授業をまともに受けることが出来ない生徒を、叱ることより大切な事があります。
全ての生徒が我慢して授業を受け続けていた場合、(例え退屈でも理解できなくても…)
あなたはもっと授業を魅力的にしようとか、解り易くしようということについて、努力が足りていると錯覚しないだろうか、
一人の落ちこぼれもいないようにと、努力を積むだろうか?
努力しているつもりでも、足りないことに気付くだろうか?

授業をまともに受ける事ができない子等は
(あなたの授業を、もっと魅力的にする為の努力が必要だよ)
と言う事実を教えてくれる重要な存在だ、という事に気づくべきなのです。
気付く事が出来たならば、今よりもっと素晴らしい教師になれるでしょう。
そして、その生徒の中に自分の心は陰を造っていないかと振り返ってください。
「この子はいつも授業の妨げをする」というレッテルを貼っていれば、そのあなたが貼ったレッテルによって妨げをするのです。
妨げとなる生徒の行動から、自分自身を振り返ることを忘れないで下さい。
授業中ウロウロする生徒がいる時に、相手の姿から自分を見るのです。
「先生の授業が魅力がないならばすまんことだ、もう少し先生も勉強するから、今日の所は取り敢えず座ってくれんか」
と、でも言えるならば、それが心からの言葉ならばキット静かに授業を受けるでしょう。
きっと、貴方の人間性に眼を向けて、魅力を感じてくれるでしょう。

自分が授業をまともに受けないことに腹が立っているから注意するのか、それともその生徒にとってきちんと授業を受けないことは、人生の大事な時間を無駄に消費させることになってしまう、申し訳ない、と相手を思う気持から注意しようとするのとでは、当然相手に受け入れられるか否かは違います。
しかし、生徒を思いやる気持で注意しても、その自分の気持を相手に伝えなければ、先生は怒っていると生徒は感じてしまうことも多々あると思います。
何時如何なる時も、相手の気持を大事に考えて、自分の心を添えて接することを、人間としてもっと素直にすると互いに楽に生きることが出来るように感じます。
とにかく心のこもった言葉を大切にしたいですね。

理解できなくても、黙って座っている子等からは、何も気づけない!
様々な反応をする子供は、教師を育てる大切な宝物です。
* 誰ですか?やってみる前から(今時の子はそんなにあまくない)なんて言っているのは、やる前から決め付ける事は、勉強やる前から「解らん」と言う生徒と一緒です。

人は往々にして、自分より優れた人から学ぶことをします。だが
真実の学習とは、目前の出来事から、マイナスの出来事を起こした人の
善悪をみることではなく、その悪を変える事を急ぐことでもなく、
先ず、すべての出来事が自分自身が変わるためにあります。
原因が先か結果が先かということですが、結果の為に原因が起こる、
ということを気づいて欲しい、すべての出会いが、また自分の為にあるのです。
とらぶるを起こす人に会うということは、出逢う自分がいるということです。
自分の為に人がいる。自分が変わる為に人が存在するのです。

原因と結果についてよく議論されることがありますね、[卵が先か鶏が先か]
何処まで行っても答えに行き着かない。
学校と家庭という係わりにおいて、往々にして親が悪い、教師が悪い、それぞれが相手の不足をあげつらう、場合によっては、親と教師は仲良く手を取り合って、
「本当にあの子には手を焼くんですよ、ご迷惑かけます。」と、子供だけが悪役になる。
原因が無ければ深く考えない、だから、あなたたち大人が何か変わる必要があって、その変わる、進化する必要の為に要するに、結果の為に原因が必要なことがあるのです。
子供が何かトラブルを起こすということは、変わるべき大人の為の行動です。

子供達の行動の表面に出ている姿から、相手だけ変えようとしないこと。
このことをしっかり胸に叩き込んで生きて欲しいのです。
1.愛をもって人と接しているだろうか? 
我が子でさえ、自分に素直な子供の方を愛していないか?
2.マイナスの出来事のすべてがこれも体験学習です。
 (判断力の向上、指導力の向上、行動力の向上、忍耐力の向上、愛という心の育成、包容力の向上…)
3.自分自身の過去を、振り返リ反省をする為の出会い
4.生き方への問いかけ
 [生活の為に教師をしていないか?果たして、人を育くむ心の真実はあるか?
初心を忘れていないか?]
5.思い上がりはないか、人を見下していないか?
 [自分は頑張っている、自分は間違っていない、あの先生は…あの親は…あの生徒は…] と、人を自分中心の考えで批判してはいないだろうか。
欠片でもこの言葉の続きを心に持っているならば、要反省です。
6.人の立場で考えているか、人の心を解ろうとしているだろうか
トラブルを起こす人々は常に、人として大きく成長する為の体験学習をさせてくれているのです。トラブルが起きた時に当事者の非だけを見ていても自分は成長しません。

教育の現場に存在するという事実は、学問のみでなく、人を育てる、心を育てる事を最も重視するべきだと認識を強く持って欲しいのです。



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