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2005/12/04(日) (24H内に徳島駅より徒歩で剣山山頂へ) ここんとこの忙しさでK調理人もグッと疲れが増してダウン寸前だ。 ということでまた人のせいにする訳ではないが20日ぶりに急遽休養日にする。 私は日々の歩き登りの鍛錬成果かはたまたまだ仕事が足りないのか元気もりもりである。 土曜日昼の配達をしながら夕方から何処行こうかなと考えた末、 そうだ13年前の夏休みに息子達と4泊5日で行った、 自宅(今回は徳島駅)->神山町->川井峠->コリトリ登山口->一の森ヒュッテ->剣山->見ノ残 をやろうとの結論に至った。 あのときは1日目はテント泊だったが2日目からは夕方バスで自宅に戻り翌日再び その地点までバスで戻るという反則気味の荷物軽量安眠作戦だった。 13年ぶりにこれを1日でやってしまおうというのだから、ちょっと無理あるかな〜と感じた。 気象予報で寒波が来そうだと報じていたが、耐寒訓練になるかな程度の軽いのりで 昼から休み意気揚々と遠足に行くような楽しい気分で出掛けた。 平地は車にぶつけられないようこの派手格好で歩いた 全行程推定80キロ、途中車道峠を何度か越してコリトリから一の森の標高差が1000メートル その後剣山まで少々の登り下り、2メートルぐらいの徳島駅から1955メートルの剣山までの 累積標高は2800メートルぐらいはあるんではと思う。 地図 さて、自慢気味の前置きはこれくらいにして前回忘れた万歩計をまず着け、 それから下着半袖シャツ2枚、半袖Tシャツ1枚、長袖シャツ1枚、ウインドブレーカー1枚を着た。 寒くなったときの防寒ジャンパーを食料とともにリュックに入れた。 好物 自宅近くの14:20のバスにのり2005/12/03(土)14:46徳島駅スタート、R192を快調に西へ歩く。 ちょっとローカル地名で分かりづらいかも知れませんが、15:48上鮎喰橋手前を左折し鮎喰川堤防上を行く。 これから横を通り過ぎて行く焼山寺山や東宮山がよく見え、そのずっと先にうっすらと目的の剣山付近も見える。 うっすらと一番奥が剣山付近 天気え〜やんかと汗ばむ能天気な身体は先のことは何の心配もしていない。 それどころか、最近よく食って幸せ太りのダブダブ身体は歩きで腎臓機能がよく働くのか 全然水分補給してないのに2時間で病気かと思うほど5回のおしっこ。寒さのせいだろう。 トイレって男でも不自由しますが女性だともっと大変でしょう。 と、初期のころは思ってましたが意外と気軽に借りられるんです。 バス停留所、公園、神社、寺、公民館、役場、郵便局、会社、コンビニ、スーパー、商店、建設現場の仮設など。 人気のない山の中では気持ちよくお尻を出すことを覚えると、いつでも傍にトイレがあるようで と〜っても肩の力お尻の力が抜け気楽になります。 やがて13年前に息子達とテント張った一宮小学校前を通過。 今は成人して就職し、とてもこんなんには付き合ってくれない。当時のワイワイガヤガヤ思い浮かぶ。 まっあやつらも親の血が流れているから、そのうちおんなじことやりだすだろう。 テクテクテク、歩きは快調だ。 17:45入田町「おやすみなし亭」、ここは風力発電機を備えたお遍路さん無料無人接待小屋だ。 しばし食事のためお借りする。ノートにお礼を記述して配布している綿花の種をいただく。 18:28神山町に入り、東西に縦断するが川井峠まで結構大きい町だ。 20:25その神山町立見峠付近で4WD車が「木屋平まで行くけど乗りまへんか」と親切に声掛けてくれる。 事情を少し自慢気に説明して、お礼を言って丁寧にお断りして行ってもらう。 優しさいっぱいのさすがお接待文化の徳島県だ。 歩いているといろいろ考える。 それまでの大きな問題が解決すると、小さな問題が気にかかるようになる。人間は悩むことが好きな動物のようだ。 例えばこんな具合だ「この休みに美容院行くんなら、最近弁当買ってくれるとこに行けよ」と歩きながら電話だ。 21:00剣山55キロの標識。 21:20道の駅温泉の里神山。時間が早ければ一風呂浴びて行きたい名湯が近くにある。 23:41川又三差路。スーパー林道へ続くR193は今も去年台風復旧ならず通行止だ。 