい文様の鉄格子が目についた。富貴蘭透かし鉢に使えると思って写真にとった。
イギリスではこういう場所が撮影自由なので、ありがたい。
大英博物館でも同じで、撮影禁止の札に慣れている我々には意外な感がする。

 その後写真をながめて、透かし鉢に活用しようとしたが、これが単純なように見えて、なかなか厄介な文様であることがわかった。
何度となくノートに描いてみたが、どうもしっくりと収まらない。
それがあるときふと、全体のつながりが見えて、同時に手順もつかめて、やっと取り掛かることができた。

文章は頭の中でも作れるが、文様は描いてみなければ進展がない。
それも、うまくいかないときに、いつまでも食いついているより、駄目な時はあきらめて、間をおいて何度もやってみると、
突然光が射すものだということを、改めて実感した。

 初めての文様を透かす時はいつもそうであるが、何度も磁土を足したり削ったり、修正を繰り返して、やっと素地が仕上がり、9月10日無事焼き上がった。
10年ぶりに日の目を見たヨーク大聖堂の格子文様である。

続けてもう1つ2つ作れば、もっと要領が呑み込めて、やりやすくなりことは分かっているのだが、
やりたいこと、やらなければならないことが多すぎて、まだ2作目に手を付けられないでいる。



       

       ヨーク大聖堂の鉄格子             9月10日の窯出しの一部 



        

               大聖堂格子文の透かし鉢











2013.9.14記


旧作鉢展について


 13日まで、世田谷すずき園芸で、「欅鉢優品展」という展示を行っていた。
前回2008年に第1回展を行って以来、5年目の開催である。

 「優品展」というと、ちょっとこそばゆい。
古くからのコレクターが、所蔵品の中から、気に入ったものを持ち寄るという、遊び心を感じる展示で、作者としては、嬉しくありがたい企画である。

 一度コレクターの手元に納まると、古い作品は他の人の目に触れる機会がないので
(所有者にとっても、しまいこんだままにになって、こういう機会でないと出すことがないということも)、この展示は人気があるようだ。

 欅鉢の作風の変化や、ランの世界の流行の移り変わりなどが見られて、おもしろい。
が、我ながら下手くそだと認めざるを得ない作、今ならば絶対にこんな形には作らないという鉢もあり、身の縮む思いにとらわれるものもちらほら。
しかしここまで来てしまうと、鉢作りの師を持たぬ身が、試行錯誤手探りで歩んできた道だと思えば、ちょっとした心の乱れをさらさずに見ていることもできる。

 察するに、そういう作品の出品者も、それを十分承知の上で、「でも大事にしているよ」という気持ちを示されているように感じられる。

 中には、今見てもいい線だなあとか、若い時の作で、力がこもっている鉢だというものもある。
忘れていた大鉢に再会して、今ではこれを作る力はないなあと思ったり。

 良いも悪いもいろいろ、今までの私の仕事をそのまま受け入れ、認めてくださるコレクターの優しさに触れた「優品展」であった。

Sさん、ありがとうございました。



         
                 白磁浮彫鉢                   釉裏紅唐草文蘭鉢                  鉄絵唐草文鉢



         
             彫三島薊文六角鉢                            青磁浮彫唐草文蘭鉢                               灰釉蘭鉢 












2013.8.11記


真夏のランたち


 言うまいと 思えど 今日の 暑さかな

あつい!あつい!あつい! 暑さと痛さはどうしても声に出てしまう。
痛さの方は、声に出すといく分気がまぎれるそうだが、暑さは、言えば余計に暑くなるだけ、それでも言ってしまう。 暑い!


 こう暑くては、集中力も続かない。
あと1回電気炉を焼いて、夏休みにしようと思っているが、絵付け、釉掛けがあと少しのところで途切れている。
去年までならば、何が何でも予定を崩さずにやるところだが、今年は少し賢くなって(?)年相応に、無理をしないでいる。

 ランたちもさぞ暑がっているだろうが、寒冷地のランはほとんど無くなっているので、はっきりそれと目に見えるダメージはない。

ユウコクラン

 昨日昼食後に見回りをしたら、コクラン・ユウコクランの類の顔色が悪くなっていた。
昨日までは、緑も濃く、艶やかな葉だったのが、白茶けていた。
高温に加え、やや明るすぎたのがいけなかった。
急いでよしずを1枚増したら、今日は回復傾向が見られ一安心。
この仲間は、光量に対して、非常に敏感なので、少し暗いくらいでちょうどよい。

ナギラン

 サギソウは薬剤散布で、何とか花が見られたが、期待していたナギランの素心がやられた。
いままでナギランの花は、アザミウマの標的になることはあまりなかったが、大好きなサギソウにバリヤーを張られた腹いせにナギランに噛みついたようだ。
敵も結構考えているから容易ではない。

 昨年に続いて、今年もナギラン類の新芽の立ちが悪くない。
昨年は、大半の新芽がすっぽぬけ(新芽の基部が溶けて抜けてしまう病気)になったので、今年は毎日2回の見回りを欠かさないようにして警戒している。
アキザキナギランはすでにかなり生長しており、例年だと病兆が現れる頃である。
警戒警報発令(いかにも古い!)という感じで、ここが正念場。
何とか犠牲者0で乗り切りたい。うまく行った暁には、また報告したい。
うまく行かなくても嘆き節ということになるだろうが

ネバリサギソウ

 台湾のランで、国内ではまだ見つかっていない。
“まだ”というのは、近年南方の島々で次々に台湾のランが見つかって、日本のランとなっているからである。

 寒さに会わせなければ丈夫なランであるが、増殖はあきれる程悪く、30年で2,5倍。のんきなランという感じである。

ミヤマウズラピンク花

葉の手ざわりが、硬く厚く感じられたので、ウズラ斑入りのガクナン(ミヤマウズラに似るが別種。学術的にはまだ認知されていない。普通無地葉)かと思って昨年入手したもの。

その後普通のミヤマウズラということが分かったが、今年薄化粧をした花が咲いた。
淡いピンクのミヤマウズラは、珍品というほどの物でもないが、そうやたらとあるものでもない。
拾いものをした。

徳之島フウランと沖縄フウラン

 種としては本州・九州などのフウランと同一であるから、正しくは徳之島産フウラン、またはフウラン沖縄産と書くべきである。
咲く時期が1カ月程遅いので、園芸的には区別されることがある

 奄美フウランはよく知られるが、沖縄フウランは余り知られていない。
奄美産より全体に大型で、葉も厚くがっしりしており、花も大きい。
奄美よりさらに遅く咲くので、長く楽しめる。

 

(暑さボケで、途中まで書いたままになっていました。時期がずれましたが、書き足して載せることにしました。ごかんべんを。)

 

 

      

      ナギラン素心(無菌培養株)             アザミウマに食害されたナギラン素心


                                                                      

      ネバリサギソウ                                 ネバリサギソウ                                             ミヤマウズラピンク花


         

      徳之島フウラン                                             沖縄フウラン















2013.7.28記


とりどりの記


 前回の更新から1か月半たってしまった。
忘れていたわけではなく、気には掛けていたのだが、手が出せないままに、時が全力疾走で駆け抜けてゆく。

 手が出せなかったのは、相変わらずなんやかや多忙であったのがひとつ。
ことに仕事以外にも、野生ラン保全関係の打ち合わせや作業が詰まっていて、休日がふさがったことがある。

 しかし、忙しくても、気力体力充実のときは、いろいろこなせる。
今年は例年になく、早くから寒蘭鉢にとりかかり、かなりの数を引いた。
寒蘭鉢は力を要するので、その時はできても、後に疲れが残る。疲れを溜めたまま暑さの盛りを迎えたのがいけなかった。
週休2日のリズムも崩れ、決まった時刻前に切り上げてしまうことも。
今までになかったことで、改めて1年の間の体調の変化を思い知らされる。

 頑張る年ではないと言い聞かせていても、調子が出るとやり過ぎてしまい、あとで悔いることになる。
そのうえ、寒蘭鉢はロスが出ることが多いので、疲労感がいっそう深まる。そんなことで、1か月半が過ぎた。
この間、ガス窯を1回、電気炉を2回焼いている。

書こうと思って書けなかったことを、ランダムに記してみたい。
時期を外れたネタもあるが、空白を埋めておかなければという強迫観念から逃れるためである。

 

窯出し1

 6月に焼いた電気炉の作品である。中列右から2番目の透かし鉢は、はじめてやってみた「重ね亀甲輪透かし鉢」である。
やってみると、下に行くほど狭まるため、輪の部分が歪んで、予想以上にてこずった。

 出来上がった見て、ちょっと透かし鉢の部分の面積が多すぎて、水苔が見えすぎるかと危惧したが、
上野グリーンクラブでの富貴蘭展で、展示されているのをみて、気にするほどのこともないと分かり安心した。

食器は教室の作品である。



   
                        

                                     
                                       「重ね亀甲輪透かし鉢
                                          


窯出し2

 7月に焼いたガス窯である。今年になってから、窯の一部が酸化してしまい、焼き損じが出ることがあった。
扉に隙間ができたのかと、それらしいところを、補修材で補ったが、このときも寒蘭鉢2本がロスになった。

 そのかわりという訳でもないが、2年以上前からひきずっていた、ちょっと手のかかる寒蘭鉢がうまく焼き上がって、胸のつかえが取れた気分。
しかし、注文主は、すっかり忘れていたというのも無理のないことである。


             



サギソウ

 サギソウがまともに咲かなくなって久しい。そもそもサギソウの栽培事態が難しくなっている。
増えて困ったころが懐かしいが、時間は遡れない。

 咲かない理由はアザミウマである。頻繁に薬を散布しているが、それでもやられる。
農業指導員のNさんによると、アザミウマにもいろいろ種類があり、1つの農薬だけでは駆除できないとのこと。
そこで、Nさんに教わった農薬を含めて、3種の薬を交互に週1度くらいの間隔で使ったら、ようやく早咲き個体がまともな花を見せてくれた。
産地は不明だが、7月18日に咲いたから東北地方の産であろう。

 これで安心していたら、その後に花期を迎えた東京都世田谷産の「武蔵野」はいくつかの花がやられた。

 サギソウは名前も花も美しく、好ましいランではあるが、花をみるのに、ここまで手がかかると考えてしまう。


     


武蔵野スズキサギソウ

 ラン・ユリ部会のS氏作出のスズキサギソウ(サギソウ×ミズトンボ)である。
片親が「武蔵野」なので、別系統のスズキサギソウと区別するため、こう呼んでいる。作出者の了解をとっていないので、あくまでわが棚の中だけの仮の名である。

今年の春に部会でビン出しの球を入手、「肥培すれば今年花を見られる」というS氏の言に従い、他の地生ランと同じに施肥したら、写真のように初花を見た。

 スズキサギソウは、1922年に鈴木吉五郎氏が作出、前川文夫「原色日本のラン」に掲載されて知られるようになり、その後秋田で天然交雑の個体もみつかっている。

 武蔵野スズキサギソウは、吉五郎氏のものとは、唇弁や側花弁の形が微妙に異なる。
特に唇弁側裂片前縁から一筋の毛が垂れ下がる所はとてもおしゃれである。



           



銀杏の斑入り

 斑入り植物真集などで、銀杏の斑入りを見たことはある。今までに目にしたのは、みな縞斑である。
銀杏の覆輪とか、中透けとかは、写真でも見たことがない。

 最近のことである。都立のある公園で、銀杏の斑入り実生を見た。雪白の縞である。周りを見ると、多数の実生小苗があり、そのほとんどが斑入りである。
派手な斑から、控えめな縞まで、タイプはいろいろであるが、皆縞斑である。
そばに銀杏の木があり、どうやらその木が斑入りの親であるらしい。しかし、親木には斑入りの葉は見えない。
この親に潜在的に斑の遺伝子があり、子に顕在化するらしい。

 ランでないのが残念な気もするが、これがランであったら、大いに悩むところでもある。
やはり、ランでなくてよかったのかもしれない。



                 











2013.6.12記


カキラン


 今年は、野生ラン・山野草の開花期が、早かったり遅かったりまちまちで、展示会の準備に困った会が多かったことと思う。

 そんな中で、カキランは異常に早かった。
私の周辺では、皆がそう言っていたから、東京及びその周辺では、半月から1カ月位早かったようだ。

 カキランは、目覚めが遅いランである。
例年だと、5月中過ぎにやっと芽を出し、6月の中旬から末に咲く。
それが今年は5月末には見頃になっていたのだから、異常な年である。

 写真のカキランは、17、8年前に、青森県のある山草店が「カキランオレンジ花」として世に出したものである。
産地は分からない。花色も少し変わっているが、それ以上に優れた特徴は、花持ちが良いことである。
普通カキランは、1花の寿命が割合短く、上部の花が開く頃には下部の花は萎れてしまう。
エビネのように、上から下まで咲きそろうことがなく、写真を撮るタイミングも難しい。
ところがこの個体は、上部の花が開くまで、下部の花が頑張ってくれるので、絵になりやすい。
といっても、全部咲きそろうのは2、3日の間であるが。

 
カキランは、日本の野生ランのなかでは、栽培容易なランとされている。
ところが、突然不作になることがあり、小さな株では、枯れることもある。
これが良く分からなかったが、ラン・ユリ部会のある会員が、「カキランは、秋~冬に植え替えると調子が悪くなる」という報告をした。
この会員は、福島県境に近い関東北部に住んでおり、植え替えることにより、耐寒性が著しく落ちるのではないかという。
確かに根が用土になじんだ状態で越冬し、春芽出し直前に植え替えれば、ショックが少ないであろう。

カキランは植え替えて2、3年すれば、地下茎が長くなり、元の鉢に納まりにくい。
そこで、長すぎる地下茎を切り離して植えることになる。
新芽が鉢の縁に来ないようにするとともに、バック吹きによる増殖を測るわけである。

