けやきのつぶやき

                   

草土庵主のブログ

   草と土を友として    
   蘭 人 一 如   


2012.8.30記


サギソウとアザミウマ



8月のラン・ユリ部会は、多くのサギソウの鉢でにぎわった。
が、私はそれを羨ましくながめるだけで、1鉢のサギソウも出品することができなかった。
その理由はまたしても憎っくきアザミウマである。

アザミウマはたいていのランの花に食害を与えるが(ラン以外の花についてはあまり作っていないのでわからない)、嬉しくないことに、サギソウは特に好まれるようだ。
それは分かっているので、十分用心して、たびたび殺虫剤を噴霧したり、オルトランを散布したりしていた。
オリトランは灌水で溶けて、根から給水されるが、まだるっこいので、あらかじめ水に溶かして、ペットボトルに入れて常備している。
ちょっとの薬効の切れ目も作らないためである。
それにもかかわらず、やはりやられた。


 アザミウマは、ノートと時計を持っていて、常に私の行動を監視し、薬の散布状況を克明に記録し、薬の切れ目を秒単位で把握しているのに違いない。
ボスが時計片手にカウントダウンをして、3・2・1・0、ピーという笛を合図に一斉にサギソウの花芽におそいかかる。
そんな感じである。全くいやになる。

ラン・ユリ部会の話に戻るが、会員が交配、無菌培養したサギソウを別のある会員が咲かせて出品した。片親は獅子咲きの名品「飛翔」である。1鉢のなかに、飛翔の芸をひくものと、普通の花が入り混じって咲いていた。兄弟株でも、父親の血を濃くひくものと、母親の性質を受け継ぐものに分離する。

中に1花だけ、特に目を引く花があった。その特徴をあげると、

・側萼片が唇弁化する獅子咲であるが、花は唇弁上位(さかさま咲)ではなく、通常の姿に咲く。

・子房が長い。「飛翔」は子房が短いので、開花時に半回転ねじれることができないので、逆さに咲く。

・柱頭がある。タネが採れる?

・芳香がある。

作出者は控えめに新品種といえるのではと言っていたが、私のみるところ、これは「飛翔」を超える名品といってよいのではないか。
サギソウの花形の変異には、変わっているけれど美しくないというものが多い。
それらのなかで、この新品種はトップに躍り出るだけの好ましい特徴を備えている。
もう1年様子を見た上で、ふさわしい銘を与えて欲しい。

私もこのサギソウを入手しており、楽しみにしていたが残念ながら花をみられなかった。
来年はどういう手で、アザミウマを撃退するか、秘策を練る必要がある。
アザミウマの時計を狂わせるというのは良い手だと思うが、その方法がわからない。



                      サギソウ実生 親の「飛翔」を凌ぐ美花である。
                         












2012.8.6記


ナギラン



 今年はナギランの機嫌がよい。
ナギランは栽培困難種というほどではないが、ちょっと気難しく、気を抜けない相手である。
一番の問題は、新芽の出が悪いという点である。
たいていのランは、毎年新芽を出してくれるが、ナギランはしばしば新芽を休む。

もうひとつの厄介ごとは、その新芽が腐りやすいという点である。
ナギランの新芽は、縦に二つ折りして、アイロンを当てたように、ぴったりと折りたたまって出てくる。
この葉が開くまでに結構時間がかかり、その間に雑菌が繁殖するのが、腐りやすい原因かとも思えるが、風通しの良いところに置いても、消毒をしても、腐るときには腐る。
虎の子の新芽が腐れば、こちらの気分も腐る。

 新芽が出なくても、古い葉は耐用年数が過ぎれば落ちてゆく。
2年連続して新芽が出なければ、株はとたんにみすぼらしくなってゆく。
翌年やっと出た新芽が腐れば、よほど力のある株でなければそれまでである。

 長年大切にしているナギランの素心がある。
今年は久しぶりに3本の花茎が立ち、その上新芽が2つ出ている。こんなことは珍しい。

 別にこの素心のセルフのタネをラン・ユリ部会で無菌培養し、7年前にフラスコ出しした株がある。
これにも花茎が1本、新芽が2本。ナギラン素心の当たり年である。

 何がよかったのか。
気候のせいか?昨年の管理が良かったのか、あるいはここ数年の目の掛け方の結果か?今年のようなことは、稀なので、すべての条件がうまく噛み合った結果かもしれない。
今までの経験から言うと、来年は花も咲かず、新芽も出ずということになるかもしれない。
そういうジンクスを破りたく、声をかけて励ましている毎日である

 ナギランはシュンランの仲間である。
シュンランの素心は数多く栽培されているが、自生地で探すと滅多に出会えない。
多くの素心の個体が選別されているのは、分布がほぼ全国におよび、自生個体数が膨大であることによる。
出現率でいえば、かなり低いはずである。

 一方ナギランの分布は関東以西で、シュンランに比べて自生個体数はずっと少ない。
仮に素心の出現率が同じとしても、極めて稀ということになる。
専門店で、ナギラン素心の売品を見た記憶がない。

 何とか増やしたいと思っているが、18年栽培していて、株分けをしたのは1回だけである。
3,4年好調が続けば、一気に増えるはずであるが、なかなかそうは行ってくれないところがナギランの難しさであり、面白さである。
延々と続く、一進一退の繰り返しに、そろそろ終止符を打って、右肩上がりを持続する秘法をみつけたいなどと思うと、ナギランが気を悪くするであろうか。



    18年栽培しているナギラン素心。鉢は欅窯焼締め鉢         ナギラン素心の花。                          無菌培養のナギラン素心。
            









2012.8.5記


ムカデラン



 数年前に柿の木につけたムカデランが元気に木肌を這い、今年は多くの花をつけた。
この柿の木には、10種ほどの着生ランがついているが、カヤランに始まり、マメヅタラン、セッコク、ヨウラクラン、ボウラン、ナゴラン、フウラン、カシノキランと、次々に花を咲かせてくれる。

 着生ランをつけるために植えた木であるから、できる限り多くのランを着けたいと思っているが、つけやすいものはたいていつけてしまったので、これから先種数を増やすのは難しくなっている。
クモランも是非つけたいランであるが、一度失敗している。これは無理かもしれない。

今考えているのは、高いところの木の又にヘツカランをつけることである。
気温的には何とか行けると思うのだが、着生ランとはいえ、根を露出させるとあまり機嫌がよくないランなのでどうであろうか。

去年は、大量のタネをここと思う所に播いてみた。
他の鉢の中に、飛び込みで発芽することもあるので、フウランや、セッコクの株の間から発芽することを期待している。

たとえ発芽生育したとしても、垂れ下がった花穂を見上げることができるのは、早くても5、6年先のことであろう。
気の長い話であるが、こんなことも健康法の一つになるのかもしれない。


      柿の木で咲くムカデラン             左上はヨウラクランとベニカヤラン。   セッコク
                  右下はカヤラン。

               



       ムギランとカシノキラン(左上)        陶板に付けたムカデラン。年数の割に増殖はあまりよくないが、
                                  溝に沿って根が伸びる様が観察できる。

         








2012.7.22記


富士山のラン



 22日、東京山草会の富士山自生地観察会に参加した。
主として、ランの観察が目的で、5合目と3合目の林床を探草した。
雲が低く垂れこみ、気温も低かったが、幸い大した雨にも合わずに済んだ。

 ヒメミヤマウズラ・イチヨウラン・フタバランの仲間2種など、9種のランを観察した。
花の盛りを過ぎたラン、まだ開花にいたらないラン、満開のランなど様々で、夏が花期のランを一度に見ようという欲張った企画は外れであったが、十分に楽しめた。


 今回一番の人気は、2本立ちのホザキイチヨウランと、クモキリソウであった。
前者は自動車道のすぐ脇、苔むした倒木の上に今を盛りに咲いていた。
といってもん、ルーペで見ないことには、判然としないほどに微小な緑の花であるから、華やかさはまったくなく、この上なく地味なランである。

 ホザキイチヨウランは、他所でも10個体ほど見られたが、この2本立ちの絵になる姿が人気で、参加者のカメラに囲まれていた。
おそらくここにいる、このランがこれほど持てはやされることは二度とないのでないだろうか。

 もう一つの人気者クモキリソウは、今までに見たことのない環境に生えていた。
石垣の隙間に10本以上が、かたまって密生していたのである。
一同自生地の力と、ど根性クモキリの迫力にいたく感銘を受けた次第