2005/12/04(日)02:10春に枝垂れ桜群落がとても綺麗な川井峠トンネル。 トンネル内は冷たい風が強く、したたり落ちた水滴は凍っている。 山の夜道は今夜は月がなくとっても暗い。木が茂っているとほとんど見えない。 ガードレールや路肩線のかすかな白を頼って歩くがよく道を失うしつまずく。 ときどき車が通ると、その明るさに反応して開ききっていた瞳孔が閉じてなかなか元の開ききった 状態に戻らず、真っ暗になり歩けない。幸い国道とはいえ深夜は1時間に1台も通過しない。 星空が見えるので予報は外れかと期待を持つ。 04:00ずっとR438を歩いてきてこれからも進むが、穴吹へと分けるR492三差路少し先に トイレもドア付き休憩室もあるとっても綺麗な無人の槍ノ尾サービスエリアにて大休憩。 ここまで75600歩、50キロは超えただろう。05:30出発。 08:25川上バス停、川井峠手前の神山町西端の勘場バス停とこことはバス往復したからよく覚えている。 いやじゃな〜雪がだんだ強くなってきて道路も白くなってきた。 川上バス停終点 09:16コリトリ橋登山口。この先の当時林道が出来るまでは土産物屋や休憩所があるなど賑わっていた。公衆トイレあり。 コリトリ橋 橋を渡って100メートルぐらい進むと脇に細い石段があり登山口案内看板。 いよいよ山道 以降何度が林道を横切りながら続き、最後は神社まで林道を300メートルぐらい歩くと神社。 その神社裏から更に登山道は一の森(1879m)に続きます。 積雪まだ少なくジャンパー非着用 ここからは逝きかけた試練の登りでした。 まず、この程度の雪は東宮山や焼山寺山で経験済みでしたが、これからここまでの何倍も登らねばなりません。 当然雪はもっと深くなるだろうし、風ももっと強くなるかも知れない。 冬山をなめたらいかん。しかも初心者だし。 勇気ある撤退しようかと考えているとき、雲が途切れパーと晴れ間が見え周囲の山々が見えた。 これは進めということかと、歩き続けた足はもう惰性で自然に坂を登っていた。 脚は今年の数々の鍛錬のせいかここまできてもへばってない。気力も萎えてない。行こう。(甘い) 普通の靴だから雪ですべるすべる。つま先から雪に打ち込むように登るが少しずり落ちる。 こりゃ疲れるし体力消耗するし、徳島駅からここまでの疲れもプラスされて雪なし山の半分以下の ペースになり休憩も多くなる。いくら登っても先が見えない。 うろ覚えの一の森ヒュッテはまだかまだかと、もうはまだなりとまだ余裕があった。 あと2340メートルだったかなの標識過ぎて、ほうほぼ鳴門大麻山1回分かと通いなれた山で比較してしまった。 そんなもんじゃありません。雪は降り続くし風が強い。時折ゴーとすごい風雪が横殴る。 20歩ぐらい上ってはフーフー休憩の繰り返し。上見ても坂坂坂の連続嫌になる。 もうとっくにリュックからジャンパーを取り出し着ているのに寒い。 平地ではこれだけ着込むとじっとしていても汗が出てくる量の厚着だ。 それどころかサーと血の気が引くような感じがする。悪寒の震えか。 筋肉が振動して熱を発しているとすれば最悪だなぁ。持ってきたホッカイロなんて全然効かない。 実温度は-5〜-10度ぐらいだろうが、横殴りの風雪は体感温度-20度ぐらいに感じる。 ずいぶん登ったように思うのに次の標識では700メートルほどしか登っていない。 まだ1600メートルあるんか。おかしいなぁ。そいやヒュッテは一の森手前にあるから少し距離は短いと 勝手に距離を縮めていた。坂坂坂続く。あんなに好きだった坂、もう嫌いだ。 ここで引き返したら下りになる。転がるように楽に か え れ る。 恋しい熱い風呂、熱いラーメン、暖かコタツにふとん。温かい家族やお客さんも待っている。 「なんでこんな金ならんことしているんだ病」発症する。 いや〜腹減っているんじゃとトランプを食う。 気休めか元気が出たように思うし、進もうとする身体の惰性というか慣性というか引っ張られるいうか進め信号点灯する。 坂坂坂もう〜もう〜腹立つなぁ嫌じゃ。すべってすべってこけて手首グギッ足首ゴキッ。 こんなところで骨折したら命取りじゃ。こんな天候だから誰にも会わんしこれからも誰にも会わんだろう。 もうやめた。