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2005/01/02(日)
(謹賀新年)
デジタル動画VSデジタル静止画、ニ兎追う者は一兎をも得ずとは言うが、どっち取るんや、ああややこしい、むつかしい。
どちらにもなかなかの特長があります。逆らわずハイハイと言いなりになったり、都合のよいとき即間に合ったり、ひきつける魅力ぷんぷんだったり、
手に余ったり、軽かったり重かったり、持ち歩くのが鬱陶しかったり、持ってるだけで安心したり誇れたり。
使い捨てられない愛着がある。デジタルだからいつまでも新鮮若々しく汚れを知らない純真さを保つ。
だがエネルギーやりを怠ったり、大切にしてやらないとすねる。時には煙を出し爆発する。
こんなべっぴんデジタルグラマーは使い手にもビシバシ要求してくる。応えると更に高度な要求や独占力でせまってくる。
面倒になってもうどちらもいらんわこんなもんなくても生きていけるわとしばらく無視する。
しかし使い手にたまりがくる。たまり限界を超えると外部に出ようとする。だからやっぱり必要となる。
どっちが必要かは、それぞれ時の要求とタイミングで叶えてくれるが、申し合わせてやってくることはない。
どちらかを手にすれば片方は寂しがる。その片方を頻繁に使うと元が先でしょと噛みつく。
やがては、あちらの世話になればいいでしょと使い手を寂しがらせる。どちらかを選びどちらかを捨てればすっきりするのだが、使い手は両方ほしい。
こうやってフラフラ使ってきて9年目の正月を迎えた。しかし去年からの気候の異変と同様いつものサイクルに戻らない。ぷっちんぱっちん天災状態なのである。
しょうがないので昔のアナログに頼るが全く物足りない。感激と刺激が薄いのだ。で、元さや狙いで機嫌鳥するがデジタル両者は金がかかるのである。
デジタル機器は歳とともに安くなってきており、金ではないとささやいてくれるのだが大昔の物価では納得しない。
もう周りに見られたり模範となるような歳になると、笑われるような所作やケチはできない。
そんなことしようもんならいっぺんにムードが覚める。20代の格好悪さは初々しさと将来性でカバーできるが40過ぎると惨めでしかない。
今デジタル機器は生まれたばかりの未成年。だから何やっても恥ずかしくないのだ。「ん〜もうそんなことやって」なんていう原人には理解不能だろう。
常識にとらわれず「両方とも元に直れ〜」と叫ぶそんなこんなお調子デジタル使い手は、やはりお調子というアナログを含んで偉そうにしてます。
0000.0111.0111.0111七百七十七羽とり飛ぶ年になれ。
なんや理解不能やな。
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