けやきのつぶやき

                   

草土庵主のブログ

   草と土を友として    
   蘭 人 一 如   




2012.12.28記


アキザキナギラン

 8月に、今年はナギランが機嫌よいと書いた。その後9月にナギランの新芽に病気が出たと報告した。
その時写真を載せたアキザキナギランの中透けは、新芽が駄目になった。
生命の危険を感じて気張ったのか、その後花芽が3本も上がってきた。正に死に花になりかねない状況である。

 株のためには、早めに花茎を切り取ってあげた方がよいことは分かっている。
それでも、命と引き換えに花をつけ、実を結び、タネを散らして子孫を残そうとする努力が健気で、なかなか鋏を入れられないでいた。
もう一花咲かせてやりたいという気もあった。

主が優柔不断で、決断できずにいるうちに、花茎が伸びて、つぼみが膨らみ、とうとう咲いてしまった。
本人の意志を尊重するなら、授粉してタネをつけてやるべきところであるが、この株は今まで何回も授粉を試みたが成功していない。
それに、ここでタネをつけたら、ますます体力を消耗して、生き残る可能性を削ることになるのは間違いない。

数日花を見て、写真を撮り、花茎を切り取った。
この写真が遺影にならないことを祈りながら。

 

                

          欅窯 伊羅保蘭鉢









2012.12.25記


透かし鉢は何処へ?

 まとまった富貴蘭鉢の注文の2点を仕上げて送った。
前に2点送ってあるから、残りは3点、と思ったら、注文主は残り4点とおっしゃる。納品書を調べたら、まさしくその通り。
確かに作った覚えのある鉢が、納めてない。註文控えを見ると、「済」と書いてある。間違いなく作ったはずの鉢が、納品されていない。
ほかに納めたということは、もちろんないと断言できる。一瞬頭が混乱して、どうなっているのか分からない。

 女房も作っているのを見たという。だが、出来上がりを見た記憶がないという。
そういえば、自分でも作った記憶はあるが、焼き上がりを手にした覚えがあるような、ないような。
焼きで失敗した場合は、参考のためにしばらくは残しておく。
また、使用上差支えない失敗ならば、女房に所有権が移るのが通常である。
失敗作がないということは・・・。「途中でこわれて焼くまで行かなかったんじゃない?」という女房の推測が現実味を帯びてくる。しかし、全くその記憶がない。

 作った記憶は鮮明で,「済」と記した記憶もあるが、その間がおぼろにかすんでいる。
我ながら怖い話である。失敗は珍しいことではない。成形の途中で崩してしまったり、焼き損じたり、それならそれでよい。
しかし、失敗の記憶が全く欠落しているということが問題である。

他の年内納品の予定であったものともに、今日釉掛けを終え、何とか明日窯焼きというところまでこぎつけた
。何とか気分よく年を越したいものである。










2012.12.16記


鳥取・島根へ

 新聞を見ていて、H旅行社の「松葉ガニフルコース 足立美術館・出雲大社・鳥取砂丘 2日間」という広告が目に飛び込んできた。
庭園の美しさで定評の足立美術館と、砂丘の風紋はかねてより一度は見たいと思っていた。
加えて松葉ガニとくれば気を惹かれる。さらに気に入ったのは、29900円という価格である。
JALで往復、宿泊はホテルニューオータニ。ホントかね?と思うような低価格と内容である。

 ある知人は、「本物の松葉ガニ?」とあからさまに疑問を呈したが、大手旅行社であるから、まさかインチキということはあるまい、
ということで、女房をさそったが、「冬は寒いところに行きたくない」と一発で拒否された。


 それではと、前出の小学校の同級生に声を掛けたところ、3人が快諾。行きがかり上私が幹事になったが、実はこういうパックツアーに参加するのは初めて。
出発までに散々手続き上のヘマをしたが、無事羽田を発った。

 岡山に着くと、意外や雪がちらつく。鳥取に向かう山越えのコースは進むほどに雪が激しくなる。
白く染まった山々を見ながら、この辺にはどんなランがあるだろう。
この谷沿いには着生ランもありそうだなどと場違いなことが脳裏をよぎる。

