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2005/11/13(日)
(復活それはこの握手より始まった)
地元銀行の某支店長からとても嬉しい話をいただいた。
このHPが縁で陰ながら私を見ていてくれて、困り果てていた私の心情を察していただき、
(失礼)サラ金かノンバンクの融資より簡単に細かい事前審査ノーチェック(私にはそう思えた)で融資決定くれたのである。
当店売上規模や世間情勢からしても常識では無理なのだが、私を買ってくれ再起させてくれる人情家がいるんだと感謝感激した。
音楽映画演劇などが勇気ややる気力を与えてくれるように、近くにもそんな人がいるんだ。
こうなると信頼を裏切れない。
その日から趣味も商売に改め、寝ても覚めても売上あげようと考え動いている。
商売繁盛のコツというものを売り歩き営業で多くの人と接し現場から学んでいる。
さすがのITも面と向かった人と人のふれあいにはかなわない。
もちろん紹介いただいたり応援していただいたりと独力だけではない。
まだまだ安心できないが、過去分母が小さかったとはいえ3〜5割アップと嬉しく推移している。
お客さんには満足を、銀行には業績アップでこの破天荒融資に報いたい。がんばって恩返ししなくゃ。
(瀬戸内海より四国山地を突っ切り太平洋まで24時間以内で歩く)
K調理人もここんところの忙しさが続きダウン気味でした。
決してそのせいにするのではありませんが、予約も途切れたので思い切って5ヶ月ぶりに休みを取りました。
私は普段のトレーニング効果か、まだ仕事が足りないのか元気もりもりなので、
かねてから予告していたタイトルの歩きを決行しました。
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2005/07/24(日)日記に車での偵察記しました下記です。
四国中央市、丸住製紙前の瀬戸内海から5.2kmR192県道5号分岐、10.0km掘切トンネル、15.6kmR319との新宮三叉路、
30.0km笹ヶ峰随道(標高860m)、50.0km大豊IC、75.5km道の駅南国、80.2kmごめん南国署、85.2kmゴール浜改田の太平洋。
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土曜日昼までの営業を終えたあと、次男が今日休日なので前回の日和佐から室戸と同様に出発地まで送ってもらう。
車中、鴨島通過中に「昔、母さんと出会う前にこの町に彼女が居てよく通ったんだ」
「その人と結婚してたら、お前は生まれてない」と言うと
「いやそしたらすんごい金持ちの家に生まれてこられたはずだ」と言いおった。
おのれ〜と「休み中の母さんには一切用事言うな、飯も勝手に食え」とお達しした。
2005/11/12(土)16:10瀬戸内海にタッチしてスタート切った。
突如決行を決めたため準備不足からか万歩計を忘れてしまったが、推定12万歩は刻むはずだっただろう。
町の人は慣れているのだろうが、なんともいえない製紙業工場臭ただよう中を北へと歩む。
16:42フジグラン手前で夕日に照らされた頼もしい歩く姿をブロッケン現象のごとく捉えた。フフッ
17:10歩くときはコンビニより昔ながらの地元商店を利用するようにしている。
今日明日のエネルギーとして写真の好物を横田商店で仕入れた。おにぎりはK調理人お手製である。
17:25佐藤商店先の国道からの分岐を県道5号に右折入って行く。途中の電光掲示板で通行止め表示に不安。
18:00どこの街だろう時報を知らせる音楽がスピーカーから流れた。
「♪この道はいつか来た道〜・・・」
おんなじ道をうろうろしている人生の私にはピッタリの響きだ。
月明かりと大接近で明るく輝く火星の星明りでムードよく歩ける。
18:45掘切トンネル(10.0km)登ってくる途中見えた川之江の街明かり夜景が満天星空と競っていた。
19:55新宮総合支所(旧役場15.6km)手前で地元健康ウォーカー3人組と一言挨拶し、休憩所でおにぎり夕食休憩。
20:53新宮IC前に綺麗なトイレあり。その先の霧の森Pにもあります。(今後の人のために情報)
23:46笹ヶ峰隋道(標高860m 30.0km)真っ暗で全く歩けません。それにこんな暗闇経験なくとっても怖いです。
懐中電灯を取り出し涙そうそうを歌いながら進む。
あっそうそう、途中大規模な土砂崩れがありました。
しかし人間様の足は危ないながらも器用に迂回できまして、こんなところは車に勝ると優秀さ感じました。
隋道を抜けた高知県の玄関真正面にはようこそ土佐へとオリオン座がで〜んと輝いてました。
当然のことながらずっと車は通らず、歩きには足痛める嫌な傾いた路肩を歩くことなく水平な中央を歩けました。
04:50大豊インター手前バス停小屋(50.0km)大休憩。06:37出発。
06:50大豊役場前通過。大豊トンネル長いわ〜1605m。
08:42板木野洞門、吉野川につながる穴内川も大歩危小歩危のように綺麗だ。
09:00JR土佐北川駅が横にある。どっぷり疲れている。早く帰りたい。もうやめようかの誘惑が出現。
久しぶりの休みとはいえ、知らずに注文くれたお客に悪いし、待っててくれる人もいる。
すごくすまない気がする。客離れが起きそうだ。年中無休に慣らされた身体は徳島へ向こう向こうとする。
今汽車に乗れば今日の営業間に合う。どうしようどうしよう。真面目さが誘惑してくる。
それじゃ乗るか〜、いや乗りまへん。
この計画挫折ちゅうことになってしまうし、もう休みモードの家族は倍疲れてしまうだろう。
ブロードバンド動画映像(クリックで動画再生します)車道歩きは恐いぞ(0'16)
11:55根曳峠(標高395m)ここから6.1kmの下りがいやになるほど長く感じた。
すれ違う大型車や元気走行の単車など歩道なしなので13:55下り終えるまで怖い恐かった。
14:26道の駅南国(75.5km)、足の裏がずっといたくてノロノロ歩きだったのがここにきて更にペースダウン。
休憩することなくキョンシー状態でトボトボ歩くが、もうここで楽しようとほんとうにやめる気になる。
しかし、気持ちとは裏腹に歩き続けた足は、蛸の足切断しても動いているように勝手に動いている。
何時間かかっても行くしかないなと、歩幅は20センチぐらいで脳の制御なしに刻む。
17:15南国市商店街で義経一行に遭遇する。なんでも土佐日記たら紀貫之とか、朦朧とした頭には理解不能な
お祭りをやっているそうだ。「私、一日で瀬戸内海から太平洋まで歩いているんです」と自慢すると
「ひぇ〜マジですか」と握手応援と記念写真に納まってくれた。
名刺を渡し2〜3日後にはHP載せるから見てねに「すご〜い見る見る」と元気な若者たちに最後の元気をもらった。
ここから浜改田までの直線また直線まだまだ続く直線の道路がと〜〜〜ても長く感じました。
痛くて痛くてしかたのなかった足も我慢と気合で歩き続けると麻痺したのか痛くなくなりました。
体力なく運悪ければ無理が病気につながるかも知れませんが、継続は力なりを体験しました。
17:47暗くなった浜改田太平洋(85.2km)にタッチ着。
24時間以内目標にはオーバーしてしまいました(25時間37分)。
途中のJRごめん駅前で声かけたタクシーに連絡を取り、阿波池田経由で徳島駅そして自宅に23:45帰り着き
翌日の予約状況を聞き、朝は早いと風呂に入ってバタキュ。
(寝不足のときは全くやる気なくしてましたが、爆睡あくる日は日頃のトレーニング成果か普段通り支障なく営業できました)
自慢話を最後までお読みいただきありがとうございました。
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