けやきのつぶやき

                   

草土庵主のブログ

   草と土を友として    
   蘭 人 一 如   


2011.12.30記

年末のご挨拶

 ホームページを立ち上げて半年になりました。
以前会員制のカタログを発行したことはありますが、ネット上での販売は初めての経験です。
そして、これはとても新鮮でよい経験でした。

 おもしろいことにというか不思議なことにというか、ネットショップで欅鉢を買ってくださった方々は、
すべて新しいお客様です。 これは大変嬉しいことです。

 多くの方々が、よい鉢を求めている、使いたくなる鉢を待っているということを、改めて知りました。
そしてもうひとつ新鮮な喜びであったのは、ネット上で初めて接する方々と鉢を通じて、気持ちの通い合いを実感することが出来たことです。

 鉢を作る側と使う側、立場は異なりますが、鉢が好きという点では一致しています。
そのことが、メールの行間にたっぷりつまっているのが読み取れました。

欅窯のホームページにアクセスして下さった方々、欅鉢を選んで下さったかたがたに、心より感謝いたします。



                   








2011.12.15記

水晶寒蘭展

 先週末に上野グリーンクラブで行われた「第2回水晶寒蘭美術展覧会」を見に行った。
「水晶寒蘭」はまだ馴染みの浅い言葉かもしれないが、詳しくは当ホームページのリンクから
「日本水晶寒蘭連合会」のホームページをご覧いただきたい。

 第1回展の昨年は、即売場に山積みの根巻き苗があふれ、格調の高さが売りのランが気の毒のようであったが、
今年はガラリと様子が変わって、売品はほとんどが鉢植えになり、ゆったりとして、
見やすく心地よいディスプレイになっていた。

 メインの展示場も、入り口正面に季節感のある小庭園をしつらえ、「美術展覧会」の名に恥じない
雰囲気つくりがされていた。

 私がこの展覧会に注目しているのは、日本の寒蘭にない、清冽で透明感のある水晶寒蘭の名品が
結集していることに加えて、鉢合わせに神経を使った展示に魅かれるからでもある。
鉢作りには、実際に使われている場を見ることが欠かせない。

 花ものの展示会は、年に1回の晴れの舞台であるから、舞台衣装である鉢と主役のランを合わせて
観賞できるのは嬉しい。
我田引水になるが、伝統園芸の流れを汲む展示では、普段着(栽培鉢)で舞台に登場されてはいささか興ざめである。

 またまた我が田に水を引くが、100点余りの展示品の内30点以上が欅窯の蘭鉢に植えての展示で
あったのは望外の喜びである。
古くからの欅鉢コレクターも参加されているから、若い頃のあまり出来の良くない作品も使われている。
こういう場合、何代も続く名門の作家ならば、身の置き所がなく冷や汗を流すであろうが、
一代で趣味から入った身は気楽である。
「下手だったなー」と笑って終わりである。 ズブの素人に毛が生えたくらいの時期を経ていまがある。
その辺を承知で、古い作品を大事に使い続けてくださっている方々に支えられて、欅窯は何とか生き残ってきた。

 助手のKが、昔の作品の一つが気に入り、盛んに同じようなものを作る事を勧めるが、
なかなかそういう気にはならない。
下手さ加減も、力もいまとなっては、同じようには行かない。
まだいささかの向上心が残っているので、気持ちは新しいものを生み出すことに向いている。

 欅窯を支援して下さるコレクターの方々が、自分の足跡を見せてくれているような会場で、
もの作りとしての幸せに浸った時間であった。



             展示会場                  若い頃の作品 灰釉蘭鉢に植えられた
                                        水晶寒蘭

          
   最近の作品 瑠璃釉蘭鉢に植えられた水晶寒蘭。   販売場で見た、よい味の古鉢。
                                     萩焼きの鉢は珍しい。
  

                 








2011.12.11記

窯開け

 近頃にない残念な窯開けになってしまった。6本入れた寒蘭鉢のうち、4本が失敗、相当まずいことになった。
染付けで蜻蛉を描いた1本は割れ、秋草に赤蜻蛉を描いた2本は釉裏紅の発色がきつすぎておしゃか。
発色しない部分があるかもしれないという意識があるので、少々描きすぎてしまった嫌いもある。
それが案に相違して全部くっきり、はっきり発色してしまったので賑やか過ぎて秋の風情も何もあったものではない。なかなかうまくいかないものだ。

 もう1本は、釉裏紅が安定して発色するようにちょっと細工をしたのが効を奏して、麻の葉文が全体にむらなく、
ねらい通りに発色したが、口と足に掛けた黄磁が剥がれ落ちて(初めてのこと)悲惨なことになった。
黄磁に関しては細工が災いした。