 近頃は日本中どこへ行っても同じような建物ばかりであるが、中國山地の家々はその地の伝統的な建て方で統一されており、目に優しいたたずまいである。
と言っても特に特徴的な様式ではないが、新建材の家でないというだけで、そういう感慨を持ってしまうのも、ちょっとさびしい気がしないでもないが。

途中中国庭園を見学、のはずだったが、あまりに寒さに早々に切り上げ、園内でちょっと侘しい中国雑技団の演技を見て、鳥取砂丘に向かう。

 晴れていれば風紋の陰影が美しいはずの夕暮れどき、砂丘は雪に覆われて、白一色。覚悟はしていたが、予想を越える寒風の厳しさに、一同震え上がった。
耳がちぎれるようなという感覚を、久しぶりに味わった。

 二度と来ることはないであろうと、砂の美術館も見学した。
札幌雪祭りの雪像を、砂で作ったという感じで、入場料に見合うくらい、よくやるなーと感心した。

 このツアーの一番の売りである、松葉カニのフルコースは、確かに看板に偽りなしであった。
添乗員が自慢げに「広告の写真そのまま、4人掛けのテーブル一杯に2人分のカニ料理」といった通りであった。
ミソもたっぷりの松がガニ1っぱいだけでも、水産店でみたら8000円位していた。
一体どうやって利益を出しているのだろうと、一同首を捻りつつ、もうカニはいいというくらい堪能した。
熱燗にしてもらった安い地酒(さすがにこれは別料金)もまことに美味で、最後は甲羅を盃にして上がり。

 翌日は猛吹雪のなかを、鉛色に荒れる日本海に沿って安来へ。
天候が目まぐるしく変わり、突然青空になったかと思うと、また横殴りの雪になる。
島根県に入ると、雪もやみ、寒さもだいぶ和らいだ。

足立美術館は、大観や陶芸館の河井寛次郎のコレクション他、収蔵品も一級だが、建物とよく手入れされた日本庭園の配置が絶妙である。
延々展示室が続く普通の美術館を全部見てまわると、相当の疲労感を覚えるが、隣の展示館に移るたびに違う角度から庭園が見られ、目を休ませてくれる。
ところどころに額縁のような、また掛け軸見見立てた窓ごしに、苔の緑や遠景の山水が待っている演出も嬉しい。
ただ、土産館で孫に買った、成績のよくなる薬(薬袋の中身は飴、どうでも医院という医院名が書かれている)は受けなかった。
美校生の孫たちにこういう土産を選んで、爺のセンスが疑われたのは遺憾である。

最後に出雲大社に参詣してすべての行程を終える。2日間で530キロの移動である。
個人で行ったら結構大変なコースであるが、実に気軽気楽で、パックツアーを見直した。
同行の幼馴染たちも大満足の体で、面目をほどこした旅であった。


          

          雪の鳥取砂丘                              砂の美術館

                 



   足立美術館日本庭園 遠景の山も美術館の所有地とか。             次の展示館に移動すると小庭園が現れる。
              









2012.11.27記


隠居願望その後

 前回隠居に憧れていると書いたが、どうも周辺の反応が今一つよくない。
何人かの熱心な欅鉢コレクターに、
「隠居に憧れるのはよいけれど、隠居はよくない」と釘をさされた。
欅窯を支えてくださる方たちにそういわれると、当方としては弱い。

欅窯フアンには、若い人も多い。
これからも積極的に欅鉢を蒐集したいと思ってくださっているところに、隠居などと言い出しては、水を差すようなものかもしれない。
 

私の鉢を色っぽいといってくれるフアンもおられる。主に蘭鉢についてであろう。
蘭鉢は線が命と思っている。その作者の意図を汲んで、色っぽいという言葉で表現されたのであろう。
最高の褒め言葉と受け取ろう。色っぽい隠居は共存できない。二択を迫られれば、やはり色っぽいである。

個人事業とはいえ、自分の都合ばかり考えていてはいけない。
求められているうちが華という言葉もある。


 しかし幻の隠居印に終わるのも残念である。
原発政策ではないが、結論を先送りにして、しばらく隠居という言葉は封印しておこう。









2012.11.19記


隠居

 隠居という立場に憧れている。
隠居というと、日の当たる縁側で、渋茶をすすりながら、庭を眺めているとか、日がな一日盆栽をいじっているとかいう老人をイメージされるかもしれない。
それは、いわゆる「ご隠居さん」の姿である。私が憧れるのは、「ご」と「さん」抜きの隠居である。

