まやかしのような始まり 










「ティエリア・アーデ、そちらに転送したので確認してくれ」
「了解した」

ティエリアは自身の端末に転送された、刹那が組んだプログラムのチェックを始める。そこにアレルヤが声をかけた。

「ティエリア、紅茶淹れるけど飲むかい?」
「貰う」

モニタから顔を上げずティエリアは答えたが、アレルヤは気を悪くした様子は無い。



研究に参加することになったティエリア・アーデはその外見通り、厳然とした、硬質な口調をしていた。しかしそれも慣れてしまえばどうということは無い。元より刹那は口数の少ない方であったし、アレルヤは人懐こい性格であったのでカタギリ研内部の人間関係は概ね良好だった。
―――ただ一人を除いては。
……意地でもこっち見ねえし。
ロックオンは、端末の陰でこっそりため息をついた。ティエリアは、刹那とアレルヤから話し掛けられれば素っ気無いが返事をする。だがロックオンが何か話し掛けようとするとあからさまに避けた。初対面の際にやらかしてしまったことのせいであることは明らかだが、面白くはない。
……自業自得だけどさ。
穏やかそうに見えて切れ者なカタギリが連れて来ただけあって、ティエリアは研究に関するシステム構築や解析のためのプログラミングを難無くこなした。ロックオン達とてひけを取らないような実力を持っているのだが、餅は餅屋、より高度なプログラムが必要とされる場合はティエリア任せになっている。

「ロックオンはどうしますか?」
「……ん?」

アレルヤはにこりと笑った。

「紅茶飲みます?」
「……ああ。まだコーヒー残ってるからいい」
「分かりました。あ、そういえばこの前のプログラムの修正終わりました」
「お、悪いな。サンキュ」
「……と言ってもティエリアがやってくれたんですけどね」

アレルヤの言にティエリアが一瞬肩を震わせた。気不味い、と思いつつも礼を述べない訳にはいかない。

「有難うな、ティエリア」
「……いえ」

それだけ呟くと作業に戻ってしまった。ロックオンはまたため息をつく。
……どうしたもんかね。







実験を終え研究室に戻ると室内にはティエリアしか居なかった。カタギリ研は実験の方が多く、先日のように研究室に一同が揃う方が珍しいのだ。しかしティエリアはプログラミング能力を買われて招聘されているのでここにしか居ない。ロックオンの姿を認めたティエリアはきゅっと眉根を寄せた。

「……お疲れ、様です」

渋々口にしてからはモニタから顔を上げない。ティエリアは、そう年齢の変わらないアレルヤ、刹那には対等な口のきき方をするが、カタギリ、ロックオンに対しては年長者という意識があるのか敬語を使う。ロックオンはコーヒーを淹れようとして止めた。紅茶ならティエリアも飲んでいた、と思い直したのだ。

「紅茶淹れるけど、飲む?」

ティエリアは眉を寄せたまま、こくりと頷いた。ティーポットに茶葉を入れ、ポットのお湯を再沸騰させる。手順を見守るティエリアの視線を感じたが知らぬふりで再沸騰させたお湯をティーポットに注いだ。ティーコゼーなどという洒落たものは男ばかりの研究室には置いてないので使ってない布巾を被せる。ふとティエリアに視線を遣ると、こちらを見ていたことなど無かったかのように端末に集中していた。先日カタギリから頼まれていたものだろう。邪魔をしてはまずい、とマグカップに紅茶を注ぎ彼女の側に置こうとそっと近付く。

「ここ、置いておくから、」

零さないようにな、と続けるつもりだったが、それは叶わなかった。

「……近寄るなッ!」
「は?」

ティエリアは顔を紅潮させ後ずさる。その拍子に椅子が倒れた。

「紅茶置いただけだって……てゆうかさあ、」

構わずにロックオンが距離を詰めると、ティエリアは壁に背が当たっても尚も後ずさろうとする。

「いい加減、その態度はどうかと思うんだけど」
「……ッ、ち、近寄るな、と言っている!!」

激しい拒絶にロックオンは伸ばしかけた手を止めた。追い詰められたように赤い目の少女はふるふると身を震わせている。その深紅の瞳の端に光るのは。
……虐めたい訳じゃ無いんだが。

「……分かった。もう近寄らねえから安心しろよ」

ロックオンが両手を上げて告げると、ティエリアははっとしたようにロックオンを見上げる。その瞳からするりと涙が零れた。涙は道筋を見つけたかのように後から後から溢れていく。ロックオンが硬直しているとティエリアは俯いて叫んだ。

「……何故だッ……!?」
「や、お前が近寄るなって……」

ティエリアは糸が切れたように座り込んでしまった。視線を合わせるように屈み込むと、しゃくりあげながら涙を流している。
……泣き顔も綺麗だな。
場違いなのは分かっているが、ロックオンはそんな感想を抱く。ぐずぐずと泣いていたティエリアは勢い良く顔を上げた。考えていたのがばれたのか、と焦ったロックオンにティエリアは口を開く。