この林の向こうがヒュッテと思ったのにもうやめた。何度おんなじことさすんだ。 バカヤローバカヤロー坂もヒュッテも大バカヤロウ。やめた座り込む。 下半身はグンゼパンツの上に綿パンと、こんなに寒いのに2枚だ。 この薄着はなんだよう。お前は風呂にでも入りに来たんかい、それとも海水欲か。 2枚でとっても出しやすい小用も、疲れからかまるで雪はメロンかき氷色だ。 ひとしきり文句並べたところで身体は上へ行く。訓練されてると勝手に動くもんだなぁ。 仕事一辺倒できた人は退職しても仕事するし、刑務所慣れした人は刑務所に帰りたいとも聞くし 住み慣れた地や家は離れがたく、離れても帰ってくるという。勉強好きは勉強ばかりする。 これらを慣性催眠打ち込み人生とも言うのでしょうか。切り替えるのは至難の業です。 そんなこんな思いが働く身体はとうとう尾根までやって来ました。 一瞬晴れて見えた周りの山は高度感があって不気味に見えゾッとしました。 すごい吹雪が尾根上を吹きさらします。どんどん身体の熱を奪ってくれます。 テントでもあればその1枚で風雪を遮ってくれて楽だろうと思います。 尾根道は夏みんなが歩くから掘れて深くなり雪が貯まってます。 手足はもう冷たいを通り越し感覚がありません。 その深い雪に足を取られ風に押されひっくりこけました。 疲労困ぱいで、ふ〜〜と意識が遠のき眠くなります。必死に周りを見ると雪に埋もれた倒木や枝が 意識朦朧で人が「こっち来い」と呼んでいるように見えます。 「ここで寝て楽したら地獄や」と天国でなかったため長女の蹴り一発のよくやられる夢で覚めました。 がむしゃらに歩き続けました。 13:15ありましたありました。一の森ヒュッテ。しかし何処からも入れません。 一の森ヒュッテ冬季閉鎖中 さらに周りをぐるぐる探してみると10メートルほど剣山方向右側に避難小屋がありました。 「もう最高級ホテルに見えました」 中央のいろりにまきを入れ魚焼くようにひっついて暖をとりました。 もうここで動けないので泊まりにしようとしましたが携帯通じず家に連絡取れません。 このまま帰らなかったら家族は捜索願いを出すだろう。 新居綱雄さんがふもとから救助に来て迷惑かける。そしたら新聞に載り物笑いだ。 靴下手袋乾かしビニル袋で靴下包んで靴履き1時間15分後に「生きて帰るぞ」と 助かりました 14:30中一娘の笑顔を思い浮かべ元気をもらい、2キロ先の剣山目指した。 途中三差路があったり何度か登りのこぶがあったが、通った経験のある方を選択した。 15:30剣山1955m山頂、誰も居ませんし誰にも会いません。(結局見ノ残まで誰にも会わなかった) これからよく知った下りばかりになり助かったと確信持った。 結局24時間以内に剣山山頂に立つことは、44分オーバーしました。 西島からはリフト下を直滑降下り。やってはいけませんすべり過ぎて恐いですし、余計時間かかります。 結局トンネルのところより登山道に戻る。 剣山山頂、頂上ヒュッテは12/30〜1/3開く張り紙あり 16:50見ノ残(110500歩)。 冬この時間にはもう人っ子1人居ません。店も全部春まで閉鎖か閉店しています。 帰りの足がない。一宇タクシーNさんに頼み込み路面積雪の中を迎えに来てもらい貞光まで送ってもらった。 日暮れて風雪渦巻く吹きさらしの中待ってる1.5時間がずいぶん長く感じた。 貞光までと、家までの景色は安心の意識朦朧であまり記憶がありません。 寒風で喉が痛い中カップヌードルカレー味を2個食べ、熱い風呂に入り爆睡。 翌日はいつもどおり起き働きました。足腰もいつもどおりどこも痛くなく普通に過ごせました。 ハイキング夏山登りしか知らない私としては強烈な冬山寒波に参ってしまい、大きな大きな経験しました。 良い衣類など山装備きちんとして登りましょう。強風で体感温度-20度かという場所で半袖状態でした。 初心者の冬山登山は予報を見て快晴無風の日にベテランと一緒に行きましょう。 エスケープコンビニがすぐある平地を歩くような感覚で冬山歩いてましたが、無事帰ってこられた幸運に感謝します。 (この記事は急いでUPしたため後日訂正することがあります)
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