 そも、隠居という言葉が、今では死語と化しているように思える。
なぜ隠居が死語となったのかを確認するために、辞書で隠居を引いてみた。



広辞苑(昭和52年岩波書店)

  世を避けて山野などに隠れ住むこと。

  官職を辞し家督を譲って、閑居すること。またその人。(以下略)

大辞林(1989年三省堂)

  勤め・事業などの公の仕事を退いてのんびり暮らすこと。また、その人。

  民法旧規定で、生存中に家督を譲ること。(以下略)

いまでは家督という語もないし、家長という立場もなくなっている。
核家族
が普通のいま、第一線を退いても所帯主という立場は変わらない。
だから隠居という言葉が死語になったのであろう。
サラリーマンが退職しても、隠居とは言わない。
楽隠居などという言葉は忘れ去られて久しい。

 広辞苑の①は余りに時代離れしていて、論外である。
私が憧れる隠居は、辞書のどの項にも該当しない。
大辞林の②に近いが、一つ抜けていることがある。

最近は耳目にしないが、隠居仕事という言葉があったように思う。
ちなみにこれは辞書には載っていない。
家業を次代に任せ、第一線を退いて、手すさびに責任の伴わない仕事を、気の向くままに、ぼちぽち続けるという図であろうか。

茶道家元の千家が定める千家十職に代々楽茶碗をつくる楽家がある。
その祖は利休の指導で楽茶碗を創出した、帰化人の長次郎である。
楽家では代々、当主が息子に家督を譲って隠居すると、落款を変えた。
隠居仕事で作った茶碗に使用する落款を隠居印という。

桃山時代から続く楽家と、一代で趣味から始めた欅窯は、天と地、月とスッポンのたとえにもおよばないが、憧れるところはわかっていただけると思う。

家業とも言えない私の仕事は一代で終わるので、誰に譲ることもできない。
譲らないままに、隠居になりたい。
気の向くままに、作りたいものだけを作り、気に入って下さる方に使っていただく。
そういう生活に憧れている。あと3年、75歳になれば、そういう生活も許されるであろうか。
欅窯の隠居印を考えておかなければ。




欅窯の落款一覧









2012.11.15記


黒柿

 頃合いの大きさの柿の鉢植えを探していた。
食べるためではない。着生ランをつけるためである。

 前に紹介したように、我が家の柿の木には、10種以上の着生ランがついている。
正確に言うと、着生ランをつけるために植え、私がつけたのである。
柿の木肌は着生ランとの相性が非常によく、いずれも元気に生育している。

 しかし庭に植わった柿の木では、展示することができない。
そこで柿のタネを播いて育てようかと思ったが、それでは時間がかかりすぎてとても間に合わない。

 近くの農協緑化センターで、ちょうどいい具合の黒柿をみつけ、2鉢買ってきた。
高さ40センチほどで、実がついている。生きている黒柿を見るのは初めてで、実も黒いことを知った。
あまり食欲をそそる色彩ではないが、食べてみると柿好きの私が容認できる甘さである。

 ただ、まだ若いので、柿独特の荒れた木肌にはなっていない。
盆栽にするのではないから、樹形は二の次である。とは言ってもあまりに愛想がない姿なので、何年か掛けて姿を整えたい。
見られる形になって、木肌が荒れてきたら、ムギランなんぞをつけてみたい。樹幹一面にムギランやマメヅタランが這い回った様を思い描いて楽しんでいる。

時間を掛ければ実現するのは難しいことではないのだが、それまで元気にしていられるかが問題である。
見ごろになった頃に、同好の士に譲り渡すということになるかも知れないが、それはそれでよい。

 こんなことを始めたのも、着生ランのヘゴづけがつまらなく感じてきたからである。
生かしておくというだけのことならば、ヘゴでもよいのだが、見栄えがせず、風情も何もない。
コルクの方がまだよいが、コルクにはなじまない着生ランも少なくない。
加えて、コルクは日本の樹木ではないので、いまひとつなじめない。
たいていの着生ランがヘゴづけでうまくいくようになったので、次のステップとして、鑑賞性を高めた栽培法をという欲が出たのである。

