激しい頭痛から

痛みの意味を表す言葉を、どの程度聞けたのか定かではない
なにしろ、性格にというより、心落ち着けて言葉を受け止めよう
そんな悠長な事を言っていられる様な生易しい痛みではなかった。

何故なのかは解からない
苦しくてトイレに駆け込もうとしているその時
飛び込んでいっているトイレのドアに手をかけた瞬間
半ば発作的に、
(世の中変えてやる、絶対に変えてやる)
心は、そう叫んでいた。
そして間髪をいれず、激痛に見舞われた。
と、いうことは…と心を澄ます

「お前がこの痛みに堪えられるならば、お前に託そう」
「この痛みを乗り越えられるならば、世の中を変えることが出来るだろう」
「どうだ、この痛みをお前は冷静に受け止められるか」
あたかも、その痛みは、
世の中を変える原動力を注ぎ込まれているかのようだった。
あたらしいパワーが、後頭部から注ぎ込まれているのかもしれない。
ふと、そんな事を感じた。

こんな事を書くと、まるで少し頭のチャンネルが狂ってしまった。
どこかの新興宗教の集団と勘違いされてしまいそうだよね。
しかし、新興宗教も決して拒否だけしてはいけないと思うのです。
彼等の一部は純粋すぎて、世の中を受け入れられなくなってしまったが故に偏って走り始めただけなのだと感じる。
ただ誹謗中傷することなく、少し狂った周波数を正す愛がいる。
ただ、それだけでいい、そう感じるのよ。

チョット横道にそれたけれど…
そんな言葉が来ていたように感じた。
心に入れていくほどに、激痛は鎮火していく如くに次第に小さくなっていった。

しかし、一気に消えるものではなかった。
今思えば…
(そんなバカな…そんな言葉じゃないだろう)
(他に何かあるんじゃないの?)
こんな本音が、心の底で葛藤していた。
素直に全部吸収したわけではなかった。
素直に吸収するのには、意外と私は普通の人間だから無理があるってことよ。
しかし、10年間かけて日々学習し続けてきた事は良かった。
頭のどこかで考えていた。
(普通だったら、救急車呼んでるよね、この状態)
でも、頭の内部に異常が発生しているなどとは、微塵も思わなくて済んだ。
本当に、心と身体の事を学んできて良かった。
こんな痛みを冷静に受け止められるのは、その基礎があればこそなのだから…
だがね、痛みが完全に消える為には、
素直に受け入れる事しかなかったのだろうね。

深夜3時半
起き上がった、まだ少し身体の調子はおかしい
しかし、この激痛があった感覚がどこかに消えてしまわない内に…
書き留めておこう
二日ほど貯まった日記も書いておこうと決めた。
朝8時前までかかって、この1を下書きした。
時間が過ぎれば、少しずつ忘れて消えてゆく。
だから書いておくことにした。

二日たって…
むしろ冷静に、そうなのかも知れない
あの痛みの言葉は、そうだったのかもしれない。
じわぁ〜と受け入れられる気がしている、不思議なもんだ。
さぁ、何をしましょう。
私でできる事を、見つけましょう。
初心に帰って
「どうぞ、御遣い下さい」
心の手をもう一度
そっと合わせてみるのでした。