思い返してみると、冬にこの作業をした年は、急に調子を落としており、切り離した地下茎からも芽が出ないことも多い。
そういえば、北国では、よくカキランが冬に枯れるということを聞いたことがあるが、これも秋の植え替えのせいではないだろうか。
しばらく本調子に乗らなかった「オレンジ花」であるが、前回4月に植え替えて、久々に本来の姿を見せてくれた。

シラネアオイを秋~冬に植え替えると、機嫌を損ねてしまうので、花後に植え替えることにしているが、これも同じ理由もしれない。
見たところ図太い感じのカキランであるが、見かけに反して、デリケートなランであるらしい。
見かけで判断してはいけないという例である。



            









2013.6.9記


ヒナラン

 ヒナランが盛りである。このラン、分布の中心は西日本であるが、なぜか茨城県に分布の飛び地がある。
かつてはかなりの数の自生が見られたようであるが、私はその頃の茨城の自生地は見ていない。

 聞くところでは、ウチョウランブームのさなか、ウチョウランを採りに来た人たちが、行きがけの駄賃にヒナランにも手を出し、無くなったということだ。
ウチョウランの名産地にあり、同じ頃に咲くというのが、このラン不運であったことになる。
名の通り、小さくてかわいいランではあるが、当時それだけのためにわざわざ足を運ぶほど、一般受けするものではなかったと思う。

 私が茨城の自生地を見たのは、山頂近くの切り立った岸壁に、ウチョウランとともにわずかな花を着けていた。
こういう乾燥の激しい場所は、ヒナランが本来好む環境ではないが、たまたまこんなところに芽生えたものだけが細々と生き残ったということであろう。


 白花(通称「茨城の白」)は、縁あって我が家に来てから、もう古い。
ヒナランは、さほど増殖のよいランでもないと思うが、この白花は、調子に乗るとよく増える。
それで安心すると、途端に調子を落とす。そんな気はないのだが、よく増えると、無意識のうちに気を抜いているのだろう。
それを諌めるかのように、具合悪くなって見せる

「甘く見るなよ。なめるんじゃねぇーぞ」といわれたようで、気を締めてかかると、再び復調する。
そんなことを繰り返して25年付き合っている。見かけは愛らしいが、人の心を読む術を体得しており、なかなか油断のならない奴である。
多分、こうして栽培者の心を繰って、絶滅寸前の故郷の遺伝子を保とうとしているのだろう。

 普通のヒナラン(淡紅色)も何度か手がけたことがあるが、増える前に絶えた。「茨城の白」は大した奴である。

 我が家にある、もう1鉢のヒナランは、中国産である。
「茨城の白」も葉が大きいのが目立つが、こちらはさらに大きな葉をつけ、花も日本のヒナランに比べるとかなり大きい。
といっても、日本産の花の径が3ミリ程、中国産が6ミリ程であるから、小さいことには変わりない。

 中国産も結構長く作っているが、10本前後を行き来しており、これ以上増える訳でもなく、減ることもない。
ほどほどで満足しているようである。あるいは、こちらの気合が足りないのか

 ヒナランは、自動的に自家受粉するようで、すべてが結実するが、その割に実生が出ることは少ない。
出ても数本で、ネジバナのように、やたらとあちこちの鉢に進出するということがない。この点は、見かけ通りかなり控えめなランのようである。

   

        ヒナラン「茨城の白」 
      ラン・ユリ部会の外ではあまり作られていないようだ。
          

                 


            ヒナラン中国産 一時は出回っていたが、最近は見かけない。
            










2013.5.28記


メガネ買いました

 思いつく限りの所をさがしたが、2週間以上たったいまも、どこに隠れたのか、メガネが出てこない。
ついに諦めて眼鏡屋に行った。
眼鏡屋がいうには、失くしたメガネを新調したのは、昨年の1月とのこと。短いつきあいであった。

 女房は、ゴミと一緒に捨てたのだという。
メガネを探すことがしばしばなので、最近は外したら胸のポケットに入れることにしている。
それが裏目に出た?ポケットから落ちて、ゴミ袋に入った可能性も排除できないとは思うが、認めたくない筋書である。
植え替えで出た多量の水苔を捨てたので、その上に落ちて音もしなかったというのが、女房の推理である。

 わたしは、身に着けるものに凝る方ではないので(要するにどちらかと言えば無頓着なのである)、メガネは見えればよい主義で、大枚をはたいたわけではない。
それでも無意味な出費をしたようですっきりない。
これでヒョンナ所からで出てきたら、ただでは済まさないという気分であるが、そんなことはなさそうな気配である。

 透かし鉢を1個つくれば済むですって?そういうことはよく言われる。
算数上はそうであるが、心情的にはそういうものではない。
こんなことにいつまでもこだわっているのも雄々しくないので(女々しいという言葉を避けた心遣い)、あのメガネとは縁が薄かったのだということにして、もう忘れることにしよう。 










2013.5.22記



ケンタッキーエンセ

 3年続きの暑い夏で、生き残ったアツモリソウたちもかなり疲弊している。
芽出しのときは、意外に勢いが良いようにみえたが、生長が止まって、育ち切れなかったり、倒れたり。期待はすぐにあきらめに。

日本産のアツモリソウが総崩れのなか、今年も花をつけたのはアメリカのアツモリソウ、ケンタッキーエンセのみであった。
4鉢に5花咲き、いつもに比べて、花も草丈もいくぶん小振りではあるが、これだけでも咲けば嬉しい。
かろうじて細い糸がつながっているような感じである。
野生ラン展の最終日に全開し、今も目を楽しませてくれている。

ケンタッキーエンセに、世界最強のアツモリソウの称号を贈りたい。

     
      
















2013.7.28記


とりどりの記


 前回の更新から1か月半たってしまった。
忘れていたわけではなく、気には掛けていたのだが、手が出せないままに、時が全力疾走で駆け抜けてゆく。

 手が出せなかったのは、相変わらずなんやかや多忙であったのがひとつ。
ことに仕事以外にも、野生ラン保全関係の打ち合わせや作業が詰まっていて、休日がふさがったことがある。

 しかし、忙しくても、気力体力充実のときは、いろいろこなせる。
今年は例年になく、早くから寒蘭鉢にとりかかり、かなりの数を引いた。
寒蘭鉢は力を要するので、その時はできても、後に疲れが残る。疲れを溜めたまま暑さの盛りを迎えたのがいけなかった。
週休2日のリズムも崩れ、決まった時刻前に切り上げてしまうことも。
今までになかったことで、改めて1年の間の体調の変化を思い知らされる。

 頑張る年ではないと言い聞かせていても、調子が出るとやり過ぎてしまい、あとで悔いることになる。
そのうえ、寒蘭鉢はロスが出ることが多いので、疲労感がいっそう深まる。そんなことで、1か月半が過ぎた。
この間、ガス窯を1回、電気炉を2回焼いている。

書こうと思って書けなかったことを、ランダムに記してみたい。
時期を外れたネタもあるが、空白を埋めておかなければという強迫観念から逃れるためである。

 

窯出し1

 6月に焼いた電気炉の作品である。中列右から2番目の透かし鉢は、はじめてやってみた「重ね亀甲輪透かし鉢」である。
やってみると、下に行くほど狭まるため、輪の部分が歪んで、予想以上にてこずった。

 出来上がった見て、ちょっと透かし鉢の部分の面積が多すぎて、水苔が見えすぎるかと危惧したが、
上野グリーンクラブでの富貴蘭展で、展示されているのをみて、気にするほどのこともないと分かり安心した。

食器は教室の作品である。



   
                        

                                     
                                       「重ね亀甲輪透かし鉢
                                          


窯出し2

 7月に焼いたガス窯である。今年になってから、窯の一部が酸化してしまい、焼き損じが出ることがあった。
扉に隙間ができたのかと、それらしいところを、補修材で補ったが、このときも寒蘭鉢2本がロスになった。

 そのかわりという訳でもないが、2年以上前からひきずっていた、ちょっと手のかかる寒蘭鉢がうまく焼き上がって、胸のつかえが取れた気分。
しかし、注文主は、すっかり忘れていたというのも無理のないことである。


             



サギソウ

 サギソウがまともに咲かなくなって久しい。そもそもサギソウの栽培事態が難しくなっている。
増えて困ったころが懐かしいが、時間は遡れない。

 咲かない理由はアザミウマである。頻繁に薬を散布しているが、それでもやられる。
農業指導員のNさんによると、アザミウマにもいろいろ種類があり、1つの農薬だけでは駆除できないとのこと。
そこで、Nさんに教わった農薬を含めて、3種の薬を交互に週1度くらいの間隔で使ったら、ようやく早咲き個体がまともな花を見せてくれた。
産地は不明だが、7月18日に咲いたから東北地方の産であろう。

 これで安心していたら、その後に花期を迎えた東京都世田谷産の「武蔵野」はいくつかの花がやられた。

 サギソウは名前も花も美しく、好ましいランではあるが、花をみるのに、ここまで手がかかると考えてしまう。


     


武蔵野スズキサギソウ

 ラン・ユリ部会のS氏作出のスズキサギソウ(サギソウ×ミズトンボ)である。
片親が「武蔵野」なので、別系統のスズキサギソウと区別するため、こう呼んでいる。作出者の了解をとっていないので、あくまでわが棚の中だけの仮の名である。

今年の春に部会でビン出しの球を入手、「肥培すれば今年花を見られる」というS氏の言に従い、他の地生ランと同じに施肥したら、写真のように初花を見た。

 スズキサギソウは、1922年に鈴木吉五郎氏が作出、前川文夫「原色日本のラン」に掲載されて知られるようになり、その後秋田で天然交雑の個体もみつかっている。

 武蔵野スズキサギソウは、吉五郎氏のものとは、唇弁や側花弁の形が微妙に異なる。
特に唇弁側裂片前縁から一筋の毛が垂れ下がる所はとてもおしゃれである。



           



銀杏の斑入り

 斑入り植物真集などで、銀杏の斑入りを見たことはある。今までに目にしたのは、みな縞斑である。
銀杏の覆輪とか、中透けとかは、写真でも見たことがない。

 最近のことである。都立のある公園で、銀杏の斑入り実生を見た。雪白の縞である。周りを見ると、多数の実生小苗があり、そのほとんどが斑入りである。
派手な斑から、控えめな縞まで、タイプはいろいろであるが、皆縞斑である。
そばに銀杏の木があり、どうやらその木が斑入りの親であるらしい。しかし、親木には斑入りの葉は見えない。
この親に潜在的に斑の遺伝子があり、子に顕在化するらしい。

 ランでないのが残念な気もするが、これがランであったら、大いに悩むところでもある。
やはり、ランでなくてよかったのかもしれない。



                 











2013.6.12記


カキラン


 今年は、野生ラン・山野草の開花期が、早かったり遅かったりまちまちで、展示会の準備に困った会が多かったことと思う。

 そんな中で、カキランは異常に早かった。
私の周辺では、皆がそう言っていたから、東京及びその周辺では、半月から1カ月位早かったようだ。

 カキランは、目覚めが遅いランである。
例年だと、5月中過ぎにやっと芽を出し、6月の中旬から末に咲く。
それが今年は5月末には見頃になっていたのだから、異常な年である。

 写真のカキランは、17、8年前に、青森県のある山草店が「カキランオレンジ花」として世に出したものである。
産地は分からない。花色も少し変わっているが、それ以上に優れた特徴は、花持ちが良いことである。
普通カキランは、1花の寿命が割合短く、上部の花が開く頃には下部の花は萎れてしまう。
エビネのように、上から下まで咲きそろうことがなく、写真を撮るタイミングも難しい。
ところがこの個体は、上部の花が開くまで、下部の花が頑張ってくれるので、絵になりやすい。
といっても、全部咲きそろうのは2、3日の間であるが。

 
カキランは、日本の野生ランのなかでは、栽培容易なランとされている。
ところが、突然不作になることがあり、小さな株では、枯れることもある。
これが良く分からなかったが、ラン・ユリ部会のある会員が、「カキランは、秋~冬に植え替えると調子が悪くなる」という報告をした。
この会員は、福島県境に近い関東北部に住んでおり、植え替えることにより、耐寒性が著しく落ちるのではないかという。
確かに根が用土になじんだ状態で越冬し、春芽出し直前に植え替えれば、ショックが少ないであろう。

カキランは植え替えて2、3年すれば、地下茎が長くなり、元の鉢に納まりにくい。
そこで、長すぎる地下茎を切り離して植えることになる。
新芽が鉢の縁に来ないようにするとともに、バック吹きによる増殖を測るわけである。

思い返してみると、冬にこの作業をした年は、急に調子を落としており、切り離した地下茎からも芽が出ないことも多い。
そういえば、北国では、よくカキランが冬に枯れるということを聞いたことがあるが、これも秋の植え替えのせいではないだろうか。
しばらく本調子に乗らなかった「オレンジ花」であるが、前回4月に植え替えて、久々に本来の姿を見せてくれた。

シラネアオイを秋~冬に植え替えると、機嫌を損ねてしまうので、花後に植え替えることにしているが、これも同じ理由もしれない。
見たところ図太い感じのカキランであるが、見かけに反して、デリケートなランであるらしい。
見かけで判断してはいけないという例である。



            









2013.6.9記


ヒナラン

 ヒナランが盛りである。このラン、分布の中心は西日本であるが、なぜか茨城県に分布の飛び地がある。
かつてはかなりの数の自生が見られたようであるが、私はその頃の茨城の自生地は見ていない。

 聞くところでは、ウチョウランブームのさなか、ウチョウランを採りに来た人たちが、行きがけの駄賃にヒナランにも手を出し、無くなったということだ。
ウチョウランの名産地にあり、同じ頃に咲くというのが、このラン不運であったことになる。
名の通り、小さくてかわいいランではあるが、当時それだけのためにわざわざ足を運ぶほど、一般受けするものではなかったと思う。