 どちらもありふれたランで、珍しくもないが、自生地での出会いにこれほど喜ぶところに、ラン好きの姿を見た観察会であった。



          倒木の上に生えたホザキイチヨウラン                   ホザキイチヨウランの花 普通のランとは逆に唇弁が上を向くがあまりに小さくてわかりにくい


              



          石垣の隙間に群れ咲くクモキリソウ。            コフタバラン                           コフタバラン 緑花
             








2012.7.12記


ブロック門柱のフウラン



 門柱に着生ランさせたフウランが今年も花をつけている。
柿の木、ハナミズキ、トサミズキと付けられるところには、どこでも着生ランをくっつけるのが、我が家の楽しみ方である。

ランたちにとっては、とんだ災難、迷惑この上ないと思われるかもしれないが、それは誤りである。ランたちは与えられた居住地に満足し、結構喜んでいる。
その証拠に、風蘭とともに門柱に付けられたムカデランは、ヘゴ付けや石付けのものより、遥かに伸び伸びと生長している。フウランの根も30㎝以上伸びて、ブロックの上を這いまわっている。

余程日照りが続かない限り、灌水はしない。
玄関の外に、スプレーをつけた500mlのペットボトルが置いてあるが、これに水を補給するのは1年に1回あるかないか、後は天水に頼っている。
といえばかなり厳しい環境であるといえる。フウランやムカデランは、そういう環境にも適応して生長できる能力を持っている。

ランたちは、東向きの門の内側に付けてあるので、道路側からは見えないが、ムカデランはどこまでも這ってゆくので、このまま行けばいずれ門柱のコーナーを曲がり、道行く人の目に留まることになるであろう。
我が家の前を散歩コースに定めて、フェンス越しに季節のランを見ることを楽しみにされている方もいるので、そういう人たちがどういう反応を示すか、ちょっと楽しみである。
と同時に、まさかこんな妙な植物を、趣味で門柱にからませているなどということを、想像もできない輩が、出来心でひっぺがしたりしないか、いまから気がかりでもある。



                  










2012.7.10記


キバナノセッコク


 他のキバナノセッコクがみな花を終えたいま、最後の1鉢が花盛りである。
この株は、6年前に展示会で見て惚れ込み、会の終了後に矢(茎)を1本無心して育てたものである。

キバナノセッコクは矢伏せしても花が咲いてしまうことが多く、なかなか芽を出してくれないが、幸いこのときはよい芽を吹いてくれて、その後も順調に生育した。

 写真で伝わるかどうかわからないが、花の緑が濃く、黄色くならないところが好ましいと思っている。
セッコクの緑花の咲かせ方にならって、つぼみがついた時点で、陰に置いてみた。
現在新宿御苑のアートギャラリーに展示している(12日までの予定)。

 キバナノセッコクはちょっと機嫌がとりにくいところがまた、栽培意欲をそそられる。


                                                                           キバナノセッコク舌無点
                                                「唇弁の紅色の斑点がなく、ずい柱の裏に色が出る」

         
    








2012.7.2記


考えるラン


 タネを採るために、野生ランの授粉は日常的に行っているが、これがいつもうまくいくとは限らない。
何年続けても、どうしても結実しないランもある。

 その理由は、東京の環境がその種の生育に適していない場合と、もう一つは自家不和合性ということがある。
後者は、別個体の間の受粉では結実するが、自家受粉では結実しないという性質を生まれながらに持つランの場合である。
一方、自家受粉でもタネができて、播けば(無菌培養であるが)発芽して立派に生育する種もあり、また、昆虫や人が授粉しなくても自動的に受粉が成立して、タネを作るランもある。
自動的に結実するランは、概ね人が見ても(ランキチの特殊な目は別として)あまり美しさを感じないランであり、そういうランは昆虫にとっても魅力が乏しいのであろう。
うまくしたもので、その手のランは虫に助けを借りなくても、子孫を残すすべを身につけている。
だから今もランの一員として存在しているわけだが。

 結実しない理由が、二つのうちどちらなのか判然としない場合もある。
異なる二個体を作っていて、他家受粉させればベストなのだが、希少種の場合なかなかそうはいかない。
それでも、しつこく授粉を続けていると、何かの加減で、何年かに1回は結実するということもある。
「思う一念」というほどのことはないが、たまにはランも間違えてタネを結んでしまうのかもしれない。

 

 最近ちょっとおかしなことに気付いた。多花性の結実しにくいランの場合、花序の下部や中間部より、上部の花に授粉した方が成功率が高いということである。
もしかすると単なる偶然か、思い違いということもあるかもしれないが、どうも経験的にそういうことが多いような気がする。

 一番最近は、ツレサギソウの上部の花3つに授粉して(セルフ)、3つとも子房が肥大しており、外見上は結実したように見える。
このランは自家不和合と思っていたが、3年目にして初めての結実?である。子房が肥大しても、タネが入っていなかったり、発芽能力がないということもあるが。

 ツレサギソウの場合はさておいて、問題はなぜ上部の花では結実の率が高いかということである。
通常花茎下部の花の方が大きく、力もあるはずである。
上に行くほどに花茎は細く、花も小さい。どう見ても上部に実を着ける方がリスクが大きいはずである。
その疑問を解く答えとして思いついたのが、以下のストーリーである。

 花序の下部の花が咲いた時点では、ランは「まだまだ先があるさ」と真剣に実を結ぼうという意気込みがない。
中間の花が開いてきても、「まだチャンスはある。大丈夫」とたかをくくっている。
先端部の花が咲き、下部と中間部の花がしぼんでくると、ランもちょっとあせる。
「ここでタネをつけておかなければ、この1年は無駄に終わり、子孫を残せない年になってしまう」と、己の使命に目覚め、俄然その気になる。

 「それって、あまりにランを擬人化してるんじゃない?」と思われるかもしれない。
いやいや、そうでもないですよ。
ランは植物の進化の最先端。動物の進化の先端をゆくヒトと、相通じるものがあると感じるところは多々ある。
ランは己の立場を自覚し、生き残るためにあの手、この手の高度な戦略を編み出し、実行し、今も進化し続けている。
ランは栽培者の心を読む。
ランは嫉妬深く、ヒトを繰る。なにせ、ランは知性を有する植物であるから。


                 ツレサギソウのさく果。花茎上部3つの花に授粉した。 
                 








2012.6.20記


長生蘭



 今年も長生蘭の美しい季節になった。
葉芸ものであるから、1年中楽しめるランであるが、この時季は品種の特徴がもっともよく現れて、目が洗われる心地がする。

 長生蘭の展示会が、花の時期にあわせて開かれることが多いようであるが、本来の楽しみ方からすれば、新芽の頃こそ展示会の好機であると思うのだが。

 水苔植えの植え替えは、手間暇が掛る。
手が回りかねて、長生蘭も3分の1くらいを整理した。
歴史的に価値のある古い品種と、好きな品種を残して、品種数を増やすという路線は放棄した。

古い品種というのは、長生きしている品種、言い換えれば、丈夫でよく増えるということである。
従って、市場価値は最低ランクであるが、大切に保存すべきものと思う。
特に、天保年間に発行された、木版多色刷りの品種集「長生草」に載っているものは、手元に置きたい。

 コレクションといえるほどの鉢数はないが、中でも気に入っているいくつかを紹介したいと思う。

  土佐錦

 特に珍しくもない散り斑であるが、白地に鮮やかな緑と紅の織り成す縞模様が映えて、えも言われぬ美しさである。初夏の一時だけのショウである。


      (鉢は瑠璃釉七宝文透かし鉢)

        


  三冠王

イセ(セッコク×キバナノセッコク)の白中透けという珍しいもので、花も中透けになって、非常に美しい。
それとともに、のどもとの紅斑も濁りが抜けて鮮明な紅色を呈する。

ちょっと前までは、小さな株でも相当の値がついていた。派手な柄であるから、小株は作りにくく、無理して買って枯らしたというは話もあったようだ。
それが、急激に値が下がり、1回飲むのを控えれば、まあまあのサイズの株が買えるようになった。
言うまでもなく、大量に増殖されたためである。

 こういうことは、よく分かっていても、熱くなっているときは値が下がるまで待てないというのがマニアの心理である。

 似たものに「舞鶴」という品種がある。こちらは交配種ではなく、キバナノセッコクである。
キバナノセッコクは、セッコクの近縁種であるが、少々気難しいところがあり、ただでさえ増えにくい。
それが白中透けになり、光合成能力が大幅に低下しているから、これを作りこなし、増やすには相当栽培に長けていなければならない。

