雨の音威子府 

 旭川11:21発稚内行き321レ。
 かつてはC55・C57が牽いた「最果て鈍行」でした。
 稚内に着くのは夜の7時過ぎ。延々8時間近くもかかって最北の地をめざすこの列車は、宗谷本線から蒸機の姿が消えた後もしばらくは気動車化されず「汽車」の姿のままで残っていました。もっとも4両編成のうち客車は前2両だけ。後ろの2両は荷物車と郵便車で、気動車化されなかった理由のひとつは、この列車のスジを利用して郵便・荷物を運ぶためであったようです。
 しかし、牽引機こそDD51に変わったとはいえ、旧型客車(それもスハ32のことが多かった)にゆられての最果てへの旅路は、やはりそこはかとない旅情感がありました。
 蒸機が消えた後、「北海道フリーク」として大学の長い休暇のたびに北海道を彷徨っていた私は、何度もこの汽車に「乗る」ためだけに旭川から稚内までの全線を乗車したものです。
 旭川を出て4時間、ちょうど距離的にも時間的にも全行程の中間にあたる音威子府に到着します。ここで321レは15分ほどの停車時間を取ります。元々は蒸機が給水するための停車時間だったんですが、牽引機がDLに変わったこの頃も同様なダイヤでした。蒸機時代はここで機関士が交代し、321レを牽引したきた機関士は夜の上り「利尻」に乗務して旭川に戻る、という乗務だったそうですが、DLになってからも同じだったのでしょうか…。

 この停車時間は、乗客にとってもちょっとした「休憩時間」。
 長時間の乗車にちょっと疲れた足腰をホームに出て伸ばし…そして2・3番ホームの一隅には「NHK推薦・日本一うまいそば」という歌い文句がついた立ち食いそば屋さんがありました。いつ入ってもけっこう混んでましたね。
 ここのおそばは、「つなぎ」をほとんど使っていない、ほとんど純粋そば粉で造られているおそば、と言われてまして、事実食べてみると箸で持ち上げたおそばがちょっとした加減ですぐブツリと切れる、というものでした。ちょっと食べ方にコツがあったりして。
 この日は8月にしては朝から雨が降り続き、ちょっと半袖では肌寒いくらいに感じた日で、暖かいおそばがすごくおいしく感じたのを覚えてます。
 今は…このおそば屋さんもなくなってしまったんですよね…。
 さて、写真をよく見ていただくとわかるんですが、おそば屋さんのカンバンのすぐ横、それに左側のホーム屋根柱のところに、それぞれ「た」「し」「か」「に」と書かれた板が見えます。
 これは昔はどこの駅でも見られた業務注意書きで、
  「た」〜タブレット(通票)、 「し」〜信号、 「か」〜旅客(リョク)、「に」〜荷物
 を表わし、列車の出発に際し、通票と信号と旅客乗降、それに荷物積み下ろしを確認しなさい、という意味だったようです。
 「タシカニ確認」と書いてあった駅もありましたね。
(1978年8月 宗谷本線 音威子府)
 この日、降っていた雨は幌延を発車したあたりで上がり、空には晴れ間が覗いてきました。
 稚内も間近になって、サロベツ原野のかなたに北の夏陽が沈もうとする頃にはもう時計の針はあと少しで7時。
 赤みをさした光がスハフ32の細窓を縁取るように差し込んできました。
 蒸機がDLに代わっても、この情景だけは同じだったんですが…。

(1978年8月 宗谷本線321レ車内 兜沼付近)