 私が茨城の自生地を見たのは、山頂近くの切り立った岸壁に、ウチョウランとともにわずかな花を着けていた。
こういう乾燥の激しい場所は、ヒナランが本来好む環境ではないが、たまたまこんなところに芽生えたものだけが細々と生き残ったということであろう。


 白花(通称「茨城の白」)は、縁あって我が家に来てから、もう古い。
ヒナランは、さほど増殖のよいランでもないと思うが、この白花は、調子に乗るとよく増える。
それで安心すると、途端に調子を落とす。そんな気はないのだが、よく増えると、無意識のうちに気を抜いているのだろう。
それを諌めるかのように、具合悪くなって見せる

「甘く見るなよ。なめるんじゃねぇーぞ」といわれたようで、気を締めてかかると、再び復調する。
そんなことを繰り返して25年付き合っている。見かけは愛らしいが、人の心を読む術を体得しており、なかなか油断のならない奴である。
多分、こうして栽培者の心を繰って、絶滅寸前の故郷の遺伝子を保とうとしているのだろう。

 普通のヒナラン(淡紅色)も何度か手がけたことがあるが、増える前に絶えた。「茨城の白」は大した奴である。

 我が家にある、もう1鉢のヒナランは、中国産である。
「茨城の白」も葉が大きいのが目立つが、こちらはさらに大きな葉をつけ、花も日本のヒナランに比べるとかなり大きい。
といっても、日本産の花の径が3ミリ程、中国産が6ミリ程であるから、小さいことには変わりない。

 中国産も結構長く作っているが、10本前後を行き来しており、これ以上増える訳でもなく、減ることもない。
ほどほどで満足しているようである。あるいは、こちらの気合が足りないのか

 ヒナランは、自動的に自家受粉するようで、すべてが結実するが、その割に実生が出ることは少ない。
出ても数本で、ネジバナのように、やたらとあちこちの鉢に進出するということがない。この点は、見かけ通りかなり控えめなランのようである。

   

        ヒナラン「茨城の白」 
      ラン・ユリ部会の外ではあまり作られていないようだ。
          

                 


            ヒナラン中国産 一時は出回っていたが、最近は見かけない。
            










2013.5.28記


メガネ買いました

 思いつく限りの所をさがしたが、2週間以上たったいまも、どこに隠れたのか、メガネが出てこない。
ついに諦めて眼鏡屋に行った。
眼鏡屋がいうには、失くしたメガネを新調したのは、昨年の1月とのこと。短いつきあいであった。

 女房は、ゴミと一緒に捨てたのだという。
メガネを探すことがしばしばなので、最近は外したら胸のポケットに入れることにしている。
それが裏目に出た?ポケットから落ちて、ゴミ袋に入った可能性も排除できないとは思うが、認めたくない筋書である。
植え替えで出た多量の水苔を捨てたので、その上に落ちて音もしなかったというのが、女房の推理である。

 わたしは、身に着けるものに凝る方ではないので(要するにどちらかと言えば無頓着なのである)、メガネは見えればよい主義で、大枚をはたいたわけではない。
それでも無意味な出費をしたようですっきりない。
これでヒョンナ所からで出てきたら、ただでは済まさないという気分であるが、そんなことはなさそうな気配である。

 透かし鉢を1個つくれば済むですって?そういうことはよく言われる。
算数上はそうであるが、心情的にはそういうものではない。
こんなことにいつまでもこだわっているのも雄々しくないので(女々しいという言葉を避けた心遣い)、あのメガネとは縁が薄かったのだということにして、もう忘れることにしよう。 










2013.5.22記



ケンタッキーエンセ

 3年続きの暑い夏で、生き残ったアツモリソウたちもかなり疲弊している。
芽出しのときは、意外に勢いが良いようにみえたが、生長が止まって、育ち切れなかったり、倒れたり。期待はすぐにあきらめに。

日本産のアツモリソウが総崩れのなか、今年も花をつけたのはアメリカのアツモリソウ、ケンタッキーエンセのみであった。
4鉢に5花咲き、いつもに比べて、花も草丈もいくぶん小振りではあるが、これだけでも咲けば嬉しい。
かろうじて細い糸がつながっているような感じである。
野生ラン展の最終日に全開し、今も目を楽しませてくれている。

ケンタッキーエンセに、世界最強のアツモリソウの称号を贈りたい。

     
      















2013.7.28記


とりどりの記


 前回の更新から1か月半たってしまった。
忘れていたわけではなく、気には掛けていたのだが、手が出せないままに、時が全力疾走で駆け抜けてゆく。

 手が出せなかったのは、相変わらずなんやかや多忙であったのがひとつ。
ことに仕事以外にも、野生ラン保全関係の打ち合わせや作業が詰まっていて、休日がふさがったことがある。

 しかし、忙しくても、気力体力充実のときは、いろいろこなせる。
今年は例年になく、早くから寒蘭鉢にとりかかり、かなりの数を引いた。
寒蘭鉢は力を要するので、その時はできても、後に疲れが残る。疲れを溜めたまま暑さの盛りを迎えたのがいけなかった。
週休2日のリズムも崩れ、決まった時刻前に切り上げてしまうことも。
今までになかったことで、改めて1年の間の体調の変化を思い知らされる。

 頑張る年ではないと言い聞かせていても、調子が出るとやり過ぎてしまい、あとで悔いることになる。
そのうえ、寒蘭鉢はロスが出ることが多いので、疲労感がいっそう深まる。そんなことで、1か月半が過ぎた。
この間、ガス窯を1回、電気炉を2回焼いている。

書こうと思って書けなかったことを、ランダムに記してみたい。
時期を外れたネタもあるが、空白を埋めておかなければという強迫観念から逃れるためである。

 

窯出し1

 6月に焼いた電気炉の作品である。中列右から2番目の透かし鉢は、はじめてやってみた「重ね亀甲輪透かし鉢」である。
やってみると、下に行くほど狭まるため、輪の部分が歪んで、予想以上にてこずった。

 出来上がった見て、ちょっと透かし鉢の部分の面積が多すぎて、水苔が見えすぎるかと危惧したが、
上野グリーンクラブでの富貴蘭展で、展示されているのをみて、気にするほどのこともないと分かり安心した。

食器は教室の作品である。



   
                        

                                     
                                       「重ね亀甲輪透かし鉢
                                          


窯出し2

 7月に焼いたガス窯である。今年になってから、窯の一部が酸化してしまい、焼き損じが出ることがあった。
扉に隙間ができたのかと、それらしいところを、補修材で補ったが、このときも寒蘭鉢2本がロスになった。

 そのかわりという訳でもないが、2年以上前からひきずっていた、ちょっと手のかかる寒蘭鉢がうまく焼き上がって、胸のつかえが取れた気分。
しかし、注文主は、すっかり忘れていたというのも無理のないことである。


             



サギソウ

 サギソウがまともに咲かなくなって久しい。そもそもサギソウの栽培事態が難しくなっている。
増えて困ったころが懐かしいが、時間は遡れない。

 咲かない理由はアザミウマである。頻繁に薬を散布しているが、それでもやられる。
農業指導員のNさんによると、アザミウマにもいろいろ種類があり、1つの農薬だけでは駆除できないとのこと。
そこで、Nさんに教わった農薬を含めて、3種の薬を交互に週1度くらいの間隔で使ったら、ようやく早咲き個体がまともな花を見せてくれた。
産地は不明だが、7月18日に咲いたから東北地方の産であろう。

 これで安心していたら、その後に花期を迎えた東京都世田谷産の「武蔵野」はいくつかの花がやられた。

 サギソウは名前も花も美しく、好ましいランではあるが、花をみるのに、ここまで手がかかると考えてしまう。


     


武蔵野スズキサギソウ

 ラン・ユリ部会のS氏作出のスズキサギソウ(サギソウ×ミズトンボ)である。
片親が「武蔵野」なので、別系統のスズキサギソウと区別するため、こう呼んでいる。作出者の了解をとっていないので、あくまでわが棚の中だけの仮の名である。

今年の春に部会でビン出しの球を入手、「肥培すれば今年花を見られる」というS氏の言に従い、他の地生ランと同じに施肥したら、写真のように初花を見た。

 スズキサギソウは、1922年に鈴木吉五郎氏が作出、前川文夫「原色日本のラン」に掲載されて知られるようになり、その後秋田で天然交雑の個体もみつかっている。

 武蔵野スズキサギソウは、吉五郎氏のものとは、唇弁や側花弁の形が微妙に異なる。
特に唇弁側裂片前縁から一筋の毛が垂れ下がる所はとてもおしゃれである。



           



銀杏の斑入り

 斑入り植物真集などで、銀杏の斑入りを見たことはある。今までに目にしたのは、みな縞斑である。
銀杏の覆輪とか、中透けとかは、写真でも見たことがない。

 最近のことである。都立のある公園で、銀杏の斑入り実生を見た。雪白の縞である。周りを見ると、多数の実生小苗があり、そのほとんどが斑入りである。
派手な斑から、控えめな縞まで、タイプはいろいろであるが、皆縞斑である。
そばに銀杏の木があり、どうやらその木が斑入りの親であるらしい。しかし、親木には斑入りの葉は見えない。
この親に潜在的に斑の遺伝子があり、子に顕在化するらしい。

 ランでないのが残念な気もするが、これがランであったら、大いに悩むところでもある。
やはり、ランでなくてよかったのかもしれない。



                 











2013.6.12記


カキラン


 今年は、野生ラン・山野草の開花期が、早かったり遅かったりまちまちで、展示会の準備に困った会が多かったことと思う。

 そんな中で、カキランは異常に早かった。
私の周辺では、皆がそう言っていたから、東京及びその周辺では、半月から1カ月位早かったようだ。

 カキランは、目覚めが遅いランである。
例年だと、5月中過ぎにやっと芽を出し、6月の中旬から末に咲く。
それが今年は5月末には見頃になっていたのだから、異常な年である。

 写真のカキランは、17、8年前に、青森県のある山草店が「カキランオレンジ花」として世に出したものである。
産地は分からない。花色も少し変わっているが、それ以上に優れた特徴は、花持ちが良いことである。
普通カキランは、1花の寿命が割合短く、上部の花が開く頃には下部の花は萎れてしまう。
エビネのように、上から下まで咲きそろうことがなく、写真を撮るタイミングも難しい。
ところがこの個体は、上部の花が開くまで、下部の花が頑張ってくれるので、絵になりやすい。
といっても、全部咲きそろうのは2、3日の間であるが。

 
カキランは、日本の野生ランのなかでは、栽培容易なランとされている。
ところが、突然不作になることがあり、小さな株では、枯れることもある。
これが良く分からなかったが、ラン・ユリ部会のある会員が、「カキランは、秋~冬に植え替えると調子が悪くなる」という報告をした。
この会員は、福島県境に近い関東北部に住んでおり、植え替えることにより、耐寒性が著しく落ちるのではないかという。
確かに根が用土になじんだ状態で越冬し、春芽出し直前に植え替えれば、ショックが少ないであろう。

カキランは植え替えて2、3年すれば、地下茎が長くなり、元の鉢に納まりにくい。
そこで、長すぎる地下茎を切り離して植えることになる。
新芽が鉢の縁に来ないようにするとともに、バック吹きによる増殖を測るわけである。

思い返してみると、冬にこの作業をした年は、急に調子を落としており、切り離した地下茎からも芽が出ないことも多い。
そういえば、北国では、よくカキランが冬に枯れるということを聞いたことがあるが、これも秋の植え替えのせいではないだろうか。
しばらく本調子に乗らなかった「オレンジ花」であるが、前回4月に植え替えて、久々に本来の姿を見せてくれた。

シラネアオイを秋~冬に植え替えると、機嫌を損ねてしまうので、花後に植え替えることにしているが、これも同じ理由もしれない。
見たところ図太い感じのカキランであるが、見かけに反して、デリケートなランであるらしい。
見かけで判断してはいけないという例である。



            









2013.6.9記


ヒナラン

 ヒナランが盛りである。このラン、分布の中心は西日本であるが、なぜか茨城県に分布の飛び地がある。
かつてはかなりの数の自生が見られたようであるが、私はその頃の茨城の自生地は見ていない。

 聞くところでは、ウチョウランブームのさなか、ウチョウランを採りに来た人たちが、行きがけの駄賃にヒナランにも手を出し、無くなったということだ。
ウチョウランの名産地にあり、同じ頃に咲くというのが、このラン不運であったことになる。
名の通り、小さくてかわいいランではあるが、当時それだけのためにわざわざ足を運ぶほど、一般受けするものではなかったと思う。

 私が茨城の自生地を見たのは、山頂近くの切り立った岸壁に、ウチョウランとともにわずかな花を着けていた。
こういう乾燥の激しい場所は、ヒナランが本来好む環境ではないが、たまたまこんなところに芽生えたものだけが細々と生き残ったということであろう。


 白花(通称「茨城の白」)は、縁あって我が家に来てから、もう古い。
ヒナランは、さほど増殖のよいランでもないと思うが、この白花は、調子に乗るとよく増える。
それで安心すると、途端に調子を落とす。そんな気はないのだが、よく増えると、無意識のうちに気を抜いているのだろう。
それを諌めるかのように、具合悪くなって見せる

「甘く見るなよ。なめるんじゃねぇーぞ」といわれたようで、気を締めてかかると、再び復調する。
そんなことを繰り返して25年付き合っている。見かけは愛らしいが、人の心を読む術を体得しており、なかなか油断のならない奴である。
多分、こうして栽培者の心を繰って、絶滅寸前の故郷の遺伝子を保とうとしているのだろう。

