宮ノ下は熊野神社の下に開けた温泉地であり、地名もここから来ているようです。この宮ノ下が大きく脚光を浴びるようになったのは19世紀半ば以降です。開国の兆しが見え始めた幕末、わが国には外国人の姿が多く見られるようになりますが、横浜の居留地に留め置かれて、自由に旅することは許されていませんでした。ただ、何とか箱根までは許可を得ることができ、車もない時代には、馬やチェアと呼ばれる椅子型のカゴに乗って、箱根までやってきました。彼らは、自分たちの独自の目で箱根を見て、その自然と歴史に私たち日本人には気がつかないすばらしさを感じていたようです。熊野神社は、国道1号線沿いにある嶋写真館の角を曲がった小道の奥にあり、鳥居の左下には、「王堂文庫跡地」があります。王堂文庫は、明治6年(1873)来日した英国人バシル・ホ−ル・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain (1850〜1935)の書庫があった場所です。チェンバレンは、海軍兵学寮の英学教師として招かれ、のちに外国人として最初の東京帝国大学(現・東京大学)名誉教師になった人ですが、日本滞在中は、和歌や日本語について深く研究し、日本文化を広く世界に紹介しました。王堂文庫の「王堂」は、basil=王、hall=堂からつけられたものであり、チェンバレンは、自分自身を「王堂チャンブレン」と称していました。
熊野神社は、古く「熊野権現」といわれ、箱根七湯のひとつ宮ノ下温泉郷に鎮座するお社であります。創建は詳らかではありませんが、温泉守護に霊験あらたかな熊野権現を勧請したお社であり、主祭神に櫛御毛奴命がお祀りきれています。熊野神社の御神水は手水舎に鉄管バイプを通して流れ出ています。
熊野神社の御神水