"小さな美術館"を紹介・MAP 常滑の陶彫

柴山清風の陶彫


清風は、観音様の笑みに魅せられて、無償で7寸の奈良法隆寺夢殿観音の写し933体を北海道〜鹿児島県奄美大島に配布しました。
作風は、繊細かつ優美で創造力に富んでいます。

柴山清風(1901〜1969)は、昭和の常滑を代表する陶彫(焼き物彫刻)作家のひとりです。
明治から大正にかけて日本が近代化を急ぐ時代の中で、西洋近代の彫刻技法の基礎を学業を通して学び、常滑陶器学校(現 常滑高校)の助手勤務を経て、彫刻の才能を活かし原型師として独立。 さまざまな焼き物製品の原型をつくる職人仕事を生業としながら、戦争の時代の中で信仰心に目覚め、ライフワークとして生涯にわたって焼き物の仏像をつくり続けました。


略歴と時代背景


裸婦像
1901 明治34年

1915 大正 4年

1926 昭和元年

1931 昭和 6年

1934 昭和 9年

1937 昭和12年

1938 昭和13年


1944 昭和19年
1945 昭和20年
1953 昭和28年

1958 昭和33年


1959 昭和34年
1964 昭和39年

1969 昭和44年
1969 昭和44年
柴山清風(本名 柴山廉三)
常滑の農家の三男として生まれる
常滑町立陶器学校卒業
陶器学校助手として勤務
原型師として独立

満州事変

「千体観音」「弾除け観音」を作り始める

日中戦争

大物陶彫を手掛け出す
鳥羽の「一葉観音」

東南海大地震
三河大地震  終戦
テレビジョン放送開始

最後の大物陶彫
常滑市の「万国平和観音」

伊勢湾台風
東京オリンピック

最後の千体観音 933番
永眠
略歴と時代背景
陶器学校から原型師へ
千体観音

弾除け観音
大物陶彫の"一葉観音"
熱海の興亜観音

護国観音
善通寺の観音
おほなゐ観音

和敬観音(慈母観音)
釈迦誕生佛
平和公園平和堂の模型

弥勒菩薩
十一面観音
水利観音

万国平和観音
榎本誠邸の収蔵作品 薬師如来
盛田命祺翁像

狛犬

清風の陶房TOPへ



陶器学校から原型師へ


清風の制作風景  清風は常滑陶器学校で平野六郎から彫刻を学び、井上陽南(1869〜1956)からは絵を学ぶ。 卒業後、1915(大正4年)から清風25歳の1926(昭和元年)まで陶器学校の助手を務め、原型師として独立し、富浦製陶所のノベルティ(輸出用陶器人形)や各種陶品の原型をつくる仕事をつくる仕事を生業とするようになる。


略歴と時代背景



千体観音


千体観音  戦争へと突き進む時代の中で仏像の中で仏像づくりに心の拠り所を求めた清風は、1934(昭和9年)、原型師としての仕事の傍ら、高さ21cmほどの救世観音、夢殿観音を作りはじめる。 33歳のことである。 その観音像千体の無償配布を発願し、希望者を募るため「発願趣意書」なる文書をお寺を中心に配布。受け取った人は名前、住所、職業、観音像一体ごとに付けられた通し番号が記載された受領書を書いており、今も貴重な資料として残されている。 そこからは東大寺や法隆寺などの有名寺院や全国各地の一般の人まで幅広く行き渡っていることを知ることができる。 また、心の趣くままに絵などが描かれたそれらの受領書からは、受け取った人の感謝の気持ちが伝わって来る。 最終的に贈呈した観音像の総数は933体。 北海道から九州までの日本全国各地におよび、また海外3ヵ国にも行き渡っている。
 千体観音は戦後も作り続けられ、陶彫作家・清風が生涯をかけて取り組んだライワークであり、その業績を考える上で最も重要な柱である。

左の写真は "千体観音" 1934(昭和9年)作 高さ21cm


千体観音



弾除け観音


弾除け観音  千体観音と並行してつくられた弾除け観音は、高さわずか3cmの小さな観音像である。 すでに日中戦争が始まっており、出征する兵士の無事を願って制作された小さな観音像で、慰問袋に入れて大勢の兵士に手渡された。

左の写真は "弾除け観音" 1934年頃作 高さ3cm


略歴と時代背景



Toba bay鳥羽 大物陶彫の"一葉観音 itiyo kannon"


