泉の井    底脱ノ井    瓶ノ井     甘露の井
  鉄ノ井    六角ノ井    星ノ井     銚子の井
棟立の井
現存しません
扇の井
現存していますが、個人の屋敷内にありますので、見学はできません。
甘露の井
北鎌倉山ノ内地区にある”浄智寺”参道入口の石橋のほとりにある”甘露ノ井”は鎌倉十井の1つとして名高いです。文献によると”甘露水”とは、「観音菩薩が所有している浄瓶(じょうへい)に湛えられている水で、どのような仙木でも生き返らせる事ができる」と記載がありました。
瓶ノ井        甘露の井
瓶ノ井
鎌倉十井の1つ、あじさいで有名な「明月院」境内にあります。岩盤を垂直に堀り貫いて造ったとみられ、その内部が水瓶のようにふくらみがあることから「瓶ノ井」と呼ばれ、鎌倉十井の中でも現在使用できる井戸としては数少ない貴重な存在である。
泉ノ井
泉ケ谷”浄光明寺”近くの個人宅(飯田様)の門前に小さな井戸泉の井です。十井の中では比較的原形がよく残されています。こんこんと清水がわき出た往時の勢いこそありませんが、今でもきれいな水が出ています。
底脱ノ井       泉ノ井
底脱ノ井
海蔵寺境内にあり、鎌倉十井の1つです。中世の武将の安達康盛の娘・千代能が、ここに水を汲みに来た時、水桶の底がすっぽり抜けたため、「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月もやどらず」とうたったことから、この名がついたといわれています。井戸の底でなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け、悟りが開けたという投機(解脱)のうたです
銚子の井
銚子の井戸は、小道の奥にあって、上に六枚の花弁の形をした蓋が乗せられています。蓋の直径は110cm、高さ60cmの大変に重そうな形をしています。井戸枠も蓋と同じように外形は六角形をしており、 内側は円筒状の形状をした石製のものです。枠の手前が片口のように突出しています。 この形から昔風の銚子に似ていることからこの名前が付いたと思われます。
星ノ井(星月井)
鎌倉十井の1つ、別名、星月井。昼なお暗いこのあたりで、井戸を覗くと昼間でも水面に星が見えたという伝承が名前の由来という。江戸時代には”星月井”は有名になり、極楽寺切通しを往来する人の為に「かけ茶屋」が建ち、井戸の水を売っていたが、関東大震災後には「かけ茶屋」も廃業した。
星ノ井(星月井)   銚子の井
鉄の井         六角井


鉄ノ井
鶴岡八幡宮の近くにあり、鎌倉十井の1つで水質清冽甘美にして、盛夏といえども涸れることなし、その昔この井戸より高さ5尺余りの鐡観音を掘り出したので”鐡井”と名前が付けられた(銘文より)。その鐡観音は鎌倉の新清水寺にあった観音像でしたが、鎌倉時代の火災で崩れてしまいました。江戸時代に頭部がこの”鐡井”から掘り出されました。なお、鉄観音は明治初年の神仏分離の令に際し、明治9年に東京の”大観寺”へ移され以後”大観寺”の本尊として今日に至り、昭和47年4月東京都の指定有形文化財に指定されました。
鎌倉十井とは、鎌倉は三方が山に囲まれているにもかかわらず、水質は悪い土地と言われてきました。そのため井戸は、非常に貴重な存在であり珍重されました。江戸時代中期以降、中でも良質の水を出す十の井戸を「鎌倉十井」と呼ぶようになったそうです。
鎌倉十井
六角ノ井
六角ノ井の井戸端は八角形、二角は逗子の分で残り六角は鎌倉分なので六角ノ井という説があります。また、この井戸は別名矢の根井戸。伝説には、鎮西八郎為朝は保元の乱で敗れ伊豆大島に流罪になっていましたが、あるとき海辺で腕ためしの為に鎌倉の天照山を的に弓を射た。強弓で有名な為朝は流罪にあたり腕の筋肉を切られていたが、その強弓は衰えず18里を超えてこの井戸に落ち、村人が矢を抜いたが矢の根が残ってしまい、のちに、村人が矢の根を抜いて住吉明神に奉納したが、水が腐ってしまったので井戸に返したと伝わっています