そんなわけで、これはいまだに数が少なく、高嶺の花である。
早く増えて手が届くようになることを望む一方、こういう高の花はあってもいいような気もする。

  
         (鉢は青磁青海波透かし鉢)

         


  幽天

 長生蘭どうしの交配から生まれた品種である。
上記の2品種はだれが見ても美しいと感じると思うが、この辺になると、この世界の人間でない人が見ると、ん?と首を傾げるかもしれない。

葉は極端に小型になり、肉厚の丸葉で、その上一部は紙片を丸めたようにしかんでいる。
斑の入り方もきれいなような、気味悪いような、どこか健康的でないものを感じる方もおられよう。

 日本の伝統園芸の価値観、美意識は、世界的標準からかなりかけ離れているところがある。
変わっていればよい、珍しければ値打ちとみられていたのである。
その世界では、「幽天」などまだまだかなりまともな方と言える。

 伝統園芸には、我々でも江戸期の園芸人の美意識に首をひねりたくなるような植物が多々あるが、もともと投機性が強かった世界であることを思えば、こういうことも納得がいく。


          (鉢は黒釉金彩笹竜胆文鉢)

         


  竜宮宝

 今は無くなった東京駅大丸屋上の園芸売り場で小株を買い、以来11年間一度も株分けをしていない。
中透けで、一部に縞っ気を含み、芸としてはどうということはない。
最近矢(茎)が透ける傾向が見えるが、飴矢にはなりそうもない。
なぜこれを選んだのかいまは記憶にないが、これだけの大株になると、愛着が増す。

 丈夫な品種でも、長期間割らずに作り続けると、いろいろな障害が出やすくなる。
たとえば、中心部が透けて見苦しくなったり、突然調子を落として枯れたりである
。あの手この手で、大株らしく見せる細工はできるが、何もしないで大株になって、見られる形になるというのは、優れた特徴である。
どこまで行けるか、このまま割らずに作ってみるつもりでいる。

 「竜宮宝」という名は、どこを調べても出ていなくて、素性がわからない。

「竜宮」という縞の実生品種がある。「宝」がつく名は中透け品種によく見られるので、「竜宮」の変わりかとも思うがわからない。


        (鉢は黄磁染付七宝透かし鉢)

         


 

  白檀

前記「長生草」に載っている「銀竜」の芽替わりである。
180年も前から作り伝えられているということも驚異であるが、そんな古い品種から、芽替わりで新しい品種が生まれるということに、畏敬の念を持つのは私だけではないであろう。

 この品種の特徴は、艶やかな葉と、濃紺の地によく写る真っ白な覆輪である。
今年の新子は、一段と紺地が強いように感じられる 。



        


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2012.6.3記


6月



 毎年5月は催しが多く、忙しい。
駆けるようにひと月が過ぎてゆくが、今年は加えて10日も風邪で休んだため、仕事が進まなかった。
年初の計画では、前半の半年で、たまっている注文をかたづけるつもりでいたが、計画は総崩れである。
計画変更を迫られ、年内にかたづけるということにした。
ということは、新たな注文は、来年に持ち越しということになりそうである。
仕事の効率低下と、ロスの発生率の上昇が目立つようになり、80まで現役のプランに、いささか影がさしているこの頃である。
先のことを思い煩ってもしかたないが。

 

6月は催しも、特段の計画もなく、仕事が進むと思っていたが、今頃になって、なんだか疲れが出てきた気がする。
しばらく鉢作りに集中できなかったので、すぐにはペースができない。
車と同じで、一度止まってしまうと、動き出す時にエネルギーを要する。
慣性の法則というのは、人の気分にも当てはまるようである。

 

暑さとともに咲くナゴランが、今年も咲きだした。
松の枝につけたものは今年で10年になるが、油の多い松はまだしばらく形を保ちそうである。

 透かし筒状のものは、サボテンの芯である。
保水力に乏しい材質なので、湿度の乏しい東京では、ちょっと過酷な栽培法かと思うが、根の太い着生ランであるナゴランは、何とか頑張っている。

 
咲きたての瑞々しい花を見ていると、癒される。
ナゴラン頑張る。自分はほどほど。


                         








2012.5.30記

ケンタッキーエンセとウラシルケンス



ケンタッキーエンセが例年より遅くまで咲き残り、今も花盛りである。
今年の野生ラン展には、アツモリは、ケンタッキーエンセしか展示できなかったが、それが今も咲き続けている。
暑さにも強く、なかなかタフなアツモリソウである。おそらく、我が家のアツモリソウの中で、最後まで残るのは、ケンタッキーエンセであろう。
そういういう意味では見直されてよい種であると思うが、売品は多くないようである。

 その後さらに遅咲きのウラシルケンスが久しぶりに咲いた。
レギナエとフラブムの雑種である。
レギナエは北米、フラブムは中国のアツモリソウであるから、自然に交雑することはありえない。
産地のかけ離れたもの同士の、人工交配種であるが、この2種は近縁の種でもあり、花もそれほど不自然さを感じさせない。
見た目は、レギナエに近い。

 原種のレギナエは一昨年の暑さで倒れ、中國雲南省、四川省などの高地に自生するフラブムは耐暑性がなく、東京での栽培は不可能に近い

。それなのにその2種を両親にもつウラシルケンスは健全に生育している。
雑種強勢の好例である。

 レギナエはほとんど増殖しないが、ウラシルケンスはそこそこ増えるのも好ましい。
レギナエの代替種として楽しめる。
我が家ではレギナエの陰に隠れて、いままであまり目を掛けられなかったアツモリソウであるが、いまとなっては東京でも楽しめるアツモリソウとして、貴重な存在である。


                               

          右 ケンタッキーエンセ 左 ウラシルケンス                ウラシルケンス








2012.5.28記

幼ともだち



幼ともだちはよいものである。
年とともに様々な付き合いが生まれ、友人もできるが、大人になってからの付き合いは、たとえ遊びや趣味の仲間であっても、多少の緊張感がともなうものである。
ときに小さな行き違いがあったり、予想外の面を見たりする。そのたびに、よいところだけ見ていようと自分に言い聞かせる。
人と人が交われば、大なり小なりストレスが生じるのは避けがたいことであるが、幼ともだちとの付き合いにはまったくそれがない。

 大人は無意識のうちに、仮面をまとったり、鎧を身に着けたりするが、子供は地でつきあう。
そういう頃からの付き合いであるから、長い空白の後に再会しても、警戒心をまったく持たずに、子供の頃の気分に戻って付き合える。

それぞれが仕事の上で、もっとも多忙な時期を過ぎたころから、北区王子第五小学校6年2組の6人が、年に2、3回集まって飲み会をやるようになった。
顔を合わせれば、70過ぎの爺さんたちが、瞬時に幼時の顔にすりかわる。
小学校では、1年から6年まで、組替えがなかったので、共有する思い出も多い。

私たちが入学したのは、終戦の翌年で、校舎は焼け落ち、校庭には瓦礫に埋まっていた。
入学式は隣の学区の荒川小学校であったが、その時の写真を見ると、今の子供とは、服装はいうに及ばず、顔つきが全く違うのが興味深い。
6歳の子供たちであるが、それぞれに時代の空気を映した面構えである。
子供たちなりに構えていたのであろう。

王五への移転は、新1年生たちも加わって、リヤカーをひいての瓦礫の片付けから始まった。
級友たちに、十条銀座の商店の子女も多く、商店街や、駅前の闇市が遊び場であった。
担任教師の話、食い物にまつわる悲話?、学芸会の思い出、クラスのマドンナがらみの秘話など、話題には事欠かず、話が尽きることがない。

 昨年は伊豆に1泊旅行、小学校を卒業して60年になる今年は、つい先日私が幹事役で群馬県の秘湯法師温泉に1泊した。
ここは私と女房が最も気に入っている温泉で、今までにも3、4回行っている。
王五会の面々にも喜んでもらえた。


酒席の話題に、ジイサンことT君(学芸会で爺さん役をやって以来このニックネームが定着)が、「続草匠の譜」(「山野草とミニ盆栽」早春号)のなかの私に関する記述を持ち出した。

 ハッカの苗が欲しくて、苺の苗と交換したという話である。
相手の女の子は誰か白状しろというのである。
ジイサンは60年前の真実を明らかにするんだとえらく意気込んでいるが、こちらは苗の交換の相手は全く記憶にない。
ジイサンは交換したものを憶えているのだから、相手を憶えていないはずがないと譲らない。
そのうち、その子が私の初恋の相手に違いないと、話はとんでもない方向にそれてゆく。
苗の交換をしたのだからと、庭のない商店の子は除外して、一人ひとり名を上げての追求である。

