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2008/08/10(日) (徳島駅より一の森剣山ママチャリと一緒) オリンピック見ながらいい汗かいているなと羨ましくなり、 一の森から剣山キレンゲショウマそして田舎で暮らそうようどんと体力巡りしたくなる。 行きは神山経由、一の森剣山縦走もママチャリ同伴、帰りは貞光回りとしよう。 いつものように急な思い付き計画だが、偶然今日昼間にタイヤとチューブを交換し 注油や増し締めなど家の自転車をメンテしている。 そのママチャリ仕様は車重21キロ3段変速のしっかりした造りのB社製。 ちなみに熱の入っていた30歳ぐらいのときは30万円(10キロ14段)のに乗ってました。 弁当予約途切れたし思い付いたらすぐ行動に移すのは昔のまんま。 ピンク往、グレー復 00:30今から準備して行くわとさっきまでテレビ見てて横になった働き者おくさまに宣言。 「ガソリン高いけん無駄使いせんよ〜に」きつい寝言通告。 高らかに「自転車で行ってきます」告知。 今までは行きは歩きで行っても、帰りは交通機関と行けばほぼ終わったようなものだった。 自転車で行くということは往復自力でやらなければならない。 まぁ歩きよりはグッと楽だろうと深く考えず、自転車に積むからとあれやこれや余分なものも加え 給水用の1.5ペットボトルと食料もろもろリュックに詰め込み計5キロ。 不足のものは24時間営業コンビニもあるし、 集落には昔ながらの食料品店もあるのでなるべくこちらを利用する。 自宅から6キロ離れた徳島駅に向かう。 徳島駅前ここらは海抜2メートルぐらい 01:25徳島駅前、公式スタート。 これから80キロかけて1955メートルまで標高を上げていく。 実際はアップダウンがあるので累積標高は2800メートルぐらいあるんではと思う。 歩きでは感じなかったちょっとした上り勾配を直ぐ感じる。 あれ〜ここは上りではなかったの下りではなかったのと錯覚場所も数多い。 しかし行きは確実に延々上りなのだ。 02:30入田町「おやすみなし亭」、歩きでは3時間かかっていたので3倍速い。 04:10神山町サンクス、ここらへんでふと星空を見るとぼんやり我が銀河天の川が見える。 この時間になると冬の星座オリオン座やスバルも輝いている。 住み暮らす市街地に比べ、奥深い山中も星空と同じ大古のままというけがれなさに初恋を思い起こします。 旅人にも嬉しい施設だ 緩やかな坂状態連続に慣れない自転車筋肉が弱音を吐き出しましてキツイところは押します。 05:00土須峠から木沢に抜けるR193への分岐。 勘場手前、低山でもモルゲンロート光差す山肌が美しい。 大きな上りの川井峠越え、最初から最後まで押す。 07:30川井峠、ここまで歩きだと12時間だが坂がこたえてペースダウン。 川井峠 ここから見る今日の一の森剣山方面はバリ天だ、暑くなりそう。 上天気 楽しみだった下り、出ます出ますスピード出過ぎ、両手ブレーキ強く握るも落ちません。 カーブだいかん飛び出すと思い切り強く握ると曲がれるスピードまで落ち助かります。 以後ずっと握りっ放しでくわります。 歩きだと1時間半かかるのを20分で下りました。 下りルンルンポーズ 過去お世話になった槍ノ尾サービスエリアを疲れてないのでちらっと横目にみて通過。 その先のガソリンスタンドに居た(訂正)木屋平の案山子は隣家の庭先に散歩してました。 帰りは部屋の中に居ました それではここらへんでのチャリ勇姿3発。 怪しい男通報はなかった 走る姿タイマー3回撮り直した よっ8番ガンバレ! 08:50滝宮、その手前の龍光寺門前で天然水給水。 清流穴吹川の流れが美しくこの汗どろどろの身体をさっぱりさせたくなる。 押すのが多くなり、終点川上バス停手前からコリトリまでずっと押しっ放し。 川上バス終点が見えた コリトリ尾根 10:20コリトリ橋、歩きなら18時間、車なら2時間を9時間かかっている。 車道ここからはぐっと急坂、もう山頂まで乗ることはありません。 こうなるとチャリお荷物になるだけで置いていけばいいのですが、 なにせここまで共に来た戦友、一応持てる重量なので尾根縦走の気分を味あわせてやりたい。 そして一の森ヒュッテ内田さんにズッコケ話題プレゼントしたい。 剣山山頂木道をコットンコットンと疾走したい。 3代目niiさんに「車道はどこですか」「ママチャリで来た人いますか」とコントしたい。 龍光寺まで道路脇に天然水がポツポツあり、給水したり頭からかぶったりします。 11:50龍光寺、本来は寺の裏に山道あるのですが、一般自動車通行止めの柵した車道がまだ続いてます。 すき間から失礼して登りますが歩きには長い道路となります。 龍光寺手前天然水で頭冷やす 龍光寺 12:30やっと最終登山口に着きますが、コリトリからの車道もそうですが 単なる歩きなら車道を串刺しにした昔の登山道のほうがずっと早い。 自動車通行止めの最終登山口 持ってきたロープを斜め肩で担げるようにチャリに結ぶ。 