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2010/07/31(土) (由岐千羽海崖山河内) 昨夜、最近お遍路さんがR55より多い由岐から日和佐、そして初めて千羽ヶ岳のある千羽海崖通って JR山河内駅まで歩きたくなった。 車道山道半々で全長26キロ、累積標高1300メートルのアップダウンの多いコースだ。 11:00早起きできず一番暑い時間帯をJR由岐駅出発。 歩きの道は車道をショートカットするように昔の山道が残っています。 14:10薬王寺のある日和佐着、向かいの日和佐城より千羽海崖四国のみちは続いています。 太平洋沿い100メートル以上の崖尾根道が続きます。 気温高く、風全くなく蒸し暑い。 持参した麦茶500ミリリットル1本では足らないとすぐ気付きますが遅し。 17:55こんな遅い時間に日和佐城から中間の千羽ヶ岳着、由岐からの歩きそしてここまでのアップダウンで 完全に体力消耗してしまい、事故になっては大変とここでビバーグを決める。 しかし、虫多く水なくテントもないので、これからは下り一方だろうと休憩してから夜道覚悟で出発。 しばらくは下りだったのですが、長い上りとアップダウン繰り返し。 鞍部に外ノ牟井へのエスケープ分岐があったのですが、もう上りはこれで最後だろうと直進。 やっとの思いで上り切るとまだ上があり、アップダウンが続きます。 「しまった」と感じましたが戻れませんでした。 節約していた麦茶切れます。 歩幅は30センチ、完全にバテてます。 暗くなりかけているのか、意識障害かコントラストが落ちていきます。 こんな無理な行動して遭難していくんだろうなとニュースがよぎります。 長い下りが続きます。 ずっと続きますようにと祈ります。 沢があり、水質なんて気にせずがぶ飲みしました。 沢が鞍部で長い上りが続きます。 坂がこんなに恨めしく思えたことはありません。 5歩登っては休憩入れます。 なんか心臓がいつ止まっても、頭の血管がいつ切れてもおかしくない体調と気分です。 好きな行動ができるからいつも単独なんですが、グループだったら大変です。 何十回目のアップダウンでしょう、鉄塔2つある広場に着きました。 まだ上りはあるだろうと諦め気分でベンチで休憩。 ベンチ高さをこの倍ぐらいにしてもらわないと座ったり立つときに足攣ります。 そこからは、こんなん経験したことないぐらい長い長い急角度激下りでした。 懐中電灯1本で足元確認しながら下りると、筋肉の違う部分に力入るのか軽く攣ります。 それじゃとトントンと下りると苦しいですが攣りません。 そんな偽木階段も終わったところで、歩き方が変わった途端両ふくらはぎが攣ります。 なーにしばらく我慢すれば収まるだろうとじっとしていましたが、ますます痛くなり こんな痛みは生まれて初めてだという失神痛みにどうすることもできません。 「こんな痛み世の中に存在するんか、あかんしぬー、助けてー」 絶対誰もいない暗闇山中で大声で叫びました。 方向いろいろ変えてちょっと楽な位置を見つけるとその態勢でずっと固まりました。 立った長崎の原爆平和記念像のようなもんです。 そしたら時間とともにぐんぐん楽になっていきます。 攣るから歩きが怖くなりますが小股でちょぼちょぼ歩きします。 しかしこの攣りの繰り返しが以後十数回繰り返され、私の遠吠えが山中にこだましていました。 そして廃屋まで来ました。 か弱い懐中電灯で道を失いました。 足をかばいつつ冷や汗タラタラで探します。 橋渡り上りだがうっすら見える踏み跡を不安いっぱいで行くとどんどん上ります。 引き返そうかとしたとき切り通し峠がありました。 その後も下り気味の軽いアップダウンが続きます。 指導標のあるところで川に突き当たり、山河内右と出ており道幅は30センチぐらいしかありません。 おかしいなぁと懐中電灯でよく照らしても続いているように見えません。 ん、この川なんかおかしいな、おそるおそる足を伸ばして水面を確認すると、 またもや攣りましたが、コツンと硬いものでした。 そう、川に見えていたのは立派な舗装道路でした。 突然の人里平地に攣りもどっかに飛んでしまい、ルンルンスローで駅に向かい 20:45最終列車20:58分に間に合いました。 その模様を下画面クリックしてどうぞ。(美しい景色なので720Pハイビジョンでも見えます) (注)アップロード直後だとYouTube処理が間に合わず雑な画質になります。 由岐から体力消耗著しい真夏にこのコースやるとマラソン一回分以上のエネルギーいります。 日和佐からやるにしても涼しい季節がよいでしょう。 山登りも、実生活にも危機回避策が必要だなと感じました。 危機管理のためにリュックが重くなったり、行動が制限されたりの矛盾との戦いになります。 好きなことやってプッツンもありかなと日記書きながら考えるあたり「あの猛烈な痛さ」を エアコンの効いた部屋で忘れてしまっている。
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