「Mの家が近かった。Mだろう」

「Mはバイオリンなんか下げて歩いていて、近寄りがたかった。口をきいたこともない」

 こんなたわいのない話で、酒が進むのである。

 「夏は明治記念館のビヤガーデンにしよう」

「暮れはスカイツリーのレストランでやろう」

「スカイツリーが見えるレストランでいいんじゃないか」

心の洗濯というのは、こういうことだろう。幼ともだちはいいものだ。


                       

               法師温泉の一軒宿 長寿館                      宿泊した薫山








2012.5.5記


アツモリソウと連休



早咲きのアツモリソウが一通り咲いた。と言っても開花鉢は少ない。
花が少ないことは、事前にわかっていたことであるが、花がみな例年より、一回りも、二回りも小さい。
草丈が低く、それに比例して、葉も小さいのであるから、当然のことである。

 心なしか、花の生気もいくぶん乏しいように感じられ、さびしく、情けない。
まあ、今年は咲いたというだけで満足し、アツモリたちの頑張りを称えてあげよう。

 アツモリソウの不調で気落ちしたせいではないが、あるじも連休のあたまから風邪をひき、まだ咳が治まらない。
寝て過ごした連休になってしまった。その気になればいつでも休める身分なので、別に惜しいことをしたとも思わないが、体力の衰退を痛感させられた。

 もともとめったに風邪もひかない体質であったのが、2年連続して風邪で休むことになってしまったのがくやしい。

 このところ、仕事も4時ころには終いにして、そのあと植え替えをしていた。女房は年相応にしないとか、やり過ぎだとか、植え替えで水を使って、手から冷えたとかいろいろ論評する。
こちらとしては、週休2日制も守っているし、別に無理をしたという自覚はないのである。
そもそも水を使って風邪をひいていたら、焼き物屋は、冬は休業にしなければならない。

 うかつにそんなことを口走ったら、「そいじゃ休業にしたら」と突っ込まれるのは必定であるから、ぐっとこらえて口には出さない。

 体の老化(頭が寂しくなるとか)は逆らっても仕方のないことであるから、そのまま受け入れることにしている。
物忘れが激しい(1歩半歩いたら忘れる)とか、二つ以上のことを同時進行でできなくなったとか、そういう能力の低下も、あるがままに受け入れざるを得ないが、気持ちだけは老け込みたくない。
特に仕事への意気込みは、失いたくないと思っている。何かに熱中するということは生きている証である。

 野生ラン関係については、いろいろ絞り込む方向で工作しているが、栽培だけは間口を狭めつつまだまだ続けるつもりでいる。
一度ラン依存症にかかると、そう簡単には抜けられない。
一度はあきらめたアツモリソウであるから、今以上に広げる気はもうとうないが、残ったものたちを、もう一度元気にすることができるか、挑戦してみたい。
アツモリソウとの、気力、体力比べである。


                              レブンアツモリソウ
                             










2012.4.28記


アツモリソウ


 早春の花も終わり、いよいよ春本番。
1年中で最も野生ラン好きの気持ちが高揚するシーズンである。

 2年続き猛暑で、手ひどいダメージを受けたアツモリソウであるが、その試練に耐えたものたちが、瑞々しい芽を伸ばし、わずかであるがつぼみを上げているのが感動的である。

 レブンの開花は3つ、全部合わせても15花ほど、アツモリソウの棚が花で埋まったころから見れば、さびしい限りであるが、鉢数も3分の1に減ったいま、
生き残った1鉢1鉢の重みは3倍になった感がある。

 とりわけ嬉しかったのは、全滅したと思っていた、いくつかの鉢播き実生が顔を出したことである。
一番開花に近いレギナエの実生は、いまだに出てこなくて、気がかりである。
目覚めの遅い種であるから、まだ枯れたとは限らないが、半分あきらめて、そのときのショックにそなえている。

 東京でレブンアツモリソウのタネを播いて、開花にまで育てるという夢は潰え、もう一度やりなおすには時間も気力も足りない。
初めからうまく行かないことには、何度も挑戦できるが、一度成功したかに見えて挫折すると、意気込みを削がれる。

 5月2日~6日に調布市神代植物公園で開かれる、東京山草会の春の山草展には、レブンアツモリソウはじめ、何鉢かを展示できそうである。
花数は少々さびしいが、東京で頑張っているアツモリソウたちを見てもらいたい。いずれも15回以上夏を越したものたちである。

 この山草展では、絶滅危惧種には増殖法を記すことになっている。増殖品でなければ展示できないルールである。

 今年のラン・ユリ部会の野生ラン展には、残念ながら早咲きのアツモリソウたちは花期を終えているが、うまくすればケンタッキーエンセがちょうど見ごろになるかもしれない。

 アメリカ生まれ東京育ちの、この大型のアツモリソウは見かけも男性的でたくましいが、耐暑性も抜群で、すべての鉢が元気に生育している。
5花プラス鉢播き実生1の鉢を展示したいと思っている。

 同じくアメリカ産であるレギナエも、暑さには強いと思っていたが、こちらはここ2年で2鉢が枯死した。
タッキーエンセとは対照的に、女性的な美麗種であるが、太い花茎に密生した産毛に毒性のある粘液を分泌する。
艶やかな毒婦と言ってはかわいそうだが、決してやわな感じではないのに意外にもろかった。


           
     
    

     ケンタッキーエンセ         レギナエ                  現在のアツモリソウの棚
    根元の実生苗は枯れて、

       今年新たに実生が出た。  








2012.4.19記


イチリンソウ

]

 栽培しているのはほとんどが日本の野生ランである。
ラン以外のもの、また、外国のランには極力手を出さないように努めているのは、限られたスペースと管理能力のなかで、狭く深くやりたいからである。
特にラン科希少種の保存を趣味の中心に据えてからはその傾向が強くなっている。

とは言え、ラン以外の鉢も少しはある。
シラネアオイ、アズマシライトソウ、カイジョウロウホトトギス(これは秋に紹介する予定)、それにイチリンソウである。

なぜイチリンソウなのか。春を告げる愛らしい花であるが、山草趣味家の間でも、イチリンソウは余り作られない。
理由はひとつ、鉢で作るとなかなか花をつけないからである。ところが我が家のイチリンソウは毎年よく花をつけてくれる。
多分そういう性質の系統なのであろう。花持ちもよいので、結構長い間楽しめる

14年前に、知人の案内で滋賀県のカタクリ白花の群落を見に行った。その辺一帯は、近々開発の予定地になっているというので(その後計画が変わったとか)、カタクリを2株、近くの流れのそばに群生していた、イチリンソウを1株いただいてきた。この良系個体を「志賀」と命名し、以来愛培の1鉢となっている。

毎年連休中に神代植物公園で開催される、東京山草会の山草展に、満開のイチリンソウを出したいものと思ったが、花期が1か月ほどずれる。そこで、芽出し直前の鉢を冷蔵庫に入れ、休眠期間を1か月伸ばしてみた。作戦は的中して、山草展会期中に咲かせることができて満足であった。

しかし、この小細工はイチリンソウにとっては、はなはだ迷惑であったらしく、その後2年機嫌を損じて花をつけなかった。
これをイチリンソウの警告と受け止めて、不自然なことは止めた。それに、5月にイチリンソウを咲かせても、大して注目もされなかったし。

山草会で増殖株を提供したが、咲いたという声を聞かない。どうやら皆さん肥培が足りないようである。
イチリンソウには、カタクリ同様、ブドウ糖入り(水1リットルに茶さじに軽く1杯)の薄い液肥(規定の2~3倍希釈)を与える。
灌水は必ず甘い水、ただの水道水はほとんど与えない。この点は、ランよりはるかに優遇されている。
12月から葉が落ちるまでの間であるから、何とか続けられる。これで純白のカタクリもそこそこ増殖し、タネを着けているにもかかわらず、毎年ほとんどの株に花をつける。

そこまでやるのはやだと思うか、それでもやるか、労力と見返りを秤にかけるわけだが、ランの減量に努めながらも、今のところ志賀を手放す気はない。
しがない暮らしはいやだから。


                   イチリンソウ 「志賀」
                









2012.4.18記


欅窯 棚出し旧作鉢について



 いつの頃からか、使用された旧作の鉢が山草店やラン店に並ぶようになった。
はじめてそういう光景に出合ったときはとても驚いた。
欅鉢は自分が作り、自分が売るものであったから、どこの誰か分からない人が、自分の鉢を売り出しているということに、非常に奇妙な感じを持った。
ネットオークションに出ているのを、知人に教えられたときも同じ感覚にとらわれた。