 いま杉と松の鉢植えに着生ランを着けて様子をみているが、悪くなさそうである。
松には、フウラン・小型のセッコク・ベニカヤラン・カヤラン・ムカデランが着いている。
試しとは言え、小さな松にこういろいろ着けては、まとまりに欠ける。
なかでも手なずけにくいベニカヤランがご機嫌なのが目立つ。
ベニカヤランはマツランという別名を持つくらいであるから、松とは相性がよいのであろう。
もしかすると、松の木肌には、ベニカヤランの共生菌が住み着いているのかもしれない。
もう一鉢松を入手して、ベニカヤラン専用の宿り場所としてみたい。

 杉の木には、カヤランが一番似合う。もう少し大きく育ててから、ミニ群生風景を鉢のなかに出現させたい。
横枝にヨウラクランなどをぶら下げたら一層良い眺めになろう。

更に梅の鉢植えにクモランをつけて、自生地のように折り重なるほどに増やせたら最高であるが、これはかなり困難が予想される。
ラン・ユリ部会のメンバーが、ヘゴ板にクモランを着生させることに成功したので、不可能ではないかもしれない。
こんなことを考えて、次から次へと夢をふくらませ、恍惚のときを過ごせるのも、ランに依存する人間の特権であろうか。

クモランはさておき、松・杉・柿は何とかものにしたい。
これらの出来上がりの姿を見るまではボケていられないと強く念じれば、少しはボケ防止の効果があるかもしれない。
と淡い期待を寄せながら、鉢植え樹木着生ラン栽培法に取り組んでいる昨今である。



                  
                  黒柿の苗                    着生実験中の松


          
                 松につけたベニカヤラン 








2012.11.12記


富貴蘭自慢会


 S山草展の富貴蘭自慢会に行った。
今年は女房も2点出品。いつものように、店主はじめ、多くの方々が、欅窯の鉢に自慢の富貴蘭を植えた作品を展示されていた。
自分の作品が、上手に生かされて使われているのを見るのは、いいものである。

 

 伝統園芸の鉢を、工芸品として社会的に認知してもらうという、この道に入った当初の夢は、夢のままに終わりそうである。
今は、一人の人間が一代でなせることではないと割り切れている。

趣味園芸の世界でも、一般的にはなじみの薄い伝統園芸。そのなかでもかなり特殊な蘭の世界。狭く小さな分野である。
またその中で鉢にこだわる、ごく一部の愛好家に評価され、愛用されていることをもってして、40年一途に打ち込んできたことが報われたと思おう。

 

年齢的にもいろいろな面で右肩下がりになりがちな昨今、気持ちを立て直すエネルギーを与えてもらえる展示であった。
はやりの言葉で言うならば、モチベーションをかさ上げしてもらえた日であった。幸せなことである。



                    



                                                        








2012.11.1記


カイジョウロウホトトギス

私の所属する東京山草会では、毎年春と秋に、調布市の神代植物公園で山草展を開いている。
秋の展示会の華は、イワシャジンとジョウロウホトトギスであろう。
どちらも栽培者の腕を見せられる山草である。

ところが、いつの間にか様変わりして、秋の山草展にシャジンが出なくなった。酷暑のためにシャジンが夏を越せなくなったのである。
山草店では、寒冷地で生産された、立派な花つきのイワシャジンの鉢が手ごろな価格で入手できる。
いまや東京では、イワシャジンは作るものではなく、花つきを購入して消耗するものになっているといってよいであろう。
気候の変化には勝てない。仕方ないことである。

ジョウロウホトトギスはというと、乾燥には弱いが、耐暑性があり、ヒートアイランドの東京市街地でも枯れることはない。増殖もよい。
問題は花期が遅れることである。かつては、10月上旬の山草展の会期に合わせて咲いてくれたのだが、ここ3年はこの時期にはまだつぼみが固い。
今年の開花は10月の半ばをすぎてからである。「6日の菖蒲、10日の菊」という諺があるが、10月のジョウロウホトトギスはいただけない。

