その昔、萱原だった真鶴半島先端部に木々が植えられたのは江戸時代のこと。度重なる大火により、幕府は火災後のまちの復興のためには、材木資材の確保が必要であると政策判断し、小田原藩は真鶴半島に15万本の松苗を植林しました。当時植えられた木々が成長を続け、林をつくり、今では樹齢200〜400年と言われるマツ、クスノキ、スダジイなどの巨木が生い茂る森となり、近隣でも貴重な自然環境は、昭和35年に神奈川県より県立自然公園の指定を受け、そのうち約35ヘクタールは「魚つき保安林(明治37年〜)」として手厚く保護されています。
この保安林に雨が降り注ぎ地中に雨水が溜まり湿地帯を作っています。この番場浦海岸(仮称)の名水は、地中から染み出た栄養豊富な地下水と思われます。(ただ、この湧き出し口近くに水道管が通っているので、汲み上げた地下水かも知れません・・・地元の方がいなかったので、この名水の事を聞けませんでした)
真鶴半島番場浦海岸の名水