一葉観音 千体観音の広まりによって陶彫作家・柴山清風の存在が世に知られるようになり、それをきっかけとして大きな陶彫作品の仕事が依頼されるようになる。
 はじめての大物陶彫は、1939(昭和14年)。 常滑の窯元「丸十杉江製陶」の杉江兵吉の依頼により大きな一葉観音が制作された。 高さ240cm、内部には間仕切りはなく粘土をつみあげた一体型としてつくられた。 「丸十杉江製陶」の石炭窯に運ばれ、直接炎があたらない様に周囲の土管が置かれた状態で、最高1150度で一週間余、じっくり焼かれたという。 完成した観音像は、杉江兵吉から鳥羽の観光協会に寄贈され、海上で働く人たちの安全祈願のため鳥羽湾の海に浮かぶ三ツ島の岩の上に内部をコンクリートで固めてたてられた。
この観音像は、東南海大地震(1944)、三河大地震(1945)、伊勢湾台風(1959)などを乗り越えてきたが、海上での長い年月を経て、今では観音像の背中側が一部破損してしまっている。

左の写真は "一葉観音"(三重県鳥羽市) 1938(昭和13年)作 高さ240cm

下の写真はToba bay 鳥羽 三ツ島

鳥羽 三ツ島
鳥羽の"一葉観音"

略歴と時代背景



熱海の興亜観音


熱海の興亜観音  松井石根陸軍大将(1878〜1948)の依頼により制作された大物の聖観音は、支那事変で倒れた多くの将兵の供養のため上海大場鎮の土を混ぜて作られ、静岡県熱海伊豆山の中腹に上海の方角に向かって建立された。 顔を青年将校にしてほしいという松井大将の要望に沿って作られた観音像は、毅然とした顔のなかに悲しみを湛えている。

左の写真は "興亜観音"(静岡県熱海市伊豆山) 1940(昭和15年)作  高さ330cm


略歴と時代背景



護国観音


護国観音  伊勢湾を臨む知多半島で最も標高が高い本宮山に建てられた護国観音。 建立時、紅白の綱で飾られた牛に引かれ、あとから稚児が続くという式典が行われた。 終戦後に何者かにより損壊され、現在は跡地に石碑だけが残されている。

左の写真は、"護国観音"(愛知県常滑市)1939(昭和14年)建立 高さ200cm


略歴と時代背景



善通寺の興亜観音


善通寺の興亜観音  弘法大師空海生誕の真言宗総本山善通寺の聖観音は焼き上がりが白色で首飾りには金粉が施されている。
 当初は忠霊堂に安置されていたが、現在は光明殿に移されている。

左の写真は、善通寺の"興亜観音"(香川県善通寺市)1942(昭和17年)作 高さ160cm


略歴と時代背景



おほなゐ観音


おほなゐ観音  1944(昭和19年)の東南海大地震では、半田市の中島飛行機山方工場で多数の動員学徒が犠牲になった。
慰霊のため1951(昭和26年)に学友の依頼により、その飛行機工場のあった場所の土も混ぜ合わせて十一面観音がつくられ、半田市の光照院に収められている。
*"おほなゐ"とは古語で大地震を意味します。

左の写真は、"おほなゐ観音"(愛知県半田市)1951(昭和26年)建立 高さ60cm


略歴と時代背景



和敬観音(慈母観音)


和敬観音(慈母観音)  子とその健やかな成長を見守る母を表した観音像は、戦時中に母子の生活支援のために発足した半田同胞園に収められている。


左の写真は、"和敬観音"(慈母観音)(愛知県半田市)1951(昭和26年) 高さ60cm


略歴と時代背景



釈迦誕生佛


釈迦誕生佛  「天上天下唯我独尊」のポーズを取っている。
 当時、東山公園に設置される大観音堂の横手の市民広場に設置の予定とされていたが、現在は平和公園平和堂内に安置されている。


左の写真は "釈迦誕生仏" 平和公園平和堂(愛知県名古屋市)1949(昭和24年) 高さ100cm


略歴と時代背景



平和公園平和堂の模型


平和公園平和堂の模型  中国南京と名古屋市で交換された仏像の安置場所として名古屋市平和公園に平和堂が計画され、イメージを明確にするため、陶器による模型が清風に依頼された。
 屋根は酸化クロームに越後の白土を混ぜた光沢のある緑、柱と垂木は常滑の朱泥土を使った赤、壁と台座は白、いろいろな土を使って作られました。 そして、青龍(東)白狐(西)朱雀(南)玄武(北)が浮き彫りとなり、四隅には大法輪が彫刻されている。