 この頃では珍しくないことになっているし、長年多くの鉢を、多くの方々に買っていただいているので、当然のこと割り切れている。
若いころに私の鉢をコレクションされた方の内、高齢になられている方も少なくないであろう。
そういう鉢が、ごみにされず、新しい愛好家の元で活用されるのは、作者としても嬉しいことである。
新作鉢は今後も入手できるということで、旧作の方が人気があったりするのも見ている。

 そんなことから、ふと我が家の鉢置場でくすぶっている、一度使用した鉢や、試作鉢を、愛好家の目にさらしてみようという気になった。
植え替えなどの手が回らなくなって、このところだいぶ栽培する鉢の数を絞っているので、空き鉢がたまってゆくという事情もある。

 また、鉢置き場にしている小屋の基礎が腐り、とりあえずの応急処置をしてもらったということ、体力の衰えを痛感することなどもあり、
そろそろ少しずつ身辺を整理しておかなければという気にさせられた。

 今回は様子見という感じで6点を選んだが、反応があれば今後も続けたいと思っている。
鉢は一度使っても著しく価値が下がるというものではないが、中古鉢というのは、あまりイメージが良くないので、窯出しならぬ、棚出しという新造語を使ってみた。
この試み、はたして受け入れていただけるであろうか。価格はかなり控えめのつもりである。









2012.4.6記


コウトウヒスイラン



 4月。本格的なランの季節に突入。にわかに忙しくなる。今年は寒かったので、植え替えのスタートが遅れた。
韓国から帰ると、アツモリソウの芽が覗いていて、待ったなしである。これからは催しも多い。急に春めいてあたふたしている。

 

コウトウヒスイランが咲いている。主として台湾、フィリピン、ボルネオなどに分布する熱帯性の着生ランである。
そして日本にも産するが、これがちょっとややこしい。国内では、最近よく名前を聞く尖閣列島魚釣島が唯一の自生地である。

 ご存知のように中国はここを釣魚台と呼び、自国の領土と主張している。いまも魚釣島にコウトウヒスイランの自生があるのか、すでに絶滅したのか、それも定かでない。
紛争の地であるから上陸は許されず、自生するランに関する最近の情報は伝わってこない。

 コウトウヒスイラン自体は、産地を問わなければ、入手が困難なものではない。
以前から作り伝えられている株では、産地が明確なものは少ない。そして、はっきり国産と分かっている株は、極めて少ないのではないだろうか。

 我が家にいるこの株は、正にそのもの、魚釣島産である。由来もはっきりしている。もちろん私が採ってきたものではない。
国内の最北から南端までランの自生地を見て歩いたが、そこまではやらない。

もうとっくに時効が成立している昔に、あるラン好きの漁師(Aさんとする)が、魚釣島に漁船を接岸して上陸し、採ってきたものを、Bさんが分けてもらい(これも古い話)、
Bさんから私が譲り受けたのである。私はAさんとは面識がなく、名前も知らない。

 そういう訳で、これは結構貴重なものだと思っている。末永く残さねばならない。いずれラン・ユリ部会の若い人に栽培を託すことになろう。
幸いこの会には、体内にラン菌を飼って、共生関係を成立させているような若者が何人もいる。
また、無菌培養の名手を擁する実生・増殖委員会も活発に活動しているので、増殖もできる。

私はもちろんこれを、日本産のコウトウヒスイランと思っているが、あちらの方からすると、「それは認められない。中国産である」ということになるのであろう。
領土問題は容易に解決しない。私が生きている間に決着が着くことはあり得ない。

コウトウヒスラン1株の帰属が、よもや国際問題に発展する気遣いはないであろうが、なんとなく座りが悪い1鉢ではある。


                     コウトウヒスイラン
                     








2012.3.27記


オキナワセッコク



 オキナワセッコクが花盛りである。沖縄本島に自生する大型の着生ランで、茎は1メートルにも達し、常緑樹に着いて垂れ下がって咲く。
自生地では2月に咲くが、我が家の温室では1か月遅れの開花である。

屋久島の低地にはオキナワセッコクと同じくらいのサイズのセッコクがあるというが、こちらは大型のセッコクで別種である。

 オキナワセッコクが、セッコクと明瞭に異なる点といえば、香りである。
セッコクは甘い芳香であるが、オキナワセッコクの方は、好ましい香りというのには躊躇する。
ランの香りに関しては、感じ方に個人差が大きいので、断定的には言えないが、私には芳香とは感じられない。
セッコクの香りから甘さを取り除いて、ツンツンした刺激的な成分を加えた匂いとでも言ったらよいであろうか。

 美しく咲いたので、居間に持ち込んだ。女房も「わー、きれい」と喜んだが、翌朝居間に入るなり今度は「わー、臭い!」。この一言で居間から撤去とあいなった。
確かに部屋中にこもった匂いは、強烈で耐え難く、同居を許されないのも仕方ない。


 オキナワセッコクは種の保存法で国内希少種に指定されていて、譲渡移動が禁じられていたが、平成20年に特定国内希少種に変更され、
環境省と農水省に所定の届け出をすれば増殖品の販売が可能となった。増殖法が確立されたこと、増殖実績があることが認められた結果であろう。
国内希少種が特定種になった初の例で、歓迎すべきことである。

 オキナワセッコクは、何年か前に東京山草会会長のO氏が東京ドームの蘭展に出品され、いわゆるお立ち台に飾られて注目を集めた。
ラン・ユリ部会もオキナワセッコクの特定事業の届け出をしており、ときどき増殖株が提供されるが、温室が必要なのと(室内での越冬も可能)、大きくなるのとで、人気はいまいちである。
野生ラン愛好家ならば、1鉢は持ってよいものと思うが、匂いに過敏な方には敬遠されるかもしれない。
この匂いに惹かれてくる昆虫もいるし、好ましからざる匂いと思いつつ長年作っている人間もいる。
ランは魅惑的で、不可思議で、妖しい植物である。


                                  オキナワセッコク
                              








2012.3.26記


韓国


 二人の孫娘をつれて(実態は我々老夫婦が面倒を見られた)2泊3日で韓国ソウルに行ってきた。
向こうのラン事情など垣間見たいところだが、孫たちはショッピングと韓国料理が目当てであるから、わがままは言えない。

 韓国の現代ドラマで、会社の役員室や、一般市民の住宅に東洋蘭の鉢が置かれているのをしばしば見る。
蘭好みは韓国社会にかなり浸透しているようであるが、旅行者の目にもその片鱗がうかがえた。

 

写真① ホテル内のレストランのテーブルに置かれていたフウラン。日本では見ない風景である。

写真② 同じレストランのテーブルに飾られていたナゴラン。

写真③ 北村という所に古民家がよく保存されている一角がある。今も住宅として使われており、観光名所であるが観光客相手の店はない。
    倉敷や川越とは大違い。そこの路傍で見かけたラン鉢。

写真④ 繁華街明洞の眼鏡屋のウィンドウに飾られていたラン。明洞は若い女性向きの店と飲食店がほとんど。化粧品店と眼鏡屋がやたらに多い。

写真⑤ 景福宮の休憩所に置かれていた器。黒楽鉢かと思って近寄ってみたらガラス製の灰皿であった。なぜ楽鉢の形なの?


