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2008/11/30(日) (一の森そして剣山、ブロッケン神秘) 昨夜は早くも一次忘年会を兼ねたお礼会が当店「鳳の間」^^で盛大に挙行された。 本日お弁当あちこち83個配達後に天気予報が良いのでコリトリより一の森と剣山に向かう。(日曜営業は昼まで) 次郎笈の往復もして、帰ってから深夜42.195走もして鉄人の日にすると目論む。(無理でした) 12:50川井峠、雲がかかって山頂部は天気悪そう。 13:05木屋平の案山子さんは年金問題なく幸せ日向ぼっこ中。 13:35龍光寺P私だけの貸切、時間も遅いのでここまで車で来る。 14:15追分、ここまで雪は薄っすら程度。 14:55一の森ヒュッテ前、マラソン効果か身体軽い。 もういくつ寝るとクリスマス、天然ツリーに電飾すれば徳島市内から見えるかも。 15:05避難所偵察など一息入れて一の森頂上、おぼろ太陽下視界悪し。 トナカイサンタさん現れプレゼントくれる。ちっとも可愛くないおやじ妄想だ。 剣山最後の登りも天地両方真っ白、ヒュッテは冬季閉鎖中、年末年始特別営業はどうなんだろう。 人っ子一人いない木道は推定マイナス3度で風強い。 南風でできた霧氷が手すりロープにも大きく育っている。 15:40頂上1955m、ここまで汗かきながら長袖シャツ一枚で来たが一連の行事催しパフォーマンスを 終えると下り耐寒仕様に着膨れ変身する。それでも指先痛い。 16:00ヒュッテ入り口、やはり12/30〜1/4昼まで営業します。 94歳で亡くなり90歳まで登られていた初代新居熊太さんが入り口で無言ガードしております。 入り口右階段上の新居さん私設1坪避難小屋はドア凍りついてましたが快適空間ありました。 トイレは無施錠で臭いのを辛抱すればここも立派な避難所でしょう。 暗くなるのと競争で霧氷のトンネルを足早で抜けます。 16:20三の森、二の森と過ぎ、新田次郎の殉難の碑 「山を愛し気象観測を愛しこよなく妻子を愛せし男ここに眠る」まで戻ったとき ジャーン・・・、ドラマが待ち構えてました。 それまでずっと暗かった空が後部より光が差し、ブロッケン現象に出くわす。 なんとグットタイミングなんでしょう。 熊遭遇を瞬撮するためにいつもスタンバイOKの首掛けデジカメで一枚、中心に姿入れて二枚と夢中撮。 アップでもう一枚とズームしていると消滅、5分待つもまた雲厚く暗くなり再登場諦める。 約30秒の阿弥陀さま御来迎の世界だった。 ちなみに御来(光)は朝日で天気よければいつでも拝める。 画像縮小処理がボンクラなのでディスプレイより2.5メートル離れて見るといい雰囲気かな。 今日の登山は父母や家族、親族のことを考えながらだった。 濃い血縁の安心感と信頼感、無くなったり亡くなればこれ以上の寂しさはない。 年老いてあんなに勝気であった母が弱り今では筆談しかできない。 どれほどの親孝行を今までしてきただろう。 いや、ほとんどしていない。 若いときは今の私の息子と同じで「親をうっとうしい」と思っていた。 よく「かついちはつめたい」と母直接からも妻経由でも聞いた。 今の私かついちの落ちぶれヘタレ身分状態では金品攻め孝行ができない。それを喜ぶ母でもない。 阿弥陀如来はじめ修行積まれた仏さまたちも言いました。 「なにも無い者でもできる和顔施(わがんせ)」 頻繁に訪ね「輝く笑顔」を見せれば元気も勇気も与えられる。 16:35一の森ヒュッテ前。 17:00追分。本日雪面に残る足跡は私だけだ。当然最終登山者なので注意安全下山継続するが2回こける。 17:30龍光寺P、なんとか真っ暗闇ぎりぎりセーフで下りられた。 香川県三木町の人に初めて出会う。 16:30頃に来て龍光寺とその上の剣山宮のお参り済まし車中休憩されてた。 私の暗闇に光るフラッシュにびっくりされていたので謝り立ち話。 19:35自宅。 ユリゲラー2.5メートルバックありがとうございます。 ブロッケン綺麗に見えた皆さんによいことありますように。
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