−「生活保護の医療扶助、自己負担検討へ…。」−

そこに正義はあるのか?専制政治の兆しが見えてくる…。


民主党厚生労働部門会議の生活保護作業チームは24日、生活保護の受給者の医療費負担を全額公費で賄う「医療扶助」制度 について、自己負担の導入を検討することを決めた。生活保護費の受給者数が過去最多を更新し、 増え続ける公費支出の抑制が必要になっているほか、不正受給問題も深刻化しているためだ。ただ、 党内には自己負担導入に賛否両論があり、制度設計が難しいとの指摘も出ているため、実現するかどうかはまだ不透明だ。(読売新聞)



最低限の生活を強いられている生活保護受給者に医療費をどう負担させようというのであろうか。

生活保護費は、最低限の生活を営む分しか支給されていないのである。そこから医療費が賄えないから医療扶助を受けているのだ。

民主党の動きは理解に苦しむ。医療費が捻出できない者から引き出そうと思ってもそれは無理難題なのであり、 考える次元のレベルが低く過ぎる。時間的にも物理的にも無駄な議論を持ち込んでいる。

可能性の問題を探っているのであろうが、それを本題に持ってくるのは、実に幼稚すぎる。

社会保障費が膨らむ要因は、失業問題が根本的な原因なのである。その問題を解消しない限り、効果的に社会保障費の削減はできない。 為政者がその無能ぶりを曝け出して、弱いものからない物を引き出そうとしている。実に嘆かわしい。

根本的な問題を解消する議論に注力を裂くべきである。

それは失業問題の解消。深刻な不況問題の解消。新自由主義を基調とするTPPへの不参加の表明。TPPに代わる経済政策の立案。 なすべきことは山ほどある。国家救済・弱者救済の鍵を見つけ出せずに、 弱者からない物を搾り出す政策が果たして国民に指示されるか否か、良く考えてみるべきである。

今、国家コミュニティでの正義を論じる必要性があると感じる。

私の考えは以前にも論じたが、国家は全国民に労働を保証する責務があり、それが国家コミュニティでの正義であると説いた。 今、その正義論としての労働保障論は実現されず、それを実現できない無能ぶりを隠して、弱者をいたぶる政策を実現しようとの検討 がなされようとしているのである。

裁判所では、憲法25条の説く生存権の保障はプログラム規定であると解されており、それを実現する生活保護法で生活保護者の 医療扶助を自己負担とすることも国家の裁量によって有効と解されるであろう。

しかし、そこに正義はあるか!

今、正義が封印され、専制政治が行われようとしている兆がある。そう感じるのである。


付記:生活保護の医療費が自己負担になれば、医療費節減のために生活保護者は病院に行かなくなると予想される。 若しこの政策が実現されれば、それは病気の生活保護者に『死ね』と言っているのと同義となると思えるのである。



− 2011/11/25 written by kazkaz −