 彼岸花も、その名の通り、例年秋の彼岸に咲いていたが、いまは10月に入らないと咲かない。
こちらは、花期が遅れたので、山草展に出品される機会を得た。

開花の遅れの原因は夏の暑さと、残暑の影響であろう。
暦が秋に入っても、ジョウロウホトトギスや、ヒガンバナは、秋が来たとは認識してくれない。

 過去2年うまく咲かせられなかったので、今年は気合を入れて肥培し、毎夕鉢の周辺にも散水して湿度の維持に努めたので、
葉を落とすこともなく(東京ではこれが自慢になる)、秋を迎えたが、期待通りには咲いてくれない。
1つの茎に5,6花という淋しい姿である。
一鉢に100輪もつけたのは、遠い過去の話になってしまった。

 ところで、カイジョウロウホトトギスという表題に、「そんな植物あったっけ」と不審に思われた方が多いことと思う。
それもそのはず、この名は東京山草会だけで使われているのである。そのいきさつについて、以下に触れておく。

 1976年(昭和51年)10月8日、毎日新聞(横浜版)に「幻の花 山梨山中で発見」という見出しの記事が掲載された。
この記事は「町の山野草愛好家が、植物界の常識をくつがえす発見をした。」という文で始まっている。
この「幻の花」がスルガジョウロウホトトギスである。
名前の通り静岡県に産し、その分布が富士川より西にはわたっていないと考えられていたため、「常識を覆す発見」と報道されたのである。

 東京山草会会員のGさんが、この発見者より増殖株を譲り受け、その後Oさんを経由して、我が家の棚に納まったのが平成15年である。
以来我が家では数少ない、ラン以外の保存植物の地位を保っている。

東京山草会では、静岡産のスルガジョウロウホトトギスとの混同を避けるため、カイジョウロウホトトギスという仮名を用いている。
1鉢のジョウロウホトトギスにも、このような来歴がついていると、一段と濃く情がうつるというものである。

静岡産のスルガジョウロウホトトギスも1鉢作っているが、こちらは肥培効果が現れにくく、同じに扱っても大きさはカイの半分位、花付もより悪い。
産地の差というよりは、個体差であると思っている。

  

 

       今年のカイジョウロウホトトギス       10月上旬に咲いていた頃のカイジョウロウホトトギス。1本に20輪以上の花がついた。

                           








2012.10.19記


断捨離その後


 ふたたびランにも鉢にも関係ない話で、間をつながせていただく。
依然断捨離進行中である。こういうことは、途中で一息入れてしまうとそのまま休止ということになりがちなので、気持ちが冷めないように維持することが肝要である。

 本棚をだいぶ片付けた。若いころにのめり込み、慰めと癒しを与えてくれた本は、その後ページを開くこともないままに、何度も引っ越しをしても、捨てることができずに来た。
倉田百三、ショウペンハウエル、太宰治、ヘルマン ヘッセ等々、何の脈絡もなく、乱読であったが、今思えば本に依存していた日々であった。
今はみることもなくなった、世界文学全集なども、みな古書店で漁ったものであるから、すべて紙屑である。
資源ゴミに出すほかはない。

 今はゴミであるが、書物は物であり、一時期深く親しんだ物には思い入れがこもっている。単なる情報の器ではない。
であるから、捨てるとなると、それなりの思い切りがいる。
ちょっと大げさに言えば、過去との決別という思いもある。

デジタル化された書籍であれば、おそらく捨て去るのも簡単で、何の感慨も伴わないのではないだろうか。
パラパラページを繰り、迷いを断ち切って、紐をかけるという作業もない。
削除の文字をクリックすれば一瞬で済む。
そもそもデジタル書籍は、物ではないのだから、思い入れもない(であろう)。
そもそも場所を取らないので、整理する必要もないのかもしれない。
同じ読むという行為でも、活字世代紙世代と、デジタル世代ではずいぶん感覚が異なるのではないだろうか。









2012.10.17記


クニガミトンボソウ

 沖縄の山間林床に生える、小型のランである。
ツレサギソウの仲間で、植物体は花も含めて、緑一色、きわめて地味で目立たないランである。
ソノハラトンボの名の方が馴染み深いのであるが、環境省のレッドデータブックに習い、この頃は表記の名を用いている。

 最初に断わっておくが、クニガミトンボソウは絶滅危惧ⅠAであるとともに、種の保存法で国内希少種にも指定されており、自生地での採取は勿論、譲渡・移動が禁止されている。
そういうランが我が家にあるのは、法律の指定以前から保有しているからである。
私がこのランを入手してから、四半世紀に近い。
その間増えたり減ったりを繰り返してきたが、現在は生息域外保全を意識して慎重に栽培しており、絶やす心配はなくなった。