これで一心同体となるが、転落事故も一緒なのでちと危ない。 1.5満タンにした水が入ったリュックは前カゴから背負いにする。 必死 早速山道に入るが、うぇっ転がしては上がらん、道細く足元悪く力入らん。 しかたなく片手で中心部を持ち全部持ち上げ小股で登るもバランス取りが10秒と続かない。 この状態ではもろとも転落するだろう。 前輪を接地させて斜め肩掛けロープで後輪を浮かせ、両手はハンドルを持ち わき腹でサドルを押し登るとうまくいった。 一の森登山道は急坂の連続である。 ほんの3メートルぐらいでふうふう大息で休憩が入る。 止まったときはしっかり両手でブレーキを掛けて車体を押し付けていないとズリ落ちる。 極端に道が狭いところは足元を登山道に置き、右斜面をチャリ這わす。 岩が出っ張ったような30度以上斜度は、チャリ傷付いても上からひこずり上げる。 最近のスポーツ車みたいに10キロ切るような車重だと多少扱い易いのでしょうが、 かなり時間が経過しているのに登山口車道がまだ見えている。 大汗だらだらで頻繁に水飲んだり頭からかぶったり。 こんなんで天辺までいけるんだろうかと弱音が出る。 しかし何も考えず無心で限界ギリギリを続ける。 14:00追分手前200メートル地点で男女の下山者に会い「クスッ」「ママチャリ」と笑われる。 鬼の形相で登ってますからイチャモン付けたら大変と変質者にも見えたでしょうから 会話はありません。 私の写真お願いしますに「ハイッ」といって丁寧に撮ってくださいました。 鬼形相 この状態は日帰り往復した富士山8合目上からの高山病の出だした苦しさに似ている。 1メートル登ってはしたたり落ちる汗とともにハァハァと休憩の繰り返しとなる。 水消費が著しい。 意識が飛びそうだ。 ちょっと平地になったところでスタンド立て荷台に跨って休憩。 中津峰にもたくさん設置されている休憩用のフラットなベンチがあればと思うが ここは初々しい大古の山ん中、自然のままが基本。 14:25追分。 もうこんな時間かと当初計画はついえました。 なんとか追分まで しゃーない内田さんにもniiさんにも会えないけど、楽なトラバース行ってキレンゲ見よう。 しかしどっこいトラバースは水平ではなく上がってました。 それに道が荒れてて消滅したとこもあり、おっとっともろとも右へ転落しそうと 疲れた身体には尾根道より危険に感じます。 ザーザーザザザーと大粒の雨、急に暗くなりゴロゴロゴショゴショとカミナリ。 うん、これは恵みの雨とカミナリか?、熱い身体に大雨は心地よいがカミナリはいただけない。 しばらく待機したが止まない。 カミナリさんだ 恵まれてユーターン決定。 しかし斜面でチャリユーターンできない。 しゃーないからロープ付けて谷に放り出し引っ張り上げて方向転換。 雷鳴轟くなか合羽決めた夫婦と小さい子供連れとのすれ違いに斜面にチャリ押さえこむ。 しつけがよく出来ているのか子供は、こんなところで自転車持った変な人には目も合わさず声も出さず。 「それでいいのだ」「シェー」と一時代気付いた弔意ギャグやろうと思ったが よその子供と日本の将来を考えここは静かにした。 14:55再び追分。 15:35最終登山口、雨とカミナリは続いている。 後輪を度々転落させながらもなんだなんだこの下りの速さは。 あとは夢のような無動力で走る下り坂の世界を一般自動車通行止車道、そして龍光寺、車道を下り 16:30コリトリ橋。 ここからは見通せる無動力高速道、50キロぐらいは出てたのでは。 徒歩のスピードに納得の私は危ないのですぐブレーキを掛けやめる。 下界で晴れだすと、水補給して頭からかぶり全身濡れると実に気持ちよく、家まで繰り返す。 川井峠の登り返しが嫌なので距離はあるが穴吹に出る下りオンリーのR492を選択する。 緩やかな下り勾配が続き、あの山の向こうが穴吹かなというくねくねの同じ景色がうんざり繰り返される。 室戸岬手前のあれが岬だの繰り返しが可愛く思えた。 22:05石井町の自販機で体力補給。 旅人オアシス しかし、人がチャリに向かって飛び出してくる非常に疲れたときに現れる幻覚が出る。 おしりの痛さと腕の痛さと足のだるさはもう感覚がなくなってきている。 ふうーと意識が何度も飛びそうになるたび水をかぶる。 縁石にぶつかってこけそうになる。 00:10マクド横の店舗兼自宅着、帰りはコリトリ橋から7時間40分、往復170キロ計約23時間。 即そのままベットに倒れ込むと数十秒で意識ありませんでした。 子供3人マックにはつぎ込みました 自転車にしろ歩きにしろ感じることは「ガソリンは値打ちある」ということです。 ガソリン代節約しても身体を動かす代替エネルギーがガソリンよりも高いのです。 そして時間も掛かり過ぎる。 この整備された道路状況でそう思うのですから、遊びでない 大正以前の山岳地帯での人力による物資運搬は大変辛いものだったでしょう。
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