伝説によれば約一千四百数十万年前の欽明天皇のころに座間の里に悪疫(伝染病)が流行して村人達は大変苦しみました。その時、白衣の老人(飯綱権現の化身)が現れ、山すそから湧き出る清水を使うと良い、とすすめられました。村人がそのお告げにしたがって、湧き出る水を汲んで飲み水としたところ、悪疫もおさまり、感激した人々が飯綱権現を祭ったのが神社の起こりと伝えられます。また、江戸時代の「新編相模国風土記稿」には正和2年(1313)に「飯綱権現社」を勧請したと伝えられています。さらに、明治時代の「皇国地誌残稿」には建久年間(1190〜1198)に悪疫が流行したとき、白衣の老人の教えで村人達が日本武尊を祭ったと記録されています。明治2年(1869)、飯綱神社、同9年(1876)には座間神社として改称し村社として飯綱権現と同じく防火の神である日本武尊を祭神としました。(汲むこと、飲むことは出来ません)
座間神社の神水