山寺号は無量山福聚寺、。福聚寺の湧水は、境内の水汲場に湧きだしていて墓の水として使うように整備してあります。福聚寺の由緒は、建武2年の創立で、保土ヶ谷宿岩間町字路上の山腹に在った。建長寺第38世古先印元和尚来って此地を拓き、一庵を創建し、地名をとって岩間山として、古先和尚の別号福聚をとり寺号とした。応安7年1月24日示寂後に円融帝より特に正宗広智禅師の諡号を賜ったが,その後百余年荒廃し明応元年2世の法孫光庵錫を留め伽藍を建立し、中興の偉業をなした。示寂後法嗣文山和尚寺を薫すると、野毛浦に臨光寺を開創し6世長庵和尚岩井町54番地に蓮求庵を創設した。是に福聚寺は本派小本寺の格位を得た。その後寛政年間現地に移転再建した。第17世月鑑和尚、寺門の復興を企画し、境内山林を開いて地域を拡大し、新たに本堂、庫裡、書院、山門を建立し、面目を一新して荘厳の観を呈するに至った。福聚寺ホームページから引用しました。(飲むことは出来ません)
福聚寺の湧水