 この経験を生かしてもう一度挑戦し、失敗は成功のもとという言葉が真実であることを実感したいものである。

 雪割草鉢でも、重ね焼きした期待の染付けなどで、内外の鉢がくっついてしまうという、
これまた滅多にないことが起きた。

 寒蘭鉢はすっかり目論見が外れたが、富貴蘭鉢は計算どおりうまくいったのが救い。
長いこと手を出せずにいた、唐草文の透かしが久しぶりに一工夫加えて復活できた。
あれほど気が向かなかったのに、ひとつ作ると勢いに乗って、続けて4点作ってしまった。
我ながらおかしなことだと思う。

 また、青磁大貫入の新しい透かし鉢7点も全て成功。
一部は間もなく更新のネットショップでお目見えの予定である。

 個展まで、ガス窯は今回で焼き納めのつもりでいたが、年を越してからもう一度焼くはめになった。
やっぱり焼き物は難しい。年を越して窯のご機嫌が麗しくなることに期待しよう。



                                           窯出し中の内部

            


              失敗の寒蘭鉢

          


                             青磁大貫入 自然に生まれる線描がおもしろい
                                  








2011.12.6記

本焼き

雨天の合間の5日に窯を焼いた。今回もまた窯詰め中に地震があったが、被害なし。
今回のメインは来春の個展用作品、ほかにネットショップ更新のための富貴蘭鉢・雪割草鉢、注文の6号雪割草鉢と
中身の濃い窯である。失敗すると相当まずいことになる。

この時期の窯焼きは、ガスの燃焼がよいせいか温度の上がりがよい。
今回はいつもより2時間も早く1200度に達し、そのまま上がり続けると通常より短時間で焼き上がってしまう。
上がりすぎるのも困りもので、ガス圧を調整して温度上昇を抑え、2時間のずれを調整しながら焼いた。

窯焼きは一定の温度に達すればよいというものではなく、温度と時間の積で釉薬が溶けるので、
短時間で所定の温度に達して火を止めると焼き不足になってしまう。
2時間早く止める場合、通常より何度高くすればほどよい焼き具合になるのか。
これは数字に弱い私の計算能力の及ばないところである。
そもそも一定の時間・温度で焼いてもそのつど焼き上がりが異なるものなので、なるべくデータから外れないように心がける。

いつもの通り、1245度まで上げ、23時間で止めた。後は2日間冷まして窯出しを待つ。
この2日が我慢のしどころである。
窯の中では、結果が出ている。中をのぞいて、入魂の1作の仕上がりを確かめたいところであるが、辛抱。

以前誘惑に耐えかねて色見穴からのぞいたとたんに、ピンといういやな音がして案の定期待の寒蘭鉢にヒビが入った。余計なことをしないというのも、仕事上必要な資質であるが、せっかちな私にはつらい2日間である。








2011.11.29記

近況

このところ、ブログの更新が間遠くなっています。
来年2月の個展の準備が追い込みの時期に来ており、そちらの方に気持ちが集中しているため、ブログに手をつけられないでいます。
いつもそうなのですが、時間切れに近くなると絶好調になって、次々にアイデアが湧き上がり、きりがつきません。
ブログのネタはいくつもあり、書き掛けの原稿もあるのですが、手が追いつきません。

 

 高知のラン友から、富貴蘭「南国の舞」が何鉢か賑やかに咲いているという便りがありました。別の知人の所でも、富貴蘭が2鉢か咲いたということです。今年はそういう年なのでしょうか。

 

 二人の方からブログの変換ミスのご指摘をいただきました。
また、一つの文のなかで、同じ言葉が漢字とかなになっているということも教えていただきました。
ありがたいことす。ちゃんと読んでいただいているということですから。

載せる前に少なくても3回は読み直しをするのですが、自分の文の校正は、内容がわかっているので、なかなか誤りに気付かないものです。

 

 朝仕事前に、つなぎに短文を書きましたが、何故か今回は「ですます調」

になってしまいました。やましさを感じているからでしょうか。 




          







2011.11.20記

狂い咲き

 いつまでも暖かいからというわけではないであろうが、師走も近い今、フウランが咲いている。
「南国の舞」という八重咲きに品種である。

セッコクではしばしば秋から初冬にかけて花を見ることがあるが、フウランの秋咲きはそう多くはないように思える。

 本来の開花期から外れて咲くことを、昔から「狂い咲き」と言い慣わしていた。
植物はそれぞれ種によって咲く時期が決まっており、決まった季節に咲くようにコントロールされている。
しかしたまにはこれが狂って、ときならぬ開花をするのが「狂い咲き」でこの呼称は当を得ていると思う。