                                                                                               
                                   

         ④                          ⑤
         



ソウル寸感


・ソウルの中心部を抜けると、すぐに人家もまばらになるが、あちこちに高層マンション群が林立し、発展の息吹が伝わる。活力ある社会を実感。

・韓国はかつての日本のように車優先社会。車道は広く、歩行者用の青信号はすぐに赤に変わるので、横断は走ってばかり。
 大きな交差点でも横断歩道がないところがあり、地下道を通って渡る。
 渋滞のあいだを縫って、クラクションを鳴らしながら飛ばす車が多い。

・地下鉄はホームも社内もゆったりとしてきれい。ホームドアも180センチくらいの高さで透明。
 安全には配慮されているが、エスカレーターはない。

 高齢者には優しくない社会とみた。そのせいか、街中では老人の姿をほとんど見ない。

・さすがに韓国料理はうまい。朝食に入ったお粥屋、昼食をとったうどん屋、どちらも全員大満足。若鳥まるごとの参鶏湯は絶品。

 焼肉も悪くなかったが、女店員がテーブルにつき、こちらのペースに関係なく、じゃんじゃん焼いてゆくので、せわしないことおびただしい。
 客の回転を早くする手か。マッコリがうまかった。

・道を聞けば、だれもが親切に教えてくれる。片言の日本語だったり、英語だったり。
 日本では、韓国人はみな英語が得意と思われているが、それ程でもなさそう。

・店員はみなえらく仕事熱心で、客に張り付いての売り込みが激しい。ちょっと辟易。

・孫たちにも喜ばれ、良い思い出を残せた韓国珍道中であった。

 下の孫(高1)の感想。「海外へ行ったという気がしない」








2012.3.20記

再びツシマニオイシュンラン



前回のブログに使った写真の日付が古いという指摘を受けてしまった。いま現在咲いていることは事実なのだが、なぜ古い写真なのか。
今日撮影した写真を見ていただけば、その理由がお分かりと思う。


 一目瞭然、3つの花が「アンタはアンタ、オレはオレ」というように、てんでんばらばらの方を向き、おまけにひとつは葉に埋もれて咲いている。
まるで絵にならない。

 なぜこういうことになるかというと、我々(ラン・ユリ部会内のこと)の関心は主として作る、増やすということに力点が置かれており、
美しく咲かせるということにあまり(ほとんどといってもよい)努力を払っていない。

 もっと言えば、咲くまでの過程が大事であって、咲いてしまえばそこでおしまい、すぐに来年に向けての作に関心が移るというところがある。
春蘭にしても、寒蘭にしても、その道の人たちの足元にも及ばないということは自覚している。
美しく咲かせる工夫をしたり、花の形を整えたりとうことまで気も手も回らないのである。

加えて私の場合、近頃はラン科希少種の保全ということに重きを置いており、ますます鑑賞性への関心が薄れている。
前回の写真だって、決して褒められたものでないことも十分承知している。
文字通り、ご笑覧くださいというところである。

 

追 写真に青いラベルが写っているが、これは荷造りに使うテープである。
毎年色を決めて、植え替えをしたときに差しておくと、それぞれの鉢が植え替え後何年たっているか一目でわかり、便利である。
草友のOさんに教わったことを続けている。
今年は茶色のテープの鉢が植え替えの年。



                                         








2012.3.18記

ツシマラニオイシュンラン

 ランの便りを載せる季節になってきた。前々回のブログ「蘭をいじめる」につぼみの写真を載せた、ツシマニオイシュンランの花が咲いている。
この個体は、東京山草会の先輩から平成2年に、大事に保存するようにという言葉とともに栽培を委託されたものである。

「なんだ、ただの中国春蘭じゃないの」と思われた方は正解である。
それもどこから見ても並もの(普通個体)で、その昔中国の文人たちが定めた価値基準からは遠く外れているし、日本人の美意識に照らしても、締りのない花容である。

であるから結構長く作っているが、個体名も与えられていない。野生ランとしてみれば、普通個体であるからそれでよい。
別に醜い花というわけではない。中国春蘭であるから、匂いもよい。この点は日本の春蘭より優れている。
玄関に置いているが、通るたびにかすかに鼻孔をくすぐられるのも好ましい。

このランの正体は、最初から中国春蘭と判明していたわけではない。 はじめは、信じがたいことであるが、春蘭と寒蘭の自然交雑種として世に紹介されたのである。
日本の春蘭にはない芳香を、寒蘭の遺伝子によると考えられたのであろう。それにしては匂いの質が違うが。
もう一つの根拠は、ツシマニオイシュンランには、日本の春蘭には見られない、真下に伸びる根(ショウガ根と呼ばれ、寒蘭にはよく見られる)があるという点である。
ちなみに、春蘭の根は、地表近くの浅い地下を横に伸びる。

たしかに、対馬には春蘭も寒蘭も自生している。
高知でも春蘭と寒蘭の自然交雑種みつかっており、交雑の可能性が全くないとはいえないが、どこからみても中国春蘭との違いが見えないという点から、交雑説に否定的にならざるを得ない。
現在大方の見方は、対馬にも中国春蘭が自生地していたということに落ち着いているようである。

しかし、我々は(ラン・ユリ部会内という意味)これを、人為的移動の結果と考えている。
その昔対馬は日朝貿易を行っていたし、鎌倉時代の日宋貿易にも、中継地としてかかわりを持っていたことと思う。
そんなことから、宋の貿易船がもたらした中国春蘭が対馬で野生化して残ったと考えるのも、そう無理のないことと判断している。

当時は大変な貴重品であったろうから、いきなり山に植えられてということはなかったであろう。
野生化にいたる過程については、想像力をたくましくする外はないが。

ツシマニオイシュンランは、環境省のレッドデータブックにもCymbidium sp.つまり正体不明のシュンラン属のランとして載っている。
2000年版では、絶滅危惧Ⅰ
A(ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種)とされている。
環境省は、ツシマニオイシュンランを、日本に自生する種と認めていることになる。

このカテゴリーは、07年の改定で、「情報不足」と改められた。自生個体があるか否か、現状不明、採り尽くされたかもしれないということである。

それについて思い出すことは、もうずいぶん前のことであるが、宋家の菩提寺裏山の自生地を見たことである。
ツシマニオイシュンランは、2枚葉の小苗がいくつか見られたが(私の目ではシュンランと区別できない)、そこここにシュンランが打ち捨てられていた。
案内してくださった地元の方の説明では、掘って根を確かめ、目的のツシマニオイシュンランでないと分かると捨てられるのだということであった。

植物にも(特にランでは)産地高という言葉が当てはまり、その土地に固有の種は地元での評価が高くなる傾向がある。
特に和名に地名がつくランは、地元の愛好家の収集意欲をそそるものと見える。
ツシマニオイシュンランのほかにも、アワチドリ
(千葉県)・サツマチドリ(鹿児島県)・ヘツカラン(同)・オキナワセッコク(沖縄県)などにその例を見られる。

和名に地名が冠され他ランでも、ハクサンチドリ・エゾチドリ・アマミトンボ・ハチジョウチドリなどは、狙い撃ちに会うことはない。
その理由は、分布が広域である、個体数が多い、鑑賞価値、商品価値に乏しいなどによる。


 ランの和名をつける場合、魅力あるランには土地の名を用いないほうがよいと思うのだが、いまさらどうしようもない。



                                     








2012.3.15記


早春の花3題


 前回の更新からだいぶ間が空いてしまった。

今年は無理をしないという方針の通り、年相応にのんびりやっている。
個展後は、仕事は4時で終え、週休2日という公約も守っている。 さしあたって期限のある仕事もない
ながいことお待ちいただいている注文を、半年かけてきれいにする計画である。

 仕事のペースを落としているので、以前より時間の余裕はある。 はずなのだが、その時間で何ができるというわけでもない。
要するに気分がだれるのである。というわけで、1日中忙しく動きまわっていたときより、ブログも間遠くなった次第。

 定年間近の人が、自由になったらあれもしたい、これもしたいと楽しみにしていたのに、いざ仕事から解放されると、現役のときより植物の手入れがおろそかになったということを聞いた。
よくわかる気がする。

 ひとの脳は、ある部分だけ緊張感を解いて、他の部分は以前通りの緊張感を持続するという使い分けが苦手なものと見える。
本題に入ろう。

 

ユキワリイチゲ

 家の東側、道路との間の狭いところに何年か前に、東京山草会で入手した(確か100円玉が2,3個の値だった)ユキワリイチゲを植えた。
以来毎年我が家では春の到来を告げる花となっている。

 花の後に一度化成肥料をばらまくだけで、他は何もしないが、ここが気にいったらしく、年々増えている。
間もなく伸びてくるシランに場所を譲ると、そこにユキワリイチゲがあることも忘れられてしまう。
早春のほんの短い一時期だけ存在感を示す、控えめな植物である。

キクザキイチゲ

 以前ナルキサスとネリネの写真を載せたが、同じ場所、仕事場の入り口脇の午前中だけ日の当たる小さなスペースに植えられている。
これも山草会で格安に入手したものである。

 こちらは、ユキワリイチゲのように、盛んに栄養繁殖するということはないが、タネが散って、意外なところに顔を出す。

ユキワリイチゲは地味な肌色がかったピンクの花のかたまりで、こちらは鮮やかな色彩で目を楽しませてくれる。
どちらも鉢ではなかなか花をつけてくれない山草であるが、環境があえば狭いスペースで手をかけずに楽しませてくれる春告げ花である。

 

オキナワチドリ(無銘)

 今月のラン・ユリ部会月例会にSさんが、7、8鉢のオキナワチドリを提供された。いずれも5、6株入りで、見事に花をつけている。これが1000円ということで(売り上げはすべて会の活動資金となり提供者には無償)、当然ジャンケンとなった。