「あ、あんなことをされたのに、あれから貴方のことばかり気になってっ、」
「え……?」

呆気に取られたように呟いたロックオンに構わず、ティエリアは続けた。

「貴方のことしか考えられなくて貴方のことで頭が一杯で……動悸がするし、眠れないし……分からない、どうしたらいいんだ……!」
「お前それ……」

ロックオンがティエリアに触れると彼女は体を強張らせる。だが、手を振り払うことはしなかった。そっと頭を撫でていると、鳴咽の間が空いてくる。

「こんなこと今まで無かったのに、わた、私は患ってしまったのだろうか……ヴェーダに訊いても回答が出ないなんて……何の病なんだッ」

ヴェーダとはアカデメイアのマザー・コンピュータだ。普通の学生にはアクセス権は与えられていない筈の。
……ヴェーダにまでアクセス出来んのかよ。ていうか、

「……あー、そりゃ回答は出ないだろうなァ」
「何故だッ」

睨みつけてくる姿さえも愛しく見えるのは、同じ病を伝染されてしまったせいだろうか。
……まっさらなんだな、こいつは。
胸に生まれた感情が何か、彼女は知らないのだ。綺麗なものを濁らせようとすることへの微かな罪悪感と、それを上回るほどの強烈な欲望にロックオンは眩暈を覚える。ティエリアは激しく頭を振った。

「もう嫌だ……何とかしろッ」
「……分かった」
「え……?」

きょとんとしたようにロックオンを見つめたティエリアに微笑んだ。

「ちゃんと責任取るよ」
「どうやって、」

ロックオンはティエリアの両手を取る。

「俺と付き合ってくれ、ティエリア」
「……は?」

ティエリアは呆けたように問うた。目を丸くし、口をぽかんと開けていたのも束の間、すぐに眉間に皺を寄せる。

「……何処へ?」

がく、とロックオンは思わず肩を落とした。

「そうじゃなくてな……いやまあ、あれだ、俺の側に居りゃ分かるよ、答が」
「本当に……?」
「ああ、教えてやる」

困ったように視線を彷徨わせていた少女は、こくり、と頷く。

「了解した……から、手を離せッ!」

ティエリアは顔を赤くし、ロックオンの手を振り払った。







実験を終え研究室に戻ってきた刹那はふと違和感を感じ入り口で足を止めた。刹那に気付いたロックオンはにこやかに笑う。

「おー、刹那お疲れ。ん、どうした?」
「……いや、」

気のせいか、そう思い直しながら自分の端末を起動させた。隣の席にはロックオン、向かいの席にはティエリアが居る。そのティエリアの、ぴりぴりした空気が和らいでいるような気がするのだが。ティエリアはモニタに視線を遣ったまま口を開いた。

「刹那・F・セイエイ、この前依頼されたプログラムのチェックを終えたので転送しておいた」
「……ああ、すまない」

ティエリアはそう言って端末の電源を落とす。メモリスティックを飾り気の無いバッグに放り込み彼女は立ち上がった。

「……帰るのか」
「ああ。今日予定していた分は終了した」
「じゃあ、ちょっと待てよ。送ってく」

予想もしていなかった方向から声がかかり、刹那は目を丸くする。ティエリアも同様に、声の主を見つめていた。

「なっ、何故ッ?!」

初めてその姿を目にした時のように、ティエリアが眉間に皺を寄せているのを見た刹那は思わずロックオンに目を遣る。端末の電源を落としていたロックオンは、二人がこちらを見つめているのに気付くと目を瞬かせた。

「俺、何かおかしいこと言ったか?」
「いや、」
「おかしい!」

返事をしようとした刹那の言を遮ってティエリアが叫んだ。

「貴方が送ってくれずとも一人で帰ることくらい出来る!」
「そりゃそうだろうけどさ、付き合ってんだから送らせろよ」

え、と刹那は口だけ動かす。ティエリアはますます眉間の皺を深くした。

「そ、そういうものなのですか……?」
「そうそう。……じゃな、刹那。また明日」
「……ああ」

ロックオンは、納得がいかないように彼を見上げるティエリアの肩をそっと押して部屋を出て行く。刹那は二人の背中をぼんやりと見送った。
……何か今、とんでもない単語を聞いた気がするんだが。
転送されたプログラムを保存しながら、思わず腕を組む。しばらく考えてみても答えは出なかったのでその内に刹那は考えることを放棄した。
……まあ俺には関係無い。
保存が無事終了する。明日からの実験を無事始められそうだ。予定を頭の中で立てていると研究室のドアが開く。そこにはアレルヤが立っていた。

「お疲れー。あれ、刹那だけ? ロックオンとティエリアは?」
「二人で帰った」
「……二人で?」

怪訝そうに呟いたアレルヤに刹那は頷く。

「付き合っているから送っていく、と」
「え……ええっ?! 本当なのそれ!」
「恐らく」

うわー、とか、どうしようハレルヤ、とか呟くアレルヤの慌てぶりに刹那は、とんでもない、と思ったのは間違っていなかったのだと確信した。











カタギリ研は機械工学の研究をやってるイメージで書いています。しかし書いているのが超文系人間なので用語とかは適当です。本で読んだり話聞いただけの知識しかないので。
'08.7.14