神服神社由緒略記

神服神社は延喜式内の古社で、19代允恭天皇(大和時代の西暦443年頃。仁徳天皇の第4皇子)の御世に、この付近一帯に機織りが盛んであったところから地名を服部(はとり)と呼んでおりました。服部はもともと「機織部=はとりべ」からきたもので、機織りを職とする部族の名前でした。服部連は允恭天皇から機織部司に任命され、国々の織部を総領したことにより「連」姓を賜り服部連と称しておりました。その服部連の勧請により建立されたもので「服部神」と称しておりましたが、醍醐天皇(887年〜930年)の延喜年間に「神服神社」(カムハトリカミノヤシロ)と改めました。いつの頃からか「しんぷくじんじゃ」と音読みされるようになりました。
御祭神は?速日命、麻羅宿禰、素戔嗚命(牛頭天王)をお祀りしておりましたが、明治41年11月宮之川原の春日神社(天児屋根命)稲荷神社(宇賀御魂大神)を、また塚脇の上ノ宮神社(服部連公)浦堂の若宮神社(天児屋根命)大蔵司の神明神社(天照大神、豊受大神)を合祀し、お祀りするようになりました。
当初氏地は広く、清水村、芥川村、如是村大字津之江、同 西五百住、阿武野村大字氷室、同 岡本、同 苛川(いずれも旧称)に至りましたが、現在は宮之川原を中心に周辺の集落であった、塚脇、西之川原、大蔵司、浦堂のほか安岡寺、松が丘、真上、寺谷の一円になっています。
境内地は1280坪あり、周りが市街地化されて行く中で、木々も繁り季節によっては小鳥の囀る声も聞こえ、氏子崇敬者、参拝者の心癒される場になっています。



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