ジャンケンには弱く、いつもは1回で敗退であるが、珍しく第1希望の花を入手。オキナワチドリには非常に珍しい、口紅咲きである。家に帰って、ラベルを見て驚いた。(A×B)×{C×(D×E}、5個体の遺伝子が入っている。Sさん得意の無菌培養技術を駆使しての作出品である。それにしても特徴ある花をこれだけ掛け合わせて、よくもこんなにシンプルな美花が生まれたものである。



        ユキワリイチゲ                 キクザキイチゲ               オキナワチドリ(口紅咲き)
                 








蘭をいじめる



 早春のラン、春蘭の季節である。風よけだけの自然栽培の我が家の棚でも、ツシマニオイシュンランのつぼみが伸び始めている。

 一時はちょっと熱くなった春蘭であるが、いまでは関心がほかに移り、数鉢を残すのみとなった。
そうなると、作もいまひとつで、咲いたり咲かなかったり、あまり気にしていなかった。

 最近野生ラン展や山草展の場で、春蘭が咲かないという相談を受けることが多い。
相談者の多くは鉢数も少ない初心者なので、明るい半日蔭に置く、水をやり過ぎない、リン酸肥料を与えるなど、ごく常識的な回答をしていた。

 ところが、その辺の呼吸は十分心得ていると思われるレベルの人からも、同様の声を聞くようになった。
どうやら花が咲かない理由は、栽培上の不手際だけではないような気がしてきた。

 そこで浮上してきたのが、温暖化現象である。冬季の高温が花芽の形成を妨げているという説に説得力を感じる。

 ずいぶん前のことであるが、沖縄の愛好家がサギソウの花を見たいと思い、球根を取り寄せて栽培したことがあった。
結果は、どうしても花がつかなくて、断念したということであった。温帯のランには、花芽をつけるには冬の低温が不可欠という種がある。
春蘭、サギソウにもこれが当てはまるらしい。


 以下は、私のあてずっぽうの推測であるが、本来南方生まれのランが、分布を広げて北上するにあたり、冬の寒さに耐えるために、様々な工夫をこらして生き残ってきた。
葉を落とし、地下部だけになって越冬したり、活動をほとんど停止して休眠するなど。
こうして耐寒性を獲得したことと引き換えに、冬の寒さを経ないと花をつけて、子孫を残すことができないというしくみになったのではないだろうか。

 若いころ、蘭の会の長老に「蘭はいじめないといけません。 甘やかしてはいけません」と教わったことがある。
蘭をこよなく愛する人の口から出たこの言葉に面食らった。 過保護にすると、葉ばかり締りなく繁って、形はくずれ、花も咲かない。 水はからく。 肥料は控えめに。
冬は寒さに会わせる。 昔のひとは、これを「いじめる」という言葉であらわしたのであった。 愛の鞭である。

 我が家には、柿の木が1本あるが、これがなかなか実をつけない。 毎年新芽が1メートルも伸びてしまう。 よその柿とはまったく違う姿で、見苦しいことこの上ない。
原因は、柿の周辺にランの棚があり、そこから流れる肥料が効きすぎることにあるということは分かっている。
それでもこの柿の木を残しているのは、もともと着生ランを着けるために植えたものだからである。
果樹も甘やかされると、野放図にあばれて、実を結ぶことをさぼる。そ
もそも猫のひたいほどの庭で、ランも、甘い柿も、両方楽しもうという魂胆がよろしくないということである。









2012.2.16記

腰痛


 個展が終わってほっと一息ついたところで、待ってましたとばかりに腰痛が出た。
アツモリソウに水やりをして、ホースを片付けようとして、しゃがんだとたんにギクッときた。
些細なきっかけを見逃さずに躍り出たという感じである。

 ここ数年仕事の上で緊張が続き、調子も乗っていたためか、疲れを覚えることもなくきたが、一区切りついたとたんにこのざまである。
病は気からというが、まこと人間の身体というものは、気分に支配されるものと改めて実感。 さいわい今回は軽く済み、2日寝ただけでほぼ復調した。

 解放感に浸る日々であるが、気を抜きすぎてエンジンが冷え切ってしまうと、始動するときに苦労する。
週休2日制を守りながら、ほどほどに仕事を再開したとろで、ホームページの作成に使用しているパソコンがクラッシュ。
こちらも相当お疲れとみえる。このブログが載るのもだいぶ後になりそうである。










2012.2.10記

草匠の譜


 園芸誌「山野草とミニ盆栽」(近代出版)に合田隆行氏が「山野草偉人伝 草匠の譜」と言う連載を書かれている。
山野草界で実績を残したひとを紹介する、今までにないタイプの連載である。

2006年新春号から始まり、2008年秋号まで18回続いた。
一時休んで、2010年新春号より「続草匠の譜」として連載を再開し、今までに31人を紹介している長寿連載である。
山草趣味界の歴史を人物の面からとらえた貴重な記録である。
合田氏もこの連載が生きがいと語っておられるし、周囲も氏のライフワークと目している。

 2月発売の早春号で、どういうめぐりあわせか、私が取り上げられた。
氏が原稿を書かれる過程でも、何度か問い合わせをいただき、対象に迫る真摯な姿勢に打たれたが、完成原稿を拝見して、
よくもここまで調べられたものと、綿密な取材に驚いた。
私自身が書いた憶えも、しゃべった記憶もないことまで出てくる。

 いままでにも、雑誌、新聞、テレビ等度々取材を受けたが、野生ラン栽培であったり、鉢作り、又は空襲体験など、
それぞれテーマが絞られていた。
今回のように幼時から現在に至るまで、多方向からまるまるとりあげられたのははじめての経験である。
裸にされたような気がしないでもない。

 しかし、考えてみれば、文章を書くということも、作品を発表することも、自分をさらけ出すことにほかならない。
野生ランについて語るときには、ランとのかかわりを通じて自分を語っているし、鉢作りについて書くときは、
それを通じて自分の価値観や生き様をさらしている。

 陶芸に限らず、作品を買うということは、作者を買うことであると言われる。
これは買い手からの視点であるが、売り手の側から言っても、作品を売るという行為は自分(分身)を切り売りしていることにほかならない。

 多分物作りや、文章を書く人間は、精神的露出症の気味があるのかもしれない。両方手掛ける私はそのけが強い?

そう考えると、合田氏の文章も、私の仕事、私の作品をより理解していただける手づるになりうるものとも思える。

 作者の評価は作品が全て、人物やそこに至る過程は関係ないとも言われる
。しかし一つだけ確かなことは、私の幼時体験が違ったものであったら、鉢作家である今の私はないということである。










2012.2.8記

続新作鉢展


 朝個展会場に入り、鉢を見ていて、いつもと違う顔つきをしていることに気づいた。
私は常日頃自分の作品を我が分身だと思っている。工房のなかで見る鉢たちは、そういう顔をしている。

ところが、人気のない画廊の棚に並んだ鉢たちは、私の手から生み出されたことを忘れたかのようによそよそしく、
自立して存在しているような気配を濃厚にただよわせている。
まるで私の分身であることを拒否しているようにすら見える。これは何なんだろう。

 もしかすると距離の関係なのか。狭い工房の中では、いつも手の届く距離で見ている。
それが、日頃見ない距離を隔ててみることで、こんなにも違った顔にみえるのだろうか。

それとも、多くの鉢愛好家の熱い視線を浴び、選ばれて、私の手元を離れることになり、鉢たちの意識に変化が生じたのか。
鉢を擬人化して見るというのも妙なもので、自分の感じ方の変化に過ぎないのだが。

 多分、私の分身であることも、また私の手を離れた存在であることも、どちらも矛盾することではないのであろう。

 

 波が引いたように、人足が途絶えたときに、助手のKがスマートフォンで「欅鉢」を検索して、画像を見せてくれた。
私はうかつにもインターネットで「欅鉢」を検索したことがなかった。
そこには私の最近の鉢や若い頃の鉢が、所有者のコメントとともに出ている。
憶えている鉢も、忘れている鉢もある。どういう人達の手を経て今そこにあるのか、わからない鉢もある。
私の鉢たちは独り歩きしている。不思議な気分であった。

 

 初めて私の個展を見てくださったある富貴蘭コレクターが、「鉢に格調があることをはじめて知った」とブログに書いてくださった。
私にとって最高の賛辞をいただいた。

 

