戻る
2005/10/02(日) (撤退)
大麻山山頂「しぇ〜」古っ 予約の仕事を済まし12:46に大麻山登山口にやってきました。 ほんとうは、有名な山に行きたいのだが忙しくもないのに時間が取れない。予の四国横断もそうだ。 まず1回と登り始めるが、今日の真夏のような暑さはなんなんだ。46分で頂上、40分で下り、2回目55分で頂上、48分で下る。 Sさんと会う。続けて3回目、おにぎりと初給水しながら登るが足が重くなってきた。別SさんMさんと二度目会う。 「3回いっきょんよ、薄弱精神鍛えよんよ」と宣言しただけに焦りが出だした。 一昨日、娘の挑戦を受け100メートルダッシュでまだ老いぼれとらんよと威厳を保ち、昨日はバドミントン相手で人体急発進と急ブレーキを繰り返した。 いつもと違う筋肉を使っていたのが原因なのか、頂上まであと少しというところで足が動かなくなった。 両足とも太ももからつま先までいたるところが攣るのだ。なんてこったい、こんな軟弱な身体じゃないわいと初休憩に その場に座り込んだ途端下半身全部攣った。う〜〜と犬の威嚇のようなもがき声が暗くなってきた山にこだます。 全く動けず激痛が続く。ああ〜心筋梗塞だったらこの痛みが心臓にきて死ぬんだろうなと危機を感じて、 携帯通じない山奥でなく良かったと思わず携帯に手が動く。しかし格好悪いと思い直し、上半身腕力と階段坂を利用して立ち上がった。 すると少し楽になったではないか。山登り格好のストップモーション姿で休憩のほうが弱った筋肉には優しいようだ。 立ったまま5分ほどもっと楽な姿勢を探した。もうすっかり気持ちも弱くなっていたが山頂へ向かった。しかしまたきた。 こりゃいかんとUターンした。あとはもうダブルストックが松葉杖状態で痛さをかばいながらスローモーションで下る。 ここで一時間ぐらい休憩すると元通りになると経験から分かっているのだが、夕闇がせまり、また夜の部の仕事までに 帰らなければならない焦りをもう自分の身体を離れているような足に伝えお願いする。 もう誰も登ってこないし生きて帰らねばならないんだから、更にもっと言うこと利いてくれとナマケモノ歩みにムチ打つ。 17:37登山口着。これほど人里のある平地に安堵したことはない。 冷や汗の入り混じった服のまま車に乗り、15キロ先の自宅に帰る車中でも運転に支障あるほど足攣りまくりだった。 帰って風呂に入ると浴槽で洗い場でと痙攣続く。パンツ脱着時には介添え人の手助けが必要だった。 さっぱりしたあとコーラ、アイスクリームなどエネルギー補給、少なかった仕事をし終え2時間も経つと何事もなかったかのように普通に戻った。 よしっ、今度は弁当持ちで早朝から5回登ってやるぞと強気が甦った。 もし山奥でこんな状態になったら、動かずじっとして体力回復を待つか救助を待つのがよいだろう。 それにしても単独行というのは命知らずの行為なんだと肝に銘じたが、こんなとき以外は気楽なのです。 オーバーかも知れませんが山奥に登山届けなしで単独入山し転落などして人知れず亡くなっている人もいるはずだ。 (何言ってんだ、あらゆる悩みに教訓) 悩んでいるのを毎日繰り返すのは、止まったままで一つの同じ悩みが蓄積されるだけ気分が損だ。 恐れず、いや恐れてもいいから、まず前に進んで行動してみよう。進むといろんな方策が見えてくるから。 止まったままでは考えつかなかった先のことが見えるようになるから。難題そのままでも、ふっきれて楽になり解決策も柔軟になるから。 自分なんてものはないんだ。微妙なバランスの上に自分の存在が乗っかっているんだ。自分の交代要員は掃いて捨てるほどいるんだ。 力関係なんてのは、革命でも起こさないかぎりは序〃に変えていくもんだ。 山道で上りのときは登るのに必死で悟りを考える余裕や暇なんてない。休憩のときか下りのときか車運転時に考える。 ということは人生、必死で仕事をしているときは悟りなんて考えない。 仕事がうまくいかなくなったときや人間関係、離婚、転職、借金、病気、定年、・・など、人生下り坂のときに考える。 悟りを開くときは落ち目のときなんだ〜。悲しいけどこうやって這い上がるだ。 そいや、何人か高額納税者を知っているが、勢いのある人は悟りの「さ」神仏の「し」も言わないわ。 悟ることなく突っ走れる人生が悟りだ。 「ちゃら勝ちゃん、人生カデンツァやりすぎや、修行なんて場所選ばず、50過ぎて夢食って生きとれ、あほっ、もうしかとんする」 3人+1人の子育てして地味仕事を頑張り続けるモデルにもなれた同居人のお言葉である。説得力あるわ。
戻る