夢見ること


心が本気で夢みている事は、本当の優しさがいっぱいの地球…。
でも、それは果てしなく遠い道のりのよう…

人間は心の習慣として、悪をを許せないと言う心を
きっと、誰もが持っている…。、
優しい気持も、きっと、誰もが持っている。

なのに…自分の考えで善くないと思うことに出遭うと、
心の中にある(悪を許せない),と言う
一見、正義に見える負の心が顔を出します。

またその出来事が、自分の友人、家族などに係わる出来事になると、
他人の時より、もっと強く、許せないと思ってしまいます。
人の立場になって考える、そんなゆとりなど
何処かへとんでいってしまいます。

凶悪な事件などに接すると、
眉を曇らせ、ただ心を暗くしてしまいかねません。
そこから一歩踏み出し、
犯罪を犯すに到ってしまった人の、生い立ちに思いをはせ
一歩前に、手を差し伸べる事をみんなで考えていけたら…

今後、同じ出来事を繰り返さない為に論議はなされるけれど、
本当に人生が狂ってしまった人の立場を解ろうとする、
愛を持っての話し合いには、なっていない様に見えるのです。

また起きた事件はひとごとでしかない、
その耳にしている事柄から自分が学ぶ、
人として成長する材料にすることは、なかなか困難なように感じます。

人が他人の悪を批判したり、興味本位の目で見たままであったり、
犯した罪を許さない心だったりのままでは、
何時まで経っても、この地球から、
犯罪が消える日は来ない
それも哀しい事だと思うのです

他人が、良くないいやむしろ悪いと思われることをしようとしている時に、
注意をする、とめてやる勇気は持てないままで、
悪を起こしたら批判する、許さないと言う心のままでは、
愛がたりないと思うのです。
未然に防いでやろうという勇気を持つことがとても大切なのです。
悪を起こした人が、その後に、取り返すことの出来ない時間を
後悔する心のの苦しみは、並大抵ではないと思うのです。

犯罪や戦争を未然に防ぐ為に、最も必要なことは、
悪を止める勇気と、人を許す寛容な愛だと感じます。
そして人の立場になって考える,心のゆとりを持った人間性を、
人と他人が互いに育み合うこと、それが何より大切だと感じます。

自分の家族や周囲の人間の幸せを求めて祈る心や、
我が民族の平和や豊かさを祈る心も、それはそれでよいと思いますが、
人間としての心を大きく育んで、地球上の人間のその全ての者が、
自分と直接係わりの無い人の幸せの為にも、
心を動かせるようになれば…と願うのです。

常に人の立場をも、思いやる事の出来る人間性を
培い続けて生きてゆきたいのです。

人の幸せを祈る心が自然体であれば…、
自分におのずと幸せがやってくると思います。
宇宙の法則、自然界の気の法則は
そのようになっていると思うのです。

人の幸せを「いいなあ〜」と、羨ましがる、
たったそれだけのことも、この心は妬みですから、
この心ではなかなか自分に幸せが廻ってきにくいのです。

これに反して、「ああ〜、良かったね」と、共に喜ぶ心には、
喜ぶから自然と自分に喜びとなって還って来るようになっています。

要するに、この世の中、自分の心から発した通りに
返ってくる様になっているのだな〜
だからこそ、自分の為にも、人の幸せを祈る心が
自然体で持てるようになるといいですね。

他人も、自分も共に幸せに…、
地球全体がその心で包まれる日を夢見て…


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