 できれば仲間内に危険分散したいところであるが、法の壁がそれを許さない。
今年はじめて、ラン・ユリ部会で無菌培養によって増殖した苗を、正規の手続きを踏んで、環境省に寄贈できたので、ようやく危険分散の道が開けた。

 

今年は久しぶりにクニガミトンボソウがよくできた。
それというのも、夏に温室内の鉢を、すべて外の棚に出したのが、暑さに弱いこのランに幸いしたようである。
ここ2年で、寒冷地のランが、アツモリソウを除いてすべて退陣して、棚にスペースの余裕ができたため、こういうことが可能になった。
アツモリソウも2,3年後には鉢数が1ケタになるであろうと予測している。
最終的には、アメリカ産のアツモリソウだけが残りそうな気配である。

沖縄のランが暑さに弱いというと、不思議に思われるかもしれないが、東京の夏は沖縄どころか、小笠原より暑い。
特に夜温が下がらないのが著しくランにストレスを与え、消耗を強いる。

 クニガミトンボソウの自生地は、山中の沢沿いの冷涼な環境である。
都市緑化植物園(沖縄海洋博記念公園内)の調査によると、自生地の8月の最低気温は21℃、最高気温は27℃とのことである。
この数字をみれば、沖縄産のこのランが、ヒートアイランドの東京でいかに暑がっているか納得していただけるであろう。

 非常に葉質のやわいこのランは、沖縄で最適の環境下で栽培しても、花の時期には葉が枯れこむという。
昨年まで我が家では、花期にはほとんど葉が残っていなかった。
今年も痛みがないわけではないが、まあまあの姿で咲いている。
いままでになく花数も多く、生気があるように思える。
よいタネがタップリ採れることを期待している。

 猛暑のせいで、北のランが枯れて、南のランが喜ぶというのは、妙なことになったものである。
ラン栽培も、何が幸いするかわからない。



                      クニガミトンボ
                                 









2012.10.13記


窯焼きのことなど



 台風で延び延びになっていたガス窯を、久しぶりに焼いた。
6号の雪割草鉢10個の注文があり、小型の電気炉でははかが行かない。
受注したのは昨年の夏、12月に納品の予定が、催促されないのをよいことに、10カ月も遅れてしまった。

 3日後に窯出し。雪割草鉢は3個ロスが出て、取れたのは7割。
急ぎの注文の瑠璃釉市松文六角富貴蘭鉢2点も一部に釉はげが出て、失敗。これはもう一度釉を塗って焼きなおせば救済できるので、どうということはない。

前回焼き割れが出た、蜻蛉透かし鉢は、土を配合して作り直し、割れを防ぐことができた。
蜻蛉透かし鉢は、何度も割れが出ているので、女房はもう止めたらというが、好きな文様なので、そういうわけにはいかない。
割れない配合が分かったので今後は大丈夫、と思う。
教室の生徒の作品もみなうまく焼けて、生徒の喜ぶ顔が浮かぶ。というわけで、まあまあの窯出しであった。

 雪割草鉢を納品。註文主の業者さんは、いつもサイズと数量を指定されるだけで、あとはお任せ、できたものをすべて引き取ってくださるので、仕事がしやすく、ありがたいお得意様である。
阿吽の呼吸というところか。本当は納期の指定もあるのだが、間に合ったためしがない。
あちらさまも、その辺は織り込み済みであろう。

 今回の納品もみな気に入ってくださり、特に新しい釉薬の利休青磁がいたくお気に召したようで、次の注文をいただいた。
ホームページを見ていただいているようで、メダカ文の雪割草鉢のご所望があった。
やっぱり、メダカ好きの山草屋さんの所で、鉢とメダカが結びついたが、雪割草鉢にメダカは想定外であった。
この宿題、どういう答えを出したものか。じっくり考えよう。

 

            利休青磁蜻蛉文透かし鉢                   羽の先端から先端にヒビが走る。透かしが部分的に、不均等に入る場合起きやすい失敗。

                      








