「みかん・絵日記」考  〜我が家の動物誌〜


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さて、みかんとキリーの間に生まれた子猫は「こりんご」と名付けられます。
吐夢が、毛色がみかんよりも赤みが強いので「りんご」と命名しようとしたんですが、「オレより小っこいのに『りんご』はおかしいよ〜」とみかん。結局、お母さんが悩んだ挙句、
「ミニりんご?チビりんご?…こ・りんご、こりんご!」となったのでした。(^^;
このこりんごの誕生以降が「みかん・絵日記」の第二期に当たるのですが、その最初の大きなエピソードが10巻に描かれます。
ある日、とうとうこりんごも人間語をしゃべりだします。それも兆候が出てわずかに1日でもう日常会話に支障ないほどに。
ただ、まだちょっと上手?とは言えず、「です」が「でし」、「わかる」が「わかりる」になったりします。そこが可愛かったりするんですが。(^^;
こりんごは見た目はみかんにそっくりなんですが、実は性格はキリー似で穏やかで素直。
人間語は草凪家の人と世良以外の前では絶対に話してはいけない、という約束事もしっかりとわかっていて、
「こりんご、わかりるのー!お家の人とー世良きゅんだーけ、おしゃべりできりる、わかりるのー!」
これさえ知っていれば一安心、ということでその夜は草凪家は世良も交えて大祝宴に。ところが翌日…。
この「言の葉の泉」と名付けられた一章は、実は学校の教科書などでは教えてくれないような大事な話が書かれているような気がするんですよね。4巻のおじいさんのエピソードとともに、私の好きな話です。

「みかん・絵日記」 10巻

祝宴で騒いだ翌朝、なぜかみかんが人間語を話せなくなってしまいます。猫語は普通に話せるのに…。
もちろん人の言っていることは理解できるんですが、話すことができない。
みかんは大きな紙に字を書いて「こえ、でない、おれ」…。
最初は一時的なものかと思って、コミュニケーションは筆談?で済ませていたみかんですが、一週間経っても人間語が話せない。そのうち「おしゃべり猫は世界にただ一匹だから、こりんごと交代した以上、もうみかんは話せない」という怖い考えがみかんの頭を支配します。草凪家の人々もその考えに取り込まれかけてパニック。
こりんごは必死になって父猫のみかんを慰めようとしますが…。
「もし本当におまえが『世界で一匹』の猫になったのなら、そういうふうに神様が決めていたと言うのなら、しかたないなってパパちゃん思った」
「パパちゃん、だめです、そんな気の弱いこと…」
「ううん、違うの。あきらめたんじゃないの。パパちゃん、それでも練習はするの♪…ただ、しゃべれるってすごいことだよって、こりんごにもわかってほしい」」

「みかん・絵日記」 10巻

(白泉社「みかん・絵日記」 第10巻 より)

