勝田・かつまた氏の歴史(七)

                             「勝田・かつまた氏の歴史」の目次

                       http://www7b.biglobe.ne.jp/~katumatagorou/index.html

 

 

七 寺院と神社

 

            …… 勝田氏を祀る神社

                     勝田・勝間田などと記す神社

                                 勝田氏と関係の深い寺院・神社等 ……

青森県

 ☆勝田稲荷神社                   青森市勝田一丁目

  祭神は正一位勝田稲荷大明神・倉稲魂命・猿田彦大神・大宮姫命。

岩手県

 ☆諏訪神社                     久慈市長内

  祭神は未調査。神主勝田勝蔵氏。長内に勝田(かった)氏二七世帯が現住。

茨城県

 ☆朝日山大楽院蓮華寺                真壁郡大和村本木

  勝田鎮守旭(朝)日観世音。勝田貞家の構内南西に在り、本木勝田氏の系譜に先祖勝田能登守が播磨国姫路の旭日観音山から美作国勝田に勘請したものを更に本木に勘請したものという。

 ☆星の宮                      真壁郡大和村本木

  本尊虚空藏菩薩。本木村知行の内(勝田貞家より北西約六百米)の空地に祭り星ノ宮と称し、為にその地を星ノ宮と称し、勝田家の氏神なり。

 ☆勝田神社                     真壁郡真壁町長岡

  祭神は本木勝田氏一門の勝田新左衛門武尭(赤穂義士)。加波山三合目親宮路と本宮路分かれ目手前右。昭和三九年に建てた祠。

千葉県

 ☆勝田寺                      八千代市村上1735

  真言宗(古義真言)。住職能勢氏。平成期の新しい寺。八千代市に勝田の地名有り。

東京都

 ☆勝田寺(廃寺か)                 …不明…

  寛永十年幕府編纂寺院本末帳(寺院本末帳集成)の下総国中山法華経寺末寺に「江戸 勝田寺」と。現在この寺名なし。廃寺か、寺号変更(港区芝一丁目の正伝寺)か。

 ☆妙音院                      台東区浅草二丁目三十一番地

  浅草寺敷地内に所在(浅草寺塔頭)。勝田郷右衛門(法名道喜)が持仏の阿弥陀仏(恵心僧都作)をこの寺に納めた。子孫の勝田氏はこの寺唯一の檀家。隣の正智院の檀家に別家勝田氏有り。

神奈川県

 ☆三福寺                      伊勢原市桜台

  浄土宗の寺。本尊未調査。

  弘治元年(一五五五年)創立。在地勝田氏の先祖勝田河内守の開基。勝田氏一族の墓地有り。

 ☆八坂神社                     伊勢原市沼目

  勝田河内守と伝える像を安置と云う(未確認)。

 ☆長安寺                      箱根町仙石原

  開基勝俣氏

静岡県

 ☆勝田山仙光寺(廃寺)               伊豆の国市長岡

  宗徳寺の伝承(伊豆長岡町町史資料第二集)に、桓武天皇の長岡京時代にこの地に流された(後に帰京)勝田朝臣仙光の住居跡に建てた天台宗の寺と云う。が、長岡村古記録(同資料別篇二)に、流されたのは清和天皇の時代の長岡京宇大臣本常(後に勝田吉光と号す)と云う。江戸期に日蓮宗に改宗されて長岡山宗徳寺(長岡五三〇番地)が建てられた。