2012.9.30記


近況報告

 このところブログが途絶えがちになっている。
間が空くと、体調不良かと心配してくださる方がおられるので、近況報告をしておきたいと思う。

このところ、不調というほどではないのだが、快調とはいえない状態が続いている。
長く続いた暑さの影響か、疲れ気味で、今一つ心身共に気合が入らない。
ランにも鉢にもかかわりのない話だが、何とかやっているという証に駄文を綴ろう。


仕事場のリフォーム

 7月末から1週間仕事場のリフォームをした。多くの焼き物屋がそうであるように、我が家の仕事場も土間であった。
三和土(たたき)は、石灰と粘土を混ぜて固めるが、我が家は、ただ土を踏み固めただけである。

 土間は、適度な湿度を保ち、透かし鉢の作業をやるには具合が良い。夏は涼しく一人で作業をするときには、冷房を入れることはひと夏に数回しかなかった。
その分冬は下から冷気が這い上がり、足腰がひどく冷える。
冷えは持病の腰痛には大敵である。前々からいずれはと考えていたのであるが、面倒なので先延ばしにしていた、床張り工事をすることにした。


 もう一つの動機は、高い棚にものを上げ下げするのに、椅子に乗るのだが、最近2度続けてバランスを崩し、椅子から転げ落ちた。
こんなことで手足が使えなくなってもつまらない。

 それというのも、土間は自然に饅頭を並べたような突起ができて、4本脚の椅子はどうやってもグラグラして安定しない。
長い間に粘土が積もり、踏み固められているので、この小土饅頭が恐ろしく硬い。スコップでも歯が立たない。

 仕事場には、道具類、粘土、その他雑多なものがごちゃごちゃとあって、電動ロクロや土練機など、重いものも多い。
工事中は工務店の倉庫に預かってもらうつもりでいたが、依頼した工務店には、そういうスペースはないという。
しかたなく、すべてのものを片側に寄せて、半分工事し、その後工事の済んだ所に荷物を移して、残りのスペースを仕上げるということになった。

 出来上がって椅子もぐらつかず、万事快適にはなったが、暑い盛りの工事前後の片付けですっかり疲れてしまい、それも尾を引いているのかもしれない。

断捨離

 知人が義父の遺したもろもろの物を片付けるのに数カ月を要し、大変だったということを聞いた。
想像するに、片づけ作業の物理的な大変さもあったであろうが、それ以上に、故人の生きた証の様々なものを処分せざるを得ないときの、迷いや後ろめたさに目をつぶることが苦痛だったのではないだろうか。

それ以来、子供たちの大変さを少しでも軽減するよう、いまから不要のものを処分するように心がけているが、これがなかなか進まない。
仕事関係のものは、当面不要でも、いつか必要なことがあるかもしれないと思うと、どんどん溜まってゆく。
仕事場のリフォームを機に、これらを思い切って捨てることにした。
過去10年以上使わなかったものということを基準にして選別すると、大量のゴミが出た。
一度捨てると決めてしまうと、よくもこんなものを長年抱えこんでいたものと、われながら呆れる。

ちょっとやっかいだったのは、もう使わないと分かっていても、思い入れがあって捨てがたく、いままで何回もの整理をくぐり抜けてきたものたちである。
ペンダント、ブローチ、ネックレスの玉など、アクセサリーの素焼きと、それらを作るための石膏の型が残っていた。

仕事も定まらなかった若いころ、金になることは何でもした。
それでも焼き物に関係ないことには手を出さなかったのは、いま思うと妙なことである。
最も現金を得やすかったのはアクセサリー作りであった。

飛び込みでアクセサリー店にかけあい、委託で置いてもらった。
教会や学校のバザーに出店したり、つてを頼って女子社員の多い会社や銀行の昼休みに店を広げたこともある 
どこで聞いたのか、ハンドバッグのメーカーが訪ねてきて、留め金に焼き物の飾りをつけた、偽ブランド品作りに手を貸したり、
零細アクセサリーメーカーに品物を納めて、支払してもらえず、ひどい目にあったりもした。
世間知らずで、商売も知らず、それでも何とか食いつなぎ、二人の子供を育ててきた。

そんなことを思い出しながら、大量の素焼き素地を、ゴミ袋に放り込んだ。
棚が空いてすっきりしたが、心中はいまひとつすっきりしない。「やってしまった」という感じである。
おそらく、女房も同じ思いでいたに違いない。過去にかかわるものを捨て去るということは、そうたやすいことではないと知った。