伝統園芸の蘭、なかんずく富貴蘭は最も格調高い植物と言えよう。
鋭く張り詰めて、緊迫感にみちた葉姿、折り目正しい葉繰り。武士がこの蘭を愛したということも得心がいく。
我々が野生ランの神様と崇める鈴木吉五郎氏が生前「富貴蘭はランの侍だ」と言われていたのもこのことであろう。
余り知られていないかもしれないが、吉五郎氏は富貴蘭愛好家でコレクターでもあった。

 

 真・行・草という言葉がある。文字でいえば楷書・行書・草書、格調のランクである。
富貴蘭、寒蘭は真の植物である(と思う)。これらを植える器は、うわものにふさわしい品格を備えていなければいけない。

透かし鉢を手掛けていると、どうしても精緻に走りがちになる。
技術は大事であるが、その前に品格を失わないことを第一に据えなければならない。 品格なき技術はむなしい。
常々自戒していることである。 蘭をおとしめる鉢は作りたくない。

40年鉢を作って、少しは目指すところに近づけたであろうか。










2012.2.6記

欅窯新作鉢展


 2月3日から3日間開催した鉢展を無事終えることができた。
永らく個展から遠ざかっていたため、かつてのお得意様とはいつのまにか疎遠になってしまい、
またこういうご時世でもあり、この時期に個展を開くことへの危惧があった。
関東直下型地震の報道もマイナス要因として働くのではという思いも強かった。

 いざ蓋を開けてみると、そんな不安を吹き飛ばすような熱い空気が会場を埋めた。
植物が好き、鉢が好きというひとたちとの交流が持てたことは何よりの悦びであった。
遠方からのお客様も含めて、初めてお目にかかる方が多かったが、皆様長い時間をかけて、1点1点じっくりと見てくださり、
作者の意図を的確に汲み取ってくださっていることが伝わってくる。
鉢を作ること、それを使っていただくことの幸せに浸った時間であった。

 個展が終わってからも、欅窯の仕事を支持してくださり、欅鉢を手にすることの心の高まりを伝えてくださるメールをいただき、
改めて作り手と使う人との出会いにときめきを感じた。
出会い、それは極めて希な偶然であり、また会うべくして会ったともいえる。
生きてゆく上で、大きな、おおきなできごとである出会いを大切にしたい。

 趣味的な仕事とはいえ、私も社会人のはしくれであるから、自分の仕事の社会的位置づけということに無関心ではいられない。
食っていかれればよいというものでもない。
ごくごく小さな特殊な世界に身を置いているが、自分なりに、自らの立場を肯定的にとらえる考えを持っている。
今回の個展は、改めてそれを補強してくれる出会いがあった。いろいろあったが、結果よければすべてよしという気分に浸らせてもらえた。
この仕事を選んで続けてきたこと。私の鉢つくりを支えてくださる方々。
みな幸運なめぐり合わせである。感謝の一語に尽きる。



        

  富貴蘭界の大御所にもお褒めをいただいた          好評だった、初お目見えの竹林文透かし鉢。
      「銀世界」

                  


                                    野生ランマニア向けの徳利セットは、ランを作らない人にも受けた 
                                 









2012.1.31記

個展準備完了

個展まであと3日。全ての準備を完了し、あとは搬入を待つだけとなった。

 この個展、そもそもは長い付き合いの草友が銀座の某デパートの美術画廊に飛び込みで掛けあい、
私の個展開催の話をつけてくれたところから始まった。
   

平成15年に大丸東京店で開いた個展を最後に、多忙を口実に発表をさぼっていた私に
活を入れるつもりだったのであろう。 私はその話を、ほぼ決まってからはじめて知ったのである。
持つべきものは友と、さっそく準備を進めたが、色々あって、結局その話は流れてしまった。

 しかし、一度その気になったからには、そのまま中止というわけにもいかず、急遽若い頃(茶陶の時代)何回か個展を開いたことのある銀座松崎画廊での個展となった次第である。

 そんなわけで、9年ぶりの個展であるし、準備期間もたっぷりあったので今の自分の持てるものを80パーセント位は形に現すことが出来たのではないかと思っている

会場は広いので、点数も今までの個展で最も多く、富貴蘭鉢34点、蘭鉢9点、野生ラン・雪割草鉢16点、
徳利・ぐいのみ10点(これははじめての出品)、計69点となった。
鉢展になぜ徳利・ぐいのみなのかといぶかる向きもおありかと思うが、これがすべて富貴蘭や野生ラン、雪割草にちなむものといえば納得していただけるであろうか。

でき栄えはともかく、こういうアイデアは、植物にのめりこんだ、飲ん兵衛の鉢屋でならではと、いささか得意になっているのである。
本人はマニアの泣き所を突いたつもりになっているが、反応はどうであろうか。

曲折はあったが、まだ何とか頑張って、9年前よりちょっとは前進している(つもり)ところを見ていただければ大満足である。









2012.1.17.20時記

続窯焼き


 いま午後8時。
窯は最高温度1245℃を過ぎて、徐々に冷却しており、950℃位。 間もなく火を止める。
窯の中ではすでに結果が出ているが、それを目にできるのは3日後である。

 今回も焼いている最中に地震があった。どうも欅窯は、稼動しはじめると地震を呼ぶようである。
幸い今回も大したことはなかったが。
週刊誌はこぞって大地震への恐怖をあおるような記事を載せており、気にしまいと思っても気になる。

 注文しておいた「自然と野生ラン」の1月号が届いた。
顧客のM氏が富貴蘭の大会で、欅鉢に植え込まれた作品で、最高賞を獲得されたことが載っている。
我が子が晴れ舞台にのったようで、嬉しい。









2012.1.17記

窯焼き


 個展用の最後の窯を今日焼いている。
昨夜10時に点火して順調に温度が上がり、現在1150℃を越えたところ、何となくうまく焼けそうな気がする。
ちょっと間が開いて気になっていたので、合間にこのブログを書いている。

 いつもそうなのだが、タイムリミットが迫ると、しり上がりに調子が出てくる。
今回も気合を入れた作が入っているので、期待が大きい。
ねらい通りの上がりになれば、個展に出品し、ホームページ上でも見ていただけるのだが・・・。


さて、窯の具合を見てこよう。









2012.1.1記

1年の計


 というほど大袈裟なことではないが、今年実行に移そうと念じていることがある。
週休2日制の実施である。
個展が済んでからのことであるが、今から公言しておこう。

 作業場兼用住宅での自営業であるから、いままで決まった休日もないままに来てしまった。
休もうと思えばいつ休んでも、誰も文句はいわないが、日曜も休日も関係ない生活が続いていた。
70過ぎてさすがにこういうことを続けていては、80まで現役という目標を達成することができないかも
という気がしてきた。

 そこで、昨年の春から、週休1日に踏み切った。
40年以上休日というもの決めずにきたので、日曜日に居間にいてもどうも尻が落ち着かない。
女房の目を盗んで、やりかけの仕事に手をつけたくて、ウズウズすることもしばしばであるが、
何とかそれに耐えることにも慣れてきた。

昼間から柿ピーをつまみながら
(なぜか柿ピーでないと気分が出ない)チビチビやって、
東野圭吾なんかを読みふけるという楽しみが身についてきたからである。

 そこで今年からもう一歩前進して、年相応に週休2日制を採用することを宣言したのであるが、
私の性分を熟知している女房と、助手の
Kは頭から信じていない様子である。
で、意地になってこんなところに公言した次第である。

 私は運動が嫌いである。運痴というタイプである。座職であるから、当然運動不足になる。
土練り、ロクロをやるから上半身は使うが、下半身が弱る。腰痛とは長い付き合いということになる。
運動を勧められるが、嫌いなことはやらない。
いやいややってもストレスが溜まって、かえって精神衛生上好ましくないと信じている。
それでも常用している薬はない。

ガンマー
gtpと中性脂肪の値は高いが、これは酒飲みのイグ勲章みたいなもので、仕方ない。
薬を飲むほどのことはない(と思っている)。

 健康法としては、女房が常備している各種サプリと、隔週の鍼治療を続けている。
これが体調を整え、疲れを残さないことに利いていると思っている。
 

今後も鍼を続け週休2日制を堅持することで、あと9年好きな鉢作りを続け、
できることならばアイデアが枯渇して頭の中が空っぽになるまで作り続けてから隠居といきたいものである。

認知症と、手先が利かなくなるという事態はいまのところ想定していない。思惑通りに行くかどうか。
細く長くもいいが、ちょっと面白くない。太く長くを望むほどの慾も能もない。
せめて中太で程々に長くと行きたいものである。



                   

               構想中の雪割草鉢。色々なバリエーションが考えられる