The kiss of "Valkyrja" 














「……そうか、ヴァルキュリア」

向かいで呟いたロックオンに、ティエリアは大儀そうに膝に乗るくらいの大きさの端末から顔を上げた。食堂には、食後のんびりお茶を飲んでいたロックオンと、部屋に戻る間も惜しいのか、食事を摂り終えるとすぐ端末を触っていたティエリアの二人しか残って居ない。

「ずっと思い出せなかったんだがようやく思い出せたぜ」
「……貴方の出身はアイルランドだと聞きましたが」

ひとりごとになるかと思われた呟きを、ティエリアが掬ったことにやや驚きながら頷いた。

「ああ」
「アイルランドにある神話はケルト神話で、ヴァルキュリアは北欧神話に出てくる名前では?」
「そうだな」

くくく、と可笑しそうにロックオンは咽喉の奥で笑う。ティエリアは寄せがちだった眉根を今度こそきゅっと寄せた。

「何が可笑しい」
「いや、お前さんが可笑しい訳じゃない」

小刻みに肩を震わせるロックオンに冷ややかな眼差を向け、ティエリアは立ち上がる。

「……何にしても、意味も無く目の前で笑われるのは不愉快です。私は失礼させて貰う」
「お前さんのことだな、ティエリア」
「何……?」

きつく眉を寄せたティエリアと裏腹に、ロックオンの唇は綺麗な弧を描いた。

「ヴァルキュリアは来たるべきラグナロク
――世界の終末の戦いに向け、戦死者の魂を迎え導くんだそうだ」

ヴァルキュリアは、主神の命を受け天馬に乗り戦場を駆ける戦乙女。戦死者の魂を天上の宮殿ヴァルハラに迎える役目を負って。
……主神がヴェーダ、天馬――というには重装備ではあるが――がヴァーチェだとしたらティエリアに冠するのは相応しいのではないか?
そう考えて、尚も笑い募るロックオンにティエリアの神経はぷつんと音を立てて切れそうだった。

「……貴方が、神話に造詣が深いことはよく分かりました。だが我々が行っているのはそんな綺麗事では無い筈だ」

感情を押し殺した口調は類稀なる美貌と相まって凄味を増す。

「ラグナロク? そんなもの、あって堪るか」

吐き捨てられた言葉にロックオンは自嘲めいた笑みを浮かべた。

「そりゃそうだよな。世界の終末を見ない為に、こちとらこんなことやってんだからよ」

武力による戦争の根絶、それがソレスタルビーイングの掲げる行動理念。世界の終末を迎えない為にマイスター達は逆説めいた介入行動を行う。例え、どんなそしりを受けようと。

「まあ単なる思いつきさ……ん?」

ロックオンは違和感を覚え右目を擦った。ティエリアは仏頂面のまま問う。

「……どうしました」
「いや……何かごみが、」

言い終える前にロックオンの肩に手がかかった。整った顔が近付いてきたのに顔を上げれば、ティエリアの舌がロックオンの眼球をなぞる。驚きで体を強張らせていると、肩の上の僅かな重みと額に当たっていたレンズの冷たい感触が消えた。ロックオンは今起きたことが信じられないように、ティエリアの鎖骨、自分と違い隆起のほとんど無い細い首筋、尖った顎を目で辿る。その先には感情を宿さない深紅の瞳があった。

「ごみとやらは取れましたか」
「あ……ああ、」
――ロックオン・ストラトス」

躊躇いもなく人の眼球を舐めた少女は手を腰に宛て薄い胸を反らす。

「その目は貴方の財産であると同時にソレスタルビーイングの財産でもある。些細なことが命取りになるんだ。もっと注意深く取り扱え」

そう口にしたティエリアは、ロックオンを一瞥し食堂を出て行った。やわらかなふくらみの感触と、甘い香りを残して。
……参った。
ロックオンは思わず口を手で覆っていた。そうしないと今にも叫んでしまいそうだったからだ。
……戦乙女の、くちづけか。
それはヴァルハラへの誘いか、それとも。
……何にしても……まだ逝けねえよなあ。
少なくとも、図らずも損ねてしまった彼女の機嫌を直すまでは。つい口元を緩めながら立ち上がる。

「……おーい、ティエリア。機嫌直せってー」

こちらから折れるなんて甘くなったもんだ、と声をかけながら少女の後を追った。











右目がひどく熱い。先程の戦闘で再び開いた傷から血を流しながらロックオンは微笑んだ。
……知ってるか、ティエリア。
出撃出来ないように閉じ込める、など、珍しく他者に関わってきた少女の声を、顔を、香りを思い出す。それだけで、痛みが和らぐようだった。
……ヴァルキュリアは、ヴァルハラに迎えた戦死者達をもてなす役目もあるらしいぜ。
視界に入る青い星はあいかわらず美しかったが、それだけではないことを、知っている。
……お前にもてなしてもらうってのは魅力的だがな、
折角、戦乙女のキスを受けたのに、負傷した右目。いや、受けたからこそ、こうして連れて行かれようとしてるのだろうか。徐々に指先から体温が失われていくのが分かる。目にしていた筈の青い星も霞んでいく。
……お前は、まだ、こっち来んなよ。
目の端に映るモビルアーマーの、爆発する気配を感じながら、祈った。












ヴァルキュリア=ヴァルキリー=ワルキューレ
最初から、古ノルド語、英語、日本語(元はドイツ語)で戦乙女。響きが好きなのでヴァルキュリアで。
’08.5.31