C12208

 1994年2月。1両の蒸気機関車が新金谷に搬送されてきました。
 現在大井川鐵道で押しも押されもせぬ主力機として活躍しているC108号機の入線に先立つわずか4ヶ月前…。
 将来の主力機と目され、また日本で唯一現存するC10型ということで注目を浴びたC108の入線に比べ、マスコミの脚光を浴びることもなくひっそりと新金谷の側線に到着した機関車。それがC12208号機でした。
 かつては鳥栖、吉松、鹿児島といった九州各地の機関区に居を移し、最後はあのC12241とともに熊本機関区に所属、高森線で国鉄九州最後の煙のひとつを立ち上らせていた機関車でした。

C12208

 しかし、彼が大井川鐵道にやってきたのは残念ながらその命の火を再び点すためではなかったのです。共通・共有可能部品の多い大井川鐵道の他の機関車のための部品取り専用。つまり「リザーブ部品の塊」というのが当初からの搬入目的だったのです。少々口の悪い言い方をすれば、「機関車」ではなく「備品」扱いだったわけで…。
 当初、一部のファンにはこの機関車の大井川鐵道本線上での復活を期待する声もありましたが、冷静に考えてみればすでにC108の新規入線が本決まりになっている当時、大井川鐵道が同時に2両の蒸機の復元復活を手がける余裕があるとはとても考えられず、あくまで「部品取り目的」であることは明らかでした。

C12208

 あれから11年。たとえ動かず、煙を吐かず、ドラフトを響かせることはなくとも、このC12208の功績は大きなものがあります。彼は今も大代側線の一角に留め置かれています。あちこちの部品はまるで毟り取られたようになっており、ちょっと見ただけでは「見るも無残」であるような印象を見る者に与えますが、その剥ぎ取られた部品の多くは、今も大井川鐵道の他の蒸機たちの部品の一部に生まれ変わって川根路を疾走しています。
 大井川鐵道の蒸機運行を支えてきた影の功労者、縁の下の力持ちの一人と言っても過言ではないでしょう。
 この写真は、入線直後、メインロッドこそ外されていたものの、まだ蒸機としての姿をほぼ完全に残していた時の写真です。ついていたナンバープレートは今は別途保管されています。
 いずれ、時が来て…。
 もしも新金谷あたりに、梅小路のように転車台を備えた「蒸機博物館」ができ、毎日出庫していく蒸機を観光客が間近に見ることができるようになる時代が来たら…その時には、その蒸機たちの出発を見守るような場所に、このナンバープレートを埋め込んだ記念碑を立ててほしい。「功労者」の銘とともに。
 そんなことを、この写真を見ているとふと思うのです…。
(1994年2月 大井川鐵道 新金谷 〜許可を得て撮影〜)