−「考える正義論」(共通の正義と個別的正義)−
政治哲学と法哲学・・。
政治哲学の本と法哲学の本を読みました。
政治哲学の本は、ハーバード大学教授のサンデル氏の”これからの「正義」の話をしよう”と、 その解説本である小林正弥氏の「サンデルの政治哲学」です。しかし、この政治哲学の本、アリストテレス,カント,ロールズ等の 「正義論」を本格的に読まなければサンデル教授の本意やその最終的に意味するところの「正義」は理解できない気がします。 大体は分かるんですけどね。日本的な政治哲学の本にも触れたいところです。
また、法哲学の本は、小林和之氏の”「おろかもの」の正義論”を読了しました。おもしろい本ですが、最終的に「正義」の基準 とはなにかを掴むことはできませんでした。敢えて言えば、生命の価値基準ですかね。 それをどう考えるかを読者に投げかけている気がします。
ところで、この世に絶対的正義なんてないと思う私ですが、困っている人を助けることは「正しい」という価値基準は、 古来から誰しもが共通に抱く正義の観念ではないでしょうか。その淵源を考察すると、「正義の観念」は、基本的な道徳・倫理・宗教等の思想に端を発しているものと思われます。
人は、生まれてから、これらの思想を家庭・学校教育・社会環境で学びます。子供の頃に培われたこれらの思想が、 大人になってからの正義と悪を峻別する価値基準となるわけです。 ですから、子供の頃の教育は人格を形成する上で極めて重要になります。その点、歪められた教育を受けた者は、 どこか人格に欠点があるものです。犯罪者の多数が、この人格の欠落者であることはご周知の通りです。
誰しもが心の中で抱いている共通善としての正義が「人を救うこと」であったとしても、実社会で行動の基準となるのは各人の正義 (利害関係)です。利害がその人の事理分別の価値基準であり、行動基準になります。この点は、功利主義に近いものがあります。 各人の欲求を満たすことが価値基準になる訳です。そしてそれが各人にとっての正義となります。
民主主義の多数決原理は、この利害関係の調整弁です。この多数決原理は、その対立する利害(対立する正義)の調和を 最大限に図ってこそ共通の善としての正義と考えられます。
私にとって、正義を考えることは永遠のテーマです。また、哲学してみます。
*2011/05/19 修正