「ところで、最近ロックオンとはどうなの?」
「どう……とは?」
恋人の名を聞き逃せず、ティエリアはつい膝の上の本から顔を上げ問うた。
月と地球のラグランジュ・ポイント、L4にあるこのコロニーは、アカデメイアと呼ばれている。コロニー全体が地球総合大学――通称アカデメイア――であるためだ。学ぶ意志さえあれば年齢も人種も様々な学生を受け入れるアカデメイアに、ティエリア・アーデも在籍していた。
「うまくいってる?」
無邪気に笑うクリスティナ・シエラは、ティエリアと同じ学部の、年上の学生だ。クリスティナの卓越したプログラミング能力にはティエリアも一目置いているため、単独行動を好む筈の彼女もクリスティナとは付き合いがある。だが。
「……クリスティナ・シエラ、」
「ん?」
「うまくいっているとはどういう状態を言うんだ。まずそれを定義してから言え」
冷たく切り捨てたティエリアにクリスティナはつまらなさそうに口を尖らせた。
「またティエリアはそういう小難しいことを言うー。訊いてみただけなのに……ねえフェルト」
「え」
名前を呼ばれた少女は、自分に振られると思っていなかったのか、微かに目を丸くする。ティエリア、クリスティナよりも年若く、違う学部ではあるものの、その知識の豊富さから、クリスティナと共同研究をしているフェルト・グレイスはクリスティナと行動を共にすることが多かった。フェルトは口を付けかけていたカップに口を付け、こくりとお茶を飲み、応える。
「ティエリアの言うことにも一理あると、思う」
ティエリアは、フェルトに加勢して貰えると思っていなかったのか、僅かに目を見開いた後唇の片端を上げた。
「そら見ろ」
「フェルトまでー。んんー、じゃあねえ喧嘩とかしてない?」
クリスティナは眉を寄せたが直ぐに気を取り直したように口にする。
「してない……と思う」
珍しく歯切れの悪い返答をしたティエリアに、クリスティナとフェルトは驚いた。ティエリア・アーデと言えば、その類稀なる美貌と明晰な頭脳、言葉で人を斬れるのではないかと言われる程の切れ味鋭い言動をすることで有名だ。その彼女が断定しなかった。
「え、え、嘘、どうしちゃったの?」
気遣うクリスティナの物言いに、ティエリアは首を横に振る。
「喧嘩、とかではなく……多分」
ますます鈍くなるティエリアの口調に、二人は首を傾げた。
「喧嘩じゃないなら何か言われたとか……」
フェルトの呟きにティエリアの肩が小さく揺れる。クリスティナがそれを見逃す筈も無く。
「……何があったの?」
心配そうに見つめられるのを無碍にする程、ティエリアは非情ではない。ましてや手に余ることを抱えている身では。しばらく黙っていた後、ため息をついた。
「……泊まりに来ないかと言われて、」
「ええっ!?」
クリスティナは叫び、フェルトは叫びこそしなかったが目を見開く。
「つい断ってしまったんだ。非難はされなかったが……残念そうだった」
言い難そうに続けたティエリアは、そこで言葉を飲み込んでしまう。
「付き合ってるんだから別にいいじゃない」
「しかし、泊まるというとそういうことになるかもしれないだろう」
「そういうことって?」
ティエリアは明瞭な口調で告げた。
「肉体関係を結ぶ、ということだ」
「……うわぁ、何かその言い方はどうかと思うー」
「じゃあどう言えばいいんだ!」
顔を赤くして叫んだティエリアに、フェルトが訊く。
「……嫌なの?」
「いっ……嫌な訳じゃ、無い……ただ……」
ティエリアは頬を染めたまま口籠った。二人の促すような視線に意を決し口を開く。落とされた言葉は意外なものだった。
「彼は私で満足するのだろうか」
「……は?」
クリスティナの呆けたような問いかけに、ぺたり、と自身の胸を押さえ気落ちしたように続ける。
「……こんな風に、凹凸に乏しい自覚はある……がっかり、させてしまうんじゃ無いだろうか」
「まさかあ」
「彼は……私より長く生きてる分、経験も多いだろうし」
そう言ったティエリアは、口にする羞恥のためか口惜しさのためか、恐らく両方であろう、唇を噛む。ティエリアの恋人であるロックオン・ストラトスは院生で、飛び級入学したティエリアより八歳上だった。
クリスティナはフェルトとこっそり目を合わせる。そんなこと位であのロックオンが躊躇することはないだろう、と。素直じゃない、おまけに照れ屋なティエリアが感情を露にすることは滅多に無いが、周りから見ても分かる程、ロックオンはティエリアを溺愛している。
だがティエリアが、二人に心情を打ち明けた。内容よりもまずそのことに二人は驚いていた。プライドの高い彼女が、ここまであけすけに――その言動の多くは常にあけすけではあったが――心情を吐露するまでに至るまでどれ程悩んだのだろう。それも全てロックオンを想うが故なのだ。クリスティナは小さくため息をつく。
「ロックオンは、そういうことでがっかりするような人じゃ無いと思う」
俯いていたティエリアは顔を上げた。眼鏡の奥の、深紅の瞳がフェルトの言葉の裏を探るように揺れる。
「ティエリアが、それを一番知っている筈」
「そ、れは……」
考え込むように言葉を途切れさせたティエリアを励ますようにクリスティナは微笑む。そこに突然楽しそうな声が割り込んだ。
「そうよお」
「……っ!?」
「ス、」
「スメラギ、さん……」
声をかけたのは講師のスメラギ・李・ノリエガだった。クリスティナよりやや歳上という若さで講師を務めるスメラギもまたアカデメイアでは才媛として有名である。にっこりと笑ったスメラギは空いていた椅子に腰を下ろした。
「あのねえ、横になっちゃえばどんな人だろうと胸は流れちゃうのよ」
「スメラギさん!?」
思わず咎めるように叫んだクリスティナにスメラギはウインクする。
「だから気になるなら上になっちゃえば……」
「わー! 何てこと言うんですかっ! ティエリア、気にしなくてい、」
「上に……」
ぽつりと呟いたティエリアは目から鱗が落ちた、とでも言いたげにスメラギを見ていた。
「ティエリア、それは……」
さすがに黙っていられなくなったフェルトの言を遮るようにティエリアは力強く頷く。
「助言感謝する、スメラギ・李・ノリエガ」
「いいえぇ」
「……スメラギさん!」
◇
「ティエリア、納得させられちゃったね……」
クリスティナの呟きにフェルトは頷いた。
あの後、ティエリアはふっ切れたようにカフェテリアを出て行き、スメラギは呼ばれて何処かに行ってしまった。
「間違いじゃない、間違いじゃないけどさあ……!」
「……多分」
フェルトを見るとすっかり冷めてしまった紅茶に口を付け言った。
「ロックオンが何とかしてくれる」
「……それを祈るしかないよねー」
◇
後日、“お泊まり”はどうだったか訊かれたティエリアは、口惜しそうに唇を歪めた。
「上になる余裕なんて無かった……っ」
事情を知る者には生々しいセリフを吐き捨てたので、クリスティナとフェルトは、やっぱり何か間違ってる、と思ったとか。
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