生い立ち
昭和37年3月23日北海道は北の果て、遠別(えんべつ)と言う小さな町で
松村和子は最初の一声を発した。

父親が芸人母親が民謡歌手。巡業が多かった為、3人姉妹の次女だった和子は、生まれてから小学校へ入学する6歳まで
父方の祖父母に遠別にて育てられる。姉は、一人で身の回りの事が出来るようになり、一緒に巡業へ参加。
妹は小さいので一緒に連れて歩かなくてはならず、真ん中の和子だけが、残されたのだという。
本人曰く「私は、遠別の残留孤児だった(笑)」と何時もインタビューその他で言っていた。

しかし、その生活は壮絶なものがあったと言う。
馬くろだった祖父は、酒乱で、まだ幼い松村も、酒を買いに出されたと言う。
酔いが回ると手がつけられず、その矛先は祖母で、幼い和子の目の前で殴る蹴るが日常茶飯事。
そんな時は、自分だけを遠別に残していった、両親を恨んだとか。

しかし、祖父母の和子への愛情は大変なものがあった。
祖母が呟いた「カッコの七五三の時は(仕度に)かまどが引っくり返る程だった」と。
要するに、決して裕福ではなかったので、大変なお金がかかったと言う事らしい。
それだけでも、和子への愛情の深さが垣間見える話だ。

その後ようやく、小学校入学を機に苫小牧で民謡茶屋「じょんがら」を経営する母親の元へ。
幼い頃から極端に人見知りが激しかった和子が、母の唄う民謡を子守唄代わりにしているうち、
自然に民謡を覚え、学校のお楽しみ会で初めて人前で『真室川音頭』を披露。
先生を始めクラスメート全員から、拍手喝采を浴びる。それが小学校3年生だった。それから少しづつ歌に目覚めて行く。

出会い

小学校5年生の時、それは突然やって来た。
父親が苫小牧市民会館で行った当時のアイドルのステージ。
それは和子の運命を変える出来事になるのである。
そのアイドルとは「南沙織 野口五郎」のジョイントコンサート。

主催者の特権で、和子は楽屋へと案内され、野口五郎に対面。楽屋で北海道名産の毛ガニを頬張る野口に、
和子がお絞りを渡したその瞬間「ビビビ」と何かが身体の中を走った…らしい。その後、ステージを見て、
和子は確信した「何て素晴らしい歌声だろう!」その瞬間から、松村和子は、野口五郎のファンとなるのである。

それからというもの、和子の頭の中は「五郎!五郎!五郎!」中学へ入ると、ファンクラブへ入会。何とか、
少しでも五郎の傍へ行きたい!もう歌手になるしか手立ては無い!と、歌手になる夢が、大きく膨らんでいった。
歌手への道

中学3年になる頃には、心は歌手になると決断。
しかし、まだ14歳、一人で北海道から東京へ出るにはあまりにも無謀。
そこで、一代決心した和子は、先ず父親のプロダクションに入りたいと打ち明ける。
それを聞いた母親は「好きな事やればいい」と、しかし父親は、今まで一緒に殆ど暮らした事がない娘で、
姉妹の中でも一番人見知りな子が、まさか歌手になりたいとは夢にも考えていなかっただけに、かなり驚いたようだ。
しかし、母親に圧されしぶしぶ承諾。中学卒業と同時に、苫小牧から札幌へ向かった。

歌手になる為に!
五郎に会うその日の為に!

1977年中学卒業の10日後から、40日間の北海道巡業へ。
民謡の師匠は、2代目故白川軍八郎である。
初代軍八郎は、三橋道也氏の師匠。

デビュー前3年間に、1000回のステージをこなし、16歳の時に、
NHKの軽音楽オーディションに「能登半島」を唄い合格。
同年NHK「ひるのプレゼント」で初のテレビ出演を果たす。
その時の、出演者に、デビュー前の合田道人氏、田中義剛氏がいる。
番組での歌唱曲「能登半島」「カナダからの手紙」

1978年ビクターレコードの民謡オーディションを受ける。
その後、歌唱と美声が評価され
演歌班の、故鶴田哲也ディレクターにスカウトされる。

念願叶う?

デビュー間近大阪のTV番組の収録で、憧れの野口五郎と番組が一緒になり、早々に松村和子の夢が叶ったのである。
しかし、緊張のあまり、一言も話が出来なかったのは言うまでも無い…。

そして時は流れ…
21年後、松村和子はロタ島にいた。
それは…
野口五郎と三井ゆりの結婚式に出席していたからだった!