このセリフを読んでハッとしました。ここでは「猫が人間語を」話せることを指しているようになっていますが、よくよく考えてみると私たち自身にとっても実は「しゃべれるというのはすごいこと」なんじゃないでしょうか?
いや「しゃべる」ことに限らず普段当たり前にしているすべての動作が…自分の目で物を見ることも、音を聴くことも、歩くことも、座ることも、寝ることさえも…本当は「すごいこと」なのじゃないだろうか。そう思ってしまいます。
普段当たり前にできていることがもしある日突然できなくなったとしたら…?想像してみてください。
あるいは、さっきの話とつながってきますけど、普段いるのが当たり前だと思っていた人が突然いなくなったら…?普段当たり前だと思っていた空気や水がある日突然なくなったら…?
そう思うと、毎日なんの気なしに過ごしている日常、もっと自分の周囲のものを、あるいは人を、あるいは自分自身を大切にしなくてはならないのじゃないかと。そして、言葉というものは…?
「…言葉。言葉って何だろう?なくてもいいとは思わないけど、あるからいいとも限らない…」
いっぱいいっぱい言葉使ってきたけれど、
本当に必要な『たった一言』って、ちゃんと言ってきたんだろうか…?
ネット時代になって巷には言葉があふれかえっています。
ただ、使い方ひとつで「言葉」は人の心を癒す薬にもなる代わりに、人を傷つけるナイフにもなってしまう。
私自身、ひょっとすると数え切れないほどの人の心を傷つけてしまったのかもしれない。それが本人には痛みとして感じられないのが現代のネット社会の怖さだと思います。
そして一方で、言葉は「遊びの道具」となってしまっていることもあります。言葉遊びもたまにはいいでしょう。でも、それに熱中するあまり、本当に伝えなければいけないことを怠っている自分がそこにいませんか?
悩んでいるみかんにクロブチが一言。
「要は形じゃね〜よ、心だよ!」
本当に大切なのは『伝えたい』その気持ち…
「『気持ち』いっこがあればいいのさ…」
世の中には、声を発することのできない人、目の見えない人、耳の聞こえない人…がたくさんいます。
そうした障害者の方々の多くが健常者に交じって懸命に生きています。
そして、そうした方々は、周りの人とコミュニケーションを取るのに人並み以上の苦労と努力をしているはずです。これってすごいことだと思うんですよね。だから、みかんが言うように「しゃべれるってすごいこと」なんだと改めてそこで気づきます。
でもそうした方々も懸命に自分の意志と気持ちを相手に伝えようと努力しています。そしてそれは、「伝えたい」という強い気持ちになって相手に届くのです。
その、本当に大事なことを、私たちは時として忘れてしまう。
みかんは、タツゾウじいさんと暮らした昔を思い出す…。
「じィさんとしゃべりたくて、しゃべりたくて、よけいなことはなーんも考えず、夢中で人の言葉を覚えたよ。なのに、いつか時が流れて、しゃべれる自分が当たり前になったら…大事なことずいぶん忘れてしまったみたい…」
その忘れてた大事なことって何だったのだろう???
私たちだって赤ん坊の時、どうやって言葉を覚えたのか…ただ、単にマネしたからしゃべれただけ?時が来たからしゃべれただけ?そうじゃないと思う。そんな味気ないものじゃないはず。
もっと言えば、自分はどうやって生まれてきたんだろう?ただ漠然と偶然に生まれてきたんだろうか?
世の中には「自分が頼んでこの世に生まれてきたわけじゃない」などとスネたような言葉を吐く人もいます。でも、それは間違っていますよ。
人間、いや動物でさえも誰しもが「自分の意思で生まれようとして」この世に生まれてきたはずなんです。
よく教育テレビなどで、卵子をめがけて殺到していく数万の精子の映像などを見ることがありますよね。その中で生き残り、新しい生命の基となることができるのはたった一匹。それも極めて健康で優秀な精子一匹だけです。今この世に生を受けている私たちはその熾烈な戦いに勝ち残った「勝利者」なのです。懸命になって生まれてこようと戦ったかつての自分の記憶を失くしているだけなんです。だから生きている自分をもっと誇りに思うべきだし、もっと自信をもっていいと思う。もっと自分を大切にするべきだし、自分の祖先と親を大切にしなきゃいけないよね。
せっかく勝ち取ったこの命…今私たちが生きていること自体「すごいこと」なんだ、ということをもう一度再認識しましょうよ。
みかんがふと通りかかった部屋。廊下で聴いていると藤治郎と菊子の話が耳に入ってくる。
菊子の膝の上には泣きながら眠ってしまったこりんごが。
「このごろ、味気ないだろう?なあ、母さん…」
「…そうですね。こりんごちゃんはあまりおしゃべりなほうじゃないし…」
「だなー♪みかんはあれこれ注文つけるし、あれ買ってこれ好きって、うるさいくらいだもんな〜」
「でも、それが楽しかったんです…だから、待っています。もう一度しゃべってくれることを」
ふとみかんは、タツゾウじいさんの言葉を思い出す。
「しゃべってくれるといいなぁ、なあトムや…」
「オレが忘れてたことって、それだったのかなぁ…ねぇ、じィさん。言葉って…自分のためだけじゃない。待っている人の『想い』のためでもあったんだ…」
心の底からしゃべりたい
行ってその人に語りかけ、その人の笑顔目にしたい
ただそれだけ それだけが望み

「みかん・絵日記」 10巻

(白泉社「みかん・絵日記」 第10巻 より)

物語の最後、みかんは再び人間語がしゃべれるようになります。
最後にみかんが一言、
「大事にするね…」
私たちも普段の忙しい言葉のやりとりから離れて、本当に大事な言葉って何なのか、もう一度考えてみる時があってもいいような気がします。そして自分にとって本当に大事にしなければならない身近なものは何なのか、大事な人は誰なのか…。
それは結局、自分自身を大事にすることにつながってくると思うから。
そして、本当に大事なものは、本当の幸せとは遠い彼方ではなく、すぐ自分の傍らにさりげなくあるものだということに、誰もが気づくことでしょう…。
◆                ◆                ◆
自分のハンドルネームの由来についてちょっと書くつもりが、思わぬ長文になってしまいました。
ストレスのたまる現代生活。疲れて自分を見失いかける時もあります。私がこのハンドルネームを使っているのは猫好きだということの他に、そんな疲れに流されて自分の本当に大切なものを失くしてしまわないように、という思いがどこかにあるのかもしれませんね。
疲れたとき、つらいとき、心がガサガサしたように感じるとき…私は本棚からこの本を揺り起します。
いつも同じところで笑い、同じところで涙し…本を閉じたときにはなんとなく心に安らぎが戻って、何か温かいものが点ったような気がするんですよね。
でも、さすがに長い年月を経て繰り返し読んでいるせいか、何冊かちょっと中のページが落丁しそうになっているのが出てきまして、最近、↓文庫版(といっても文庫版も初版から15年以上経ってますけど)のほうを買い直しました。コミックス版のほうは昨今では古本屋さんに行ってもなかなかお目にかかれないそうです。
私のように全巻持っているのは貴重かもしれないので大事に保存しようと。(^^;

「みかん・絵日記」文庫版 1巻

皆さんにとって本当に大切なものは何ですか?大切な人は誰ですか?
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