−「法と道徳を考える。。。」−
公共の福祉・・。
【中国:親孝行を義務化、定期的な帰省など】
毎日新聞 2013年07月03日 19時52分(最終更新 07月03日 21時16分)
【北京・石原聖】中国で1日、年老いた親と別居して暮らす子どもに定期的な帰省を義務づけるなど親を心身ともにいたわることを求めた改正「高齢者権益保障法」が施行された。
同日には改正法が適用された訴訟の判決が江蘇省無錫市であり、1人暮らしの自分の面倒と、家賃や医療費の負担を娘夫婦に求めた77歳の女性の訴えが認められた。
中国メディアが報じた。
【法と道徳を考える。。。】
戦後の学校教育は、憲法(13条,24条等)にも示されているように、個人の尊厳を基調とした個人主義を前面に押し出し、それが最高の価値であると教える。 家制度は、家族の権限を犠牲にする傾向があり、憲法24条に反するとして戦後廃止された。家族が助け合うことは、民法の扶養義務に規定されているが、 それは罰則のない、倫理規定(努力義務規定)に過ぎない。
家制度が廃止された結果、親と同居しない核家族化が進んで、生活の拠点は、都市部に居を構える生活様式へと変遷していった。その結果、地方の集落では、 高齢者が半数以上を占める過疎集落が増加する傾向にあり、その滅亡の危機にある。
そもそも、個人を基調とする個人の尊厳と自由とは何か。
戦前の日本は、家制度を基調とし、個人の自由を制限し、全体主義を基調とする封建社会であった。全ての中心は、国家・社会にある。国家・社会を守るため、 自己を犠牲にするのは、当然の理であった。
しかし、戦後はこの全体主義を基調とする日本帝国憲法は廃止され、個人の尊厳を基調とする日本国憲法が制定されるに至った。
その憲法では、公共の福祉と、個人の自由を妨害しない限り、個人は自由であることが規定されている。 つまり、親孝行しない自由・結婚しない自由・子供を産まない自由も保障されているのである。さらに、職業と生活拠点を自由に決めることは、 職業選択の自由,居住・移転の自由として憲法22条で保障されている。個人の自由を強調する結果、社会が崩壊する危機をもってしても、自由は保障されるのである。 例えば、憲法改正で家族の尊重を詠ってもそれはプログラム規定に過ぎない。強制はできないのである。
今、法で守られた自由を尊重する結果、道徳的な行為であっても、それを強制できないジレンマを抱えている。 中国での親孝行を義務化する法は、ある意味考えさせられる。最低限の道徳を公共の福祉と捉えて、 個人への道徳遵守義務を拡大化して法制化することは許されるのではないかと考えるのである。