 普通のヒナラン(淡紅色)も何度か手がけたことがあるが、増える前に絶えた。「茨城の白」は大した奴である。

 我が家にある、もう1鉢のヒナランは、中国産である。
「茨城の白」も葉が大きいのが目立つが、こちらはさらに大きな葉をつけ、花も日本のヒナランに比べるとかなり大きい。
といっても、日本産の花の径が3ミリ程、中国産が6ミリ程であるから、小さいことには変わりない。

 中国産も結構長く作っているが、10本前後を行き来しており、これ以上増える訳でもなく、減ることもない。
ほどほどで満足しているようである。あるいは、こちらの気合が足りないのか

 ヒナランは、自動的に自家受粉するようで、すべてが結実するが、その割に実生が出ることは少ない。
出ても数本で、ネジバナのように、やたらとあちこちの鉢に進出するということがない。この点は、見かけ通りかなり控えめなランのようである。

   

        ヒナラン「茨城の白」 
      ラン・ユリ部会の外ではあまり作られていないようだ。
          

                 


            ヒナラン中国産 一時は出回っていたが、最近は見かけない。
            










2013.5.28記


メガネ買いました

 思いつく限りの所をさがしたが、2週間以上たったいまも、どこに隠れたのか、メガネが出てこない。
ついに諦めて眼鏡屋に行った。
眼鏡屋がいうには、失くしたメガネを新調したのは、昨年の1月とのこと。短いつきあいであった。

 女房は、ゴミと一緒に捨てたのだという。
メガネを探すことがしばしばなので、最近は外したら胸のポケットに入れることにしている。
それが裏目に出た?ポケットから落ちて、ゴミ袋に入った可能性も排除できないとは思うが、認めたくない筋書である。
植え替えで出た多量の水苔を捨てたので、その上に落ちて音もしなかったというのが、女房の推理である。

 わたしは、身に着けるものに凝る方ではないので(要するにどちらかと言えば無頓着なのである)、メガネは見えればよい主義で、大枚をはたいたわけではない。
それでも無意味な出費をしたようですっきりない。
これでヒョンナ所からで出てきたら、ただでは済まさないという気分であるが、そんなことはなさそうな気配である。

 透かし鉢を1個つくれば済むですって?そういうことはよく言われる。
算数上はそうであるが、心情的にはそういうものではない。
こんなことにいつまでもこだわっているのも雄々しくないので(女々しいという言葉を避けた心遣い)、あのメガネとは縁が薄かったのだということにして、もう忘れることにしよう。 










2013.5.22記



ケンタッキーエンセ

 3年続きの暑い夏で、生き残ったアツモリソウたちもかなり疲弊している。
芽出しのときは、意外に勢いが良いようにみえたが、生長が止まって、育ち切れなかったり、倒れたり。期待はすぐにあきらめに。

日本産のアツモリソウが総崩れのなか、今年も花をつけたのはアメリカのアツモリソウ、ケンタッキーエンセのみであった。
4鉢に5花咲き、いつもに比べて、花も草丈もいくぶん小振りではあるが、これだけでも咲けば嬉しい。
かろうじて細い糸がつながっているような感じである。
野生ラン展の最終日に全開し、今も目を楽しませてくれている。

ケンタッキーエンセに、世界最強のアツモリソウの称号を贈りたい。

     
      
















2013.7.28記


とりどりの記


 前回の更新から1か月半たってしまった。
忘れていたわけではなく、気には掛けていたのだが、手が出せないままに、時が全力疾走で駆け抜けてゆく。

 手が出せなかったのは、相変わらずなんやかや多忙であったのがひとつ。
ことに仕事以外にも、野生ラン保全関係の打ち合わせや作業が詰まっていて、休日がふさがったことがある。

 しかし、忙しくても、気力体力充実のときは、いろいろこなせる。
今年は例年になく、早くから寒蘭鉢にとりかかり、かなりの数を引いた。
寒蘭鉢は力を要するので、その時はできても、後に疲れが残る。疲れを溜めたまま暑さの盛りを迎えたのがいけなかった。
週休2日のリズムも崩れ、決まった時刻前に切り上げてしまうことも。
今までになかったことで、改めて1年の間の体調の変化を思い知らされる。

 頑張る年ではないと言い聞かせていても、調子が出るとやり過ぎてしまい、あとで悔いることになる。
そのうえ、寒蘭鉢はロスが出ることが多いので、疲労感がいっそう深まる。そんなことで、1か月半が過ぎた。
この間、ガス窯を1回、電気炉を2回焼いている。

書こうと思って書けなかったことを、ランダムに記してみたい。
時期を外れたネタもあるが、空白を埋めておかなければという強迫観念から逃れるためである。

 

窯出し1

 6月に焼いた電気炉の作品である。中列右から2番目の透かし鉢は、はじめてやってみた「重ね亀甲輪透かし鉢」である。
やってみると、下に行くほど狭まるため、輪の部分が歪んで、予想以上にてこずった。

 出来上がった見て、ちょっと透かし鉢の部分の面積が多すぎて、水苔が見えすぎるかと危惧したが、
上野グリーンクラブでの富貴蘭展で、展示されているのをみて、気にするほどのこともないと分かり安心した。

食器は教室の作品である。



   
                        

                                     
                                       「重ね亀甲輪透かし鉢
                                          


窯出し2

 7月に焼いたガス窯である。今年になってから、窯の一部が酸化してしまい、焼き損じが出ることがあった。
扉に隙間ができたのかと、それらしいところを、補修材で補ったが、このときも寒蘭鉢2本がロスになった。

 そのかわりという訳でもないが、2年以上前からひきずっていた、ちょっと手のかかる寒蘭鉢がうまく焼き上がって、胸のつかえが取れた気分。
しかし、注文主は、すっかり忘れていたというのも無理のないことである。


             



サギソウ

 サギソウがまともに咲かなくなって久しい。そもそもサギソウの栽培事態が難しくなっている。
増えて困ったころが懐かしいが、時間は遡れない。

 咲かない理由はアザミウマである。頻繁に薬を散布しているが、それでもやられる。
農業指導員のNさんによると、アザミウマにもいろいろ種類があり、1つの農薬だけでは駆除できないとのこと。
そこで、Nさんに教わった農薬を含めて、3種の薬を交互に週1度くらいの間隔で使ったら、ようやく早咲き個体がまともな花を見せてくれた。
産地は不明だが、7月18日に咲いたから東北地方の産であろう。

 これで安心していたら、その後に花期を迎えた東京都世田谷産の「武蔵野」はいくつかの花がやられた。

 サギソウは名前も花も美しく、好ましいランではあるが、花をみるのに、ここまで手がかかると考えてしまう。


     


武蔵野スズキサギソウ

 ラン・ユリ部会のS氏作出のスズキサギソウ(サギソウ×ミズトンボ)である。
片親が「武蔵野」なので、別系統のスズキサギソウと区別するため、こう呼んでいる。作出者の了解をとっていないので、あくまでわが棚の中だけの仮の名である。

今年の春に部会でビン出しの球を入手、「肥培すれば今年花を見られる」というS氏の言に従い、他の地生ランと同じに施肥したら、写真のように初花を見た。

 スズキサギソウは、1922年に鈴木吉五郎氏が作出、前川文夫「原色日本のラン」に掲載されて知られるようになり、その後秋田で天然交雑の個体もみつかっている。

 武蔵野スズキサギソウは、吉五郎氏のものとは、唇弁や側花弁の形が微妙に異なる。
特に唇弁側裂片前縁から一筋の毛が垂れ下がる所はとてもおしゃれである。



           



銀杏の斑入り

 斑入り植物真集などで、銀杏の斑入りを見たことはある。今までに目にしたのは、みな縞斑である。
銀杏の覆輪とか、中透けとかは、写真でも見たことがない。

 最近のことである。都立のある公園で、銀杏の斑入り実生を見た。雪白の縞である。周りを見ると、多数の実生小苗があり、そのほとんどが斑入りである。
派手な斑から、控えめな縞まで、タイプはいろいろであるが、皆縞斑である。
そばに銀杏の木があり、どうやらその木が斑入りの親であるらしい。しかし、親木には斑入りの葉は見えない。
この親に潜在的に斑の遺伝子があり、子に顕在化するらしい。

 ランでないのが残念な気もするが、これがランであったら、大いに悩むところでもある。
やはり、ランでなくてよかったのかもしれない。



                 











2013.6.12記


カキラン


 今年は、野生ラン・山野草の開花期が、早かったり遅かったりまちまちで、展示会の準備に困った会が多かったことと思う。

 そんな中で、カキランは異常に早かった。
私の周辺では、皆がそう言っていたから、東京及びその周辺では、半月から1カ月位早かったようだ。

 カキランは、目覚めが遅いランである。
例年だと、5月中過ぎにやっと芽を出し、6月の中旬から末に咲く。
それが今年は5月末には見頃になっていたのだから、異常な年である。

 写真のカキランは、17、8年前に、青森県のある山草店が「カキランオレンジ花」として世に出したものである。
産地は分からない。花色も少し変わっているが、それ以上に優れた特徴は、花持ちが良いことである。
普通カキランは、1花の寿命が割合短く、上部の花が開く頃には下部の花は萎れてしまう。
エビネのように、上から下まで咲きそろうことがなく、写真を撮るタイミングも難しい。
ところがこの個体は、上部の花が開くまで、下部の花が頑張ってくれるので、絵になりやすい。
といっても、全部咲きそろうのは2、3日の間であるが。

 
カキランは、日本の野生ランのなかでは、栽培容易なランとされている。
ところが、突然不作になることがあり、小さな株では、枯れることもある。
これが良く分からなかったが、ラン・ユリ部会のある会員が、「カキランは、秋~冬に植え替えると調子が悪くなる」という報告をした。
この会員は、福島県境に近い関東北部に住んでおり、植え替えることにより、耐寒性が著しく落ちるのではないかという。
確かに根が用土になじんだ状態で越冬し、春芽出し直前に植え替えれば、ショックが少ないであろう。

カキランは植え替えて2、3年すれば、地下茎が長くなり、元の鉢に納まりにくい。
そこで、長すぎる地下茎を切り離して植えることになる。
新芽が鉢の縁に来ないようにするとともに、バック吹きによる増殖を測るわけである。

思い返してみると、冬にこの作業をした年は、急に調子を落としており、切り離した地下茎からも芽が出ないことも多い。
そういえば、北国では、よくカキランが冬に枯れるということを聞いたことがあるが、これも秋の植え替えのせいではないだろうか。
しばらく本調子に乗らなかった「オレンジ花」であるが、前回4月に植え替えて、久々に本来の姿を見せてくれた。

シラネアオイを秋~冬に植え替えると、機嫌を損ねてしまうので、花後に植え替えることにしているが、これも同じ理由もしれない。
見たところ図太い感じのカキランであるが、見かけに反して、デリケートなランであるらしい。
見かけで判断してはいけないという例である。



            









2013.6.9記


ヒナラン

 ヒナランが盛りである。このラン、分布の中心は西日本であるが、なぜか茨城県に分布の飛び地がある。
かつてはかなりの数の自生が見られたようであるが、私はその頃の茨城の自生地は見ていない。

 聞くところでは、ウチョウランブームのさなか、ウチョウランを採りに来た人たちが、行きがけの駄賃にヒナランにも手を出し、無くなったということだ。
ウチョウランの名産地にあり、同じ頃に咲くというのが、このラン不運であったことになる。
名の通り、小さくてかわいいランではあるが、当時それだけのためにわざわざ足を運ぶほど、一般受けするものではなかったと思う。

 私が茨城の自生地を見たのは、山頂近くの切り立った岸壁に、ウチョウランとともにわずかな花を着けていた。
こういう乾燥の激しい場所は、ヒナランが本来好む環境ではないが、たまたまこんなところに芽生えたものだけが細々と生き残ったということであろう。


 白花(通称「茨城の白」)は、縁あって我が家に来てから、もう古い。
ヒナランは、さほど増殖のよいランでもないと思うが、この白花は、調子に乗るとよく増える。
それで安心すると、途端に調子を落とす。そんな気はないのだが、よく増えると、無意識のうちに気を抜いているのだろう。
それを諌めるかのように、具合悪くなって見せる

「甘く見るなよ。なめるんじゃねぇーぞ」といわれたようで、気を締めてかかると、再び復調する。
そんなことを繰り返して25年付き合っている。見かけは愛らしいが、人の心を読む術を体得しており、なかなか油断のならない奴である。
多分、こうして栽培者の心を繰って、絶滅寸前の故郷の遺伝子を保とうとしているのだろう。

 普通のヒナラン(淡紅色)も何度か手がけたことがあるが、増える前に絶えた。「茨城の白」は大した奴である。

 我が家にある、もう1鉢のヒナランは、中国産である。
「茨城の白」も葉が大きいのが目立つが、こちらはさらに大きな葉をつけ、花も日本のヒナランに比べるとかなり大きい。
といっても、日本産の花の径が3ミリ程、中国産が6ミリ程であるから、小さいことには変わりない。

 中国産も結構長く作っているが、10本前後を行き来しており、これ以上増える訳でもなく、減ることもない。
ほどほどで満足しているようである。あるいは、こちらの気合が足りないのか

 ヒナランは、自動的に自家受粉するようで、すべてが結実するが、その割に実生が出ることは少ない。
出ても数本で、ネジバナのように、やたらとあちこちの鉢に進出するということがない。この点は、見かけ通りかなり控えめなランのようである。

   

        ヒナラン「茨城の白」 
      ラン・ユリ部会の外ではあまり作られていないようだ。
          

                 


            ヒナラン中国産 一時は出回っていたが、最近は見かけない。
            










2013.5.28記


メガネ買いました

 思いつく限りの所をさがしたが、2週間以上たったいまも、どこに隠れたのか、メガネが出てこない。
ついに諦めて眼鏡屋に行った。
眼鏡屋がいうには、失くしたメガネを新調したのは、昨年の1月とのこと。短いつきあいであった。