2012.9.21記


やっぱりやられた!ナギラン罹病



 今年はナギランが好調と報告したが、きょうアキザキナギランとオオナギランの2鉢に異常があることに気付いた。
せっかく元気に生育していた新芽がひどく傷んでいる。
特にアキザキナギランの方は重症で、ここまできては手の打ちようがない。

 この株は、後暗みの白中透けで、新芽が非常に美しい。花にもうっすらと中透けが現れる。
長年大事に育ててきたのだが、かなり危ない状況である。

 ナギラン類は林床に生えるので、直射を避けて棚下で作っている。
加えて、根が長く伸びるナギランは深い鉢に植えるため、棚の奥に置くことになる。
どうしても十分に目が行き届かないのが異常発見が遅くなる原因である。

 毎日2度、蚊の執拗な攻撃を受けながら見回りをしているのに、異常を見落としていた。

 また、前に書いたように、ナギランの葉はぴったり折りたたまって出てくるのであるが、特に芽の中心の天葉(3枚目の葉)は痛みやすく、しかも目につきにくい。
天葉が最も痛みが進んでいるところを見ると、ここから発生した病気が周りに広がっているようだ。
新芽が伸長中のナギランは、棚の最前列に置くべきと反省しきりである。

 オオナギランの方は現在はまだ致命傷とまでは行っていないが、この病気は一度出てしまうと、なかなか進行を止められないことが多い。
病状がこれ以上進行しなければ何とか1枚か2枚の葉を残せるかもしれない。
発見が遅れると、どのような処置をしても救いようがなく、貴重な新芽をつぶすことになり、ダメージは大きい(ランにも栽培者にとっても)。

こうなりやすいことは分かっていて、またまた傷めてしまったことがくやしい。
最近鉢作りでも、つまらない失敗でロスを出し続け、落ち込むことが多いが、それもこれも根っこは同じところにあるのかもしれない。
とすると、今後もこういうことが避けられないということなのか。
年齢を重ねることにあまり抵抗する気はないが、やはり年をとるということは寂しいことである。
こういうことと、うまく折り合いをつけていくすべを身に付けなくてはいけない。


           アキザキナギラン 深刻な病状               アキザキナギランの中透け花
                  


           オオナギラン 助かるかどうかの瀬戸際  
          










2012.9.3記


メダカ



1年ほど前からメダカの透かし鉢を考えていた。
メダカを飼育する鉢ではない。童謡「メダカの学校」のように、メダカが群れ泳いでいる文様の富貴蘭鉢である。
このアイデアが最近やっと日の目を見て、1点だけ作ってみた。
いまはまだ焼いていない生素地である。もう一つ二つ作って、青磁・利休青磁等の色違いにしてみたいと思っている。

季節感としては、富貴蘭にふさわしいと思う。格調高い図柄とはいえないが、なかにはそういう遊び心の鉢があってもよいであろう。

山草屋さん、山草愛好家には、なぜかメダカ好きの人が多い。
山草とメダカには、どこかに相通じるものがあるのであろうか。
私も中学の頃メダカを飼育し、生まれた稚魚にゆで卵の黄身を与えた覚えがあるが、メダカと山草がどこでつながるのかは、よくわからない。絶滅危惧種という点では、共通するところがあるが。

 

山草屋さんには富貴蘭鉢は用がないし、富貴蘭愛好家がメダカを好むという傾向もないようである。
この辺がちょっとすれ違いという感もあるが、それはそれでよいとしよう。何がよいのか自分でもわからないが。

メダカ文様を伝統文様というには、ちょっと苦しいかもしれない。
古くから身近な、なじみ深い魚であるが、文様としては多用されることはなかったようである。

 

江戸時代にもメダカの飼育が流行り、またメダカ釣りは粋な遊びとされたようである。
メダカ釣り専用の竿もあったようで、名人の作となると、値も張ったものと思われる。

まったく実用がともなわないところに金を掛け、技を競うというのが、江戸期の町人の美意識に合致したのであろう。
この点は山草作りと重なるかもしれない。最後に無理やりこじつけたようになった。




                                 メダカ文透かし鉢 生素地