幼かったあの日の一目惚れから、まさかこんな事になろうとは
夢にも思っていなかった松村であった筈?。
経歴
1980年4月21日ビクターレコードより津軽三味線を片手に、ロングヘアーに和洋折衷!奇抜なスタイルでデビュー。
その曲「帰ってこいよ」がミリオンヒット。
音楽賞
*1980年音楽賞新人賞受賞 
*HBC新人祭新人賞受賞 
*第13回全日本有線放送大賞上半期最優秀賞受賞 
*第7回KBC九州朝日放送音楽祭優秀賞受賞
*第10回銀座音楽祭新人賞受賞
*第13回新宿音楽祭銀賞受賞
*第7回横浜音楽祭特別新人賞受賞
*第7回ABC歌謡グランプリ最優秀賞受賞
*第7回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭新人奨励賞受賞 
*1980年歌謡新人グランプリ審査員奨励賞受賞 
*1980年FNS音楽祭優秀新人賞受賞 
*第13回全日本有線大賞全期優秀新人賞受賞 
*第13回日本有線大賞最優秀新人賞受賞
*第11回日本歌謡大賞放送音楽新人賞受賞 
*第22回日本レコード大賞新人賞受賞
*第2回松尾芸能賞新人賞受賞(1981年3月26日)
*第3回古賀政男音楽記念大賞 新人賞公募曲「寒流」歌唱
*1981年12月31日第32回NHK紅白歌合戦初出場

主な番組出演
「歌謡コンサート」「新BS日本のうた」「日曜バラエティー」
「きらめき歌謡LIVE」「ものまね王座決定戦」「夜もヒッパレ」
「夜のヒットスタジオ」「紅白歌のベストテン」「ザ・ベストテン」
「スター千一夜」「欽ちゃんのどこまでやるの」「8時だよ全員集合」
「カックラキン大放送」「ズバリ当てましょう」「演歌の花道」
「ミュージックフェアー」「おしゃれ」「ぴったしカンカン」
「NHKのど自慢」「歌謡ホール」「NHK紅白歌合戦」「年忘れにっぽんの歌」他

その他シングル曲

「お加代ちゃん」「菜の花咲いていた」「こんな男に惚れてみろ」「寒流」「くちべに港」「ついてゆきます」
「どんぐり山慕情」「北海船」「華」「いろいろお世話になりました」「夢海峡」「光の大地」「かえりの港」「天」
「風の津軽」 『New帰ってこいよ』「面影しぐれ」「涙の旅路」「よりみち酒」「ひぐらしの宿」「イヨマンテの夜」
「出世船」「俺のふるさと北海道」
---------------------------------------
2011年3月16日金沢明子とのデュオ金松ペア「女じょんから二人旅」

■出演番組その他

1997年からフジテレビの「ものまね王座決定戦」にレギュラー出演。そのきっかけも実は、審査員に、
野口五郎が居たと言う事が、一番の理由だったのだと言う。
工藤兄弟、大石まどか、とのユニットで出演。出場2度目に優勝、単独での出演では、準優勝にも輝いている。
民謡から洋楽まで幅の広い歌唱力を実証。本人は「ものまねで、自分自身の可能性が広がり、
ものまねの現場は、一番私に合っている」と言うほどだ。

----------------------------------------
レギュラー番組
ラジオ日本「金田知子と松村和子HappyNight」
サンテレビ&ラジオ日本
「松島進一郎と松村和子と出光仁美の演歌一直線」

1997年〜NHK BS2日本のうた歌唱曲
「なみだ船」「黒百合の唄」「岸壁の母」「ガード下の靴磨き」「浪花節だよ人生は」
「望郷じょんから」「雨に濡れた歩道」「イヨマンテの夜」「与作」「酔歌」「柔」「東京キッド」「東京ドドンパ娘」「真っ赤な太陽」
「東京の花売り娘」「銀座カンカン娘」「哀愁波止場」「大阪で生まれた女」「ダンシングオールナイト」「涙を拭いて」
「無法松の一生〜度胸千両入り」「あばれ太鼓」「アンコ椿は恋の花」「六本木ララバイ」「かえりの港」「能登半島」
「なごり雪」「サファリナイト」「津軽じょんから節」「俺の出番はきっと来る」「津軽恋女」「さよなら海峡」
「王将一代小春しぐれ〜浪曲入り」「島原の子守唄」「火の国の女」「越冬かもめ」「津軽海峡冬景色」「祇園小唄」
「三味線ブギ」「赤い夕陽の故郷」「夜がわらってる」「佐渡情話」「関東春雨傘」「胸の振り子」「ひなげしの花」
「青春サイクリング」「北海の満月」他

■映画■
*1989年映画最後の『座頭市』に出演。(津軽じょんから節 江差追分歌唱)

■ドラマ■
*2005年第34部11話「水戸黄門」「津軽馬鹿塗り頑固比べ」(弘前)(3月21日放送)出演

■リサイタル■

2010年9月28日中野ZERO大ホールにて
「デビュー30周年記念コンサート」開催
海外公演

*1983年初ハワイ公演 NBCアリーナにて 細川たかし氏とジョイント 
*1984年単独ハワイ公演 NBCホールにて
*1989年ハワイ日系移民記念パーティーでオンステージ
*1991年ブラジル公演
*1993年ハワイ公演
*1994年ロスアンゼルス公演
*1995年北朝鮮公演スポーツと芸術の祭典出演19万人の観衆アントニオ猪木氏モハメド・アリ氏他
*1997年大型客船飛鳥内でステージ ハワイ〜横浜間クルージング