 女房は、ゴミと一緒に捨てたのだという。
メガネを探すことがしばしばなので、最近は外したら胸のポケットに入れることにしている。
それが裏目に出た?ポケットから落ちて、ゴミ袋に入った可能性も排除できないとは思うが、認めたくない筋書である。
植え替えで出た多量の水苔を捨てたので、その上に落ちて音もしなかったというのが、女房の推理である。

 わたしは、身に着けるものに凝る方ではないので(要するにどちらかと言えば無頓着なのである)、メガネは見えればよい主義で、大枚をはたいたわけではない。
それでも無意味な出費をしたようですっきりない。
これでヒョンナ所からで出てきたら、ただでは済まさないという気分であるが、そんなことはなさそうな気配である。

 透かし鉢を1個つくれば済むですって?そういうことはよく言われる。
算数上はそうであるが、心情的にはそういうものではない。
こんなことにいつまでもこだわっているのも雄々しくないので(女々しいという言葉を避けた心遣い)、あのメガネとは縁が薄かったのだということにして、もう忘れることにしよう。 










2013.5.22記



ケンタッキーエンセ

 3年続きの暑い夏で、生き残ったアツモリソウたちもかなり疲弊している。
芽出しのときは、意外に勢いが良いようにみえたが、生長が止まって、育ち切れなかったり、倒れたり。期待はすぐにあきらめに。

日本産のアツモリソウが総崩れのなか、今年も花をつけたのはアメリカのアツモリソウ、ケンタッキーエンセのみであった。
4鉢に5花咲き、いつもに比べて、花も草丈もいくぶん小振りではあるが、これだけでも咲けば嬉しい。
かろうじて細い糸がつながっているような感じである。
野生ラン展の最終日に全開し、今も目を楽しませてくれている。

ケンタッキーエンセに、世界最強のアツモリソウの称号を贈りたい。

     
      











2013.7.28記


とりどりの記


 前回の更新から1か月半たってしまった。
忘れていたわけではなく、気には掛けていたのだが、手が出せないままに、時が全力疾走で駆け抜けてゆく。

 手が出せなかったのは、相変わらずなんやかや多忙であったのがひとつ。
ことに仕事以外にも、野生ラン保全関係の打ち合わせや作業が詰まっていて、休日がふさがったことがある。

 しかし、忙しくても、気力体力充実のときは、いろいろこなせる。
今年は例年になく、早くから寒蘭鉢にとりかかり、かなりの数を引いた。
寒蘭鉢は力を要するので、その時はできても、後に疲れが残る。疲れを溜めたまま暑さの盛りを迎えたのがいけなかった。
週休2日のリズムも崩れ、決まった時刻前に切り上げてしまうことも。
今までになかったことで、改めて1年の間の体調の変化を思い知らされる。

 頑張る年ではないと言い聞かせていても、調子が出るとやり過ぎてしまい、あとで悔いることになる。
そのうえ、寒蘭鉢はロスが出ることが多いので、疲労感がいっそう深まる。そんなことで、1か月半が過ぎた。
この間、ガス窯を1回、電気炉を2回焼いている。

書こうと思って書けなかったことを、ランダムに記してみたい。
時期を外れたネタもあるが、空白を埋めておかなければという強迫観念から逃れるためである。

 

窯出し1

 6月に焼いた電気炉の作品である。中列右から2番目の透かし鉢は、はじめてやってみた「重ね亀甲輪透かし鉢」である。
やってみると、下に行くほど狭まるため、輪の部分が歪んで、予想以上にてこずった。

 出来上がった見て、ちょっと透かし鉢の部分の面積が多すぎて、水苔が見えすぎるかと危惧したが、
上野グリーンクラブでの富貴蘭展で、展示されているのをみて、気にするほどのこともないと分かり安心した。

食器は教室の作品である。



   
                        

                                     
                                       「重ね亀甲輪透かし鉢
                                          


窯出し2

 7月に焼いたガス窯である。今年になってから、窯の一部が酸化してしまい、焼き損じが出ることがあった。
扉に隙間ができたのかと、それらしいところを、補修材で補ったが、このときも寒蘭鉢2本がロスになった。

 そのかわりという訳でもないが、2年以上前からひきずっていた、ちょっと手のかかる寒蘭鉢がうまく焼き上がって、胸のつかえが取れた気分。
しかし、注文主は、すっかり忘れていたというのも無理のないことである。


             



サギソウ

 サギソウがまともに咲かなくなって久しい。そもそもサギソウの栽培事態が難しくなっている。
増えて困ったころが懐かしいが、時間は遡れない。

 咲かない理由はアザミウマである。頻繁に薬を散布しているが、それでもやられる。
農業指導員のNさんによると、アザミウマにもいろいろ種類があり、1つの農薬だけでは駆除できないとのこと。
そこで、Nさんに教わった農薬を含めて、3種の薬を交互に週1度くらいの間隔で使ったら、ようやく早咲き個体がまともな花を見せてくれた。
産地は不明だが、7月18日に咲いたから東北地方の産であろう。

 これで安心していたら、その後に花期を迎えた東京都世田谷産の「武蔵野」はいくつかの花がやられた。

 サギソウは名前も花も美しく、好ましいランではあるが、花をみるのに、ここまで手がかかると考えてしまう。


     


武蔵野スズキサギソウ

 ラン・ユリ部会のS氏作出のスズキサギソウ(サギソウ×ミズトンボ)である。
片親が「武蔵野」なので、別系統のスズキサギソウと区別するため、こう呼んでいる。作出者の了解をとっていないので、あくまでわが棚の中だけの仮の名である。

今年の春に部会でビン出しの球を入手、「肥培すれば今年花を見られる」というS氏の言に従い、他の地生ランと同じに施肥したら、写真のように初花を見た。

 スズキサギソウは、1922年に鈴木吉五郎氏が作出、前川文夫「原色日本のラン」に掲載されて知られるようになり、その後秋田で天然交雑の個体もみつかっている。

 武蔵野スズキサギソウは、吉五郎氏のものとは、唇弁や側花弁の形が微妙に異なる。
特に唇弁側裂片前縁から一筋の毛が垂れ下がる所はとてもおしゃれである。



           



銀杏の斑入り

 斑入り植物真集などで、銀杏の斑入りを見たことはある。今までに目にしたのは、みな縞斑である。
銀杏の覆輪とか、中透けとかは、写真でも見たことがない。

 最近のことである。都立のある公園で、銀杏の斑入り実生を見た。雪白の縞である。周りを見ると、多数の実生小苗があり、そのほとんどが斑入りである。
派手な斑から、控えめな縞まで、タイプはいろいろであるが、皆縞斑である。
そばに銀杏の木があり、どうやらその木が斑入りの親であるらしい。しかし、親木には斑入りの葉は見えない。
この親に潜在的に斑の遺伝子があり、子に顕在化するらしい。

 ランでないのが残念な気もするが、これがランであったら、大いに悩むところでもある。
やはり、ランでなくてよかったのかもしれない。



                 











2013.6.12記


カキラン


 今年は、野生ラン・山野草の開花期が、早かったり遅かったりまちまちで、展示会の準備に困った会が多かったことと思う。

 そんな中で、カキランは異常に早かった。
私の周辺では、皆がそう言っていたから、東京及びその周辺では、半月から1カ月位早かったようだ。

 カキランは、目覚めが遅いランである。
例年だと、5月中過ぎにやっと芽を出し、6月の中旬から末に咲く。
それが今年は5月末には見頃になっていたのだから、異常な年である。

 写真のカキランは、17、8年前に、青森県のある山草店が「カキランオレンジ花」として世に出したものである。
産地は分からない。花色も少し変わっているが、それ以上に優れた特徴は、花持ちが良いことである。
普通カキランは、1花の寿命が割合短く、上部の花が開く頃には下部の花は萎れてしまう。
エビネのように、上から下まで咲きそろうことがなく、写真を撮るタイミングも難しい。
ところがこの個体は、上部の花が開くまで、下部の花が頑張ってくれるので、絵になりやすい。
といっても、全部咲きそろうのは2、3日の間であるが。

 カキランは、日本の野生ランのなかでは、栽培容易なランとされている。
ところが、突然不作になることがあり、小さな株では、枯れることもある。
これが良く分からなかったが、ラン・ユリ部会のある会員が、「カキランは、秋~冬に植え替えると調子が悪くなる」という報告をした。
この会員は、福島県境に近い関東北部に住んでおり、植え替えることにより、耐寒性が著しく落ちるのではないかという。
確かに根が用土になじんだ状態で越冬し、春芽出し直前に植え替えれば、ショックが少ないであろう。

カキランは植え替えて2、3年すれば、地下茎が長くなり、元の鉢に納まりにくい。
そこで、長すぎる地下茎を切り離して植えることになる。
新芽が鉢の縁に来ないようにするとともに、バック吹きによる増殖を測るわけである。

思い返してみると、冬にこの作業をした年は、急に調子を落としており、切り離した地下茎からも芽が出ないことも多い。
そういえば、北国では、よくカキランが冬に枯れるということを聞いたことがあるが、これも秋の植え替えのせいではないだろうか。
しばらく本調子に乗らなかった「オレンジ花」であるが、前回4月に植え替えて、久々に本来の姿を見せてくれた。

シラネアオイを秋~冬に植え替えると、機嫌を損ねてしまうので、花後に植え替えることにしているが、これも同じ理由もしれない。
見たところ図太い感じのカキランであるが、見かけに反して、デリケートなランであるらしい。
見かけで判断してはいけないという例である。



            









2013.6.9記


ヒナラン

 ヒナランが盛りである。このラン、分布の中心は西日本であるが、なぜか茨城県に分布の飛び地がある。
かつてはかなりの数の自生が見られたようであるが、私はその頃の茨城の自生地は見ていない。

 聞くところでは、ウチョウランブームのさなか、ウチョウランを採りに来た人たちが、行きがけの駄賃にヒナランにも手を出し、無くなったということだ。
ウチョウランの名産地にあり、同じ頃に咲くというのが、このラン不運であったことになる。
名の通り、小さくてかわいいランではあるが、当時それだけのためにわざわざ足を運ぶほど、一般受けするものではなかったと思う。

 私が茨城の自生地を見たのは、山頂近くの切り立った岸壁に、ウチョウランとともにわずかな花を着けていた。
こういう乾燥の激しい場所は、ヒナランが本来好む環境ではないが、たまたまこんなところに芽生えたものだけが細々と生き残ったということであろう。


 白花(通称「茨城の白」)は、縁あって我が家に来てから、もう古い。
ヒナランは、さほど増殖のよいランでもないと思うが、この白花は、調子に乗るとよく増える。
それで安心すると、途端に調子を落とす。そんな気はないのだが、よく増えると、無意識のうちに気を抜いているのだろう。
それを諌めるかのように、具合悪くなって見せる

「甘く見るなよ。なめるんじゃねぇーぞ」といわれたようで、気を締めてかかると、再び復調する。
そんなことを繰り返して25年付き合っている。見かけは愛らしいが、人の心を読む術を体得しており、なかなか油断のならない奴である。
多分、こうして栽培者の心を繰って、絶滅寸前の故郷の遺伝子を保とうとしているのだろう。

 普通のヒナラン(淡紅色)も何度か手がけたことがあるが、増える前に絶えた。「茨城の白」は大した奴である。

 我が家にある、もう1鉢のヒナランは、中国産である。
「茨城の白」も葉が大きいのが目立つが、こちらはさらに大きな葉をつけ、花も日本のヒナランに比べるとかなり大きい。
といっても、日本産の花の径が3ミリ程、中国産が6ミリ程であるから、小さいことには変わりない。

 中国産も結構長く作っているが、10本前後を行き来しており、これ以上増える訳でもなく、減ることもない。
ほどほどで満足しているようである。あるいは、こちらの気合が足りないのか

 ヒナランは、自動的に自家受粉するようで、すべてが結実するが、その割に実生が出ることは少ない。
出ても数本で、ネジバナのように、やたらとあちこちの鉢に進出するということがない。この点は、見かけ通りかなり控えめなランのようである。

   

        ヒナラン「茨城の白」 
      ラン・ユリ部会の外ではあまり作られていないようだ。
          

                 


            ヒナラン中国産 一時は出回っていたが、最近は見かけない。
            










2013.5.28記


メガネ買いました

 思いつく限りの所をさがしたが、2週間以上たったいまも、どこに隠れたのか、メガネが出てこない。
ついに諦めて眼鏡屋に行った。
眼鏡屋がいうには、失くしたメガネを新調したのは、昨年の1月とのこと。短いつきあいであった。

 女房は、ゴミと一緒に捨てたのだという。
メガネを探すことがしばしばなので、最近は外したら胸のポケットに入れることにしている。
それが裏目に出た?ポケットから落ちて、ゴミ袋に入った可能性も排除できないとは思うが、認めたくない筋書である。
植え替えで出た多量の水苔を捨てたので、その上に落ちて音もしなかったというのが、女房の推理である。

 わたしは、身に着けるものに凝る方ではないので(要するにどちらかと言えば無頓着なのである)、メガネは見えればよい主義で、大枚をはたいたわけではない。
それでも無意味な出費をしたようですっきりない。
これでヒョンナ所からで出てきたら、ただでは済まさないという気分であるが、そんなことはなさそうな気配である。

 透かし鉢を1個つくれば済むですって?そういうことはよく言われる。
算数上はそうであるが、心情的にはそういうものではない。
こんなことにいつまでもこだわっているのも雄々しくないので(女々しいという言葉を避けた心遣い)、あのメガネとは縁が薄かったのだということにして、もう忘れることにしよう。 










2013.5.22記



ケンタッキーエンセ

 3年続きの暑い夏で、生き残ったアツモリソウたちもかなり疲弊している。
芽出しのときは、意外に勢いが良いようにみえたが、生長が止まって、育ち切れなかったり、倒れたり。期待はすぐにあきらめに。

