− 再び『車輪の下』を読む −
車輪の下の読書感想文の補足
先に、『車輪の下』の読書感想文を記しましたが、再度読み直した感想を記します。少しくどいかも しれませんが、宜しくご拝読願います。
少年(ハンス)は難関の州試験を突破して神学校へ進学しましたが、この州試験を通して 感じたことを綴りたいと思います。以下に、州試験の引用をします。
『ハンス・ギーベンラートの才能について疑うものはなかった。先生も校長も、 近所の連中や町の教師や同級生も、だれもが、この少年がすばらしい頭の持ち主で、ずばぬけて よくできることを認めていた。それで、将来ははっきり決まったようなものだった。 なぜなら、シュワーベン地方では、頭のいい子供には、両親が金持ちでない場合にも、たった一つの 狭い道が開かれてた。つまり州試験を受けて神学校へはいり、それからテュービンゲン大学 へ進み、そして牧師か教師になるといった道である。この地方では毎年四、五十人の子弟たちが この平穏無事な道を歩んでいくのである。過渡の勉強でやせほそっている。堅信礼をすませた ばかりの少年達が官費で古典教育のいろいろな科目を終了したのち、八、九年後には、生涯の大半 をしめる第二の人生行路を歩みはじめるわけで、その間に奨学金を州に返済していくことになっている。
その「州試験」が二、三週間後に行われる予定であった。「国」が国内の英才を選んでささげる 毎年の「いけにえ選び」は、こう呼ばれていた。』(10頁10行目乃至11頁 2行目)−中略−『ハンス・ギーベンラートは、この町からそのつらい競争試験に送り出される はずの、ただひとりの受験生だった。』(11頁7行目乃至8行目)
国家は、国家に忠実で中庸で実直な小市民を作り上げるために、国家へのいけにへといえる州試験を課すのです。 これが、地方の子弟に開かれたたった一つのレールだったのです。少年(ハンス)は、このいけにえへの道を選ばざるを得なかったのです。
しかし、国家の引くレールが間違った方向に伸びてしまうと、その上を走る国民は誤った道へと 先導されてしまいます。また、そのレールから弱者ははみ出していまいます。少年(ハンス)は、この国家の引くレールからはみ出した弱者でした。
かような過ちを繰り返さないためにも、国家は、レールの軌道を逐次的又は抜本的に修正する必要があると思います。
今の日本国家を鑑みると、州試験と変わらぬ受験社会を突破した官僚達が沢山の不祥事を生み、国家 は崩壊の危機に達しています。国家の養成した官僚達が日本国家を破滅へといざなっているのです。国は、 官僚の管理と育成を誤ったと思います。
そこで重要なのは、このような官僚達を生み出さないような人材の育成が必要だと思うのです。国民を 誤った道へ先導しないレールの軌道を修正できる人材の育成が何よりも大事です。
そのために、今、教育改革が重要だと思うのです。
『車輪の下』は、係る問題提起をしているのだと考えさせられます。
※2009/08/02;若干の加筆・修正をしました。