 ☆勝田神社                     榛原郡榛原町勝田字延安

  祭神 伊〇冊尊、木花咲耶姫尊(コノハナサクヤヒメ)、蛭小命など

  明治七年合併、それ以前は木花咲耶姫尊は上庄内字宮沢に鎮座し、勝田神社とも富士浅間社とも呼び、寛文元年四月に再建したものという。

 ☆勝間田神社                    榛原郡榛原町静波字松原添

  祭神 木花咲夜姫命

  明治七年に現在地の服織田神社に合併。合併以前は柏原字慶林に鎮座し、勝間田惣社と呼ばれた。

 ☆医王山密厳院(小仁田薬師)            榛原郡榛原町大字中字小仁田

  「遠江国榛原郡中村内小仁田、薬師縁起」に、当寺の薬師像はもと高野山の霊像で「後鳥羽院御宇文治建久之日当郷郡主勝股正次信之仰之。世以為祈祷之道場。於当国中村之郷付属寺領之地。(当永楽十五貫銭)僧房七宇…」と。文治建久とは一一九〇年頃。「縁起」は長興寺所蔵。

 ☆雲海山清浄寺(証誠寺)              榛原郡榛原町大字道場字大門

  「勝田(かつまた)道場」とも云った。弘安五年(一二八二)時衆の一遍上人の弟子恵法この地に至って勝田道場を開く。同地の地頭勝田長清これを援助。本尊阿弥陀は勝田氏の護持仏と云う。熊野神社が境内にあった。境内裏山(東西山)途中の勝田氏の墓に鎌倉後期からのものと見られる、宝篋五輪搭・五輪搭が三群計三〇基ほどが有る。

 ☆建(乾)徳山長興寺                榛原郡榛原町中建盞ケ谷

  室町中期曹洞宗の龍門山大興寺の末寺として開設。開基は勝田氏。勝間田十郎政次とも勝間田権守とも伝え、大字中の中村城(穴ケ谷城)の守将と伝える。同寺に位牌「三州大守當山開基賢叟良公大禅定門」が有る。大字勝田字桃原の瑞昌院に在る位牌「当山開基前三州大守賢叟良公大禅定門霊」が有り、同一人と見られる。「掛川史稿」に「勝間田十郎政次墓は村の墓所にあり。舟後光の阿弥陀の石像を墓標とす。傍に古松一株あり。勝間田氏の霊威を恐れて村人手を触ることなし」と。

 ☆龍門山石雲院                   榛原郡榛原町大字坂口

  康正元年(一四五五)に曹洞宗の僧侶崇芝が備中国洞松寺の末寺として創立。崇芝は同地にて明応五年八十三才で死去。開基は勝田氏。同寺の位牌「〇当院開基決山道勝大禅定門」とあるが実名不詳。死去を文亀元年(一五〇一)六月一日と伝えているから勝間田播磨守か。

 ☆日照山円成寺                   榛原郡榛原町細江時ケ谷山本

  石雲院の末寺。周智郡の地頭勝間田権守行長が佐夜郡山口庄成滝の大門の本尊薬師如来を当地に持ち来って薬師堂を創設。円成寺参道右側の薬師堂がそれという。文明一〇年(一四七八)この薬師堂を拠点に円成寺を建立。

 ☆薬師堂山照国寺                  榛原郡榛原町細江三之谷

  永正元年(一五〇四)創設。後に「四宮山照国寺」と改める。開基は勝間田氏。円成寺の薬師堂は一時期照国寺に在ったと云う。

 ☆大乗寺                      御殿場市仁杉

  開基勝又氏(大乗院殿=印野八郎)。

 ☆浄土院                      裾野市今里

  開基勝又氏か。

 ☆八王子神社                    御殿場市中畑四六六

  祭神天忍穂耳尊他。初め八王子宮と云い、四人畑(よったりばた)に在った。氏子勝又氏ら。宮司勝間田氏。中畑の勝又氏らによって勧請されたか。勝間田二郎著「八王子神社」に詳しい。