日本産のアツモリソウが総崩れのなか、今年も花をつけたのはアメリカのアツモリソウ、ケンタッキーエンセのみであった。
4鉢に5花咲き、いつもに比べて、花も草丈もいくぶん小振りではあるが、これだけでも咲けば嬉しい。
かろうじて細い糸がつながっているような感じである。
野生ラン展の最終日に全開し、今も目を楽しませてくれている。

ケンタッキーエンセに、世界最強のアツモリソウの称号を贈りたい。

     
      










2013.5.22記


メガネ紛失その後

 いつもブログを読んでくれている、小学校からの友人が、忘れ物発見器なるものがあり、販売されているという情報をくれた。
ウーン、それは知らなかった。


 余談であるが、メールをくれた友人は、小学校の学芸会でおじいさん役をやり、それがあまりにはまっていたので、以来仲間内では“じいさん”の愛称で呼ばれている。
いまや本物のじいさんになったご本人も、「俺は60年以上爺さんをやっている」というのを誇って?いるようだ。

 早速インターネットで検索してみると、ありました。送信機と、5個の受信機がセットになっていて、価格もリーズナブルなのがあり、ちょっと気持ちが動くが、メガネに付けるには少々大きすぎる。
これをメガネにぶら下げて外を歩くのは、いかにも奇異な感じである。
高齢者とは言え、まだ見えがある。やはりメガネに組み込んでもらいたい。

メガネはまだ出てこない。それはそれとして、じいさんありがとう。









2013.5.18記


メガネ紛失・野生ラン展・ショップ更新

(関係ないことを3題)

 5月7日に野生ラン展の準備をしていて、メガネをどこかに置き忘れた・・・らしい。

敷地内から外に出た覚えはないので、どこかに隠れているに違いない。
以来毎日、広くもない室内、作業場、栽培場を、隅々まで探索しているが出てこない。
女房と二人で、変わりばんこにメガネを探すのは毎度のことだが、こんなに長く見つからないことはない。
こういうときのために、古いメガネを捨てずに保存しているので、何とかしのいでいるが、落ち着かないことはなはだしい。

娘から電話があったので、このことをはなしたら、

「そんなことはしらないよ」と言われた。ごもっとも。

「新しいのを買ったら、すぐ出てくるよ」とも。そう思うからなかなか眼鏡屋に足が向かない。

 失せ物が出てくるおまじないというのがあることを思い出した。案外効果があるというまじないである。
ところが、そのまじないが何だったのか、それを忘れて思い出せない。
箒を逆さに立てるのは、歓迎しない来客を、退散させるまじないだし、
失せ物はなんだったろう?救いがたい話である。

 携帯がみつからないときに呼び出すように、呼べば返事をするメガネを開発して欲しい。
小さく、軽い部品を装着することは、技術的には容易にできるだろう。
老人社会であるから、結構需要はあると思う。
日本中で毎日数万、数十万の老人が、メガネ、メガネと、うろうろしている。
高齢者には不要な機能がたくさんついている機器が多い中、こんな簡単なものができないのか

                  ◇

 

 野生ラン展は、いつもながら熱心なラン愛好家たちにご来場いただき、無事に終わった。
今年は4名の入会者があったことが何よりの収穫である。
西武の野生ラン展は、会員たちの作ることへのこだわりを見ていただくとともに、新入会員獲得の場となっている。
今年の入会者も3人は若い人たちである。

山草会や洋蘭の会が、どこも会員の高齢化に悩む中、ラン・ユリ部会だけは、平均年齢が下がっていくというのが嬉しい。
高校生、大学生、20代の会員も、皆生き生きと活動し、年長の先輩会員たちと、対等に付き合っている。
長年この会に身を置いているが、若手会員に対して、「生意気」という言葉が発せられるのを、聞いたことがない。
皆が若手を育てるという気持ちで接している。ラン・ユリ部会の誇るべき美風である。

 

                ◇

 

 昨年までは余り感じなかったことであるが、野生ラン展が終わってから、疲れが抜けない。
慣れないデパートでの立ち番がこたえたようだ。1年1年が大事であることを痛感。

 ショップが淋しくなったので、棚出しと同時に更新の準備中である。
栽培対象を年々絞っているので、空き鉢はまだあり、好評の棚出しはもうしばらくは続けられそうである。

 問題は新作鉢の方である。特に愛好家の多い富貴蘭鉢は、作れる数が僅少である。
在庫品の棚がすいてきて、今回は何点か保存鉢を放出した。
先のことがちょっと気がかりになってきたが、できないことはできない。
無理をせず、あるがままで行くより仕方ない。



      東京山草会ラン・ユリ部会野生ラン展                              会員が増殖したの即売品も、珍品があり好評


       










2013.5.2記


窯出し

 前回の窯出しから約1カ月、次の窯が焼けた。
今回の私の作品は、透かし鉢6点に、徳利と盃。
白磁の徳利と盃2個は、小学校からの友の依頼である。
普段作らないものだから、盃の大きさがなかなかぴたりとこなくて、つい大きくなってしまう。
自分が使う訳ではないのに酒飲みは困ったものだ。
徳利は小振りだが、見た目以上に入る。友が喜ぶことだろう。

 今回もまたロスゼロであった。
新しいことを試みて、手間暇かけただけの効果が出ないものが2点あったが、ロスというわけではない。気分が良い。

 土のテスト用の鉢を1点入れた。蜻蛉を3匹透かす鉢が割れることが多く、いくつもロスを出している。
たまたまテレビで見たことをヒントに、土にペタライトという鉱物を加えてみた。
ペタライトは、土鍋の土に加えて、急加熱した際の、膨張による割れを防ぐ効果があるという。
透かし鉢が割れるのは、冷却の際の不均等な収縮によるものだから、同じ効果が期待できるかもしれない。


故意に片寄った透かしを入れて、割れやすい状況を作って、割れやすい瑠璃釉を掛けてみた。
五分五分という予想のテストだったが、割れはなし。
次回は実際に蜻蛉透かしでテストしてみないことには、まだ成否は分からない


      

      今回窯出しの作品。                           ペタライト混入の試験鉢。

   
       









2013.4.24記


小金井のサイハイラン

このところ、人と会うと『腰痛はいかがですか』と問われることが多い。
皆さんが心配してくださるのはありがたいことであるが、すっかり腰痛の三橋になってしまった感があるのは何だか・・・ 。
何度となく繰り返しているのだから仕方ないか。

3月に1週間腰痛で休んで以来すっかりリズムがくるってしまい、いまだに植え替えが終わらず、溜まった注文の消化、秋に向けての寒蘭鉢、年内納品予定の雪割草鉢、
それに次回個展のために密かに進めているストック(密かじゃなくなった!)と、何やかや多忙な毎日である。
決まりごとであるから、毎日の晩酌もこなさなければならない。

ブログ用の写真も使えないままに日が立ってしまい、時期を失してしまうことが多い。
困ったことだ。このネタも、六日の菖蒲、半月も前の写真であるが、使わせてもらおう。

江戸時代より桜の名所として知られる小金井堤に2株のサイハイランを見つけたのは、3、4年前のこと。
この株が見えるのは、上を覆う落葉樹が葉を落としている期間だけで、葉が茂ると橋からの視野を塞いでしまう。
サイハイランは初夏に咲くので、小金井堤のサイハイランの花を見たことがない。
サイハイランは珍しいランでもないし、花色の個体変異の幅も概ね把握しているので、危険をおかしてまで、どうしても見たいというほどのものでもないが。

サイハイランを知る人の多くは、「ああ、あまりぱっとしない、地味なランね」というイメージを抱いているであろう。
確かに花弁は細く、開かず、しなだれて咲くし、その上90%は花色は灰色がかった渋花である。

しかし、大きな群落をよく見れば、花色の変異は非常に多く、中には黄色、桃色、赤、稀に緑、白まであり、なかなか奥深いところのあるランなのだ。
魅力あるランなのであるが、キンランなどと同じく、共生菌に依存する度合いが大きい。
見かけは立派な葉をもつが、自前の稼ぎが少なく、なかばパラサイト生活をするランである。
したがって、栽培不能のランで、栽培家としては、いまひとつ思い入れが持てないところもあるランである。

生えているのは、玉川上水に落ち込む急斜面の下の方で、採ろうとすれば、上水に転げ落ちるようなところである。
ありふれたランで、美しくもなく、栽培もできないランを、流れにはまって恥をさらす危険をおかしてまで採ろうとする人もいないであろうから、場所を公開しよう。
小金井橋である。もし見てみたいという奇特な方がいらしたら、今年の落葉期にどうぞ。


   小金井堤のサイハイラン                          サイハイランの花色いろいろ

         

    
         


   









2013.4.4記


胃カメラ

 20年数年ぶりに内視鏡検査を受けた。
ここ2,3年朝起きた時に,胃に軽い違和感を覚えることがある。
昨年市の健康診断を受けた時に、いままでは問題なかった尿酸の数値が高かったので、改めて血液検査を受けることにもなっていた。

 自営業者は、健康診断というと、市の無料検診だけで済ませている。
これはこれでありがたいことではあるが検査項目が限られている。
そんなこんなで、この際簡単な検査で診断できることを、なるべく多岐にわたって調べてもらうことにした。
年齢から言うと、一度人間ドックを受けた方が良いのだろうが、それは億劫だ。

 胃カメラ、血液検査、超音波検査の結果、胃がん、大腸がん、はじめ膵臓、肝臓、胆のう、前立腺にも異常なしと聞いて一安心。
前回初めて赤信号が灯った尿酸値も正常。
ガンマーgtpの数値の高いのは毎回のことである。
コレステロール値、中性脂肪も相変わらずグレーゾーンであるが、食を少し控え目にしているせいか、わずかだか改善傾向がみられた。
医者は気になるなら薬を出すが、飲まなくてもかまわないという。
患者に下駄を預けるというご宣託なので、薬は辞退した。

感心したのは、検査機器の性能である。超音波検査の画像は、前回受けたとき(7,8年前)より、画像がはるかに鮮明で、臓器の形がはっきりと分かる。
パソコンに肝臓の画像が出たので、「前に脂肪肝といわれたが」というと、「そうだとしてもごく初期だから飲み過ぎなければ問題ない」とのこと。
最近は飲む量も減ったし、外で飲む機会も減らしているので、まあ安心ということだろう。

 胃カメラは午後3時半に予約したので、朝食は軽く、昼食は抜き。
検査の椅子に座った時は、もうはらペコ。カメラでも、何でも食いたいという心境である。
初めになんだか分からないまずい薬を1杯飲まされたが、思わずごちそう様と言ってしまった。

 内視鏡の画像はテレビで見たことがあるが、自分の胃の中を見るというのは、妙な気分である。
これがまた、胃の中に入って肉眼で見ているがごとき鮮明な画像で、ライトを受けてピンク色に輝く胃壁は美しくさえ感じた。
こんなきれいな胃袋なら、当面は大丈夫であろう。

 意気揚々と帰ったとたんに、女房に「調子にのらないように」と、いきなり太い釘をブスリと刺された。











2013.3.30記


窯焼き 植え替え 窯出し

 能登を発つ日の朝は、花びらのような軽い雪が舞っていた。

 帰ってくると、吉祥寺通りの欅は淡い緑をまとい、井の頭御殿山のコナラ、イヌシデは一斉に芽吹いて、3日間離れている間に東京は生長の季節になっていた。
3月中に終える心づもりの植え替えは、ほとんど手付かず。腰痛で10日余りを空費したため、予定が大狂いである。

 帰京後1日おいて陶芸教室、翌日は筑波実験植物園のワークショップに参加、

その翌日は送れた墓参、次に2点の釉掛けを残したまま、延びのびになっていた窯詰めをやっと終え、次の日に本焼き。
その合間を縫って長生蘭の植え替えに着手。
窯の冷めるのを待つ日は、助手Kの手伝いで、アツモリソウの植え替えを終えた。今回の腰痛は、アツモリソウの水冷鉢を移動したことが発端である。
アツモリの植え替えは、もう一人では手に負えない。

 予想通り、何鉢かは空になっており、残った株もほとんどは、芽が小さく開花は期待できない。
タイワンキバナアツモリと、アメリカ産のケンタッキーエンセだけが、芽数が増え、よい芽をつけていた。
嬉しかったのは、昨年夏に消えたため、諦めていたケンタッキーエンセの鉢播き実生が1芽だけ生き残っていたことである。
2005年12月に播種しており、年を経ている割には小さすぎるが、生きていただけでも嬉しい。

 窯出しは、上々。焼き上がりは全て良好で、ロスはなかった。
女房は失敗なしなんて10年振りという。
確かにここのところ毎回ロスを出しているが、まさか10年振りということはないだろう。

納品する物を荷作りしながら、注文メモを片付けていて、アレ!2つに折り曲げて画鋲で止めてあったメモの裏に、普段作らない足の形の指定があった。
見落としていて、指定と異なる足にしてしまった。
ヤレヤレ。出来上がりは悪くないので、ロスになることはないが、もう一度作り直しである。
こんなことの繰り返しで、この先どうなるものやら・・・。隠居の2文字が脳裏をかすめる。

 

  菩提所 墨田区太平町の法恩寺。
       太田道灌の墓もある由緒ある寺。         ケンタッキーエンセの鉢播き実生苗(手前)。
     



   今回窯出しの鉢。
           









2013.3.26記


能登はのどか まだ冬の名残

 先週能登へ行ってきた。
昨年の鳥取旅行に味をしめて、同じ旅行社の、2泊3日格安ツアーの広告に釣り上げられたという訳だ。

 飛行機が高度を下げると、山陰に雪が残っているのが見えた。空港の端には、除雪された雪の山がまだ高い。
東京は桜の季節に入ったが、能登はまだ冬の気配が消えていない。

 輪島の町並みは、懐かしく目に柔らかい。ビルは少なく、道行く車も少ない。
家々はほとんどが昔ながらの杉の羽目板に覆われ、窓には格子がはめられている。新しい家にも、アルミサッシュは少ない。

