−「生活保護家庭の子供の人権」−
人権の制限・・特別権力関係論。
生活保護家庭の子供の人権について考えてみる。
まず、生活保護法の概要から見てみよう。
生活保護法の目的は1条に記載されている。
(目的)
第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、
その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
即ち、憲法25条に規定する生存権の保障と自立を助長することを目的としている。
また、4条において、保護の補足性を規定している。
(保護の補足性)
第四条 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、
その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
この補足性の原則から、生活保護を受けるための要件は、 その全ての資産を全て売却・消費させてもなお生活に困窮する場合に限り認められている。
その結果、憲法上規定されている財産権の制限を受ける(憲法29条2項)。
ところで、過去に憲法上「特別権力関係論」という理論が正当化されていた時期がある。
これは、法律や同意によって、国家の特別の支配に服している者は、
例えば法律の根拠なしに人権を制約することが許されたり、人権制約の程度に広範な制限が許されるという理論である。
この特別権力関係論の対象者は、例えば囚人や公務員、国公立大学生が典型例とされている。
この理論は立憲主義的な権利保障も不十分であった明治憲法下では妥当しえたが、 個人の尊厳を基調とする日本国憲法ではもはや妥当し得ない理論であって、 過去の特別権力関係論で対象とされた人達の人権の制限は人権保障の一般原則を前提として、 制限や関係の特殊性からどこまでの人権制限が公共の福祉として許されるかを考えていけばよい。 その観点から考えると、憲法上生活保護世帯も特別権力関係の範疇に入ると思うが、 生活保護上制限される財産権も一般原則で考えれば良いことになる。
序論はここまでとして。本論に入る。
生活保護の世帯は、上述したように財産権の制限を受ける。生活保護受給中に収入があった場合は全て報告しなければならず、 一定以上の収入があった場合は没収(保護費の返済?)される。これに違背する場合は、最悪保護停止処分を受ける。 これが例え高校生等のアルバイトであっても然りである。将来の進学に備えての預貯金とすることはできない。 全て保護世帯の収入とみなされ、没収される。
しかし、生活保護世帯の子供であっても、憲法上教育を受ける権利は保障されている(憲法26条)。
したがって、生活保護世帯の高校生などが将来の進学に備えてアルバイト等の収入を得て預貯金することを禁止する 生活保護法の運用は、明らかに教育を受ける権利に対して不当な制限をしているとしか考えられない (明らかな人権侵害であると思われる)。
この人権の制限が妥当であるか否かを比較衡量で検討すると、人権の制限により得られる価値(補足性の原則の担保)と 失われる利益(子供の教育を受ける権利)との比較衡量となり、補足性の原則の担保の方が子供の教育を受ける権利より大きいときに 制限が正当化される。しかし、子供の教育を受ける権利は、補足性の原則の担保よりもはるかに小さい利益なのであろうか。
自立を促す生活保護法の規定の趣旨に鑑みても、将来教育を受けて自立する社会的に有用な人材を育成することが遥かに国家の 利益に結びつき、補足性の原則の担保は、明らかに子供の教育を受ける権利を制限する利益よりも小さいと考える。 以って、この比較衡量結果から、生活保護世帯の高校生などが将来の進学に備えてアルバイト等の収入を得て預貯金することを 禁止する生活保護法の運用は、明らかに憲法違反であると解する。
将来の自立を阻害する生活保護制度の矛盾とその運用に大きな疑問を抱く。
生活保護制度では、未だに特別権力関係論が生きているのであろう。そう思う。