 ☆稲荷山龍泉寺                   浜松市飯田町九九〇ー一

  禅宗の寺、開創享徳三年、開山能満禅師、開基源範頼

  龍泉寺の敷地はかつて源範頼の「別荘地」だったと云われる。当時京都伏見から勧請されたという稲荷大明神が今も祀られ、寺の墓域には「源公大居士」と記され源範頼のものという高さ二メートル程の五輪塔がある。寺の敷地の近くには、殺された範頼の首をこの地までくわえて持ってきたと云う範頼の愛馬の「駒塚」が有る。龍泉寺境内北西部に在る「塚」上の祠に祀られている麻利支天像は範頼の近臣勝間田五郎の甲胄(鎧兜)の守り本尊であると云う。この塚は勝田(かつまた)氏の元祖勝間田五郎の墓と推定される。(補注・勝田左衛門五郎頼貞の遺跡)

石川県

 ☆観音堂・白山神社                 羽咋市四町

  四町在地の勝田氏の守り神。江戸期まで四町西部にある白山神社の本地仏(十一面観音等)として鎮座、明治の神仏分離の時に部落中央に観音堂を建てて奉遷。この白山神社は元仁年間(一二二四)に勧請されたと云い、同地の勝田氏との所縁が深く、その信奉をうけてきた。

 ☆勝田寺(廃寺)                  鳳至郡門前町勝田

京都府

 ☆勝田神社                     天田郡三和町大字加用字宮ノ谷

  祭神 稚日女命(わかひる) 稚産霊命(わくむすび)

  「丹波志」に「古ハカツタ大明神ト唱、中古大原神社ノ奥ノ院トシテ稚日女命ト唱ヘ祭レリ」「笛・太鼓ニテ囃シ、五人五度踊ル、又、六月七日相撲五番有」と。神社には「加用の踊子」といわれる民俗芸能が伝習されていた。「綾部藩政社寺要記」に「八皇子一宮ノ谷氏神」と。加用寺坂に瑠璃光山仏覚(光)寺古跡有、室町初期の薬師像が有ったという。この地に勝田と云う地名はないから勝田氏を祀ったものではなかろうか。

三重県

 ☆勝田寺                      伊賀市山出

  勝因寺の誤りか。伊賀者に勝田氏が居たので要調査。

 ☆夜夫多神社                    鈴鹿市甲斐

  宮司勝田氏。

 ☆勝田神社                     玉城町勝田

  八柱神社。勝田神社とも云う。境内に五基の塚。

奈良県

 ☆海神社                      室生村

  祭神豊玉姫。宮司勝田氏。

鳥取県

 ☆勝田(かんだ)神社                米子市博労町

  祭神 勝田氏、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命・木花開耶姫・他  神紋蔓柏

  弓ヶ浜半島浜の目域(境港市域)に住んだ勝田氏縁の神社。浜の目住民から「勝田明神」と祭られたが、米子域(神田庄)に移動されて、米子域と浜の目を統合して成立した「勝田(かんだ)庄」の惣氏神「勝田(かんだ)大明神」と祭られた。移動の時期は天文二十二年と見られる。明治維新の際に今の社号に改称。現在の宮司は佐々木氏。祭神について浜の目住民と神社側に見解の相違が有るが、勝田氏縁の神社なのは疑い無い。(補注・浜の目勝田氏)

 ☆白尾神社                     境港市外江二〇六八番地(字長寝)

  祭神 天照大神、他

  勝田明神が米子に移転後の跡地に伊勢神宮から勧請したもので当初は「伊勢の宮」と云われた。明治五年に現在の社名に変更して村社とされた。「白尾」は勝田「四郎(しらう)」に因ると云う。神官は初代浜田百太夫、二代浜田千日など四代までは浜田氏、五代からは浜田家分家遠藤氏。

 ☆剱御崎勝田神社                  境港市外江

  祭神 勝田上総介四郎命 浜田五郎丸命

  白尾神社境外摂社。白尾神社南向いの外江小学校前庭に現存する石の祠。単に剱御崎神社とも云う。外江小学校敷地は勝田四郎の屋敷跡と云われ、「えのみやさん」と崇められた樹齢七百年とも云われる榎の巨木も有ったが、平成五年に枯死。