古都と言っても、一部の保存地区に古い家並みが残されているだけということが多いが、能登は町中が保存地区のようだ。
といっても、特別の建築様式があるというほどのことはないが、私たちの世代は、タイムスリップしたような感覚を覚え、そう言う場に身を置くだけで来た甲斐があった。
澄んだ川が多いのも、好ましい。

 タクシーの運転手の「静かすぎてねー」というのもわかる。
住んでいる人にとってはそういうものだろう。

 出発が午後だったので、初日はホテルの周辺を散策したのみ。
値段が値段であるから、山海の珍味を期待した訳ではないが、夕食になって、失敗を悟った。

1人分の料理が載っている、さほど大きくもない膳が目の前に置かれると、途端に女房と孫娘(高1)がしょんぼりとしたのが見え見え、会話が途絶えてしまった。
いつもは食卓の写真を撮るのに、その気も起きないのは無理もない。
これといったメインもなく、まるで下宿のまかない飯のような菜である。
後になれば笑い話であるが、お通夜のような夕食になってしまった。

 翌朝のバイキングも、孫は大不満の様子。爺の信用は大きく失墜した。
名物の朝市は、女房には大受け。見ているだけでも面白いが、亭主が漁師、母ちゃんが一夜干しなどの加工をした新鮮な海の幸が、呆れるほど安い。
自家用、娘の家、親友のPさんへなど、たっぷり買い込んで、女房は大満足であるが、孫には退屈であったようだ。

 ナツエビネと称するものを売っている店が2か所あった。
昔なら迷わず手を出したであろうが、よく見もせずに通り過ぎた。
たいていの物には価格が表示されていたが、なぜかエビネには値札がない。
相手の顔色を見て決めるということか。
売り手は「この辺でももうなかなか採れないよ」と山採りを隠さないが、朝市に出せばそうなるだろう。

 朝市の後キリコ会館へ。
祭りのときに神輿を先導する山車だが、最大のものは高さ15メートルもあり、150人で担ぐとか。
暗い展示場で、灯を灯されたキリコの列はなかなか荘重な眺めで、圧倒された。

 輪島漆芸美術館で輪島塗の粋を鑑賞した後、門前へ。
移動のつど、同じタクシーがすぐに来てくれる。
門前はちょっと離れている(車で30分ほど)が、孫がネットで好評のイタリアンに行きたいという。
能登でイタリアンかい?という感じだが、前日の失点があるので、ここは孫の希望を入れることに。
ここが意外にも当たりで、地元の食材を使った料理を女房も絶賛、しかも安い。
孫の機嫌も上々で、先ずはめでたしである。
門前では、総持寺に参拝し、北前船で財をなした角海家を見学した。

あちこちに「能登雪割草まつり」の幟やポスターが目につく。
苗を売る店もある。聞けば近くに群生地があるとか。能登は雪割草が盛んな地であるようだ。
老人施設にも「ゆきわりそう」の名がつけられている。

雪割草の自生地も一度は見てみたいが、今回は目的外であるし、どうせ聞いても場所を教えてくれないだろうと、気持ちが動くこともない。
帰りは折よくバスに乗れたが、車窓から、「雪割草群生地」立て看板が見えた。
大丈夫かなと、よそ者は気を回してしまうが、やはり能登はおおらかな土地柄なのだろう。

 2日目はホテルの夕食をやめて、タクシーの運転手推奨の鮨屋にした。女房も、孫もニッコリで、何とか爺の面目を取り戻せた。

 3日目は予約した朝乗り合いタクシーが迎えに来るので、どこにも行けない。

中1日で、見たいところは見てしまったので、まあいいかというところ。
今回2度目のパックツアーで経験したこと。

   あまりの格安は慎重に検討が必要。
 遅い出発、早い出立では、3日間と言っても実質1日しか使えない。


   食事を売りにしているツアーを選んだ方がよさそう。
 そういえば、このツアーの広告には、食事の写真が載っていなかった。
 あれを載せたら客は集まらないもんなー。
 どっちにしても、2泊3日、往復JALで22000円では文句も言えないか。



          輪島の家並み                    キリコ会館
          


         朝市のエビネ                   路傍で売られていた雪割草
          









2013.3.12記


まだ少し腰痛が

 今日も朝寝と朝風呂で一日が始まった。
これで腰痛がなければ優雅な生活である。
隠居後の理想の生活スタイルは、小原庄助と行きたい。
ボケ防止のために、午後に少し仕事をする。

 腰痛を発してから、今日で5日。起き上ったり、室内を歩くのにストックに頼らないで済むようになったが、あと1日2日はじっとしていた方がよさそうだ。

 以前は寝返りもできないような相当重篤な腰痛でも、1週間も寝ていれば収まったのだが、自然治癒力もだいぶ衰えたようだ。
避けようのない老化と、すべてにおける能力低下は、抵抗したところでどうにもならない。
あるがままに受け入れて、付き合っていくしかない。

 食事と風呂以外は横になっているしかないので、五木寛之の軽いエッセイを読んでいる。
氏も同病の士であるようで、腰痛の話が出てきた。
氏は腰痛に関しては、「ちょっと通のつもりである」と、自慢げに書かれているが、その道40年を越える私も引けはとらない。

 話はかわるが、同年輩が集まると病気の話題に花が咲く。
そんなとき、病の多さ、重さを誇る口調になるのは、どういう心理なのだろうか。
これは、分析してみるに値する命題ではないだろうか。
腰痛以外に誇るに足る病を持たない私は、なぜか「負けた」という気分になってしまうのも、また妙なことである。

 話をもとに戻そう。五木氏は、腰痛は二足直立歩行する人間の宿命で、治るということはないと断言されている。
これについては、全く同感である。私も腰痛はひどくならないよう、だましだまし一生付き合っていく覚悟でいる。
氏のユニークな点はその先で、だから犬のように四足歩行すればよいという結論に到達し、室内で実行しているというところである。

確かに四足歩行の動物には腰痛はないであろう。
しかしである、人類は二足歩行になってから、100万年単位の時間がたっている。いまさら動物の歩き方を真似て腰痛の予防になるのだろうか。

 五木氏が20年にわたる模索の果てに編み出した秘法を採用すべきか否か、天井を見つめながら、思案黙考している私である。
養生していても、なかなか無念無想というわけに行かない。










2013.3.10記


腰痛

 またまた腰痛を発してしまった。どうもこの時季はよくない。
植え替えは腰痛もちにとって不吉な作業である。
透かし鉢5ケを含む次の窯焼の準備も八分通り終えたところでの腰痛である。

予定では明日で釉掛けを済ませて、明後日に本焼きのはずであったが、一週間ずれ込みそうである。
予定通り進まないのは気に入らないが止むを得ない。
腰痛の時は安静にしているのが一番。自然治癒を待つ外はないと経験が教えている。

今回入浴すると楽になるということを知った。何事も経験である。
朝晩ゆっくり湯につかって体を温め、睡眠も十分、これで酒がつけば小原庄助さんであるが、それは隠居後の楽しみにとっておこう。


この原稿も床の中で書いている。パソコンはひどく腰にこたえる。
女房の手が空いたら打ってもらうつもりだが、きっとこう言われるであろう。

「のんびりできない性分だから腰痛になるのよ!」



3月10日

今日は私にとって忘れられない日である。
68年前のこの日がなかったら今の自分はない
。欅窯も鉢作家としての自分はない。

新聞やテレビでは、3月11日関係の報道に隠れて、3月10日は影が薄れている。
この日は11日の前日でしかなくなったように感じられる。
3月11日の参事はまだ記憶に新しく、今なお心の傷の癒えない人、先の見えない不安定な生活をしているひとがたくさんいる。

一方3月10日を直接知る人はみな70代以上になってしまったのだから、それも仕方ない。
ただ肉親を奪われた痛みは何十年経っても癒えることはない。

3月10日は遠くになりにけり。









2013.3.4記




 図書館への行き帰りによく通る、小さな児童公園に1本の欅の木がある。
大木と言うほどではないが、伸び伸びと枝を伸ばし、欅らしいよい姿の木である。

 先日公園を抜けてゆくと、職人さんが枝おろしをしていた。
次に通ったときには、太い枝が何本も切られて、情けない姿になっていた。
枝を切ったあとには、小枝が密生し、欅の本来の美しい姿が失われることであろう。

 公共の場の木であるから、どうしても切らなければならない事情があれば仕方ないが、見たところ枝を切らなければならない理由が分からない。

以前近くによい形の欅の大木があった。
四季折々にその雄大な木姿を見ると、気持ちがなごんだ。
殊に冬の日暮れ時に、夕焼けの空を背負って浮き上がるシルエットにはしばし見惚れていた。
ある時、この欅が根元から伐採されてしまった。惜しいことである。

東八道路分離帯の欅も、手足をもがれたような情けない姿をさらしていて、気の毒である。
こんなことをするのなら、最初から欅を植えず、別な樹種を選べばよいと少し腹が立ったが、そんなことを思うのは自分だけなのかもしれない。

 屋号と同じ名の木であるからという訳ではないと思うのだが、欅が切られるのは見たくない。
民家の庭の梅や柿が強く剪定されているのをみても、別に痛々しさを感じないが、欅となると別である。
欅は好きなように、伸びたいだけ伸ばし、枝葉を広げさせてあげたい。欅には剪定は似合わない。



                       
        三鷹駅南口の欅                       三鷹駅の欅に添えられたプレート   
    まだ若いが大木にまで育つことを願って見ている。




       
         こんな姿の欅は見たくない。










2013.2.27記


日本酒とワイングラス

 このところ、「○○と××」というタイトルが続いているが、別に意識してそうしているわけではない
。たまたまそうなっただけのことである。

 前回のスカイツリーがすぐそばに見える、イタリアンレストランでの話。
日本酒があるというので、酒好きのS君と私が、純米辛口を常温でと頼んだ。

当然コップになみなみの酒が運ばれると思い込んでいたが、ウエイトレスが運んできたのは、ワイングラスに3分の1くらいの日本酒。
「グラスはこれしかないんで」という。

枡までは求めないが、「日本酒を置くならそれらしいグラスくらい備えておけよ」と内心思ったが、まあいいやと一口飲んでみると、何と!酒の味がしない。
白ワインでもないが、酒でもない。

 思うに、飲み食いには習慣があり、その習慣と味が密接につながって記憶されているようである。
また、味覚と視覚はセットとして、脳に刻み込まれており、それが齟齬をきたすと脳が戸惑い、味覚に狂いが生じるらしい。

 ミスマッチの鉢に植えられたランを見て、美観に軋みが生じるのと似ているような、いないような。

こういうところで日本酒をオーダーするのがそもそも間違い、といわれれば一言もない。










2013.2.25記


スカイツリーと隅田川

 王子第五小学校の同級生との会合があった。
昨年12月に鳥取島根に旅行したグループである。


 今回は一人が体調不良で不参加、そして新しいメンバーが一人加わり、6名である。
会場は、浅草吾妻橋東詰近くの新しいビルの22階である。
屋上に巨大にして奇妙な形の、黄色いオブジェを頂くビル(通称?ウンコビル)の隣である。

 言うまでもなく、スカイツリーを間近に見ることができる場所である。
窓からは、紫色のイルミネーション彩られたスカイツリーが良く見えた。

 しかし、私の座った席からは、スカイツリーは死角に入って見えず、眼下に光の海の中をうねる隅田川が目に入る。
赤い提灯を軒に並べた観光船が行き来している。すぐ近くに言問橋を渡る車のライトが見える。

 昭和20年310日の東京大空襲の夜、隅田川の右岸左岸で炎に追われた人々が言問橋に集中し、動きが取れなくなった。
荷車や、背負っていた荷物に火が付き、橋の上は炎熱地獄と化し、多くの人が亡くなった。

 当時4歳の私が、父親の背に負われ、火が治まる朝まで冷たい隅田川に浸かって、奇跡的に九死に一生を得たのも、この場所である。

その68年後、こうして22階からその現場を見下ろしながら、イタリア料理に舌鼓をうち、酒を飲んでいる。
そして、歓談しているのは、終戦直後に小学校にあがった旧友たちである。

 人気の観光スポットである、スカイツリーの展望台で、眺望を楽しむひとたちのなかでも、
68年前に足下の川面と橋が、惨苦の果てに命を落とした人たちで埋まったことに思いを馳せるひとは、いまやごく少数であるに違いない。










2013.2.20記


月産 続き


電気炉の窯出しをした。
今回私の作品は9点だが、1点は付け足しで、どうということのないもの。
実質8点である。半分は注文品の富貴蘭鉢である。

 このうち、1点が出来損ない、2点が少々難ありの要焼き直し、5点が合格品。
]2月の成績は5勝1敗2引き分けという結果で、月産5点である。
こんなことでよいのだろうか。といってもこれが現実であるから良いの悪いのと言ってもはじまらない。

失敗作の1点は、初めての試みの瑠璃釉市松文六角鉢。
いままでのものと違って、瑠璃釉の市松文を、平面ではなく、角に持ってきた。
角は平面に比べて火の当たりが強く、高温にさらされるため、瑠璃釉が流れて、市松文が崩れてしまった。

 文様は崩れたが、女房は形がよく、すごく可愛いというので、即払い下げ、女房のコレクションに加わった。
使用上差支えはないし、作者の思いのこもったものであるから、ゴミになるよりはよいのだが、やっぱり思う、こんなことでよいのであろうか。



                 










2013.2.18記

月産


 昨日電気炉を焼いた。
このところ毎月1回のペースで、電気炉を焼いている。
小型の炉であるから、1度に入るのは、小品でも20~30点である。
そのうち私の作品は7、8点である。1カ月に仕上がるのはそんなものである。

