徳川家康が400年前、江戸城に入るにあたり、防衛を強化するため、三河以来の側近、内藤修理清成を、江戸の要衝であったこの地の領主とした。
清成は、三河の実父、竹田宗仲の菩提を弔うため1603年、座間の現在地に寺院を創建された。
内藤清成・・・家康の側近として重用され関東総奉行にまで出世するのだが、座間並びに周辺の六か村を家康から拝領したが、唯一宿と名のついた座間の地に屋敷を構えた。その屋敷跡は隣接の相模原市に陣屋小路として残っていて、陣屋稲荷と記された小さな祠がたたずんでいます。ちょうど宗仲寺の裏手の小高い丘にあたります。後に内藤清成は内藤新宿、現在の新宿を下屋敷としました。そして、最後は長野県の高遠に転封した内藤家の祖の一人である。
宗仲寺の湧水