左の写真は "平和公園平和堂の模型"(愛知県名古屋市 乾徳寺)1953(昭和28年) 高さ75cm


略歴と時代背景



弥勒菩薩


弥勒菩薩  名古屋市元助役で100m道路を造った故田淵寿郎氏の所蔵品であった弥勒菩薩、十一面観音、釈迦誕生仏の仏像三体が2015年1月、遺族の方より常滑の大善院に寄贈された。


左の写真は "弥勒菩薩"(愛知県常滑市 大善院)1943(昭和18年) 高さ55cm

略歴と時代背景



十一面観音


十一面観音  名古屋市元助役で100m道路を造った故田淵寿郎氏の所蔵品であった十一面観音像、遺族の方より常滑の大善院に寄贈された。

左の写真は "十一面観音"(愛知県常滑市 大善院) 1945年頃作 高さ50cm 


略歴と時代背景



水利観音


水利観音  愛知用水の発案者・久野庄太郎(1900〜1997)が、工事犠牲者の供養と豊かな水を祈念して制作されたのが水利観音である。 水壺を手に持っているのが外見的特徴で、愛知用水の源となる木曽川支流王滝川の牧尾ダムの土も混ぜ合わせて作られており、愛知県知多市佐布里池の愛知用水神社の観音堂に祀られている。 その他にも関係者に配られた多数の水利観音が存在している。
 愛知用水は、木曽川の兼山取水口(岐阜県八百津町)から愛知池を通り、知多半島の師崎まで流れ、農業・工業・上水に利用されている。

左の写真は "水利観音" (愛知県大府市 愛知用水事務所)1961(昭和36年) 高さ54cm
1958(昭和33年)に制作された高さ120cm程の"本尊"は、愛知用水神社(愛知県知多市 佐布里池)に祀られている。


略歴と時代背景



万国平和観音


万国平和観音  相持院に立つ聖観音は、万国の平和を祈念する観音として名古屋の辻喜代一の寄進により作られた。 清風57歳の時の作品。
 1月の寒い朝、作業にかかる清風。40cm程度に粘土を積み上げた観音像の足部分に掛けられた何枚 もの分厚い布を丁寧に取り除いている清風の姿が思い出される。

左の写真は "万国平和観音"(愛知県常滑市 相持院) 1958(昭和33年)作 高さ200cm


略歴と時代背景



榎本誠邸の収蔵作品 薬師如来


薬師如来 榎本誠(1891〜1965)
愛知県知多郡小鈴谷出身の養鶏家。
各界で活躍した人物を数多く輩出した常滑の小鈴谷盛田家私塾・鈴渓義塾出身。
1916年駐英大使から採鶏卵として有名な白色レグホンを譲りうけて養鶏に取り組み、数々の世界産卵記録をつくる。その功績により黄綬褒章を授かる。


左下の写真は "薬師如来" 四方を四天王が守り、その間に十二神将が配置されている。


略歴と時代背景



盛田命祺翁像


盛田命祺翁像 愛知県知多郡小鈴谷村の庄屋を代々務めてきた盛田家の第11代久左エ門(命祺)が、地域の教育機関として私塾「鈴渓義塾」を創立したことを称えて1917(大正7年)に銅像が建立された。 しかし、大東亜戦争により銅像が供出されてしまったため、1943(昭和18年)清風の手による陶彫の像が再び建立された。


左の写真は "盛田命祺翁像" (愛知県常滑市小鈴谷 白山神社) 高さ100cm



略歴と時代背景



狛犬

狛犬 北条神明社の大物狛犬
柴山清風の同級生に片岡武正(1901〜1964)という陶彫家がいる。
二人は、ともに同時代の常滑を代表する陶彫家で、42歳の厄年に合わせて一対の狛犬、右側の「阿」を片岡武正が作り、左側の「吽」を清風が作ることになった。 完成した狛犬は地元有志により1942(昭和17年)北条神明社に奉納された。
陶彫は焼締められると15〜20%縮むと言われており、焼成後に二人がほぼ同じ大きさに完成させるのは相当な技量を必要とする。


左の写真は 狛犬"吽" (愛知県常滑市 北条神明社) 高さ140cm



狛犬

略歴と時代背景