 たいていは1、2点のロスや、焼き直しが必要な失敗が出る。ということは、平均して月産6,7点ということになる。
手のかかる透かし鉢の注文が多いとはいえ、何ともゆっくりしたペースである。

といっても、手を抜いたり、怠けたりしているわけではないし、我が家では時間の流れがゆっくりな訳でもない。
週5日はしっかりと、目いっぱい仕事をしている。
体中の筋肉はガチガチで、まめにマッサージに通っても一向にほぐれない。
力を使う仕事は多くはないのだが、座りっぱなしで、細かい作業をすると、全身の筋肉が硬直するものらしい。
特に腰への負担が大きい。

体力気力と相談して、80歳まで現役という目標を下方修正して、あと5年と思っているのだが、
これ以上ロスを出すようになったらと思うと、またまた隠居の二字がちらつく。









2013.2.10記

地震対策


 こわれものの多い商売であるから、地震が怖い。
在庫品・保存作品が壊滅的な被害を受けたら、損失もさることながら、気分的に立ち直れなくなりそうである。

 3・11の東日本大震災のときは、経験したことのない激しい揺れに、家が倒壊するかもしれないと思った。
階下の棚に置いてある作品は全滅と覚悟したが、幸い被害はごく軽微であった。
三鷹は地盤が強固のようで、近隣にも被害はなかったようだ。

 その後、首都直下型地震の可能性など、恐ろしい報道が続いた。何とか地震対策をしなければと思いつつ、安全で見栄えの良い方策がなかなか思い浮かばず、1年以上が過ぎてしまった。
喉元過ぎて熱さを忘れたわけだはないが、忙しさにかまけて、まだ大丈夫だろうなどと思い込もうとするところは、誰しも同じと思う。

 やっと良い方法を思いつき、今年のはじめから少しずつ作業をして、ようやくほぼ完成した。

 棚の各段に厚さ2ミリアクリル板で、引き戸をつけた。これで、鉢が棚から落下することは防げる。上下のレールは強力両面テープで着けた。
アクリル板を切るのは厄介な作業である。切るというよりは、厚さの3分の2位まで溝をつけ(専用のカッターで15回位掻き取る)、折り曲げて切断するが、なかなか一直線に切れない。
加えて棚の高さが左右で微妙に異なるので、スムーズに開け閉めできて、アクリル板が振動で外れないよう、遊びを最小限にしようと思うと、結構手間がかかる。


 棚には、防災グッズの売り場でみつけた滑り止めシートを敷いた。
倒れやすい春蘭鉢・寒蘭鉢は、三つの足に超強力両面テープをつけ、棚板に固定した。
このテープは優れもので、試しに板を強く揺すっても、垂直に立てても鉢をしっかりと固着している。
1ミリほどの厚さがあるので、振動を吸収するクッション性にも優れている。

 地震対策も万全で、在庫の鉢が雑然と置かれていた棚が、見違えるように整理されて、やっと展示室らしい体裁が整った。
作り付けなので、棚が倒れる気遣いはないが、家が倒壊すれば、これはもう諦めるよりしかたがない。
再起不能である。そのときは不本意な隠居ということになるであろう。


                              










2013.2.2記

ドラえもんの貯金箱

暮れに片づけをしていたら、懐かしいものが出てきた。
ドラえもんの形の貯金箱である。
息子は、子供の頃ドラえもんの大フアンで、カブスカウト(ボーイスカウトの年少者)でドラえもんの話ばかりするものだから、リーダーたちに「ドラえもん」と呼ばれていた。

 それほど好きなのならと、陶器でドラえもんの貯金箱を作ってあげた。
貯金を出す必要が生じたら、出し方を教えてあげようと思って、お金の取り出し口はつけなかった。

 ところが、急な必要が生じたようで、息子は私に相談することなしに、貯金箱を叩き割ってしまった。
これは、計算外の事態で、割れた貯金箱が捨てられているのを見たときには、ちょっとショックを感じたが、しかたがない。
先に壊さずに出す方法があることを伝えておくべきだった。かけらを拾い集めて、接着剤で補修して、しまっておいた。

 今年の正月に、家族全員が集まって、酒が進み盛り上がったところで、孫たちにこの話を披露した。
30年以上たって再会したドラえもんを、息子は何も言わずに、ザックに入れて持って帰った。



               








2013.2.2記

テツオサギソウ

今年もテツオサギソウがにぎやかに咲いた。といっても、どこといって華やかさのない、地味な花であるが。
栽培を始めてから6年になるが、今までのところ順調に増殖しており、冬季の加温(最低15℃位)さえ適切であれば、さほど厄介なものではないようである。
この株の原産地は石垣島と聞いている。

近縁のリュウキュウサギソウ(別名イトヒキサギソウ、ナメラサギソウ、三つの名を持つラン)も栽培は比較的容易であるが、こちらはいつまでたっても1本のままで、なかなか増えない。
見た目はよく似ているが、性質はだいぶ異なるものらしい。


順調に増殖しているといっても、6年間に1本が3.5本になったという程度であるが、趣味栽培としてはまあ満足のいく増殖率である。
希少種を手にした者の責任として、絶滅危惧種の生息域外保全に努めている日本植物園協会に寄贈したいと思っている。
これは東京山草会ラン・ユリ部会の活動でもある。
そういう視点からみれば、この増殖率は微々たるものである。

無菌培養がうまくゆけば、一気に増殖可能であるが、このラン、自家受粉ではタネができにくい。
同じ産地の株が複数あればもっとも好ましいことであるが、入手困難なランであるから、なかなかそうはいかない。
他家受粉でよいタネをとるために、いま別株を他所から預かっているが、残念なことにこれは産地が異なる。
石垣島と遠く離れた島ではないのだが、別の産地の株どうし交配したものは、タネも、苗も生息域外保全には使えない。

ラン・ユリ部会に提供して、会員に栽培してもらうのには差支えないので、自家、他家両方の授粉をした。
二つの鉢を温室から出したら、かなり強い匂いが漂った。
耐え難いというほどではないが、嗅いで心地よいという匂いではないから、どちらかというと悪臭である。
どんな昆虫がこの匂いに惹かれるのであろうか。

一般園芸的な評価からいうと、あまり良いところはないようなランであるが、何となくうまが合うようで、このランがけっこう好きである。
血統は良いが見栄えのしない犬に慕われているような感じといったら、テツオサギソウが気分を害するであろうか。 



                  








2013.1.15記


成人式と雪とリムジンバス

 上の孫娘が成人式を迎えた。
あいにくの天候で、いろいろ予定が狂ったようだが、家族全員が娘の住むマンション6階のビューラウンジに集まり、共に祝うことができたのは喜ばしいことであった。

 孫の着物は派手さはない色合いながら、柄は成人式にふさわしい華やかさがあり、この時期あまり街で見かけない、落ち着いた上品なものであった。
えんじ色のショールもよく合っていた。着付けをしてくれた老婦人にも、「こんないい着物をどこでみつけたの」と言われたとか(レンタルであるが)。
流行にとらわれずに、よく吟味して選んだセンスに、女房としきりに感心(爺バカ婆バカ丸出しである)。

 記念撮影に後に、孫が式に行っている間にも、積雪は見る見る厚みを増し、遠景も霞んできた。
式が終わる時間になったが、迎えの車を出すことができない。娘が歩いて迎えに行き、皆が気をもむなか「足袋で雪の上を歩いちゃった」と嬉しそうな顔をして、無事に戻った。
市長の祝辞が30秒で終わったとか。なかなかやるもんである。

 駅までの足はバスしかないというので、女房、息子夫婦と4人でバス停で待ったが、いつもは頻繁に来るバスが、一向に来ない。反対車線は、完全に止まっている。

 やっとバスが見えたと思ったら、成田からのリムジンバス。がっかりしていると、バス停に止まり、ドアが開いた。

「スリップした車が道を塞いでいて、路線バスは当分来ませんよ。どこまで行けるか分かりませんが、駅に向かいますので、乗ってください」と運転手。

 待っていた人たちが、渡りに船とぞろぞろ乗り込んだ。途中2か所のバス停でも、待っている人を拾い、難なく駅に到着した。
路線バスではないので、運賃は取らない。駅に着くや何事もなかったかのように、成田からの客の荷物を出す運転手のさりげなさが好ましい。
寒さが身に染みたが、心に暖かさをいただいた、小さな出来事であった。









2013.1.12記

コメスミレ

 若い稲の穂を食べていたら、中から小さなスミレが出てきた。濃紫色の花をうつむきに咲かせている。
その場にいた数人が取り巻いて、口々に感嘆の声をあげている。

 中の一人が言った。

「これはコメスミレと言って、稲穂に寄生する、とても珍しいスミレなんだ」

私は思った。

「不思議なことがあるものだなー。それにしても、どうやってタネが入るんだろう」


今朝目覚める直前に見ていた夢である。

眠っている間に、勝手にこんなストーリーを作り上げ、鮮明な画像まで見せるなんて、ヒトの脳も不思議な働きをするものである。








2013.1.7記

三鷹

 昨年の暮れも押し詰まった頃、郵便配達の人がきて、困った顔で言った。

「こちらの住所で、あて名がおかしい年賀状がきているのですが。
三鷹土という宛名なので、焼き物関係だとおもうのですが、この辺でほかに焼き物をやっているお宅がありますか?」

私「いえありません」

配達人「こちらに配達してもいいですか?」

私「住所は間違いなくうちなのですか?」

配達人「はい」

私「それでは配達してください。間違いだったら郵便局に持って行きます」

 そんなやり取りがあったが、配達の人も大変だな~と思っただけで、そのまま失念していた。

 年改まって年賀状を見ていて、大笑い!

 「三鷹土 鯉の介様」宛の1通があった。

 女房に、小学校の頃から親交を重ねているPさんという友人がいる。
二人は余りに仲が良くて、クラス会のときに担任に席を離されたという。
互いに相手の全てがこの上なく好ましく、互いに好ましくないことは一点もない。
親友というのはこういうものかと、羨ましいしいほどの仲のよさである。

一生の内に、これほど気の合う人に出会えるということは稀有なことで、小学生にしてこういう友人を得たことは二人にとって幸せなことである。
女房にしても、Pさんという友を得たことで、人生がどれほど明るく楽しいものになったか分からない。
この親友が、人を喜ばせることが大好きで、女房は筆舌に尽くしがたいほどの恩恵を受けている。

 昨年の初夏、出先からPさんの好物の濃厚トマト(極限まで水を控えて栽培した味の濃いトマト)を1箱送った。
送り主が本名では面白くないので、ちょっと遊んだ。「三鷹土鯉の介」

 Pさんはご自分の夫を「うちのドッコイさん」ということがある。
言うまでもなく「オットドッコイ」のひねりである。これで、送り主は三鷹の親友の夫と、Pさんにはすぐにわかるはずである。
この偽名は大いに受けて、Pさんを笑わせた。

 トマトを買った店では、顧客名簿をもとに年賀状を送ったわけだが、あて名を打ち込むときにさぞ疑念を抱いたことであろう。
どこまでが姓か、どこからが名が分からず戸惑った様子が目に浮かぶ。

 この年賀状を、Pさんに送った。これも大受けを取ったことは言うまでもなく、新春早々P家に笑いを届けられた。
こういういたずらを、喜んでくれるところが、また張り合いがあるPさんである。
郵便屋さんには迷惑をかけたが、近頃傑作の愉快事である。病み付きになりそうで、次はなんという名を騙ろうか。

 11月の鳥取ツアーの時も、P家のドッコイさん好物の海産物を送ったが、そのときの送り主の名は「鳥取加令良酢」。
この名の由来の説明は省くが、Pさんには即通じて、またまた当たりを取ったが、残念ながらこのあて名の年賀状は来なかった。









2013.1.3記

新年を迎えて


 みなさま、あけましておめでとうございます。
今年がみなさまにとって、そして日本にとって希望あるよい年になることを念じています。

 昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願い申し上げます。

 

 欅窯は、昨年は2月までは個展の準備、個展終了後はたまっていた注文を年内にこなすことを目標に結構がんばりましたが、ロスを出すことも多く、思うように進まず。
後半からは、受注後2年以上を経過しているものを納めるということに目標を下げたが、それも果たせず、時間切れとなった。
長いことお待ちいただいているお客様、ごめんなさい。

 「今年こそすべての注文品を納めます」、なんてできない約束はしないが、精いっぱいの努力はする心構えである。
断るということができなくて、注文を受けると、嬉しくなって、何でもホイホイと引き受けてしまうという性分は死ぬまで変えることはできそうもないので、まあ最後までこんな調子でいくのであろう。

 ブログも間が空きがちで、書きたいことはあり、頭の中で文章は出来上がっていても、文字にできないうちに期を失してしまうということの連続。

 それというのも、今夜書こうと心を決しても、晩酌がはじまると、ついもう1杯があだとなり、明日でいいやとなってしまう。
この辺の心境は、左党の方にはお分かりいただけると思う。
職住一致の自営業者は、晩酌をやらないと1日の区切りがつかない、というのは言い訳である。

 何かまとまったことを書こうとすると、手を付けるのが遅れがちになる。
今年からは、軽い話も交えて、あまり間が空かないよう心がけよう。

 注文品を作り、なるべく業者さんにも不義理をせず、棚出し、工房の作品も含めて、月1回以上はネットショップを更新し、ブログもあまり間を空けず、
そしてできることならばこの間に、いままでにない新しい作品を、いくつかはひねり出し、次の個展にもそなえたい。
と考えると、これでもう今年1年が終わりという感じである。

 年頭に1年間が丸見えというのも、ちょっと面白くないが、病気をせず、薬を常用しない生活をあと1年延長できればよしとしよう。
使命感7.5分、義務感2.5分で仕事を続ける緊張感が、多分健康の元なのであろうから。