イースターの祈りと黙想



「 岩はすでに転がしてあった 」


安息日が終わると、

マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、

イエスに油を塗りに行くために香料を買った。

そして、週の初めの日の朝ごく早く、

日が出るとすぐ墓に行った。

彼女たちは、「だれが墓の入り口から

あの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。

ところが、目を上げて見ると、

石は既にわきへ転がしてあった。

石は非常に大きかったのである。

マルコによる福音書16・3-4


私たちがすべてのことに絶望し、

この世に苦悩は溢れ、

もはや未来はない、

希望は失せた と思うとき、

私たちが変化を恐れ、

私たちに備えはなく、

むしろ涙を流し、

逃げ惑っているとき、

岩はすでに転がしてあった。


私たちは 彼女たちと一緒に歩むから、

絶望の中で なお望むために。

あなたは私たちを墓から呼び出し、

道を示してくださったから、

岩はすでに転がしてあった。





「 復  活 」


生ける神よ

イエスの復活は

私たちと永遠の命のあいだに

大きな門を開きました。

きょう私たちはこの扉を通り抜けます。

あなたのみわざに仕えます、

あなたの命がすべてをおおう幻を

キリストから受けて。

私たちは祈ります、

思想から行動へ

幻から実現へと向かう御力を

私たちに与えてください。





「 墓は空であつた 」


キリストは 死んだ

闇の中で死んだ

十字架の絶望の中で死んだ

暗闇の支配の中で死んだ。

キリストは人間の死の中で死に

私たちの死の中で死に

私の死の中で死に

死んで身を横たえられた。

こうして キリストは復活し

私の死を内側から粉砕して 勝利された。

キリストの復活は 古い死の力の粉砕

キリストの勝利は人間の本質の中での勝利。

キリストの死は、死の中での死であつたから

死の力を根底から粉砕された。

死は勝利に呑み込まれた!

ハレルヤ!




「 私たちは 日々生活の中で 」


私たちは 日々生活の中で

小さな死の瞬間を経験する。

苦しみや孤独、

悲しみや絶望を経験するとき、

私たちは死の試食をしている。

このようなとき 死の世界は私たちを囲み

私たちは 墓穴に片足をおいているようだ。

しかし また私たちは日々

小さな復活の瞬間を経験する。

私たちが愛を知り 苦しみを引き受け 許すとき

また私たちが他者と 人生に心を開くとき

世界は広がり 私たちは墓から浮かび上がる。

主よ、あなたの復活の輝きが死の影を散らし

私たちを輝く希望の中に歩ませてください。

もはや希望が砕かれることのない

夢の消えることのない御国に向かつて。



  人生の祈りのトップメニューへ戻る>>  こちらをクリックしてメニューにもどり別の項目をご覧下さい。