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2006/10/08(日) (祭り終えて秋の夜長) 若宮神社祭り この町内に移り住んで28年、若造のときからこの祭りと毎年接している。 4年前までは台車なし屋台が完全人力担ぎで町内各家を7時間以上練り歩いた。 翌日は仕事にならないほど足腰肩が痛くなり、各家で振舞われた酒肴の暴飲食で内臓機器も仰天フル操業後の脱力状態。 伝統で男児だけだった乗り手子供4人もいつしか女児も混じり、太鼓を叩き祝声を張り上げる。 担ぎ手高齢化硬直化と子供減少と娯楽の多様化で先行き心配。 大昔の話を聞くと一晩中担いで騒いで田んぼの中を走り回り村団結力を強固にしたそうだ。 豊かになり楽に生活でき、個人主義無関心が台頭、宅地化され新人類が移り住み、神社求心力の輪や心に誓う根性の祈りが薄れた。 引退した一世代上から引き継いだ私ら世代もにわか信者の域を出てないが、一文化遺産に接した運命は資産だ。 死ぬまで前を見て突っ走ることが一番の幸せと神仏は説く。 いろんな理由で突っ走ることができなくなったとき、後ろを見る心を加えて鳥居をくぐり再走を願う。 人生一通りやってみないと生き方なんか分からないが、一回しかないから減速すると迷う。 しかし、二回あっても俺は同じ生き方をする。 人生へたです。 そういや爺さんもへたやったな。 こういう遺伝子だから4回屋台に乗せてもらった我が子3人もへただろう。 へたでも純粋で明るく真面目に仲良く思いやりを持って生きてくれると親として嬉しい。 出世の妨げとも汚点とも成りかねない情けで、もしや加速感をいただけましたことに感謝いたします。 ごめんなさい。 なんだか今にも飛び降りそうな文調になりましたが、きちんとして引き続き社会に貢献します。 10年休み無しで牛馬車のごとく家事子育て仕事と1日16時間働き、美貌と精神毀損させた相棒に詫びと感謝いたします。 そんなことないないと天然明るい遺伝子だがスローダウンしないと私より先に逝ってしまう。 もっともっとよいとこ嫁げて楽できたのに。
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