島根県

 ☆勝田明神(加多明神とも記す)           大原郡大東町大字大東三六二

  主祭神は少彦名命、他に大己貴命・神阿田津姫命。境内社多数。

  風土記記載の式内社「加多社」で大原郡の一宮。「勝田明神」は通称と云われているが、その使用は建武年間に遡る(島根県史第五巻、勝田濫觴録)。現在の宮司は宮沢勇人氏。県社になった際の和綴の由緒書あり。同地に勝田(かった)橋、勝田の森、神田の地名、同地大字上佐世に勝田迫の地名。大東町及び周辺の宍道町・玉湯町・木次町・横田町に勝田氏多数が現住。(由緒書・勝田濫觴録は未調査)

岡山県

 ☆勝田神社                     勝田郡勝央町勝間田(宮ノ下)二七八

  祭神 天照大神他

  かつては西王子権現と云った。かつまだ神社とも云う。文明一〇年に戸倉城主塩見貞満が伊勢神宮から勘請したと云う。境内社は八幡社・天満宮・稲荷神社

山口県

 ☆勝馬田八幡宮                   阿武郡田万川町下小川一〇三八

  祭神 応神天皇・神功皇后・田心姫・湍津姫・市杵島姫

  清和天皇の貞観二年(八六〇)八月二五日豊前国宇佐宮より勧請して下小川字鳥ノ浴宮ノ尾に社を創建したのが当八幡宮のはじめである。文永元年(一二六四)同村字馬場ノ尾に社殿を建立して遷し祀る。応安元年(一三六八)当村居住勝馬田某と言える郷士が現在の宮地に移して「勝馬田宮」と奉称する。(田万川町史)

 ☆霧峰神社                     玖珂郡由宇町  切畑

  祭神 コノハナサクヤヒメ。大将軍社とも云う。山の中腹の切畑に住む切畑衆(勝田氏ら)が奉仕。海峡を見下ろす要衝。元養院所蔵「大将軍山縁起」あり。

香川県

 ☆勝田大明神                    善通寺市中村木熊野神社の境内

  境内の石の祠に祀る。祠前の石灯篭に「勝田大明神」と記す。灯篭寄贈者は大西氏。地元中村の勝田氏等が祀る。此の勝田氏の家伝に拠れば勝田氏は柴田勝家一族の末裔といい、かつては「柴田大明神」と記していたと伝える。又、かつて長井中村にあった村社「勝田神社」を此の地に移動したとも云われている。

福岡県

 ☆勝山勝田神社                   北九州市八幡東区勝山一ー一六

  祭神 大山津見神(オオヤマツミ) 建御雷之男神(タケミカズチ) 経津主神(フツノヌシ)。大山津見は木花咲夜姫の父。北九州市史に「神功皇后新羅出征のみぎり戦勝を祈願して大蔵谷から旗竿を伐り出したことにより創設され、この地を勝山と名付けた。筑前藩主黒田長政もこの勝山の地から旗竿を伐り出している。…」と。何故「勝田」神社なのか不明。

 

 

(参考メモ)

〇京都東山区祇園町の八坂神社は「スサノオ」、その妻「クシナダヒメ」、「八柱御子神」を祭る。

〇八柱神社・八王子神社は(天之忍穂耳など八人の子=八柱御子)を祀っている。

 天之忍穂耳はスサノオとアマテラスの子

〇木花咲耶姫尊(木花咲夜姫・木花開耶姫・木花之佐久夜毘売などとも記す)は全国に一三〇〇有る 浅間神社(総本宮は静岡県富士宮市宮町)の祭神。神社は源頼朝・同実朝・足利尊氏らの崇敬を受けた。南北朝時代に勝田左京亮長生が大宮司富士氏の娘を妻にしている。

〇熊野那智大社文書(米良文書)の「常大坊壇那職注文寫」によると「勝田名字一圓」は「常大坊持 分旦那」と。全国の勝田の名字の者(壇那)はすべて那智大社の中の常大坊が担当、と云うことだろう。