「社会の統治システム」(その正当性を疑問視する)

元死刑囚の永山則夫の人生から社会統治システムを考えてみた。


北海道の極寒の地で絶対的貧困の環境で生まれ育ち、殺人鬼に化した彼の犯罪を誰も止めることができなかった。 幼少時の絶対的貧困が彼を無知に陥れた。無知故に生きる術を知らず、無知故に人の温かさを知らず、無知故に人を殺めた。

そして、彼は死刑になった。

責められるのは、彼だったのであろうか。遺骨は親族には引き取られず、彼の希望通り、故郷の海に散骨された。 あんなに嫌がっていた故郷だったが、彼は最期に故郷の大地に帰ることを希望した。その故郷の大地だけが彼を受け入れた。

社会は、人による支配を廃し、法による支配に基づいてその支配を正当化する。そして、犯罪を犯した者を法に照らして裁く。 社会に順応できず、過ちを犯した者を抹殺するのである。それが社会の統治システムである以上、許容するしかない。 しかしながら、酷とも感じる。

昨今、不況の影響からだろうか、凶悪犯罪が多くなった。生きる希望を無くし、死刑を受けたくて無差別殺人を犯す者も 後を絶たない。

社会の麻痺が、社会システムの非順応者を輩出する。それを裁く法と裁く者に正義はあるのであろうか。 社会の統治システムの正当性に疑問を感じるのである。




− 2011/11/27 written by kazkaz −