 しかし、今は放送禁止用語というものが定められており、「狂う」という語はテレビ、ラジオでは使えないことになっている。人にかかわる場合「狂」のつく言葉はご法度というのは理解できるが、狂うのはひとばかりではない。
機械も植物も狂う。 狂うのがひとでなければいいんじゃないのと思うが、「フウランが狂い咲きしている」という解説も、「この時計狂ってる」という台詞も放送界では×である。

 それでは、放送では「狂い咲き」を何と表現するのか。ある局では「戻り咲き」というそうであるが、これは実態に則していない。 ランの狂い咲きはたいていの場合、翌年咲くべき花芽が前年の秋に開花してしまう現象で、いうなれば「戻り」ではなく「先走り咲き」である。

 おどろいたことに、禁止用語には「キチ」も含まれている。「釣りキチ」も「ランキチ」もアウトである。
「釣りキチ」はともかく、「ランキチ」は、言いようによっては、「たかがちっぽけな草に大枚の金をかけるバカども」というような、侮蔑的意味合いが含まれることがあるかもしれない。
それでもみずからランキチを自認している私たちは、「ラン愛好家」と言い直されても格別うれしいとも思わない。

 放送禁止用語は、業界の自主規制であるから、もちろん業界外にまで強制されるものではない。
私としては、これからも「狂い咲き」「ランキチ」で行きたいと思っている。


  富貴蘭 「南国の舞」
      







2011.11.7記

ニオイラン

ニオイランについてはブログの「ネバリサギソウ」(8月24日)のなかでちょっと触れたことがある。
昔ラン・ユリ部会内で、名前にそぐわず全く匂わないということでしばしば話題に上がった台湾の着生ランである。
その後台湾の野生ランは入荷しなくなり、我が家のニオイランもいつの間にかいなくなり、
長いこと目にしていなかった。
栽培は容易で枯れるようなものではないから、多分匂わないニオイランに関心を失い放出したのであろう。

先日ある山草店で久しぶりにニオイランに出会い、入手した。
前にも書いたように、台湾では香りのよいランとして親しまれているということを知ったので、
もう一度香りを確かめてみたかったからである。

花が開いたので室内に取り込み、東側の窓際に置いてみた。寒がらせては匂わないのではと危惧したからである。
午前中にほのかに香るということを確かめて、長年の疑問が解け、一応気が済んだが、まだ釈然としない。

香るといっても手にとって嗅いでみて匂っていることが分かる程度である。
風蘭や寒蘭ほどでなくても、1鉢室内に置けばそこはかとなく香ってくるというくらいには匂って欲しい。
物足りない。加えて、においの質が余り好ましくない。悪臭ではないが、贔屓目にも芳香とはいいがたい。
名前負けである。

台湾ではその香りが好まれるという話が真実であるならば、やはり環境が変わると本来の技を発揮できない
と解するほかはない。台湾低山の樹上に着生し、秋から初冬が花期であるようなので、
本来の香りを引き出すにはもっと温度が必要なのかもしれない。
この時期我が家ではまだ温室も居室も暖房は入れていない。謎が解けるのはまだ先のことになりそうである。

香りとは別に今回咲かせてみて新たな疑問が湧いた。それは、ニオイランの唇弁の斑紋である。
もしかして、これは蜂に擬態しているのではないだろうか。
言うまでもなく、ランがメス蜂になりすまして、オス蜂を誘い、授粉をさせる作戦である。

ヨーロッパや、オーストラリアには唇弁が見事なまでにメス蜂に擬態しているランが知られており、
決して突飛な思い付きではない。台湾の野生ランの本を3冊調べて見たが、それらしい記述はなかった。
勿論中国語であるから、良くは分からないが、字面を流し見ればおおよその見当はつく。

漢名は香蘭または台湾香蘭、別名牛角蘭(葉が水牛の角のように湾曲する)、台湾の固有種であることを知った。
周鎮氏著「台湾蘭図鑑着生蘭篇」には、昆虫が香りで誘引されて花粉を運ぶと書かれているが擬態には触れていない。

同書の記述を見ていて(読んでではない)、大いなる疑問に遭遇した。その部分を引用する。

「舌瓣大型、中央處有濃紅或濃紫褐色大斑紋、無香味

最後の三文字に何か別の意味があるのだろうか。
念のため英文にも目を通してみたがが、何故かこの部分の英訳は欠落している。

かくして、またまた疑問は振り出しに戻ってしまった。


   ニオイラン
      



オフリス スペキュルム 地中海性気候地帯に産し、メス蜂に擬態するランとして知られる。
この仲間には多くの種があり、それぞれ別の種の蜂に擬態していると言われる。