ニセコ連峰

 「C62ニセコ」復活2年目の春。
 私は宿で一緒になった熟年鉄ちゃんに連れられて、稲穂嶺の一角に登っていました。いや、正確に言うと「登らされた」というべきでしょうか…。
 C62復活によってやたらと線路端へ足を運ぶことが増えた私でしたが、まだこの頃は俯瞰撮影はほとんどと言っていいほど経験がありませんでした。むしろ「なんでせっかくのC62をそんな豆粒みたいにして見なきゃいけないんだよ〜」と思いながら、渋々ついていったのでした。セトセ川の奥までタクシーを使い、その後は登山。途中、雪融けで水量の多くなっていた沢を渡り…着いたのがここでした。当時、どこをどう歩いたさえもわからず、ただゼイゼイ言いながら濡れた足を引きずって登った記憶があります。
 その撮影ポイントからの眺めがこれでした。
 線路がうねる低い山並みの向こうにニセコ連峰の山々…。
 一番左がニセコアンヌプリ、その右はイワオヌプリ、そしてワイスホルン…。

 しかし、こんな見事な風景を眺めながら、「やっぱりC62を豆粒で撮るのはイヤじゃ〜!」という気持ちが先に立ったのか、その後は再びこの場所に登ることもなく(と言っても単に連れて行ってもらっただけだったので、行き方もロクロク記憶してなかった)、しばらくは忘れ去っていました。さらに、一度「稲穂大俯瞰」に登ったときに悪天候のために汽車が見えず音だけ聞いて帰ってきた、という苦い経験がトラウマ(?)となって、しばらく「俯瞰回避症」になっていたものです。
 C62運行も後半になった頃、たけだ旅館の仲間の多くが稲穂嶺の俯瞰にのめりこんでいる様を見、さらにその写真を見せてもらって、初めて「登りたい」と思うようになったのですが、その頃には運行日は激減。NORTH DRAFTさんにレクチャーを受けてから初めて↑の場所が「広場」と呼ばれていることを知りました。
 その後、何度か登ったんですが↑の日のように、ニセコ連峰がクッキリ見えた日には出くわしませんでしたね。
 好き嫌い言わずにもっと早くから通っておくんだった…。
(1989年5月 函館本線 小沢〜銀山)
 この時私をここに連れて行ってくれた方、もしこのページご覧になってたら、メールいただければ嬉しいです。(^^;